菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

つぶやきのまとめ 9/6

2024年09月06日 09時32分04秒 | つぶやきのまとめ

「映画を見ること」を「映画に参加する」という方向にしていっているのだろうな。

 

 

作品を見たときに、観る者が自分(人間)についての<価値>を感じるであろう、という描き方がある。
中でもそこに、自分(人間)が優れていると感じて心が動く、自分(人間)が愚かであると感じて心が動く、という分類がある。
<自分が優れていると感じる>には、観る者が主観的になり、なおかつ共感できる部分を強調し、小さなモノ(路傍の石、独自性、無垢、善など)の価値を感じさせる、配慮がいる。
<自分が愚かだと感じる>には、観る者が客観的になり、なおかつ関係性や知性を発揮できる部分を強調し、大きなモノ(自然や神、システム、悪など)の価値を感じさせる配慮がいる。
 
 
 
低予算映画や自主映画といえば若者映画が定番だったけど、『カメラを止めるな』『侍タイムスリッパー』とか少し大きめでも『孤独のグルメ』の劇場版があったり、『ラストマイル』でもいいとこに中年俳優が配置されたりで、技術ある中堅の力が活かされ、見る価値になってきてるのではなかろうか。
それか、映画が中年がメインターゲットになってきてるからかもしれんが。
 
 
 
 
分からなくても分かる技術。
知識で分かる技術。
やってると分かる技術。
ちゃんと学ぶと分かる技術。
分かるようで分からない技術。
分からない技術。
 
演技には、演技を見えなくさせる技と、演技を見えるようにする技がある。
オーディションでは、この演技を見えるようにする技が多少なりとも求められる。
 
 
 
 
物語に求める現実逃避には、疎外感、孤独感からの逃避という側面もある。
それを求めている時に、「わからない」を強く感じると、疎外感や孤独を感じることがあると思われる。
共感度の高さを求めるのは、それにより疎外感や孤独感が薄まるからだろう。
 
 
 
 
いろいろ落ち着いてきました。
演技講師の方は、事務所2つとACT芸能進学校をメインにやっておりまして、不定期で自主WSを行っております。次回は、9月14日で、まだ数枠空いてます。
あと専門学校で、あるホラープロジェクトに講師と監修で関わらせていただいております。これは今秋中に発表となる日本初の試みだったりします。
低価格による個人レッスンも好評で、だいたい月に1、2回ほどやっておりますので、こちらもどうそお問い合わせください。西洋では商業作品で演技コーチを個人的つけて、演技をつくっていくのは、スタンダードな方法だったりします。監督が演技方向は示しても、指導しないタイプは当たり前にいるので。日本でも、少しずつこのスタイル、脇役の演技指導を演技コーチや俳優部がするのを採用するチームも増えてきています。演出部が演技のプロではないですから。それを見て、演出部も学べば、演技指導もできる演出部になっていけますしね。
最近、おいらの講義を受けた方々が成果をどんどん出しているので、やっぱ嬉しいですね。成果だけが大事ではなく、お芝居における演技の技術を楽しんで続けてくれているのがなによりなんですけどね。
それでは、また。
 
 
 
 
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