ゾンビ×和製ボンクラ青春映画として、予告編を見る限りは相当ハイレベルに見える。こんな映画を今年2月にやってたとは。話題になってないしレビュー点も分かれてるので、まず観てみない事には"ライフ・イズ・デッド: youtu.be/M5gOV4T0U7g "
やっとだ。朗報。 写真やビデオ撮影の際、背景に著作物であるキャラクターが写り込んでしまった写真の利用は厳密には著作権侵害に問われる恐れがあったが、2013年1月以降は侵害行為に当たらなくなることが明確化された。 postolog.com/bbb1MD
RT @coodoo 「やる気」の正体。 japan.digitaldj-network.com/archives/51650…
RT @coodoo 身体は脳の支配下にあると思われがちですが、本当は逆で、カラダが主導権を握っています。 japan.digitaldj-network.com/archives/51535…
ある製品について改善すべき点をみんなでリクエストして公開するサイト「Pvsh」 - GIGAZINE gigazine.net/news/20121228-…
芸術において、共感が絶対的なものさしのように語る者がいるが、『モナリザ』のどこに共感するというのでしょうか? 共感さえ阻みつつ、見るものがみな美を感じるという鑑賞者同士の中に共感が生まれることをいうならば別だが。
人間はみなバグだらけ。完璧な人間なんていないことが遺伝子解析で証明される : ギズモード・ジャパン gizmodo.jp/2012/12/post_1… @gizmodojapanさんから
@___takuma___ 共感は先天的に分かり、共感出来ないものへの理解は後天的なものなのかもしれません。そういう意味では、美にもその二種類のものがある。しかも、理解できないものは不安に近い感情を引き起こす。そして、美もまた不安や恐怖を引き起こす。
芸術がひとつの完成したフォルムになったとき、それは単一の「正しい解釈」を生むものではなく、重層的な意味を持つものになるからです。それでいいのです。いや、そうでなければ困る。だって作者の方でも、創作に従事するとき一元的な意味を狙っているわけではないのですから。
@hisikosu @___takuma___ 漫才の基本は、ボケという非共感と、つっこみという共感で成立し、ホラーも多くは恐わがらせるという非共感と、怖がるという共感で成立する。(逆に感じる人もいるでしょうが) 共感だけでなく、この二つがどちらかしかない状態を嫌うのかも。