菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

何が映画にしているのか?

2006年08月16日 00時33分55秒 | 映画のあれこれ
同じ映像だってのに、映画とそれ以外を隔てているもの、ってナニか?

これを考え出すと、まぁ、難しすぎて、ひねった首が一回転して、1080゜なんて、大技を決めてしまいかねません。

初期の映画から、映画は偉い変貌を遂げてしまい、物語的なものを多く含むようになってしまったからでしょうか。
映画の最初は、あくまでも写真が動くだけではあった。
箱を覗くものもあったし、今のような映画館的な場所で見るものもあった。
その初期の映画にもあったものが、その進化の過程で多くの他の映像媒体に分岐していく中で、強く映画とその他を分ける確固たる何かを手に入れたのだろうと思うのだ。


でも、最近、なんとなく映画とそれ以外を分けている何からしきもののヒントをつかんだ気がするのです。

それは、[構造]。
以前は自分の中では、[大設定]とか、[仕組み]とも言っていたのだが、どうやら、それをひっくるめて[構造]といっていいようだ。
その[構造]が[視点]を生み出すのだと考えている。
[構造]が[構造主義]で説かれる構造とどうつながっているのかなど、まだまだ処理し切れていないことは多い。
なんしろ、この[構造]については、おいら自身、まだ一瞬の稲光らしきものを掴まえた程度だから、明朗に語る言葉が構築できていないので、書き出すとまとまりきらないのだ。
実は、押井守監督も使っているので、[構造]で統一しておこうと思ったのだが。

なんとか、この理論を構築して、土台を作って、建前で餅を撒きたいと思っている。
まぁ、そなこといって、いくつも投げっぱなしジャーマンなテーマが数多にたくさんイッパイあるんだけどね。
でも、これは映画を作っていくのに、つかまねばならぬことだと思うのだ。
理論だけでなく実践するために。

まぁ、宣言ていうか、まとめるためのメモってことで。








『フィルム・メモワール』DVD発売!
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?I=entanohosi

下の方にある
『Film Memoire~フィルム メモワール~』
をクリックしてください。










コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ペプシのシグナル | トップ | 生意気なマイキー。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画のあれこれ」カテゴリの最新記事