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一期一会

日々是好日な身辺雑記

マドリッド街中散策

2025年04月08日 | 旅行
昨年5月のエアチャイナでの羽田発北京経由パリ行きは機体トラブルで欠航になり、翌日の羽田ではカミさんの北京からパリまでのチケットが発券されず、北京で発券されたチケットは横並びシートではなく、離れた場所だった。今回発券された真ん中座席前後の変更は北京のチケットカウンターで対応して貰って下さいと言われたが、北京行きの便は無事定刻通り飛び立った。

(ビーフライス)




機内食のビーフライスはお馴染みの吉野家の牛丼のような味付けで美味しかった。
3時間のフライト中はモニターの映画も知らないものばかりで日本語字幕もないので、持参した浅田次郎の(壬生義士伝)を読んで過ごす。

(エアチャイナ便)

(北京空港出国審査所)


定刻通りに北京空港に到着し、早速急ぎ足でチケットカウンターに向かうが、なにせ北京空港は広い!チケットカウンターに着き、通路側で横並び座席への変更を依頼する。12時間の夜間飛行で真ん中の席だと、トイレなどで何かと不便なのだ。検索の結果通路側の席は一つだけだったので、その権利はカミさんに譲った。それと昨年は機内の寒さに風邪をひき、パリでカミさんに風邪薬を買ってきてもらい、到着日は食事も抜いた経験をしたので、今回は万全を期して、ユニクロのヒートテックの長袖と、ズボン下というか同じくユニクロのタイツを履いてきた。
この2.3年ジムでの筋トレとヨガの成果か、それとも気候温暖化のせいか、半袖下着とタイツ無しで冬場も過ごしている。

(北京空港ロビー)

(顔認証自販機)

(モスクワ上空航路)


北京での乗換え待ち時間は4時間で、お茶でも買おうとクレジットカードを使える店を探していたら、自販機の前に中国人が立ち、写真でも撮るような様子と、飲み物も右のパネルをスクロールし選択していた。近づいて見てみたらFace scan paymentと書いてあった。顔認証での支払いなのだろうが、2023年10月に上海に住む息子家族を訪ねた時にも、日常生活のあらゆる面でIT化が進んでいると感じた。
3,3,3の座席配列での真ん中の席は不便さを感じたが、ロシア上空を飛べるという航路のお陰で、12時間のフライト、現地時間7日(月)の7:30にマドリッドに降り立った。
ロストバゲージもなく2個のスーツケースをPickupして、ホッと一安心。

(ドン•キホーテとサンチョ•パンサの像)


空港からはMetroに乗りPlaza de Espaniaに向かう。2泊するリンコン•デ•グランビアはスペイン広場に近く、駅から歩いて4,5分のグランビア通りに面したホテルだ。グランビア通りは20世紀初頭にパリやニューヨークを模倣して造られた大通りで、ホテル、レストラン、映画館などが建ち並び、マドリッドを代表する繁華街として賑わっている。
ホテルにチェックインし、スーツケースを預け街中散策に向かう。先ずは1930年にセルバンテスを記念して造られたスペイン広場へ。
中央にはセルバンテス像と、そこから見下ろすようにドン•キホーテとサンチョ•パンサ像が立っている。

(マヨール広場フェリペ3世像)


(サン•ミゲール市場)










スペイン広場の後はランチを兼ねて、マヨール広場の近くにある屋内マーケットのサン•ミゲール市場へ。10年前と変わらず大勢の観光客で賑わっていた。その時にバルセロナ→サン•セバスチャン→マドリッド→アンダルシア地方を3週間で廻った時は、駅やバスステーションには必ずアルコールを飲めるスタンドがあり、昼呑み文化を感じた。郷に入れば郷に従えで、サン•ミゲール市場では生ハムとチーズのタパスに私がビールとカミさんがシャングリアを飲んだ。カミさんはタパスの美味しさにいたく感激の様子だった。





(マドリッド自治政府庁)






ランチの後も歩いての街中散策を続けるが、
ハプスブルク朝時代に世界中に植民地を持ち、太陽の沈まない国と称されたスペインだけあり、歴史を感じるゴシック調の建物や、屋上に像が設置されていたりと、ブラリ歩きに飽きることがない。それがスマホでは上手く撮れない。25日の飲み会で会うドリッピー爺さんにスマホでの撮り方を教えてもらおう。
3時頃に戻りチェックインしたホテルは歴史があるようで、エレベーターも4人が乗れば一杯の雰囲気のあるものだ。いつも通りBookingComで日本人口コミを参考に選んだが、部屋も広く、立地も良く正解だった。

夕食は歩き疲れもあり、Subwayのサンドウィッチで部屋食にした。10年振りのマドリッドを満喫した1日だった。




エアチャイナで北京経由マドリードへ

2025年04月06日 | 旅行
毎年この時期になると、満開の桜を求めて近隣の桜名所巡りをしてきたが、今週は小雨降る肌寒い日が続き、花見の天候ではなかった。
金曜日は晴れ上がり午後から浅草での昼飲み会があった。基本的に正月三が日以外は昼飲みはしないのだが、この日は48歳から定年の60歳まで勤めた会社の、仕事仲間、飲み仲間2人が再雇用を終え、一人が故郷の札幌に帰る事になったことからの企画だった。
13:30に浅草文化観光センターでの待合せだったので、ジムでの一部メニューを省き、ヨガを終え炭酸泉に入り慌しく電車に乗り浅草に向かった。
 
昼飲みに入る前に花見をと思い、花川戸の隅田公園へ隅田川沿いを歩いたが、桜並木までは行かなかったのでその足で(駒形どぜう)に行く。
ここは息子が小学生の頃にカミさんと3人で来た事があるので、30年振りくらいだった。
ビール2本にどぜう鍋をおかわりし昼飲み会がスタートした。駒形どぜうの後は、仲見世通りをブラリ歩き、浅草寺での参拝、六区界隈散策の後に昼飲み再開で(神谷バー)へ。ここで2人は生ビールをチェイサーに電気ブランを三杯。一口飲ませてもらったがその強さと呑み口にビックリ、そんな2人にハイボールでお付き合い。その後は神谷バーに入る前に行って、満席で入れなかったディープな居酒屋(正ちゃん)へ。牛スジ煮込みともう一つ名物らしいが、そのもう一つは売り切れだった。

この頃には酔いも廻っていたので、もう一つが何かは思い出せない。空いた席は通りに面したテラス席だった。店の人に中のカウンター席が空いたら声をかけてと頼み、牛スジ煮込みでハイボールを2杯?、暫くし声がかかり中へ移動する。中は8席くらいのL字型カウンターで正に昭和の香り漂う雰囲気で、有線放送だろうが(東京ララバイ)などがかかっていた。席替えと共に飲み物もハイボールから日本酒へ変える。それを飲み終える頃には予定時間の20:00になったので、お開きとする。

その後2人はもう一軒廻ったが、スペイン旅行を2日後に控え、翌日のヨガへの影響も考えそこで失礼した。私より一回り年齢が違う2人だが、量、回数ともによく呑んでおり、SEで札幌へ帰る彼とは2人でワイン3本を空けた事がある。肝臓の手術をしてからは週一の家飲みになり、ワイングラス2〜3杯になった。
 
(浅草文化観光センターからの展望)
 
(駒形どぜう)
 
(ビールを飲みながらどぜう鍋を)
 
(浅草寺)
 
(神谷バー)
 
(ディープ居酒屋正ちゃん)
 
(名物スジ煮込みとツブ貝)
 
(日本酒とゼンマイ煮)
 
(西武鉄道本社前の夜桜)


今朝は今年最後の桜の見納めになるだろうと、7時過ぎから花小金井から小平までのグリーンロードの桜並木の花見に行ってきた。
ここはジョギングロードで、多摩湖まで続いており、そこの堤から眺める桜は見事だが、出発当日でもあるので今年の桜見物はここで終わり。
家に戻り録画しておいたBSテレビ東京の(ワタシが日本に住む理由)を見ていたら、住む場所が北秋田市でキャスター高橋克典の父の田舎だと言う。彼が7年前に出演したアメリカ人男性を訪ね、森吉山の樹氷を見るSP番組となっていた。この森吉山の樹氷については知人がAmebaブログ(ドリッピー爺さんの旅語り)で森吉山スノーモンスターと題して投稿していたのを2日前に見ていたが、テレビ放送の方は吹雪の様子が凄かったが、知人の写真も玄人はだしで、スマホで撮ってるらしいが、カットのアングルとか感心するくらい上手だ。興味ある方は(ドリッピー爺さんの旅語り)を覗いて下さい。
今月末に35歳から48歳まで勤めた外資コンピュータ会社時代の仕事仲間がニュージャジーから来日して、その彼を囲む会が実施されれる。2年前に来日した際は幹事役をしたが、今回はこの旅行があったので他の同僚に頼んだ。13人位の集まりになるらしい。

ドリッピー爺さんは、外資コンピュータ会社から大手SIerに転じ、その後システム開発会社を起業し、社長職を息子さんに譲り現在は会長職らしい。2年前の集まりでは街道歩きを趣味としていると言っていた。私も古道歩きを始めたので、そんな話を聞いてみよう。



そしてエアチャイナの羽田発19:40、北京経由マドリード行きに乗る為に14:00にバスに乗り羽田に向かった。昨年のパリ行きのエアチャイナのトラブルがトラウマになり、根が楽観的な私も色々と心配事が浮かんできた。
1番に浮かんだのはロストバゲージで、それぞれ着る物を二つに分け、スーツケースに分けて入れた。こんな心配の種が尽きないエアチャイナ便だが、案の定昨年同様Webチェックインが家を出る1時間前まで出来ず、エアチャイナに電話して空港カウンターでの座席取りとなった。
そして北京までは横並びの席が取れたが、北京→マドリード間は真ん中座席の前後となった。






まぁ昨年のトラブル体験から前後の座席だろうと、マドリードまで辿りつければ御の字だ。横並びの座席希望は北京のカウンターで聞いてくれとのことで、座席枠が東京と北京では違うとの説明だったが、ホントかよという感じだ。もうそろそろ搭乗時間になるので、無事マドリードに着く事を願ってアップする。



Booking.com/ホテル予約

2025年02月11日 | 旅行
 
 
11月末に(Skyscanner/エアチケット手配)として投稿したマドリードへのエアチケットは、モロッコ行きを前提に先ず2週間という期間から往復便を確保した。マドリードからモロッコへはLCCか、アンダルシア地方を廻りジブラルタル海峡をフェリーで渡ることを考えていた。
フェリーでのモロッコ入りは2015年5月に1ヶ月間でスペイン、リスボン、イスタンブールと廻った時にも考えていたが、日数が少なくなり断念した。
この時はバルセロナINでスペイン国内は鉄道とバスで廻りリスボンへもバスで入り、それ以降を飛行機利用というオープンジョーエアチケットでの周遊旅行だった。
 
そんなマドリード往復便を確保してからモロッコ旅行について色々検討した。元々はイタリアのボローニャ行きのエアチケット手配途中にカミさんの(モロッコも良いわね)の一言で変更したものだ。古都マラケシュ、迷宮都市フェズ、青の街シャウエンが主な見所だが、スーツケースを引いての個人旅行では移動が大変だと思った。都市間の移動時間が長くマドリード⇄カサブランカをLCC利用でもスケジュールがタイトになる。それが分かると古都マラケシュもローマ帝国時代の古都と比べると• •とか、何も好んで迷路に入らなくても• •と、どんどんネガティヴ思考になってくる。そして決定的な投稿がYouTubeに(それでも行くか青い街)のサムネイルで、シャウェン旅行の様子が見れた。その否定的な意見は省くが、旅行会社の案内とは違う視点での感想は参考になった。集中的に検討した結果モロッコ旅行は止めることにした。
 
そしてモロッコに代わり、最初に検討したイタリアのボローニャ旅行を加えることにした。マドリード⇄ボローニャ間はイベリア航空で2時間半、2人分の料金が約6万円だ。
2週間の旅行期間に4泊5日のボローニャ旅行を組み入れた形だ。いつもの海外旅行は行きたい所が明確にあり、その中で色々な角度から検討しプランを練って決めるのだが、今回は特に行きたい所が思い浮かばず、カミさんの一言で決めた為、東京→マドリード⇄ボローニャ、マドリード→東京という変則的なルートになってしまった。マドリード⇄東京間が北京乗換えというのも心配の種ではある。
 
行きたい所が思い浮かばないというのも、バックパック旅行をしてきた好奇心も、年とともに衰えてきているということかもしれない。
正月の暇な時に、今まで行った国を正の字で書いてみたら30ヵ国で、アメリカ、カナダ、イタリア、香港、タイ、バリ島など何回か訪れた国もあり延訪問国数は49ヶ国になっていた。これにはAwardや研修などの仕事絡みは含まない。
そしていつも何でもみてやろう式の周回型だが、1都市滞在型に変えていこうかとも考えている。それでもハワイでのんびりというのもピンとこない。
 
(ボローニャ)
 
そんな大枠の旅程から、出発まで2ヶ月となったので細かな日程を決め、日曜日にホテルの予約をした。基本的にはマドリードとボローニャのホテルに泊まるのだが、間にボローニャ旅行を組入れたのと、トレドは一泊としたので、スーツケースを預ける事を考え、ボローニャ出発前と5日後のホテルを同じくし予約し、スーツケース預かりのリクエストをメールしたらNGの返信があり、預かりは時間でという事だった。ボローニャ旅行にスーツケースは要らないし、機内持ち込みバッグで事足りる。イギリス旅行でロンドンからコッツウォルズへ3泊旅行した時も、駅の荷物預り所(コインロッカーではない)にスーツケースを預けた。
 
マドリード市内観光の立地や、日帰り旅行の便利さなどを考慮してBooking.comでホテルを予約をした。海外旅行にはこの予約サイトBooking.comを使いカミさんが予約するのだが、事前の候補リストは私が調べ作っている。それで2人でPCとiPadで確認しながら
進めていたが、同じホテルがカミさんと私の料金が違い、私の方が安いのである。カミさんが会員レベル3で私が1なので、カミさんが安いというのであれば分かるのだが。
Booking.comにはモバイル限定料金というものがあるので、PCからスマホに変えても同じで、その金額差は万単位だった。その辺のアルゴリズムがどうなっているのか分からない。
 (トレド)
 
今回の滞在日数はボローニャ5日、マドリード8日となっているが、トレドの一泊は上の写真の様にトレド市街が一望できるパラドールトレドを予約した。エル•グレコが(トレド風景)として描いた風景が眼前に見れるホテルだ。そしてトップ写真は2015年5月にセゴビアの水道橋を撮ったものである。マドリードからの日帰り旅行を予定している。

どうも今回の旅行プランは、コロナ禍前の2018年9月のボストン•カナダ旅行、2019年10月のブタペスト•ウィーン•ミュンヘン旅行と比べると、経済的、効率的に考えぬかれたものでは無いような気がしている。
あとは旅行中にトラブルがなく、楽しめることだけを願っている。これも昨年のエアチャイナトラブルがトラウマになっているのだ。
 

Skyscanner/エアチケット手配

2024年11月29日 | 旅行

2日前から来春の海外旅行についてカミさんと検討していた。5月にパリ、プロヴァンス地方を旅行をしたので、ほぼヨーロッパの主な観光地は廻り、是非行きたいという場所も思い浮かばなかった。東南アジアも行ってないのはシンガポールだけで、あまり関心がなかった。カミさんはカンボジアのアンコールワットに行きたいとも言ってたが、私は2度行ってるし、それほど強い思いでもなさそうだったので、決まらなかった。

何となく最近の流れはカミさん希望のイタリアのボローニャへ、という感じだった。そんなことから、内田洋子のエッセイ「ボローニャの吐息」「モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語」や、小さな村に関する本を3冊読んでいた。

イタリアは4度目となりボローニャには2006年4月にローマ、フィレンツェ、パルマと廻った時は、フィレンツェからパルマへの電車がボローニャ乗り換えでだったので、降り立ったことがある。その電車にはベネツィアに向かうのだろう建築家の安藤忠雄夫妻が乗車していた。氏はこの年は美術館プンタ・デラ・ドガーナに携わっていたようだ。この美術館は2016年9月にベネツィアに行った時に見た。

エアチケットは早得割なので、そろそろ手配しようという事になり、時期と期間を決める上で息子の本格帰国予定を確認しようと、カミさんがWechatで連絡したら、即返信があり3月末に帰国するが、特に引越し手伝いの心配は要らないとの返事だった。カミさんはその間の孫の預かり世話を考えていたようだ。

その返事により、いつものように格安航空券比較サイトSkyscannerで色々と検索してみた。料金だけではなく、乗換え時間、トータルの飛行時間、JALと同じワンワールドアライアンスか等々から検討した。4月〜6月でもGW前後は料金が高くなり、金、土、出発も高いとかSkyscannerを使うと色々分かる。旅行期間は8日〜10日を考えていたがカミさんは短すぎるという事で2週間に。ボローニャ中心に2週間では長過ぎるので、フィレンツェとトスカーナ地方も含めるとして、フィレンツェ往復便を調べると最安値がブリティッシュエアウェイ¥527,000で、ボローニャ往復便はターキッシュエアラインで¥373,000となる。ボローニャからフィレンツェは電車で40分なのでフィレンツェに行くのもボローニャ空港利用の方が安いという事だ。そんな検索の中で4/6〜4/19ターキッシュエアラインでボローニャ往復をHISでの購入を決めた。

保険などのオプションを検討していたら、テレビでモロッコの放送していたのを見ていたカミさんがモロッコも良いわねと言い出した。モロッコに行った事がある娘にLINEで相談したらしく、ヨーロッパ旅行が続いているのでモロッコが良いのではとの意見だったらしい。そこで検討し直しスペインのアンダルシア地方とモロッコに変更した。スペインからモロッコへはジブラルタ海峡をフェリーで2時間で渡れる。

マドリード往復とカサブランカ往復いづれもターキッシュエアラインで¥378,000ぐらいだ。ただ最安値がエアチャイナの¥245,000だった。エアチャイナは5月のパリ行きでのトラブルがトラウマとなり決められず1日おいて考えてみる事にした。

一夜明けて考えたが、やはり¥133,000の差は大きいので、エアチャイナのマドリード往復便をTrip.comで購入し、決済も済ませた。取り敢えずマドリード往復便は確保したので、そこから先の行程はこれからゆっくり考えよう。マドリードからカサブランカはLCCで¥8,400である。それで往復しマドリードからバスク地方のサンセバスチャンへ行くという選択肢もある。2週間の期間だと色々プラン出来る。

 


草津温泉旅行

2024年11月09日 | 旅行
6日(水)から一泊二日で若い時の仕事仲間•遊び仲間4人と草津温泉旅行に行ってきた。
このメンバーとの関係性については、今年1月に(新年会)としてブログに書き、2017年10月にも(御殿場でゴルフ)で触れている。何で昔の投稿を覚えているかというと、南イタリア旅行の前日プレイの一泊旅行だったからだ。それ以外にも何回か書いているが、仕事仲間だった関係ではあるが会社名は伏せていた。それも4月にその会社の株購入経緯を(3Mスピンオフ)として書いた。
 
50年前(半世紀)の独身時代からの付き合いなので、旅行やユニフォームまで作り野球チームを結成し一緒に遊んでいた。その練習にはよちよち歩きの娘を連れていったり、メンバーの一人が家を新築した時は家族連れで集まり、我が家もカミさんと娘と参加した。そんな長い(新年会)のメンバーも、一人は先月心臓の手術、もう一人は長年の持病の関係から宿泊旅行は無理という事で不参加となった。
 
(ホテル櫻井)




 
草津温泉はクラインガルテンやんばに来た時に必ず寄っていたので、10年来の愛好温泉であり9月にも来たばかりだった。そんな温泉を幹事として何故選んだかと言うと、8月末に私に旅行に行きましょうと電話連絡があった3歳下の彼は2年前にパーキンソン病を発症し、1時間以上の歩行は難しいので療法を兼ねての草津温泉旅行を決めた。
 
メンバー3人は川口、南浦和、大宮と埼玉在住で、1人が横浜在住だったが浦和発10:19特急四万1号という、クラインガルテンやんば行きで利用する電車で向かう。5人分の指定席券は先々週末に新宿で飲み会があった時にみどりの窓口で購入した。長野原草津口からはJRバスで20分くらいで草津温泉に着き、この日の宿ホテル櫻井のフロントに荷物を預け温泉街散策へ。ホテル櫻井は9月にクラインガルテンやんばに来た時に現地を見て、ネットでも草津一番の人気ホテルということ、呑み友達Iさんの利用しての評価も聞き予約した。
 
(湯畑)
 
(西の河原公園)
 
(西の河原露天風呂)




 
温泉街散策の前には13:00頃だったので、ホテルフロントで聞いたオススメ蕎麦屋で昼食を取る。湯畑や温泉街は平日にも関わらず観光客で賑わっていて外人観光客も多かった。西の河原公園に向かう道の右手に片岡鶴太郎美術館があったが、彼の静物画や書に他のメンバーは関心が無さそうだったので、入館誘いの声は上げなかった。
片岡鶴太郎はヨガの大家としても知られており、その生活もヨガを中心とした極端な早寝早起き生活らしい。そこまではいかないが、私も一番の楽しみは毎朝のYouTubeでの40分くらいのヨガと、ジムでの週3回のヨガだ。ヨガをやり始めてからは朝起きた時の筋肉の強張りも無くなり、
身体の柔軟性も高まり、股関節も柔らかくなり、和式トイレスタイルの腰落としもかなり深く出来るようになった。毎朝の家でのヨガを見ていてカミさんも大分柔らかくなったと驚いている。
ジムのヨガの3人のインストラクターの内、1番人気のインストラクターからはパーソナルトレーニングを勧められており現在検討中である。
 
西の河原公園散策の後は、露天風呂に入ったが期待していた燃えるような紅葉を眺めてとはいかなかった。元々風呂を取り巻く樹木に楓やもみじが少ないのだろう。
 
15:30頃にホテルに戻りチェックインしたら、部屋は和室8畳二間、四畳半一間という広さだった。そして米大統領選挙の行方が気になりテレビをつけたらトランプ優勢が報じられていて愕然とした。そしてトランプ当選の報、只々予想外の展開に驚き、意気消沈した。夕食の席もその話題で始まったが、メンバー共通認識は人格的に問題のあるトランプに入れたアメリカ人は・・・という結論だったが、伏せ字にしておく。今回の選挙結果、世界政治経済に対するマイナス影響についても書きたい事は山ほどあるが、ストレスが溜まり血圧が上がるだけなので書かない。
 
そんな話をしても酒が不味くなるだけなので、昔の笑い話をしながら呑んだが、1時間半くらいのコース料理だったので、瓶ビール3本で乾杯、後は病の彼は元々酒が飲めなかったのと、1人がハイボール、私を含めた3人で日本酒四合瓶一本という酒量だった。部屋に戻ってからは私が持参した獺祭の四合瓶と乾き物で飲み続けた。
 
布団を敷いた脇で呑んだせいでもないのだろうが、22時には床についたが2時頃には目が覚め、トランプ政権の今後を考えたら眠れなくなった。ワクチン陰謀論者のロバート・ケネディJRの保健機関のトップ登用、イーロン・マスクの高官登用とか、呆れる話ばかりが頭をよぎり眠れなくなった。旅行中にはYou Tubeに保存しておいた米大統領選挙のニュース動画も削除し、帰宅してからはテレビ録画しておいたトランプ関連も全部削除し、予約録画設定しておいたNHK BSワールドニュースも削除した。
 
これからはトランプ政権については(見ざる、聴かざる、書かざる)で行き、このブログでも一切取り上げないつもりだ。そこで出来た時間は囲碁の勉強や読書に費やして精神的健康を維持しよう。









一夜明けての7日(木)は帰りの15:43発の電車まで、レンタカーを借りて八ッ場ダム、国指定名勝の吾妻渓ハイキングをする事にした。当初考えていた志賀高原は初雪で通行止めになっていた。出かける前に同じ仕事仲間・呑み仲間だった福岡在住の1人に電話をした。今回の旅行の話が持ち上がった時に、ふと彼を思い出しその氏名でGoogle検索したら、1987年に3Mの特約代理店として創立した会社のホームページが出てきて、社長になっているご子息の写真が載っており、仕事仲間は会長になっていた。
私は35歳で3Mを退社しているので、久しぶりだったが一度福岡に出張した時に、イカの活き造りの店でご馳走になったことがある。代わり代わり電話をしたが、彼は昔の事をよく覚えていて、メンバー全員が我が身を振り返り、現役で働いている人は違うねと感心しきりだった。

(八ッ場ダム)


 
(国指定名勝 吾妻峡)
 
(鹿飛橋からの吾妻峡)
 
(紅葉台橋)
 
ホテルをチェックアウトした後は、草津温泉でレンタカーを借り先ずは長野原草津口駅に行き帰りの特急指定席を購入した。そこから八ッ場ダムまでは車で20分くらいで着き、駐車場に車を停めて、昭和27年の調査開始から反対運動、建設工事の様子や2020年の運用開始までの八ッ場ダムの歴史が展示されている資料館を見学した。
そこからダムの中にある多目的エレベーターで下に降りて、1時間の吾妻峡のハイキングコースを歩いた。ハイキングの後は、昼食にと思っていたうどん店(麦の香り)が定休日だったので、前にある初めての蕎麦屋に入り、舞茸の天ぷら付き盛り蕎麦を食べたが、蕎麦は水切り不足のような食感だった。蕎麦屋の後は近くにあるクラインガルテンやんばの呑み友達の家の前を通り、車が停まっていたら奥様にご挨拶だけでもしようと思っていたが、車は停まっていなかった。
その後は道の駅八ッ場ふるさと館に寄り、それぞれが野菜などのお土産を買い、草津温泉まで戻りレンタカーを返却した。
 


15:43発の特急電車では来る時と同じく、座席を向かい合わせにして座り、昔の笑い話のネタも尽きたのか、それぞれの子供や孫の話になった。メンバー2人の息子さんにはそれぞれ4人の子供がいて、その国からの子育て支援額を聞いて興味深かった。
少子化問題が言われる中、その支援額に関係なく4人の子育ては大変だと思うが、1人は安定した金融機関、もう1人は外資企業の転社をして現在はMicroSoftという逞しさで、経済的にはゆとりがあるのだろう。他の2人からは娘婿の話がでた。
我が家の子供の話は聞かれるまではしないが、息子の事を聞かれたので先週北京マラソンに出場して4時間切りのサブ4で完走した事と、来月上海マラソンを走る話をしたぐらいだ。北京マラソンは18万人を超える申し込みがあり、3万人のランナー出場なので、6倍の競争率だが日中友好枠でもあるのだろうか。私は10年以上東京マラソンにエントリーしていたが一度も当たらなかった。
 
今回の旅行の提案者である彼からは、来年ドジャース戦見物のLA旅行や前述の仲間を訪ねての福岡旅行の提案があった。職業生活の後半には外資企業の日本法人社長も勤めていたので、経済的には余裕があるのと、病が進行する前にとの思いがあるのだろうか。LAはカミさんが結婚を決めてから1年間語学留学をしていたが、私自身はそれほど関心がなく、まして今回のトランプ当選で、もう2度とアメリカの地を踏む事は無いとも思っている。文化的歴史的にもヨーロッパの方が関心がある。
 
まぁ、トランプ当選で水を差されたが、気のおけない昔の仲間との旅行は楽しかった。