一期一会

日々是好日な身辺雑記

Seventyあれこれ

2019年11月09日 | 日記



毎年誕生月に市の健康診断を受けているが、3ヶ月毎に大学病院で超音波検査と血液検査を受けており、9月にはクリニックで1年に1回の胃の内視鏡検査を受けたので市の健康診断はパスしても良いと思うが、心配性のカミさんは肺と心臓を受けてないと申し込み、5日(火)に受けた。
胸部レントゲンと心電図以外は身体測定のようなもので、身長が伸びてるわけでもなく、体重、血圧は家でも測れるので9500円は無駄だと思ったが、意外にも胴回り(ウェスト)が3cm細くなっていた。

2本持っているW30(76cm)のリーバイス501がきつくなり、W32のエドウィンとユニクロのジーンズを買ったが、リーバイス501が捨て難くダイエットしようと思ったが、食べる量を減らすわけでもなく、加えて甘い物好きも変わらないので、いくら走っても体重は減らかった。
それがジョギングと並行してやっていた腹筋、背筋、腕立て伏せ、ダンベルの筋トレをやっているのが効いたのだろう。
ヘルスメーターで体重を測る事はあっても、ウェストは測らないので、今回の健康診断の唯一の成果か。
早速リーバイスを履いてみたが未だ少しきつかったので、少しは食事制限もしなければいけないだろうが、身体を締めるには有酸素運動プラス筋トレが有効で近道だ。



翌6日(水)もSeventy絡みで、70歳以上の運転免許更新は高齢者講習を受ける事が義務付けられ、その案内ハガキが5ヶ月前に届いていたが、誕生日が近づいた先月近隣の講習所に予約電話を入れたら殆どが一杯で、鴻巣の運転免許センターに電話したら、さいたま市のKM自動車教習所を案内された。
10月中旬に予約していたが、台風の影響で講習所が使えなくなり、この日に延期になった。
南浦和駅8:00に待合わせ向かった教習所は、荒川の河川敷の秋ヶ瀬公園の近くにあり、正に台風の影響が残り、実車コースも泥水に浸かった後が残る汚れ様だった。
この河川敷は荒川の遊水池の役割を果たしたのか、信号機の下10m位まで水が溜まっていたらしい。

50年振りの教習所のコース実車は特に問題は無く、2時間の講習を終え修了証を貰った。
次の更新は75歳で認知度検査などがあるらしいが、次は更新をする事なく自主返納するつもりだ。
更新は年に1、2回の旅行でのレンタカー利用の為だが、それも国内だけで海外ではカミさんがOKしないので運転出来ず、昨年のカナダ旅行ではモントリオールから紅葉の名所ローレンシャン高原やメープル街道をドライブしたかったが、バスと電車での観光となった。
15年位前にニュージーランド南島をレンタカーで10日間廻った時は、毎日300〜400km走ったがハイウェイもなく、羊はよく見かけるが車は少なかった。





11:00に講習を終えた後は池袋に出て、フォーの専門店(pho Thin TOKYO)に行き昼食を取った。
この店はカミさんが友達と行ってオススメだったので、3日に買い物に行った時に寄ってみたが、日曜日という事もあり20人位の待ち行列だったのでこの日は諦めた。
牛肉フォー一品だけの店だが、スープが全部飲めますとのうたい文句の通りで、パクチーがいっぱい乗ったフォーはまた来たくなる美味しさで、次はパクチーの大盛りにしよう。
我が家はアジア飯が好きで、レストランだけでなく家でもパッタイやガパオを作る。
 
(我が家のアジア飯)



そして7日にはJALマイレージ(どこかにマイル)の行き先決定のメールが届いた。
6月には、この(どこかにマイル)で大阪便を利用して京都旅行をしたが、その後もマイレージの有効期限切れが来て、その都度ファミマのクーポン券などに替えてきたが、今月の有効期限マイルが大きいのでカミさんと(どこかにマイル)を使う事にした。
(どこかにマイル)は四つの都市の組み合わせがスロットマシーンの様に変わり、それを選択して四つの都市の中から行き先が決まるというもので、それが北海道、北陸、中国、四国、九州と広範囲にわたる。
そして必要なマイル数は何処に行っても6000マイルと通常の6割で行ける。

JALの空席対策の意味もあるのか、時季によってこの四都市も変わり、今回は帯広、旭川が必ず入っていたので、カミさんと手分けして再検索を繰り返していたら(広島、熊本、宮崎、鹿児島)が出たのでそれに申し込んだ。
6月は(札幌、青森、大阪、那覇)の組み合わせから、ビジネス利用も多く最も当たる可能性が低いだろうと思っていた大阪になった。
今回は宮崎が一番関心のある見所が無いと思っていたら、幸いにも広島に決定された。
今月末の2泊3日の小旅行で、宮島の大鳥居は修繕中だろうが、晩秋の旅を楽しんでこよう。

話は変わるが、googleで1949年生まれを検索したら、村上春樹、市村正親、ユニクロの柳井正氏が出てきた。
ハルキストであり、川越住民でもあったので、村上春樹と市村正親が同年早生まれの一学年上だという事は知っていた。
他には風間杜夫、火野正平、武田鉄矢とあり、海外ではリチャード・ギアとあったが、昔は若い人に歳を聞かれると、(リチャード・ギアと同じだよ)と煙に巻いていたが、さすがにこの人と同じ分類に入れるのは図々しいだろう。

そして今年古稀を迎えた人の中に、あのロックンローラ矢沢の永ちゃんが!
皆さん現役の身だからか、ジイさんという感じがしないし、矢沢の永ちゃんも古稀記念全国ツアーという話も聞かないので、年齢でのカテゴライズは意味がない。

まぁ健康に気をつけながらも、何事も自然のままにが一番良い。


古稀

2019年11月04日 | 日記
三連休初日の一昨日、私の古稀の祝いの食事会を子供達と兄が銀座の(徳うち山)という懐石料理の店で開いでくれた。
古稀は唐の時代の詩人・杜甫によって詠まれた漢詩の一節(人生七十古来稀なり)から来ている。
私の親の世代は第二次世界大戦があったので、七十どころか二十代で亡くなった人が多かっただろうが、人生百年と言われる現代、古稀の祝いといっても特に感慨は無いが、久しぶりの外での家族の会食は楽しかった。

還暦は定年退職の年で、残っていた有休消化の為に誕生日の2週間前に退職し、1週間後には香港・バリ島と一人で1ヶ月の旅に出た。
この時は60歳の還暦という事より、長年の職業生活が終わったという事に色々な思いがあり、意識から変えていこうと、退職の翌日に理髪店に行きバリカンでの丸坊主にした。
そして非日常生活としてバックパック旅行に出たが、最初は2ヶ月位かけて東南アジアを廻りたいと思ったが、1ヶ月に1回職安への出頭義務があったので断念した。

バリ島ではクタ、ウブド、サヌールと場所を変えて3週間滞在したが、ウブドでのバリヒンズー教に根付いた生活は、日本でのサラリーマン生活の終わりを意識づけるには良かった。
下の写真はその60歳の誕生日にウブドのレストラン(ラカレケ)で撮ったもので、ここのオーナーが1週間宿泊した(ファミリーゲストハウス)と同じで、そこの女主人がバリ舞踊の終わった後にステージに呼んで撮ってくれたものだ。
(ファミリーゲストハウス)がオーナー家族の住まいにもなっていたので、この日も閉店後に女主人の車で帰ってきた。
基本的にインターネット上に自分の素顔は載せない事にしているが、この写真はピンボケになっているので載せた。

(バリ島ラカレケでの還暦)



そして古稀70歳だが、本人は年をとったという意識はないが、外見的には頭も薄くなったし白髪も増えたので、人には十分オジイさんに見えているのだろう。
髪の方は毛髪三原則の(染めない、被らない、植えない)主義に基づき自然に任せている。
先月同年齢3人での定例飲み会があったが、5月に古稀を迎えたS氏は特に年をとったいう気はしないと言う。
彼は市や県のソフトボール協会の役員をし、自身も地元チームでプレーしているらしい。
もう一人のI氏は海外や国内のフルマラソンに出場し、サブフォー(4時間切り)で走り、75歳まで大会に出たいと言う。
人それぞれで、60歳の定年を迎えてその年に胃癌で亡くなった友人や、60歳を前にリンパ腫で亡くなった友人もおり、そして今年亡くなった同年齢の知人もいる。
古稀を迎える人が稀だとは思わないが、還暦や古稀という一つの峠を超えられない人もいる中、この日を迎えられた事には感謝すべきだろう。

11:30からスタートした(徳うち山)での会食はコースで、お品書きは無かったが一品一品説明してくれ、松茸とハモのお吸い物などの季節の逸品、この店名物のしめの鯛茶漬けも美味しく、デザートの安納イモのアイスクリームのお膳には花とローソク、おめでとうございます、との文字があり、器もこの時季を映す素敵なものだった
飲み物の方は息子が毎週土曜日に2コマ3時間の中国語の学校に行っているので、最初の乾杯のグラス一杯のビールだけだったが、主賓の私だけは一合の日本酒を飲んだ。

息子は大学生の時に第2外国語として中国語を取っていたが、会社員としては中国との取引は切り離せないのか、会社持ちでの会話学校通いらしいが、休日まで勉強では大変だろう。
英語はAISECという海外インターンシップで1年間インドのオフショア会社で働いていたので大丈夫なのだろうが、中国語は文系の会社員としては必須なのかも知れない。


 









息子も言ってたが、仕事を取り巻く環境が我々の高度経済成長の時代とは違っているのだろう。
先月はドイツ、上海に出張し、来週はシンガポール、バンコクに出張と大忙しだが、私もボストン、デンバー、シリコンバレーと出張をしたが、半分は物見遊山の観光気分だった。
中国も出張で行くのは良いが、赴任となったら大変だと思うし、昨年4月に拘束された伊藤忠商事の駐在員は裁判中だし、先月は北海道の大学教授が拘束されたが、その容疑も背景も知らないし、中国の文化や歴史に関心はあるが、現在の習近平中国は否定的に見てしまう。

それにしても少子高齢化社会に向かうこれからの日本の若い世代は大変だ。
高度経済成長時代のサラリーマンはそれなりの定期昇給があったが、今はどうなんだろう。
企業には利益金は内部留保や自社株買いに廻すのではなく、社員の給与を上げる事に使ってほしいものだ。

紅葉の三頭山へ

2019年11月01日 | 山登り
一昨日は久しぶりにスッキリとした秋晴れとなったので、奥多摩の三頭山(1524m)に登ってきた。
元々は10月中の週末に山登りの相棒と八ヶ岳登山を計画していたが、毎週末の台風襲来で中止となっていた。
相棒は週4日勤務で働く現役なので、いつもは金曜日からの山行きだが、今回は1人での山登りだった。
日帰り登山として、丹沢、奥多摩、奥秩父の山域の1500m位の山を検討したが、台風の影響は未だ残り、鷹ノ巣山や川苔山へのバス路線の日原街道は通行止めになっていた。
川苔山は8月には熊に襲われ大ケガをするという事故が起こり、今月相次いでツキノワグマの目撃情報が確認されているので敬遠はしていたが、百尋ノ滝や渓谷が美しい山だ。

三頭山へは武蔵五日市駅から登山口のある都民の森までバスで行くのだが、それが8:22発で次が11:52なので、7:00発の電車に乗り拝島駅で乗換え、8:00に武蔵五日市駅に着く。
終点の都民の森までは急行バスで70分、料金960円と乗車時間も長く料金も高い。
平日でもリュック姿のシニア男女の登山客が列をなしていたが、運良く座ることが出来た。
秋川渓谷に沿った檜原街道を走るバスから見る檜原村の風景は、山あいにぽつんぽつんと家が点在する、本州内の東京都における唯一の村らしくノンビリとしたもので、兜造りの古民家も見れる。
その古民家も空き家となっているのか、雨戸が閉まっているところがあり、こういう古民家を借りて別荘的に住み、山里の生活をしたらどんなに楽しいだろう。

9:30に着いた都民の森は標高1000mの位置にあり、ブナの森が広がる気持ちの良い場所だ。
(都民の森)






(森林セラピーロード)
三頭大滝までの1kmの道はウッドチップを敷き詰めたセラピーロードとして認定されている。







(三頭大滝)
遊歩道を20分ほど歩くと落差35mの三頭大滝に着く。紅葉の方は例年より遅れている感じ。

沢を右に左にと岩を渡って上って行くと、尾根道との分岐ムシカリ峠に出る。
奥多摩などの日帰り登山にはローカットのトレッキングシューズを履いて行くが、今回は台風の影響による道のぬかるみや沢の増水を考え、ハイカットの登山靴とそれをカバーする防水泥除けの登山ゲイターを持ってきたが、それが正解だった。
ぬかるみは無かったが、沢の水量は多かったのでトレッキングシューズだと濡れていた。











(三頭山と富士山)
ムシカリ峠からの尾根道を20分ほど上って11:10に三頭山(1524m)に着く。
そこからは冠雪の富士山がはっきりと眺められた。
ここでカミさんが作ってくれたオニギリ、唐揚げ、玉子焼き、オレンジの昼飯を取った。
オニギリはコンビニでも買えるのだが、海苔を巻いたあのウェット感が好きなので、いつも家から持って行く。







三頭山から奥多摩湖に下り、麦山のドラム缶の浮き橋を渡って、奥多摩駅から帰るルートにする。
2時間くらいのルートで、昨年新緑の時期に来た時はヌカザス尾根を下ったので、今回は鞘口峠から山のふるさと村に下って浮き橋へのルートにした。
40分ほど下って鞘口峠に着くと、山のふるさと村への道が台風の影響で通行止めになっていた。




浮き橋の通行だけは確認してきたが、山のふるさと村への道に木の橋があるのは知らなかった。
それが流失するという思いがけないアクシデントで、浮き橋を渡った所にある温泉に入る予定が狂ってしまった。
そんなことで、都民の森に下り、バスで武蔵五日市駅に戻り予定より早く17:00には帰宅した。

まだまだ奥多摩、丹沢の山域では紅葉を楽しめるのだろうが、登山の後は脚の痛みが残り、12/1の所沢シティマラソンに向けての走り込みが出来なくなるので、それまでは登山が出来ない。
渓谷のハイキング程度の歩きでの紅葉見物に行こうかと思っている。