一期一会

日々是好日な身辺雑記

古稀

2019年11月04日 | 日記
三連休初日の一昨日、私の古稀の祝いの食事会を子供達と兄が銀座の(徳うち山)という懐石料理の店で開いでくれた。
古稀は唐の時代の詩人・杜甫によって詠まれた漢詩の一節(人生七十古来稀なり)から来ている。
私の親の世代は第二次世界大戦があったので、七十どころか二十代で亡くなった人が多かっただろうが、人生百年と言われる現代、古稀の祝いといっても特に感慨は無いが、久しぶりの外での家族の会食は楽しかった。

還暦は定年退職の年で、残っていた有休消化の為に誕生日の2週間前に退職し、1週間後には香港・バリ島と一人で1ヶ月の旅に出た。
この時は60歳の還暦という事より、長年の職業生活が終わったという事に色々な思いがあり、意識から変えていこうと、退職の翌日に理髪店に行きバリカンでの丸坊主にした。
そして非日常生活としてバックパック旅行に出たが、最初は2ヶ月位かけて東南アジアを廻りたいと思ったが、1ヶ月に1回職安への出頭義務があったので断念した。

バリ島ではクタ、ウブド、サヌールと場所を変えて3週間滞在したが、ウブドでのバリヒンズー教に根付いた生活は、日本でのサラリーマン生活の終わりを意識づけるには良かった。
下の写真はその60歳の誕生日にウブドのレストラン(ラカレケ)で撮ったもので、ここのオーナーが1週間宿泊した(ファミリーゲストハウス)と同じで、そこの女主人がバリ舞踊の終わった後にステージに呼んで撮ってくれたものだ。
(ファミリーゲストハウス)がオーナー家族の住まいにもなっていたので、この日も閉店後に女主人の車で帰ってきた。
基本的にインターネット上に自分の素顔は載せない事にしているが、この写真はピンボケになっているので載せた。

(バリ島ラカレケでの還暦)



そして古稀70歳だが、本人は年をとったという意識はないが、外見的には頭も薄くなったし白髪も増えたので、人には十分オジイさんに見えているのだろう。
髪の方は毛髪三原則の(染めない、被らない、植えない)主義に基づき自然に任せている。
先月同年齢3人での定例飲み会があったが、5月に古稀を迎えたS氏は特に年をとったいう気はしないと言う。
彼は市や県のソフトボール協会の役員をし、自身も地元チームでプレーしているらしい。
もう一人のI氏は海外や国内のフルマラソンに出場し、サブフォー(4時間切り)で走り、75歳まで大会に出たいと言う。
人それぞれで、60歳の定年を迎えてその年に胃癌で亡くなった友人や、60歳を前にリンパ腫で亡くなった友人もおり、そして今年亡くなった同年齢の知人もいる。
古稀を迎える人が稀だとは思わないが、還暦や古稀という一つの峠を超えられない人もいる中、この日を迎えられた事には感謝すべきだろう。

11:30からスタートした(徳うち山)での会食はコースで、お品書きは無かったが一品一品説明してくれ、松茸とハモのお吸い物などの季節の逸品、この店名物のしめの鯛茶漬けも美味しく、デザートの安納イモのアイスクリームのお膳には花とローソク、おめでとうございます、との文字があり、器もこの時季を映す素敵なものだった
飲み物の方は息子が毎週土曜日に2コマ3時間の中国語の学校に行っているので、最初の乾杯のグラス一杯のビールだけだったが、主賓の私だけは一合の日本酒を飲んだ。

息子は大学生の時に第2外国語として中国語を取っていたが、会社員としては中国との取引は切り離せないのか、会社持ちでの会話学校通いらしいが、休日まで勉強では大変だろう。
英語はAISECという海外インターンシップで1年間インドのオフショア会社で働いていたので大丈夫なのだろうが、中国語は文系の会社員としては必須なのかも知れない。


 









息子も言ってたが、仕事を取り巻く環境が我々の高度経済成長の時代とは違っているのだろう。
先月はドイツ、上海に出張し、来週はシンガポール、バンコクに出張と大忙しだが、私もボストン、デンバー、シリコンバレーと出張をしたが、半分は物見遊山の観光気分だった。
中国も出張で行くのは良いが、赴任となったら大変だと思うし、昨年4月に拘束された伊藤忠商事の駐在員は裁判中だし、先月は北海道の大学教授が拘束されたが、その容疑も背景も知らないし、中国の文化や歴史に関心はあるが、現在の習近平中国は否定的に見てしまう。

それにしても少子高齢化社会に向かうこれからの日本の若い世代は大変だ。
高度経済成長時代のサラリーマンはそれなりの定期昇給があったが、今はどうなんだろう。
企業には利益金は内部留保や自社株買いに廻すのではなく、社員の給与を上げる事に使ってほしいものだ。