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一期一会

日々是好日な身辺雑記

戸隠古道(奥社から鏡池)

2024年10月15日 | 旅行
 
戸隠古道歩き2日目の昨日14日(月)は朝食を済ませた8:00に戸隠小舎を出発し、越後道を歩き奥社から鏡池と廻った。中社から奥社までは三十丁とされているので3.2kmくらいだろう。越後道をしばらく歩くと左側に見えてくるのが女人結界石で、寛政七年(1795)に建てられた石碑には、(右 奥院中院 左 中院へ女人道)と刻まれている。仏教では修行場を女人禁制としたので、右は奥院を経て中院へ行く道で、男道と呼ばれていた。左は奥社に寄れない女性たちが越後道から中院へ行く道で女人道と呼ばれていた。
 

(女人結界石)

(越後道からの戸隠山)
 
(大鳥居)
 
(随神門)
 
(奥社への杉並木)




奥社の参道口の大鳥居からまっすぐに2kmの参道が続き、その入り口には下馬と刻まれた石碑が立っている。山門である隋神門は宝永七年(1710)の建立で、屋根は茅葺きで戸隠神社の中で最も古い建造物である。隋神門を過ぎると樹齢四百年以上の杉並木が続く。この杉並木は慶長十七年(1612)に植樹され、参道を挟んで両側に80本ずつあるらしい。

(髙妻山神鏡碑)
 
戸隠連邦の最高峰、2353mの高妻山へは修験者の登山道である大澤通りがあり、石碑には(高妻山神境 大澤長武津信 大澤通刈分)と刻まれている。文久二年(1862)高妻山に仏心という修験者が、青銅の神境を安置した。現在でも高妻山の頂上に残っているらしい。
その仏心が慶応元年(1865)に、草木を刈って道を造る大澤通刈分を成し遂げており、神鏡碑はその時の記念碑と言われている。
 
(法華多宝塔)


宝永二年(1705)に建てられた法華多宝塔は法華経に由来するもので、戸隠寺だった時代の遺物である。
 
(奥社への石段)


(九頭龍神社)
 
奥社本殿の左側にあるのが九頭龍神社で、嘉祥二年(849)の開山とされている。宝光社から中社への途中にある火之御子社で戸隠神社五社と言う。御朱印を授与しているのが、奥社•中社•宝光社の三社で、どこも列をなしていた。

(戸隠神社奥社)


奥社本殿は度重なる雪崩で崩壊したこともあり、現在の本殿は昭和54年(1979)に建てられたコンクリート造りであるが、社の奥は洞窟になっており、修験者の行場である洞窟から戸隠信仰が発達したとされる。
 

(熊避け鈴)




隋神門を出ると右へ鏡池への道があり、熊出没注意の看板が立てられ、途中の道には熊除け鈴があった。ここからは持参したものを鳴らしながら歩いたが、この鈴が小さいので鳴る音も小さい。北アルプスの3000m級の山は、登山口の標高も高いので熊出没の話は聞かなくて、この鈴も奥多摩や奥秩父の山用として買ったものだが、これからは低山登りの方が多くなるので、大きめの鈴に買い換えよう。鏡池への遊歩道を歩き進めると、右手に杖を持つ不思議な感じの女の人の石像が立っていた。
 
(鏡池)
 
 


 
今年の夏は猛暑と、7月から9月中旬にかけての前立腺癌検査で、夏山登山が出来なかったが、晴れ渡ったこの日の天気で、鏡池から戸隠連峰がはっきりと望めたので、少しはリカバリー出来た気分だ。当初戸隠山登山も考えたが、戸隠山から九頭龍山への縦走路が切り立った狭い尾根で、蟻のようにはってわたる姿から(蟻のと渡り)と呼ばれ、数年に一度は転落死がある難所なので、登山は断念した。
 
(そばの実)

1時間に1本のバス時間に合わせ、鏡池から戸隠蕎麦の有名店(そばの実)に11時にたどり着いたが、既に店の前には順番待ちの人達が多数いて、店の人に待ち時間の予想を尋ねたら、1時間とのことだったので諦めた。
 
(善光寺)






戸隠からのバスを善光寺大門前で降りて、一応善光寺を参拝したが、2度目なのと、その大きさと多くの参拝者から短めの参拝だった。そして14時という遅めの昼食は、参道の店での蕎麦にしたが、前日と同じく特にどうということもなかった。蕎麦については少しばかりうるさいのだ。
 
長野駅には15時頃に着いたが、新幹線の指定席券は20時台まで完売で、長野始発のあさま622号の自由席で帰ってきたが、軽井沢からは立ち席の乗客でいっぱいとなった。
 
今回の戸隠古道歩きでの三社巡りは、天気にも恵まれ、その歴史的遺物や戸隠連峰の絶景も見れて良かった。次の古道歩きは熊野古道か木曽路の宿場巡りを考えている。

 

戸隠古道(一の鳥居から中社)

2024年10月14日 | 旅行
昨日13日(日)は戸隠古道を歩いての三社巡り(宝光社、中社、奥社)に一泊二日の行程で来た。ジムの休館日とヨガのクラスが無いことから先週9日10日を予定していたが、雨予報により変更した。戸隠神社については娘が盛んに勧め、カミさんと旅行したり、一人でも何回か来ており、先月の下旬にもLINEで写真を送ってきた。
私自身は戸隠は2度目で子供達が小さい時に戸隠キャンプ場に連れてきたことがある。夏休みになるとよく信州のバンガローやテントでのキャンプに行ってた。

今朝は4時半に起きいつもと同じ朝食を済ませ、5時半には家を出た。長野駅から戸隠までのバスが1時間に1本で、そこから逆算して大宮発6:53の新幹線に乗ることにしたのだ。
カミさんは娘と2泊3日で新潟に旅行するので、私より15分早く家を出た。私より一本遅い新幹線なのだが、何故か東京駅から娘と一緒に乗車すると言う。娘からは2日目からの合流を誘われたが、新潟は特に行きたい場所は無かったので、乗らなかった。詳しい予定は知らないがNHK BSで何回か放送されている(カールさんとティーナさんの古民家村だより)の十日町竹所に行くらしい。私もこの番組が好きで録画して何回か見ている。娘は田舎暮らしに憧れがあるらしいが、あの豪雪地帯での冬の生活は想像を絶するものだろう。

(戸隠古道起点一の鳥居)

(一丁毎の道標)

(戸隠古道)


(祓沢のそは畑からの戸隠山)


大宮発6:53金沢行きの新幹線は8:03に長野駅に着く。駅前8:30発の戸隠行きバスの7番停留所には既に長い列が出来ていたが、2台のバスを出してもらえたので、座ることができた。
1時間ほど乗り、戸隠古道の起点となる一の鳥居に着いたが、降りたのは私だけだった。一の鳥居からの戸隠古道には一丁ごとに道標となる丁石が建っている。鳥居の供養塔の裏には(是より戸かくし迄五十二丁)とあり、一丁が109mなので戸隠神社中社まで5.6kmということだろう。そんな丁石を確認しながら戸隠古道を歩いたが、後ろからも前からも古道を往く人は見かけなかった。
途中の祓沢ではそば畑の向こうに鋸の歯のような戸隠山が見えた。



(宝光社の鳥居)


(宝光社への石段)


(宝光社)


(神道)



宝光社へは11:00に着き、朝食が早かったので近くの蕎麦屋で昼食を取る。その後の宝光社の社殿参拝では、鬱蒼とした杉の古木に囲まれた百九十三段の石段を上った。宝光社の境内からは森の中を抜けて、中社の鳥居の脇に通じる山道を神の通る道、神道(かんみち)と言いそこを通って中社に向かう。

(親鸞聖人百日御参籠の旧跡)


(中社鳥居)


(中社への石段)


(さざれ滝)


(中社)


(神木三本杉)


宝光社から神道を通っての中社へは50分ほどで鳥居への参道に出る。途中に熊避けの鈴が2カ所に設置してあり、それを鳴らして進む。
中社参道には浄土真宗の開祖親鸞が罪を許され、配流先の越後から関東に向かった途中で、百日間滞在した行照坊(現武井旅館)の旧跡碑がある。親鸞聖人は奥社から戸隠山への山道を御経読誦し、南無阿弥陀仏の名号を毎日書いて百幅になったと言う。現在は戸隠神社となっているが、明治以前は神仏混淆の山岳修験の場として戸隠寺と言われていた。
明治政府の神仏分離政策の下で、現在の神道と仏教の形になっている。その背景には明治政府の天皇中心の政治体制の確立から来ているのだろうが、歴史として習った記憶はない。

中社前の鳥居辺りには樹齢800年と言われる高さ40mほどの三本杉の御神木が立っており、霊験あらたかなのか、その樹を撫でる人達が並んでいたが、特にそれはしなかった。

(越水ヶ原からの戸隠山)


(越水ヶ原)


(戸隠小舎)












中社の参拝は14:00頃に終わり、そこから歩いて30分ほどの越水ヶ原にあるこの日の宿(戸隠小舎)に向かう。標高1200mの越水ヶ原は白樺に囲まれた山小屋や別荘が点在している。山小屋と言っても北アルプスのとは建物の構えも大きく違いペンション風だ。そういえば、ペンションという呼び名は最近旅雑誌でも見かけない気がするが、この越水ヶ原には12軒の宿があるが、いづれもロッヂやヒュッテを名乗っている。

最初は宿坊に泊まろうと思っていたが、先月下旬に娘が泊まり勧めてきたので予約した。
設備は山小屋とは全く違い、風呂も大きく、部屋も和室8畳の個室だ。娘が夏も冷房いらずらしいと言ってたが、確かに冷房設備は無く代わりに部屋にはストーブがあり、夜にはそれを付けていた。チェックインした後は越水ヶ原を散策したが、たしかに夏に訪れるのも良いだろう。





お茶と陶磁器

2024年07月24日 | 旅行
五島列島から戻ってからのプランは全て姪にお任せで、一つの見所が終わると(次どこ行くの)という感じだった。最終日の22日(月)はお茶のミュージアム、波佐見焼関連使節、棚田、魚雷発射試験場跡、世界の窯広場と盛りだくさんのプランだった。
 
(和多屋別荘)




目が食べたくなるバイキング朝食。この後にフルーツとコーヒーを。まぁ、食べれるのは健康の証と考えよう。
(チャオシル)
 




施設名チャオシルは茶を知るから来ているお茶専門の資料館。遣唐使時代の中国から伝わったと言われる茶の歴史や製造工程などが展示されている。あまり知られてないと思うが、嬉野市は全国有数の生産量を誇るお茶の産地なのだ。旅館の茶寮で飲んだお茶も美味しかった。夕食には食前茶というものが出た。
(Shop&Cafe ZOE)


(しらたまパフェ)


 
波佐見焼というのを知らなかったが、400年以上の歴史を持ち、現在でも日用食器のおよそ16%のシェアを誇り、全国3位の出荷額だ。波佐見焼の特徴は、白磁の美しさと藍色の絵付けで、OYANEという波佐見焼のショップでカミさんと義妹は皿を買った。
モノは増やしたくない断捨離思考の私は、先ずは使ってない食器棚にあるDANSKやNoritakeの皿を使えばと、一言述べたが聴き入れてもらえなかった。私の作るきんぴら牛蒡などの田舎料理はDANSKの皿に合わないのだ。
 
前日の豆乳パフェと同じく、しらたまパフェも美味しかった。普段スイーツの店に入ることがないが、今度カミさんを誘ってスイーツ名店巡りでもしてみるか。

(鬼木の棚田)


鬼木の棚田は日本の(棚田百選)に選ばれた名勝地で、今まで見た棚田の中で1番美しい景観だった。

(川棚発射試験場跡)


 
1918年(大正7年)に建設され、佐世保海軍工廠や三菱長崎兵器製作所で製造された魚雷の発射試験が行われていた。波が穏やかな湾で島の頂上の観測所から速度や航跡を調べた。
3月に国登録有形文化財に指定された。
 


(BUCO Cafeでランチ)
 
BUCO Cafeは湾近くの眺めの良いカフェで、シーカャックの貸出しなどを行っている。店内にはピアノやサクスフォーンが置いてあったので、JAZZの演奏をやっているのだろう。
写真は小串ボロネーゼで、手ごねハンバーグとトマトソースたっぷりの平打ちパスタがスキレット(鉄製のフライパン)に。ボリュームもあり、朝食バイキングとしらたまパフェを食べたにも関わらず、別腹のように完食した。前日同様スイーツのカフェは姪が以前に行った店の案内で、何処も店構えのセンスが良かった

(世界の窯広場)
 



世界の窯広場には古代から近世にかけての世界を代表する珍しい窯が12基再現されている。中国や朝鮮半島、日本、イギリスなどの世界の窯の歴史と技術を見ることが出来る。
 
 
佐世保に戻ってから2日間佐賀県と長崎県の県境辺りをレンタカーで廻ってみて感じたのは、地方都市での生活の豊かさというものだ。車から見る有田、伊万里辺りの家がとにかく立派で大きいのだ。農業、窯業、観光業の三本柱で町の財政もそれなりに豊かなのか?
 
昨年のGWに雲仙島原、今年の五島列島と長崎に住む姪を訪ねる形で旅行をして、地域の食べ物や文化、歴史を感じられ楽しかった。
後は対馬や天草だが、どちらも姪は行ってるらしいが、対馬は歴史的に韓国との繋がりが深く、文化的にも興味深いので、いつか行ってみたい。
 
こんな旅をしてきて長崎空港20:25発の便で帰ってきた。
 
 
 

中通島から佐世保へ

2024年07月23日 | 旅行

3日間の五島列島観光を終え、21日(日) は6:40発のフェリーで佐世保に向かった。ホテルアオカからフェリー乗り場までは車で10分くらいなので、前日に6:20頃のタクシーを依頼したら、その時間帯の空きはないとの事だった。次のフェリーが10時台だったので、どうしようかと思案していたが、しばらくしたら部屋にフロントのアジア系らしき男性から電話があり、5:40の迎えであればと。


(ホテル アオカ)




6:40発のフェリーはジェットフェリーではないので、小値賀島、宇久島と寄港して2時間半の9:10に佐世保に着く。湾には軍艦が3隻停泊しており、ターミナルの近くには造船所や米海軍基地があるていう、佐世保らしい風景だった。
 


 
(フェリーからの島々)


(佐世保•鯨瀬ターミナル)




5:40のチェックアウトで、中通島では朝食を取っていなかったので、レンタカーを借りた後は絶景の九十九島が眺められる佐世保バーガー本店へ。

 


 
何年振りかのハンバーガーとコーラの朝食は美味しかった。マクドナルドは昔からあまり利用しなかったが、バーガーキングはそのボリューム感が好きになり、西新宿のセンタービル店にはよく行ってた。佐世保バーガーは大きいのと慣れてないので、食べ方に一苦労。紙袋を持って食べても、ソースや中身がこぼれそうになる。

(石岳展望台)
 


 
石岳展望台から臨む九十九島は、映画「ラストサムライ」の冒頭シーンのロケがあったらしく、海の青さと島々の風景は絶景だった。

(アリタセラ)






アリタセラは2万坪の敷地に、陶磁器の専門店が22店舗とカフェ•レストランやギャラリーもある最大規模の有田焼のショッピングモールである。日用食器、業務用食器、美術工芸品の陶磁器を見て廻り、写真の店の物が色合いが良いと思ったが店の名をメモしてなかった。

(秘窯の里•大川内山)








有田焼の次は伊万里焼という事で大川内山に廻る。秘窯の里の由来は、延宝3年(1675年)から廃藩置県(1871年)まで佐賀鍋島藩の御用窯が置かれ、朝廷や将軍家に献上する高品位な焼き物が焼かれ、その流失を防ぐためか関所まで設けられていた。また三方を山に囲まれた秘境ムードあふれれることから(秘窯の里)と呼ばれていた。その鍋島焼の伝統、技法を受け継いだのが伊万里焼である。
 
(武雄温泉)


(平川屋)


(豆乳パフェ•ごまオリーブ)


武雄温泉散策の後は、嬉野温泉に本店がある平川屋で昼食代わりに豆乳パフェなるものを食べる。元々は胡麻豆腐や温泉湯豆腐の専門店だったのが、豆乳をベースにしたフラッペやパフェに展開したようで、東京に出店したら当たるだろうと思う店だった。

(武雄市図書館)




(武雄市こども図書館)


驚いたのが武雄市図書館で、図書館と蔦屋書店、STARBUCKSが一体となった施設である。図書館のあらゆる種類の蔵書の数も凄く、蔦屋書店の雑誌や小説をSTARBUCKSで読めるのだ。そのSTARBUCKSはテーブル席があり、勉強をしている若者達がいた。図書館の設計もよく考えられており、椅子が置いてある閲覧コーナーも、書籍の種類ごとの小さなスペースなので、読書に集中出来るだろう。近くにこんな図書館があれば一日中でも過ごせる。隣に立派なこども図書館もあり、育児環境にも良いだろう。地方創生のハード物もこういうものであれば、地方活性化に有効だろう。

(嬉野温泉•和多屋別荘)






(10階の部屋からの眺め)


この日泊まった嬉野温泉は、喜連川温泉(栃木県)、斐乃上温泉(島根県)と並んで日本三大美肌の湯と称されている。この歳で美肌というのもあまり関係ないが、確かにヌルッとした泉質だった。週3〜4回ジムの炭酸泉に入っているが、血流が良くなる以外の効果はないのか。
 
和多屋別荘(別館ではない)は、二万坪の広大な敷地の中を嬉野川が流れ、日本庭園や月見台があり、館内には有田焼の陶磁器が多数展示されていた。12階建ての大型旅館であるので、コロナ禍での経営は大変だったろう。社員旅行や大型ツアーも減っているという状況下で、(泊まるから通う場所へ)とイノべーションして、日帰り客を取り込むレストラン&スパとしてのイベントの企画や施設になっている。武雄温泉で入った平川屋も7/25〜9/1の期間限定の出店も予定されている。
草履形の室内履きに丸に十の薩摩島津藩の紋が付いていたが、江戸時代から薩摩藩に利用されていた縁から来ているらしい。





 












夕食は日本料理の利休の個室で取ったが、居酒屋で飲むのと違い、出てくる料理でお開きを決めないといけない。ご飯が出てきたら追加のアルコールを注文しずらい。それでも生ビール、サワー、日本酒利き酒セット、ワインボトルと飲み、姪の恋話などで盛り上がった。

中通島観光

2024年07月21日 | 旅行
五島列島旅行3日目となる20日(土)は8;00発のフェリーで中通島に向かった。1時間5分で着くこの島は捕鯨で隆盛を極めた島だ。現在は五島列島の海産物として全国的に有名になったのが「飛魚(あご)」漁である。そして五島列島で1番教会の多い島であり、世界遺産の構成資産である頭ヶ島地区がある。

(桐教会)

(桐教会からの眺め)




中通島観光の1番目は湾の眺めが五島一と言われる桐教会に行く。そこからの凪いだ湾の海面はブルーからグリーンのグラデーションが見える。その美しさは今までに見たことがないものだった。

(中ノ浦教会)






(龍山展望台からの眺め)

(竹酔亭のスタミナうどんセット)

五島うどんの名物店(竹酔亭)のあご出汁のうどんつゆをかけるスタミナうどんセットは、トッピングの半熟玉子、豚キムチ、茄子、紫蘇、梅と出汁が相まって美味しかった。

(世界遺産 頭ヶ島天主堂)






(キリシタン墓地)



世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の頭ヶ島天主堂は全国的にも珍しい石造りの教会だ。拝観には予約が必要で、14:00から30分という時間帯で取っていた。我々以外に拝観者はなく、どっしりとした重厚な教会を静寂な中で見れた。

(ハマンナ)



ハマンナは地元の人しか知らない穴場スポットで、姪が知人から教えてもらった所で、浜には我々以外の人影もなく、穏やかな海の沖には別名ライオン島と呼ばれる源五郎島が浮かぶという絶景ポイントだった!思わず飛び込んで泳ぎたくなる穏やかで綺麗な海だったが、全員裸足で入るだけだった。人っ子一人いない浜だったので、短パンのまま入り岩場で乾かす手もあったが、どのくらいで乾くか分からないが、熱中症でお陀仏だろう。

(矢堅目の駅)






中通島の最北端に矢堅目という小島がある。古くから伝わる伝統製法を用い、一切の添加物を使わずに薪で焚き上げる自然海塩が(矢堅目の塩)だ。その塩とミルクを用いた塩ソフトはさっぱり味だった。

(居酒屋 優心)










3日連続の居酒屋での夕食は、鮪と鯵のすり身が美味しく、その2つを追加注文し、この日も話が盛り上がった。