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菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

化物たーれだ? 『TAR ター』

2023年06月16日 00時00分45秒 | 映画(公開映画)

で、ロードショーでは、どうでしょう? 第2257回。


「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」

 

 

 

 


『TAR ター』

 

 

 

ベルリンフィル初の女性マエストロとなった天才指揮者が重圧と攻撃に追い詰められるサスペンス・音楽ドラマ。

 

主演は、『ブルージャスミン』、『キャロル』のケイト・ブランシェット。カリスマ指揮者を実際にオーケストラ指揮やピアノ演奏もこなし、さらに深い人物を表現し、映画賞を席巻。
共演は、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、マーク・ストロング、実際にチェロ奏者として知られるソフィ・カウアーが俳優デビュー。

 

監督・脚本は、『イン・ザ・ベッドルーム』、『リトル・チルドレン』のトッド・フィールド。
16年ぶりの長編映画作品。

 

 

物語。

現代ドイツとアメリカ。
女性として初めてベルリンフィルの首席指揮者リディア・ターは、研究や作曲でも成果を残し、エミー賞(Emmy)、グラミー賞(Grammy)、アカデミー賞(オスカー/Oscar)、トニー賞(Tony)を受賞したEGOTを制覇した、まさに天才。
類まれな才能を鍛え、政治力、経済力を駆使し、現在の地位を掴み取った。
自伝の出版も控える彼女だったが、新曲が思うように作れず生みの苦しみ、マーラーの交響曲全曲同一オーケストラ収録で唯一残っていた第5番のライブ録音が目前に迫り、大きなプレッシャーに晒されていた。

 

 

出演。

ケイト・ブランシェット (リディア・ター/指揮者/作曲者)

ニーナ・ホス (シャロン・グッドナウ/第一バイオリン/パートナー)
ミラ・ボゴジェヴィック (プテラ/養女)
ノエミ・メルラン (フランチェスカ・レンティーニ/付き人/指揮者見習い)
ソフィ・カウアー (オルガ・メトキナ/チェロ奏者)

ジュリアン・グローヴァー (アンドリス・デイヴィス/元指揮者)
アラン・コーデュナー (セバスチャン・ブリックス/副指揮者)
マーク・ストロング (エリオット・カプラン/指揮者/カプラン財団代表)
ファビアン・ディル (クヌート・ブラウン/演奏者)
シルヴィア・フローテ (クリスタ・テイラー/指揮者見習い)
リー・R・セラーズ (トニー・ターア/兄)

 

 

スタッフ。

製作:トッド・フィールド、アレクサンドラ・ミルチャン、スコット・ランバート

撮影:フロリアン・ホーフマイスター
プロダクションデザイン:マルコ・ビットナー・ロッサー
衣装デザイン:ビナ・ダイヘレル

編集:モニカ・ヴィッリ
音楽:ヒルドゥル・グーナドッティル

 

 

『TAR ター』を鑑賞。
現代ドイツとアメリカ、頂点を極めた指揮者で作曲家の女性マエストロが重圧と攻撃に苦しむサスペンス・音楽ドラマ。
ベルリンフィルで初の女性での首席指揮者となったリディア・ターが、社会の状況と憶測と偏見と嫉妬と仕組みの立ち回りと攻撃によって、追い込まれていく。
全体を貫く演出のしかけと挑戦、映画の編集の妙味、それを狙った脚本の巧みと硬度、映画全体の挑戦。それを引き受け、さらに一段上げてみせた主演ケイト・ブランシェットがいなければ、もはや映画にならなかったかもしれない。その神がかって、なお人間らしさを炙り出す人物表現に飲み込まれる。なんと、実際にオーケストラを指揮し、ピアノを演奏している。映画賞を席捲するのも頷ける。だが、その凄さもケイトブランシェットならさもありなんと思われているってことこそが凄い。(サントラにはケイト・ブランシェットの指揮による音源が収録されている)
共演者は薄く感じるかもしれないがニーナ・ホスの繊細な演技がコーラスを添え、ノエミ・メルランがリズムをキープし、マーク・ストロングがしっかと打音を奏でる。実際にチェロ奏者のソフィ・カウアーの存在感がまさにソロ演奏のように刺激を与える。
この現代音楽であり、クラシカルでもある、まさに映像オーケストラを作曲かつ指揮し、まとめあげたのは、寡作ながらとるたびに独自の映画作品を生み出す『イン・ザ・ベッドルーム』、『リトル・チルドレン』のトッド・フィールド。元役者でもあり、16年ぶりとは思えぬ監督と脚本は、まさに芝居屋や役者力、そして映画が出来ることを信じきったと思わせる出来。
撮影のフロリアン・ホーフマイスターもリッチかつ的確に、美術と和音のごとく、心体を同一画面にキュビズム的に刻み付ける。室内の窓の意味など、寒気がするほど。(自宅は外を感じないのに、まるで瞳孔のような窓がある)
約160分ながら、その内容は通常の映画の2倍ほどの語りがあり、10話くらいのドラマを一気見したような圧縮度。この映画の時間間隔への取り組みが革新的。いつ終わるか分からないほどの10分近い1カット長回しがあるかと思えば、数秒のシーンや短いカットをつみかさねるシーンもある。それが行き当たりばったりだったり、シーンのムードづくりではなく、意図あるものとわかる。時間間隔の迷路に連れて行こうとする目論見を感じる。映画内にも時間の話が頻繁に出てくる。クラシック自体が歴史を表現しているものでもあり、その先から映画は始まる。現代音楽で現代まで数千年を横たわらせる。
この奇妙なタイトル『TAR』は「ART」のアナグラムであろう。劇中の人物KRISTAを「AT RISK」(「危険にさらされている」、「落第しかけている」などの意味がある)とアナグラムをするシーンがある。TAR=ART(芸術)であり、芸術がもつ時間、芸術と社会生活、芸術と社会構造の関係が浮かび上がってくる。
そこから映画は始まる。まずはオープニングの4つのシークエンスでファンファーレが鳴り響く。スマホのチャット、オープニングクレジットの反転(通常後で流れるスタッフから表示される)、インタビューに挿入される、衣裳の型紙製作の映像、主と従、星と見る者、頂点と下支えの関係が浮き彫りにされる。
しっかりと映画が始まった最初のカットとラストシーンの映し方で物語が見事にまとめ上がっていることの驚嘆する。
予告編の衝撃のラストは10分も見方によっては驚きかもしれないが、映画の流れで見たら、驚きではないです。映画全体が驚きの連続です。
人と関われば、そこには正負の感情がついてくる。
そこに行くには見えないルールをのみこまなければならない。
そのものよりも、見え方によって、人は判断する。部分が全体を支配する。
置いてあり止まっている神輿は、その魅力の半分も出せない。
プラネタリウムで加えられた星を繋ぐ線で星座をしても、その名をつけた者はわからない。
憶測で傷がつくものがある。
成功は支配に支配されている。
化物だーれだ?の靴作。

 

 

 

おまけ。

原題は、『TÁR』。
『ター』。

主人公の苗字ですね。
TARは「ART」のアナグラムでしょうね。
劇中でも、KRISTAを「AT RISK」(「危険にさらされている」、「落第しかけている」などの意味がある)とアナグラムをするシーンがある。
フランチェスカがあなぐらむらしきことをやっているシーンもある。リディアの真似をしているのか。

タイトルにもしかけがあって、A【′】がついている。
【Á】は、Aにアキュートアクセントを付した文字。オランダ語、スペイン語、ポルトガル語、チェコ語、スロバキア語、アイスランド語、ハンガリー語等で使われる。ポルトガル語、スペイン語では、Aにアクセントがある場合に使われる事がある。チェコ語では、Aの長音を表す。(Wikiより)

発音を示すが、どこか音楽記号にも見える。
そして、何かはみ出していたり、何か余りがついているようにもとれる。

 

2022年の作品。

 

製作国:アメリカ
上映時間:158分
映倫:G

配給:ギャガ  

 

オルガが憧れたジャクリーヌ・デュ・プレも性なかなかや大変な人生を歩んでおり、彼女を姉から見た『ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ』という映画もあります。

 

 

『怪物』見た後で『TAR』を見たら、すごくわかりやすかった。
まぁ、『TAR』2回目ってのもありますが。
最初に見た時の違和感と疑問(ターは何をしたのか)が拭えなかったので、もう地位度見てからでないと憶測でと子のもやもやしたものを抱えたままでは書けないな、と思ったのです。

 

トッド・フフィールドは、映画監督を休止状態の16年間は、オレゴンでリトルリーグの野球チームの監督をしていたそう。

 

 

TAR/ター の映画情報 - Yahoo!映画

映画『TAR/ター』物語結末ネタバレ!リディア・ターは実在するのか? - EIGASKI

 

TAR ター」 ネタバレ解説3 人生で迷子になるということ、ラストシーンの意味 | MOJIの映画レビュー

町山智浩『TAR/ター』を語る | miyearnZZ Labo

TÁR – voice over

O Cinema visto pela Teologia (62): “Tar” – Semanário da Diocese do Porto

TÁR - Pagina Dettaglio Spettacolo - San Marino Cinema

Tár by Thomas Riegler - Home of the Alternative Movie Poster -AMP-

تويتر \ ℳári على تويتر:

Tar 2023 U.S. Screenprint - Posteritati Movie Poster Gallery

TÁR Poster 23 | GoldPoster

東洋経済オンライン『TAR/ター』試写会

 

 

 

ややネタバレ。

通常と逆に、後ろの方のスタッフクレジットから流れる。

最後の解説は、ちゃんと最後のクレジットを見ているとわかる。

 

リディアは、ウィーン大学の大学院で先住民音楽を研究。ペルー東部のウカヤリ渓谷の先住民シピボ・コニボ族の間で5年間を過ごしたという。
シピボ・コニボ族の歌を「歌い手が歌を創造した精霊と同期した場合のみ、歌を受け取ることができる」といっている。

リディアは、講演前に手が震えている。
彼女は余裕があり、尊大に見えるが、緊張しているのだ。

 

リディアは、バーンスタインから学んだ大事なことは「カバナ」であると話す。
カバナは、ヘブライ語で「注意」のこと。つまり、作曲家の意味や意図に注意を払う、注目する、ということらしい。
リディアは、バーンスタインの作曲家の意図と自分の意図を融合することで、「過去を変える」ことができるという意見に対して、シピボ族にならって「過去と現在の融合」を自分は考えているという。

冒頭の妙にもったいぶった始まり方、クレジットや音楽トオーバーボイス、アート映画的なことの連打に、リディアをいけ好かないヤツを見せている。
だが、緊張し、女性指揮者を擁護し、ジョークに組みしない彼女はとても真面目で、自分のイメージを守り、話そうとしてることを忘れないでほしい。

今作の作家の意図に注意を向け、注目して欲しい、ということも受け取れます。

 

BUNKAMURAがセリフに出てきます。
大阪の作曲家、『モンスターハンター』(カプコン)と日本も2回出てくる。
アジアとするなら、3度出てくる。

キャンセルカルチャーの映画。

 

材料は、『ザ・スクエア 思いやりの領域』とも似ている。
描こうとしているところが違う。
よく似た兄妹見たいな感じ。

 

『ベニスに死す』もちらと出てくる。
同性愛でショタコンの老作曲家の恋慕を描く。
こういったイメージを積み重ねることで、見る人のイメージをある方向へと誘導する。

 

 

 

 

 

 

ネタバレ。

追加クレジット。
ケイト・ブランシェット (リディア・ター(Lydia Tár)/リンダ・ターア(Linda Tarr))

本名はTARRとRが一つ多い。

 

いくつかの視点で、この物語は描かれる。
リディア・ターともう一人のリンダ・ターア。
フランチェスカ。
クリスタ。
誰かが撮影した映像(スマホの動画、番組)。

 

 

リディアは、フランチェスカと恋仲にあったようである。
スマホのチャットでも「まだ愛しているのね」という一文がある。

 

最初に、リディアは、レコードを足で選ぶ。
尊大であるが、そこにいるのはすべて男性指揮者ばかりで、そこへの反抗かもしれない。

リディアは、講演の後で、女性評論家と話し、バッグに気を留める。
ドイツの家に帰った時、その手にはあの赤いバッグがあり、カプランからもらったという。
これを、リディアがただ、気に入って買っただけならどうか。

リディアが実は精神的に弱いことがわかる。
実家から持ってきた捨てられないソファもそのことを示す。
そんなリディアが5年かも民族の中で過ごしたのだから、音楽に対して本当に愛し、執着していることも分かる。

 

公開対談を待つリディア・ターの顔を正面から映す。リディアが主役であることを示す。
近いシーンガラスと前にもう一度ある。奪われたライブ録音のシーンで、遠ざけられた管楽器奏者の奥にリディアがいる。じょじょに彼女が主役ではないことがわかる。
だが、この時までは、彼女は自分自身を見ていることもわかる。
ところが、最後、『モンスターハンター・コンサート』イベントでのリディアは引いた映像で映され、それを聞く横位置の観客の映像で終わる。主体が自分ではなく音楽を受け取る側へと変わっていることがわかる。
それは、自分が太古の音楽に言及している時の言葉と呼応している。その太古の音楽は歌い手がいる時、歌の精霊から受け取って、奏でられる、と。
これは、最初は、精霊と演奏者がいれば音楽はあり、客はいらない、という言葉にも解釈させるが、最後には、演奏者もまた聴き手であり、聴く者の存在が不可欠であることがわかってくる。
それは、スタッフクレジットに重ねられる、彼らなくして、この映画はないのだと。
そう、あれがターの底に在る思いとうけとってもいいはずだ。
元々、太古の歌の研究に5年も部族の中で暮らして調べ上げたストイックな人だ。
その過去を簡単に人は上書きしてしまう。
本当かどうかを確かめずに。
本人ではなく情報としか向き合わない。

 

ケイト・ブランシェットはこの映画のためにピアノを学び直し、ドイツ語を話し、オーケストラの指揮方法を学んだ。

 

プロのチェリストであるソフィー・カウアーは演技の経験がなく、友人の勧めでオーディションを受けたのだそう。
彼女は、マイケル・ ケインが主催する YouTubeのレッスンを見て、演技を学んでオーディションに臨んだ。

 

リディアが森の中をジョギングしているときに聞く叫び声は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』(1999)のクライマックスでのヘザー・ドナヒューの音声が使われている。

 

カバナをカバノー判事とイメージすると言われる。

ブレット・カバノー(英: Brett Kavanaugh、1965年2月12日 - )は、アメリカ合衆国の法律家、裁判官。
2018年7月9日にドナルド・トランプ大統領から連邦最高裁判所陪席判事に指名された。保守派として知られ、アイルランド系で、宗教はカトリック。
イェール大学ロースクールを卒業後、ジョージ・H・W・ブッシュ政権下でアンソニー・ケネディ最高裁判事の助手を務める。その後、ケネス・スター独立検察官の助手としてビル・クリントン大統領の不倫疑惑を調査。2006年、ジョージ・W・ブッシュ大統領から連邦控訴裁判所判事に指名され、首都ワシントンで活動してきた。2018年6月、アンソニー・ケネディ最高裁判事が引退を発表すると、ドナルド・トランプ大統領は後任候補6人を直接面接し、2018年7月9日、ブレット・カバノーを指名。しかしその後、カバノーに高校生時代の性的暴行疑惑が持ち上がり野党・民主党が追及。就任に過半数の賛成が必要な上院では与野党の議席数が拮抗していたため承認が危ぶまれる事態となり、調査のため採決を1週間遅らせることを余儀なくされたが、10月7日に「賛成50、反対48」の賛成多数で承認され就任した。(Wikiより)

かように、過去の罪が問われない例もある。

 

編集と構成もかなり計算されている、今作はまさに化物クラス。
描いているものが多いので、あることが扱われると、っ直ぐ次などにそのことにまつわることが出てくるようになっていて、塊で残るように構成されている。
副指揮者の話が出たら、アンドリスのクレームの話が来たり。
重要なことは2度以上は繰り返す。
見た人によって全く違う感想と解釈が生まれるように作られている。
それこそがこの映画の意図だろう。

フランチェスカによる、「TAR ON TAR」をアナグラムした「RAT ON RAT(ねずみ)」が出てくる。

 

この映画の恐ろしいのはターの夢の中のシーンもあること。
アマゾンに浮かぶピアノ科ベッドのが燃えている映像が入り、ターは目を覚ます。

男に襲われた、カプランにバッグをもらった、理事会が用意した迎車、名前を偽り、バーンスタインの師事など、リディアは巧みに嘘をつかいこなす。
では、民族の中で5年過ごしたのも、本当だろうか。

フランチェスカはリディアの過去を知っている。実家に寄りますかと尋ねている。
リディアは自分お下町鉛を気にしているのか、ドイツ語訛りの方を気にしているのか、風呂でテレビの音声を復唱している。

 

リディアが、レナード・バーンスタインに師事していたかどうか。
バーンスタインは1990年に逝去。
リディアは50歳近いようなので、18歳頃にはバーンスタインはなくなっている。
飛び級してはいないようなので、大学では習っていない。
夏休み講習みたいなのに出ていたのか。
これはテレビ番組『青少年のためのコンサート』から学んだということなのだろう。

 

作曲が出来なくなってからは、ありとあらゆるものからそのヒントを得ようとする幻聴がそれにより、幻聴が聞こえるようになるし、隣の家のチャイムなどを繰り返すようになる。
それはリディア(リンダ)が始まりは聴く人だった。
バーンスタインの番組や太古の音楽の調査など。
人の意見を聞き入れ、自分の意見のようにふるっている内に、音が出てこなくなったといえる。

フランチェスカもリディアが求めたクリスタのメールを消さないなど、聞かない人になる。

フランチェスカは鍵を返した、というが、愛を嗅ぎをつくっていたのだろうか。

オルガが消えて行った廃墟でもリディアは音を聴く。
音を探して、怪我を負う。

 

生徒のマックスに「魂がSNSに形作られている」、「ロボット」と言ったり、ブルックスのことも「ロボット」と言っている。
人間メトロノームもまさにロボットを指す言葉だ。
人間であることはどういうことか、音楽と人間が対比される。

 

いくつかのジャンルが組み合わされている。
音楽映画であり、サスペンスであり、サイコホラーであり、お仕事映画でもあり、権力を描いた社会派ドラマでもある。
アート映画だが、ジャンル映画でもあるのだ。

なにしろ、リディアは、幻聴だけでなく、幻覚も見える。(謎の人影が映っていたりする)
リディアはいわゆる信用できない語り手でもある。

 

敬意についての話でもある。
人間メトロノームからはじまり、尊敬しながらも女性性を掘り下げる司会者、作品への敬意、びんぼうゆすり(彼の障害かもしれない)、副指揮者への態度、フランチェスカへの態度、カピランの態度などなど。

このびんぼうゆすりと、『怪物』の飴は近い演出。
びんぼうゆすりの理由は説明されないけども。

 

芸術が生み出す負の副産物についても描く。
ター自身の精神の病み、ターへの周囲の反応、『地獄の黙示録』のワニ……。
つまり、【Á】の【’】といえる。

 

年齢的には、ターはレナード・バーンスタインに教えを受けるのは、難しいが、レナード・バーンスタインが子供にも教えていたので、そこを誰も調べてないということが分かる。
最後に、テレビ番組を見ていたことがわかる。

つまり、リディアは、成功するために、過去を書き換えている。
実際に、Wikipediaを書き換えるシーンがある。
櫃よとあらば、嘘をつく人だが、ルールに縛られているわけではないので、すべてに嘘をつくわけではない。
一個の人間はそんなに短絡的ではなく、複雑な生き物なのだ。

 

フィリピンでの仕事に来たターは、川下りをする。
現地の二人のコーディネーターとともに。
(滝つぼで戯れる姿から推測するに二人は恋人同士だろうか)
滝つぼで泳がずに彼女は滝の裏側で水の音に耳を澄ます。
ターはここでも聴く人になる。

字幕では、『地獄の黙示録』となっているが、英語では、「マーロン・ブランドの映画」といっているようで、作家コッポラではなく、脇の出演者マーロン・ブランドの名前で記憶されている。主演はマーティン・シーンなのに。

 

 

最後が、『モンスターハンター』のイベントであることは、エンドクレジットにちゃんと書いてある。
「MONSTER」と「hunter」の響きにはターを感じる。
ここで、おいらはイベントこなーとの知識があったし、日本でもちょうどドラクエコンサートの宣伝があったし、画面が降りてきたので、あー、ゲームかアニメのイベントコんさーとなのだな、大阪の作曲者と言ってたから、『モンスターハンター』とかの日本雄なんだ、へぇと思っていたのだが、これも人によって全く分からないらしい。
つまり、ターがオルガとの会話で「Youtubeで見た」というのに困惑したのと同じように、年代や時代のズレが映画内でも用意されているとも言えるのではないか。(クレジットに表記はある)
スマホ、チャット、ウィキペディア、Youtube、動画投稿、TikTok、VHS、ゲーム、とメディアでも時代(時間)を表している。
ただ、ゲームの国である日本人の多くが、この映画の最後が分かるのではないか。

 

最後のイベントもドレスコードと同じに見える。

リディアはヘッドセットをつけるので、映像との合わせのための指示を聴いている。
つまり、人間メトロノームに近くはなるが、それでも指揮者はいるのだ。
リディアはコピボ族の歌い手のように音楽を受け取る状態にあるとも言える。

 

アカハラ、パワハラ、セクハラなどのハラスメントが透けて見えるが、その実態は映されない。

微妙にキリスト教的な記号を入れ込むことで、見る側を幻惑させている。
クリストにもその響きがある。
そして、クリストの幽霊のように、幽霊は存在しない(幻覚)と考えれば。
あなたに見えたハラスメントも存在しない、という意図が受け取れはしないだろうか。
あの叫びの主がいないように。
だが、見えないものを見せるのがアート(=ター)なら、それは存在するとも言える。
あなたはどちらを見るかが、この映画の狙いなのだろう。

 

 

贈り主不明のプレゼントは、ヴィタ・サックヴィル=ウェストの『挑戦(Challenge)』という小説。
ヴィタ・サックヴィル=ウェストは1892年生まれの英国の作家。
両性愛者で、ハロルドという夫がいましたが、ヴァイオレット・ケッペル=トレフューシスという女性と駆け落ちした。
ヴィタはいわゆるオープンマリッジ(夫婦が互いに夫婦以外の性関係に無干渉)で、夫ハロルドとの関係も続けながら、ヴァイオレットと付き合い続けたことで、彼女が耐えられなくなったので、関係は破局しました。『挑戦』はこの関係を元に書かれた小説。(ネットより)

 

 

トッド・フィールドへの元々の依頼は、男性指揮者によるハラスメントを描いた物語だったという。(ジェームズ・レヴァインのセクハラ事件を基にしたと言われている)
書き上げたところで、世界一の指揮者を演じられる男性の俳優を思いつかなかったし、男性にするとどこかで見た内容になる気がすると思ったそう。
そこで、ケイト・ブランシェットを想定し、女性の同性愛者に変更したそう。
それにより、ハラスメントの描写が強調され、それ以外のところが目に入ることだ、さらにテーマとしての深みを得ている。

 

そう見えるが、ター自身は何もしていない描写になっている
フランチェスカとクリスタで旅にいったそうだが、特に何があったかは描かれていないし、女性指揮者を鍛えるためのに目をかけただけなのかもしれない。
バーンスタインも正の面では子供への音楽教育に熱心だった。
ターもあの忙しさでジュリアードの講師を引き受けている。
クリスタのメールにも指揮関連のこと以外はない。

ターが男性指揮者と同じよう案政治力を発揮してることがわあkる。
カプランやアンドリスとの関係がそれ。
カプランには援助を受け、自分の技を教える。
アンドリスが理事会からの迎車のことへのクレームがそれをします。
システムを迎合することでターが上り詰めたことがわかる。
だが、ター自身は愛されていない。
だが、ター自身も愛していない。
シャロンが言う。「あなたが一番大事なものを見なさい(この場合はプテラのことだが)」と。
ターは音楽を見る。(観客を見ているかはわからない)

 

東南アジアでの水槽(フィッシュプール)の描写も、なんともいえない不気味さがあった。
ただ単にマッサージをするかもしれないが、文化や見方が違えば、そこには感情が生まれる。

 

マックスは全性愛者と自称する。
フィリピンの二人以外、異性愛者を感じさせる描写がない。
この点でも挑戦的。
カプランへも同性愛者的な発言がある。



新しいマネジメントから、「最初から築き直しましょう」という旨を言われ、次にターが選んだのは、それでもオーケストラを指揮する仕事。
そこでも、今までと同じように、意図を聞こうとしたのか作曲者に会おう(会えなかったが)として、ベルリンフィルの時と全く仕事ぶりは変えていない。
ジュリアードでも現代音楽の作曲者を批判しているが、ちゃんとその曲を聴いていることがわかる。
ターは、音楽に向き合う人であることがうかがえる。
実家に帰っても、まずレナード・バーンスタインのビデオを見返すほどだ。
作曲の詰まり具合からみても、プレッシャーで、その初心を忘れてしまっていたので、それを取り戻したとも言える。

 

 

クリスタはターの言い分を聞けば、どうやらストーカーであり、いつかフランチェスカのように、付き人にする思いがあったのかもしれない。
彼女を追いこんだのは、フランチェスカにも一因がありそうだ。

部分を見て、勝手にその人を規定する。
授業の切り取り映像がそれを示すが、あなたもターの罪を探さなかったか?
マネジメントチームも「映像の事実はどうでもいい」ということを言っている。
劇中では、フランチェスカは罪に問われない。

実際、電子機器が持ち込み不可の教室で撮影出来たのは誰なのか。(憶測ではフランチェスカだが、他にもち込めないかどうかを知らないので断定はできない)
ドミンゴ部屋を撮影したのは誰か。(憶測ではフランチェスカだが……)
最初のスマホのチャットは誰と誰なのか。(憶測ではフランチェスカとクリスタだが……)
映画は示さない。
これは、『怪物』における火事の犯人と同じ。

 

これは飛び道具的な推理だが、クレジットにクリスタ役がちゃんとあるので、前半の後姿はクリスタと思われる。
フランチェスカがクリスタを追い込んだ可能性もある。

 

人は部分を見て、物語をつくってしまう。(映画という芸術形式は、そうやって観ることを要求してもいる)
だから、「疑わしきは罰せず」なのだ。

 



これらのいろいろが、ポスターのデザインの中に、ちゃんと織り込まれているのが、素晴らしい。


兄トニーは言う。
リンダは迷子だと。

 

アメリカの下町の娘がTV番組のコンサートでクラシックに目覚めたように、ゲームのコンサートからクラシックに目覚めることもあるはず。
リディアは、かつての自分、現在の若者、音楽の未来のために、自分のためでありつつ、誰かのために指揮をする。
リンダではなく、リディアで。
だって、それでも、TAR=ARTが必要なの。

 

指揮者は音楽に奉仕するもの、本番はリハーサルの再現、だというリディアは、ァプランが自分の功績を奪おうとしているのを奪い返そうとする。音楽より、自分を重視する。
つまり、リハーサルではなく本番が大事だと思い出す。
そして、これからが彼女の音楽に奉仕する本番になる。
彼女は、迷子から抜け出す。

エンドクレジットが頭にくるように、この映画は、映画の見方をひっくり返して見て、と見方を提示して始まる。
アナグラムのように。通常の並びを組み替えて、違う意味を見出して、と提示する。
大事なことなので、2回以上出てくる。
あなたは、TARからARTを見つけるのか、RATを見つけるのか、それとも、それでもTARを見つけるのか、と。
だが、彼女は、TARRなんですよ、と。



 

 

 

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