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菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

いかリング。 『怒り』

2016年11月16日 00時03分46秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第992回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

『怒り』

 

 

 

 

 

『悪人』の李相日監督が再び吉田修一の小説を原作に、実力派俳優陣の豪華共演で贈るヒューマン・ミステリー・サスペンス。

 

残忍な殺人事件が発生し、犯人が逃亡して1年後、千葉・東京・沖縄に現われた前歴不詳の若い男3人が、やがてその土地で新たな愛を育んでいく中、真犯人を巡る謎と犯人ではとの疑念が思わぬ波紋を周囲に広げることで生じるそれぞれの葛藤のドラマを描き出す。出演は渡辺謙、森山未來、松山ケンイチ、綾野剛、広瀬すず、宮崎あおい、妻夫木聡。

 

 

物語。

八王子で残忍な夫婦殺人事件が起こるが、犯人の行方は杳として知れず、整形して日本のどこかで一般の市民に紛れて逃亡生活を送っていると見られていた。

事件から1年後、千葉・東京・沖縄に素性の知れない3人の青年が現われる。

歌舞伎町の風俗店で働いているところを発見され、千葉の漁港で働く父・洋平に連れ戻された愛子。漁港にふらりと現われ働き始めた青年・田代と恋に落ちる…。

東京の大手通信会社に勤めるゲイの優馬は、クラブで出会った直人を気に入り家に連れ帰る。

東京から沖縄の離島に母のせいで引っ越してきた高校生の泉は、無人島に1人で住みついている謎めいたバックパッカー田中に心惹かれていく。

そんな中、TVでは1年前の事件に関して逃亡中の犯人の情報を求める公開捜査番組が放送される。

 

 

原作は、吉田修一 『怒り』(中央公論新社刊)。
脚本は、李相日。

 

 

 

 

 

出演。

東京編。

ピエール瀧が、刑事の南條邦久。

三浦貴大が、刑事の北見壮介。

妻夫木聡がヤンエグの藤田優馬。

綾野剛が、放浪者の大西直人。

原日出子が、母の藤田貴子。

高畑充希が、薫。

 

千葉編。

渡辺謙が港で働く槙洋平。

宮崎あおいが、その娘の槙愛子。

松山ケンイチが、パートの田代哲也。

池脇千鶴が、妹の明日香。

 

沖縄編。

森山未來が、バックパッカーの田中信吾。

佐久本宝が、旅館の息子の知念辰哉。

広瀬すずが、女子高生の小宮山泉。

 

 

 

 

 

製作は、市川南。
エグゼクティブプロデューサーは、山内章弘。
プロデューサーは、臼井真之介。
ラインプロデューサーは、鈴木嘉弘。
共同製作は、中村理一郎、弓矢政法、川村龍夫、高橋誠、松田陽三、吉村治、吉川英作、水野道訓、荒波修、井戸義郎。

企画・プロデュースは、川村元気。

 

撮影は、笠松則通。

照明は、中村裕樹。

 


美術は、都築雄二、坂原文子。

ヘアメイクは、豊川京子。 
衣裳デザインは、小川久美子。

群像劇はこれが大事。 

素晴らしい仕事です。


助監督が、竹田正明。
プロダクション統括が、佐藤毅。

スクリプターが、杉本友美。
キャスティングが、田端利江。

 

編集が、今井剛。

挑戦ではある。 


録音は、白取貢。

音楽は、坂本龍一。

メロ強めです。


音楽プロデューサーは、杉田寿宏。
サウンドエフェクトは、北田雅也。

 

 

 

 

 

ある殺人事件の逃亡犯らしき人物が東京、千葉、沖縄に現れ、3つのドラマが蠢くサスペンス。

吉田修一の原作小説を李相日が実写化。
豪華キャストがこれでもかと熱演する中、演技の質の差が辛い時もあるが幕の内弁当として楽しむが吉。
森山未來、佐久本宝、妻夫木聡、綾野剛、宮崎あおいは役を看取れる。
千葉の色の無さが映画を混乱させ、ベースを知ってると犯人は想像出来てしまうなど、語りや伏線が少々粗雑。
切り裂いていくイライラするような編集は観客にも怒りを、という作意か? 体感させるという映画的コンセプト、群像映画の難しさよ。
行かぬ止まり、略して、怒りとも言いたい留作。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

市橋の事件がべースになっているので、島に滞在していたという事実を知っていると、たぶん田中が犯人だろうなぁと想像がつく。

3つのほくろも整形までしたヤツが気にするであろう特徴をわざわざ見せているとは思えぬから、髪で隠しているから、彼だろうなぁとバレバレなのがねぇ。

軽く化粧(病気による血色の悪さを隠すために、とか)させるなどして、隠すようなシーンを入れるなどの技が欲しかった。

だから、そもそもミステリーではないのだろう。小説ではほくろが見え続けるというのがないしね。

そこで、田代をもっとも怪しく描き、悲劇性を高めているのだが、そのことによって、逆説的にドラマの展開として、彼ではないない、と分かってしまう。なにせ、そうしないとアイコのドラマが薄まるから。親子で疑いました、実際そうでした、じゃねぇ。

 

 

怒りの文字の空々しさたるや。

壁に書きなぐる癖も怒りの文字と、最後の壁の一文のためにあるので、寒々しい。

原作には描写がありそうだけど。

テーマとしての意味せいなんだろうね。その力はあります。

最初の白地に赤文字が最後赤地に白文字の反転なんかも含めてね。

 

タツヤのキャラだと、あの壁の文はもっと丁寧に消してそうなんだけどなぁ。

時間はあったはずなのに。 

あれを泉が見たなら、殺した意味の半分は消える気がする。

  

 

 

そもそも、タツヤはなんで、酔った挙句、声を無視して、歩いて行ったのに、レイプを公園で見ていたのか。

ケータイも持ってないのか?

ということは、あれはあれで自分よりも田中へ関心を持つあの娘への攻撃だったのか?

 

原作は、半ばを過ぎるまで犯人を決めずに書いたということだが、それが映画にする過程で、明確な伏線として現れてしまったのだろうか。

もちろん、犯人捜しはこの物語の重要なポイントではない。

田中の人物像の造形(森山の芝居はよい)が浅く、それが邪魔をしているのだ。

 

 

人が違えば演技の質も違って当然なのだけど、周囲と異質だと、やはり浮いてしてしまう。

演出としては役者の演技を引き出すものだが、監督としてはそれを調えるのも必要。

 

 

だが、キャスティングの面白さは群を抜いていて、最近の邦画なのかでは、トップクラス。

『シンゴジラ』のような娯楽としての遊びも加味すれば別だが、文芸大作としては抜群。

『悪人』の成果が現れているのではと推測。

 

 

 

 

 

 

 

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