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一期一会

日々是好日な身辺雑記

福江島一周観光

2024年07月20日 | 旅行

福江島2日目の19日(火)は、日の出の5:30頃から1人で散歩に出かけた。来る前にガイドブックから見所をリストアップしてきており、ホテルから近い武家屋敷通り、再度の福江城、福江魚市場と2時間近く歩いて廻った。武家屋敷通りの約400m続く石垣は、溶岩の石垣を積み上げ、その上に丸石を積み重ね、両端は蒲鉾形の石で止められているという、他にない造りになっている。福江城も城跡をグルリと廻ると、本丸や二の丸もないが当時の城の規模が想像された。前日に続いての福江城だったが、今回のメンバーに歴女はいないので、1人の方がじっくり、ゆっくり見て廻れる。
(福江湾の日の出)


(武家屋敷通り)





(福江城)






面としてしか見えてなかった石垣の厚みを見る事ができた。2mくらいはあったか?

(福江魚市場の競り)


鯵などが入った一箱が6000円で競り落とされた。

7:30にホテルに戻り朝食を。いつもは4枚切りトースト半分、バナナ、ヨーグルト、納豆、コーヒーと365日殆ど変わらないメニューの為、バイキング朝食にご飯、味噌汁、おかず、納豆、追加で五島うどんと食べ過ぎてしまった。食事後8:30にホテルをレンタカーで出発して、福江島の主な見所の堂崎天主堂→魚津ケ崎公園→遣唐使ふるさと館→高浜ビーチ→大瀬崎灯台→井持浦教会→大宝寺と娘と姪の運転で廻った。

(堂崎天主堂)


(聖ヨハネ五島殉教像)


堂崎天主堂は、長く厳しい弾圧を耐え抜いた五島キリシタン受難のシンボルであり、五島における小ヴァチカン的な重責を果たしていた。堂内の資料館には200点くらいの資料が展示され、キリシタン受難の時代、潜伏キリシタンが信仰偽装のため、小さな白磁の観音像を聖マリアとみたてて崇めていたものや、木製のマリヤとキリストの踏み絵など、興味深いものだった。 
日本26聖人の一人とされるヨハネ五島は1597年に大阪で捕らえられ長崎まで、33日間の道程を耐え忍び、長崎の西坂で他の信者や神25名と共に、十字架上で殉教した。
五島生まれの19才の青年である。五島列島キリシタへの弾圧については、今回の旅行に先だって2週間前に遠藤周作の(沈黙)を、50年振りくらいで再読したので、時代背景がよく理解出来た。
(島々の絶景)







 
見所は殆ど海に面しているので、そ絶景ぶりに着くたびにシャッターを押す。この島は隠れキリシタンの歴史の他に、時代を遡ると遣唐使が最後に寄港した日本の地であり、最澄や空海の所縁のあるお寺もある。遣唐使阿倍仲麻呂、吉備真備を描いた(ふりさけ見れば)が日経新聞で昨年2月まで連載されていたので、毎朝それを楽しみに読んでいた。そんなことから遣唐使ふるさと館の展示資料も興味深かった。
(カフェ 花笑みきくや)


(カボチャシェイクと赤紫蘇ジュース)

(ソフトクリーム)




絶景ポイントのカフェ(花笑みきくや)でお茶した時に姪がインスタ映えと撮ったのが(カボチャシェイク• •)の方で、ソフトクリームの方が私だが、だいぶ出来映えが違う。姪は写真撮影が趣味で本格的な一眼レフも持っているが、同じiPhoneでもセンスの違いか。


(大瀬崎灯台)

(大瀬崎椿ロード)




福江島を代表するビューポイント大瀬崎の突端には灯台が立ち、駐車場から歩いて20分ほどだが、10分ほど歩くと急な下りになり、帰りの上りを考え断念の声が上がり、即中止となった。展望台の看板には帰りは40分とあった。
(井持浦教会)

(聖母マリア像)


弘法大師空海が遣唐使としての任務を終え、帰国の途に着いた時に寄港し、暫く福江島に滞在し島民に真言密教の教えを講義したという大宝寺。
(大宝寺)

(弘法大師空海像)


夕食は前日の五松屋近くの居酒屋(一登)を予約しておいた。4000円のコースは品数も多く、大満足の夕食だった。
(旬鮮喰間 一登)








福江島の主な見所をレンタカーで廻ったが、いづれも海に面しており、そこからの眺めは息をのむような絶景だった。曇り空だったのでコバルトブルーの海とはいかなかったが、明日から天気が良くなるので、それが見えるだろう。五島列島3日目20日(土)は中通島へ移る。


JALで長崎へ

2024年07月19日 | 旅行
今日18日(木)はJAL羽田発7:35の便で長崎に向かった。今回も昨年GWの雲仙島原旅行と同じメンバーのカミさん、娘、義妹、姪で、五島列島と佐賀を4泊5日で廻る旅である。
5月のパリ行きと同じく4:30始発のバスに乗ったので羽田に着いたのが5:50、海外旅行ではないので、次の5:15発が6:40着なので充分間に合うのだが、心配性のカミさんは何かあったらと始発バスに拘る。

その出発までの余裕時間は第一ターミナル内散策をする。既にオープンしていた寿司、蕎麦、オニギリなど搭乗口周りの食事処など、エアチャイナの搭乗口周りと比べ、遥かに充実していた。そして搭乗したJALのサービスは細かなところまで(おもてなし)の心に沿っていた。海外旅行もJALを利用したいと思うのだが• • •。





定刻通り長崎空港に降り立ち、そこからバスに40分ほど乗りフェリー乗り場へ。バスから降りた瞬間に、猛烈な暑さを感じたが海風があり東京と比べ湿気がなく、歩いていても汗をかくことはなかった。ただ蝉の声が大きく、梅雨明けした九州は夏真っ盛りという感じだった。在宅勤務の義妹は1週間前から姪の家で仕事をし、娘は1日前に来て長崎観光をして、それぞれフェリー乗り場で合流した。五島列島の福江島へは11:30発のフェリーで1時間半、乗船料9000円だった。



福江港に着き、先ず予約しておいたレンタカーを受け取りに。手続きを済ませると13:30頃になり、島の食事処のランチは殆どが14:00で閉まるので、急ぎネットで調べた(蕎麦処くまの里)へ。店の駐車場が満杯で空くのを待っていたら閉店の札が下がってしまった。店の人が我々に気づき、中に確認して入れてくれた。ここで食べた海鮮ミックス丼セット1000円は何種類かの漬け刺身と蕎麦ははるばる五島列島に来た甲斐のある美味しさだった。




食事の後は、海産物店、幕末に建立され日本で一番新しい城だったとされる福江城址や、標高325mとされる鬼岳と廻る。あいにく鬼岳は霧がかかって山頂まで行けず、展望台止まりだったが、そこでも微かに島々が見えるという残念な状況だった。
(福江城址)

(石垣とお堀)



(鬼岳)

 
2時間ほどの観光を終え、5時にチェックインしたGOTO TSUBAKI HOTELは福江湾に面して建ち、先月開業5周年を迎えた新しいホテルだ。お風呂に入った後で6:30に予約した五松屋で夕食。刺身と五島牛叩きなど島名産と生ビール、焼酎の夕食はいつも通り賑やかに盛り上がった。

(GOTO TSUBAKI HOTEL)


(五松屋)
















続エアチャイナトラブル顛末

2024年06月01日 | 旅行
時差ぼけの睡眠不足と帰りの機内が寒かったこともあり風邪をひき、自宅近くのクリニックに行き薬を貰ってきた。旅行前にYouTubeで、5月のパリの気候に合った服装はオニオンスタイルで、というのを見ていた。緯度が札幌より上のパリは寒暖差があるので、玉葱を剥くように脱いたり着たりする事を勧めていた。旅行中はその方法で特に問題は無かったが、睡眠時間は時差ボケで常に3,4時間という状態だった。クリニックの医師からはとにかく睡眠をとるように言われ、薬の効用か時間に関係なく、11日間の睡眠不足をとり戻すようによく眠れる。
 
さて話を16日(木)に戻すと、一旦搭乗した飛行機から機体トラブルで空港へ戻されたのは10:30。それから一階搭乗口待合所で延々と待たされ、この頃には外国人乗客からの怒声も聞こえてくる。そして欠航の発表があったのが17:00。三階にあるチェックインカウンターでキャンセル処理するので20人ずつのグループになり時間差をつけて、出入国審査所→手荷物安全検査所と逆方向に動いてスーツケースを引き取る。我々が最後のグループで、三階ロビーに着き並んで待っていたが、案内した日本人グランドホステスがチェックインカウンターの状況確認の為か列を離れたら、若い日本人の男が来て、皆さん何でここに並んでいるのですか、一階に移動して下さいと。それも案内するという感じはなく、自分だけ先にスタスタと先を急ぐ。そして一階で説明されたのは、明日9:00発北京行きの別便を仕立てます、北京からの乗換え便については北京で対応します、今日のホテル代は出ませんと言い放つ、信じられない対応と説明だった!今、思い出しても腹が立ち、殴ってやりたくなるような態度だった!
色々質問しても、エアチャイナからそれ以上のことは聞いてないと!この言い方からするとエアチャイナの社員ではないのだろう。

この頃になると長い待ち時間に、言葉を交わすようになった人が何人かおり、これからどうするかという話になり、地方から来た人は穴守稲荷のドミトリーに泊まるとか、情報交換をする。我々は18:30発のバスがあるので一旦家に戻るか、蒲田辺りのビジネスホテルに泊まろうかと話していると、案内してきたグランドホステスが戻ってきて、三階のチェックインカウンターに案内すると言う。
先の若い男の情報は、何だったのだろう?
チェックインカウンターは大勢の乗客で混乱しており、エアチャイナが呼んだのか、警察官2人がずうっと立ち会っていた。

チェックインカウンターの周りに集まっている人達と話すと、世の中には色々な人がいるものだと思った。四国八十八箇所巡礼の遍路600kmを、1日30km歩き20日で半分ほど廻ったと言う若いブラジル人男性、スウェーデンに永住する為にストックホルムに向かう若い日本人女性、布生地を買い求める為にパリ、ロンドン、リスボンと3週間の旅をする若い日本人女性、この女性は同じパリまでなのでよく話をした。パリは3度目でお兄さんが我々と同じ市内に住んでいるとの事だった。パリで何かあったらとカミさんとはLineアドレスを交換していた。そして同じパリ行きで私と同じ歳の男性2人連れ。このお二人はパリ5日間の旅だがリュック一つの軽装だった。飾ることない気さくな人柄で、自分達のことを色々話して下さり、我々は聴き役に回っていた。

それぞれ北海道恵庭市と新潟県上越市に住んでおり、この遠距離を取り持つのが、お互いが盲目の女旅芸人瞽女(ごぜ)への強い関心だったらしい。油絵を趣味とする上越市の方は瞽女文化の発信をしていて、恵庭市の方は瞽女の絵を描いた画家斎藤真一のコレクターで、その140点のコレクションを上越市の瞽女ミュージアムに寄贈したことのお礼のパリ旅行だと言う。パリでは斎藤真一と親交が深かった藤田嗣治の絵やモネの「睡蓮」が8枚あるオランジュリー美術館を観に行くとのことだった。カミさんがお二人の名前を聞いていたので、帰国してネット検索したら瞽女と斎藤真一の絵画コレクションに関する記事が多数載っていた。同じ歳で趣味の範囲を大きく超える知識の深さと、その活動の打ち込み様に感銘を受け、カミさんも感心しきりだった。

そんな話をしている内に21:00頃になり、行き先別か紙に名前を書かされ、他航空会社への振替が始まった。丸々12時間以上同じ体験を共有したせいか仲間意識が芽生え、名前を呼ばれ振替便を案内される度に拍手と喝采が湧き起こった。話をしていた若い日本人女性1人旅の面々も、それぞれストックホルム、マドリード、チェンマイへと旅立って行った。そして21:30パリ行き組が呼び出され、22:50発ANAミュンヘン行き、エールフランスに乗換え翌日12:00パリ着への振替が案内され、全員手を叩いて喜ぶ。ANAに乗れて、パリ着が6時間早いのであれば願ったり叶ったりだ。ただそれが束の間の糠喜びとなってしまった。ANAへの手続きが22:00で時間切れとなってしまったのだ。代替え案が大韓航空2:00発、仁川空港6時間の乗換でパリ着18:00という、到着時間が変わらないものだったので全員断った。

ここで最終的に羽田空港内のロイヤルパークホテルとホテル ヴィラフォンテーヌに宿泊となった。どちらも一泊35,000円〜なので、普通であればお得感もあったかもしれないが、深夜23:00を過ぎ、疲れていたので全くそんな感じはなかった。チェックインした時に特別対応として、レストランで食事一品、飲み物一品の提供を言われたので、スーツケースを持って遅い夕食を取りに行った。レストランは我々だけで、しばらくしたら前述の男性2人連れが合流した。サンドウィッチ一個だけのこの日の食事だったが、特に空腹を感じなかったが鶏重と生ビール一杯を取った。ホテルの部屋でシャワーを浴びてベッドに入ったのが0:30、朝4:15に家を出てから長い長い一日だった。

 (ホテル ヴィラフォンテーヌ)



(バイキング朝食)

(6:30チェックインカウンター)

1日遅れの出発となった5/17(金)は5:00に起き、朝食券を貰っていたので6:00オープンの朝食バイキングをスーツケースを持って行きながら取った。そのバイキング内容は過去に見たことがない品数と種類の豪華なものだったが、時間もなく、食欲もなかったのでパン、野菜、豆乳と簡単に済ませた。

6:30頃にチェックインカウンターに行くと既に長蛇の列だった。前日からチェックインの様子を見ていて感じたのは他航空会社と比べて効率が悪いのだ。Webチェックインをしてスーツケースだけ預けるという事も出来ないので時間がかかる。ようやくチェックインカウンターで手続きを始めたら、途中からグランドホステスの様子がおかしくなり、上司と思える女性を呼びに行き、2人で端末に向かい何やら難しい顔をして話合っていた。

そしてオーバーブッキングでカミさんの北京からパリまでのチケットが発券出来ないと!
北京に伝えておくので、空港で日本語を話せるスタッフを捕まえて話して下さい、との信じられないトラブル! とにかく時間が迫っていたので指示に従い搭乗する。さすがに(何とかなるさ)の楽観主義の私も、今までのエアチャイナの対応を見てきて、2時間の乗換時間の中で対応できるのか不安になった。そして現在の日中間の人の行き来からすると、日本人スタッフはいないだろうと思った。

(北京空港 出入国審査所)


そんな不安を抱きながら30分遅れで北京空港に着き、急ぎ足で乗換え口に向かうが、とにかくこの空港は無駄に広い!イメージしてたのは乗り換えなので、エアチャイナの出発カウンターに行けば、カミさんのパリ行きのチケットが用意されているだろうと思っていた。それが羽田で済ませてきた入出国審査、手荷物検査を再度やるシステムになっていた。出入国審査はパスポートだけかと思ったら、搭乗券も必要という事でチェックインカウンターに行くよう指示される。
そこには羽田で見かけた外国人のカップルが2組いて、フランクフルトへの搭乗手続きをしていた。このカップルも相方だけ発券されてなかったようで、発券済みのチケットを出しながら、隣り合わせの席に変えて貰っているようで、時間がかかっていた。あまりの遅さにイライラしながら見ていると、発券したチケット破ったりと典型的なお役所仕事ぶりだった。

我々の番になったら、預けたスーツケースのタグの控えをと。今、なんでそんな物がいるのかと思ったが、羽田を出る時に急いで貰っていないと言ったら、渋々という感じでカミさんのパリ行きチケットを発券してくれた。エアチャイナは民間会社なのだろが、ことごとくJALなどとの対応が違っていた。急ぎ足で入出国審査ゲートに向かって歩きながらチケットを見ていたカミさん、隣合わせの席でないと気づき、戻ろうとするが時間ないので止めた。もし隣り合わせ席がないとしても、それを依頼しているのだから、その旨伝えるべきだと思うが、手抜き仕事なのかそれとも反日家なのか?手荷物保安ゲートまで行ったら長い列で、近くにいた係員にチケットを見せ時間が無い事告げたら、ワッペンを貼ってくれて先に行けとのジェスチャー。
保安検査をパスする許可ワッペンかと思ったが、そんなことはなく入念な手荷物検査とボディチェックだった。焦りながらそれを済ませ、1番端にある搭乗ゲートまで走り何とか間に合った。こうして前日からの度重なるトラブルを乗り越えて、何とかパリへ向け飛び立てた。



 帰国してからもしカミさんのチケットが同じ便で発券されなかったら、どうなっていただろうとよく考える。別の便でチケットは発券してくれるだろうが、その場合はスーツケース2個を持って到着フロアーでカミさんを待つしかない。それも何時到着か知る術がない。帰りの北京空港でWifiの設定にトライしたが、中国語の画面で設定が難しく断念した。他航空会社の便だと何番ゲートに何時に着くとの連絡がつかないのでお手上げだ。
やはり国際ローミングは今回のようなトラブル時には絶対必要だ。

一昨日にエアチャイナに今回の欠航に関する補償はどうなるかと電話したら、メールで上の社内規定を送ってくれ、パスポートのコピー、振込先、住所、電話番号を書いて送って下さいとの事だった。
1人400元は8000円相当だが、金額の問題ではなくエアチャイナは補償すべき立場だという事が明確になればそれで良しとする。

今回のトラブルは欠航の決断の遅さなど、色々な言いたいことがあるが、お客様の声として、初日の若い男の対応とミスインフォメーションに関してだけは苦情を伝えた。
あそこでその情報を元に、一旦家に帰り翌日出直したら、もっと旅行日程が狂っていただろう。
帰ってきてからエアチャイナのサイトを調べたら、オーバーブッキングの可能性についての記載があった。いづれにしてもこれに懲りてエアチャイナは2度と使わない。

パリ観光最終日

2024年05月28日 | 旅行

パリ観光最終日となる5/24(金)は、17日(金)9:30からのルーブル美術館入場券が欠航で無駄になったので、22ユーロ×2名の44ユーロで再度購入した。カミさんがネット予約しようとしたが、何故か上手くいかず娘にネット購入を頼み、eTicketのファイルを送ってもらった。通常18:00までの営業時間が、金曜日は閉館が2130なので、比較的楽に観れるかと18:00からの入場券にした。

 
そして最後のパリ観光は、街並み散策にしようと、午前中は左岸5区のカルチェ•ラタン地区、午後は高級住宅地である右岸16区パッシー地区にした。8:00から動き始めリュクサンプール公園→パンテオン →ムフタール通り→ランチ→パッシー地区と廻った。
15:00頃には一旦ホテルに戻り一休みしてから、17:00ホテルから歩いて15分くらいのルーブル美術館に向かった。途中娘が日本語メニューがあるよとメールしてきたフレンチレストランLe Mersturetに寄り、20:30の予約をしてきた。
料理オーダーに苦労しているのをブログで見て、ネットで調べ教えて来たのだろう。娘はパリに3度ほど来て、フランス語検定を持っているので少しは話せるらしく、今回もセーヌ川クルーズ、モンマルトル散策とかオススメだったがどれも出来なかった。
 
(リュクサンブール宮)
 
 イタリアかフランス王室に嫁いできたマリー•ド•メディシスが故郷を懐かしんで、フィレンツェのメディチ家のビッティ宮を模して作られた。現在は国会上院として使われている。ピッティ宮がどんな感じだったが思いだせない。

(リュクサンプール公園)


 
リュクサンブール公園は面積は25haで、リュクサンブール宮の庭園だったところだ。朝緑濃い中を歩くのは気持ちが良かった。

(パンテオン)


(哲学者JJ•ルソー像)

(ムフタール通り)








ムフタール通りはローマ時代に作られたパリ最古の通りで、600mの通りの両サイドにはあらゆる食材、ワインの店が立ち並ぶ。
感心するのはその立体的な飾りつけで、色合いの組合せと立てかけられたホワイトアスパラ、いかにも美味しそうだろう。カミさんは2種類のチーズをお買い上げ、しばらく土曜日はワインとチーズか。
 
(パッシー地区)






(La Grande Epicene de Paris)
 
 パッシー地区はパリの高級住宅地で、駅からのパッシー通りはブランドブティックが立ち並ぶ。老舗デパートの食品館(ラ•グランデ•エビスリー•パリの2号店もあった。
朝からの散策で15:00頃にホテルに戻り、カミさんのスマホ歩数計を見たら32000歩で、初めてとなる最高歩数だと言う。
 
パリ市内を歩いてみると感じるのは、統一のとれた街並みで、高さは5階から6階で高層ビルというのも見当たらない。そして大きな看板もないので、逆に地図を片手に通り名を確認しながら散策する身には大変である。
 
(ルーブル美術館)


(モナリザ)


(サモトラケのニケ)


 ルーブル美術館はとにかく広い!日本語ガイドマップがあり、それを手に目当ての作品を探すのだが、途中何回か係員に聞かないと辿り着けない。さすがにモナリザは大変なひとだかりだった。そしてこの部屋ではテニスの松岡修造氏を見かけた。あの身長と容姿である一際目立っていた。大谷もそうなんだろうが、日本人の体型も変わったものである。

カミさんお目当てのフェルメールは(レースを編む女)が現在貸し出し中で(天文学者)だけの展示だった。フェルメールは全作品が37作で、ロンドンのナショナギャラリーで(ヴァージルの前に立つ女)、ウィーンの美術史美術館で(絵画芸術)を観たが、何年か前に上野の森美術館でのフェルメール展は、それこそ芋の子洗いで頭越しにしか観えなかった。

2時間近い見学の中で、残念ながら(ミロのヴィナス)は見れなかった。

 (Le Merusturet)
(前菜 エスカルゴとキノコのニンニク炒め)

 
(主菜 牛頬肉の赤ワイン煮)


 

娘から教えてもらい20:30に予約しておいた(Le Merusturet)は金曜日という事もあり満席だった。JCBと提携しているのか、注文時に提示するとワイングラス一杯サービスというのが、ネットに出ていたがJCBカードは持ってきてなかった。SuicaがJCBなのだ。
日本語メニューがあるからか、日本人カップルが何組か見えた。今回の旅行で入った全部のレストランは前菜+主菜+デザートという組合せでのアラカルトだった。何品もあるのはポール•ボキューズのような店なのか。
日本にも何店舗かあるので今度行ってみようかとも思うが、でもやはり高いお金を払うのであれば、懐石料理か寿司が良い。
フレンチで育ったわけでもないので、飽きてしまう。そんな事で美味しかったが、それ以上の食レポは無し。

(オペラ座裏手)


上の写真はオペラ座裏手からのものだが、パリ到着時に見たシャネルの看板をより遥かに良い。強い違和感を感じたあの看板は、現在オペラ座が工事中なので一時的なもののようだ。騙し絵的なものもあったようだ。オペラ座からシャルル•ドゴール空港へのバス停の場所も変わっていた。




5/25(土)パリ発13:00の便で北京に向かい、飛行時間9時間くらいで翌朝5/26(日)4:00北京空港に到着。機中モニターも中国映画ばかりで、チャン•イーモウ監督作品がないかと
探したが見つからなかった。
行きも帰りもやる事がないので持参した立松和平の(良寛)を読んだり、3D航路マップを見たりしていたが、そのマップにはイルクーツクなどのロシアの都市が載っていた。
今回エアチャイナのパリ行きを選択したのは運賃の安さもあるが、飛行時間の短さだ。
同じような運賃で大韓航空やエミュレーツ航空のパリ行きはあったが飛行時間が長かった。それもそのはず、現在ロシア上空を飛べるのはマルクス兄弟国家の中国だけだ。










行きは乗換時間が2時間だったが帰りは4時間で、空港内Wifi設定も中国語なので難しく、インターネットに繋がってもGoogleアプリや日経新聞、このブログは使えないので意味がない。改めて中国の異質さを感じる場面だ。逆にやる事がないので上下巻(良寛)を読み終えた。良寛の人生記なのでストーリー性はなく、道玄のことや正法眼蔵からの引用などで宗教本のようで、今回のような環境でなければ読み進めなかっただろう。次は同じ立松和平の(道元禅師)だ。

26日(日)15:00に無事帰宅したが、このブログで抜けている16日(土)16:00頃からパリ到着までのエアチャイナトラブル記は、時差ボケや風邪も治る週末に書こうと思う。
 

TGVでアヴィニヨンからパリへ

2024年05月25日 | 旅行
5/23(木)アヴィニヨン8:30発のTGVでパリに11:16に戻ってきた。チェックインしたHotel Ascot Operaはやはりオペラ座に近く、何かと便利で治安も良いだろうと、同じエリアを選んだ。エアチャイナの機体トラブルによる欠航でパリ到着が1日遅れ、3日半を予定していたパリ観光が実質2日半となってしまった。そんなロスした一日を取り戻そうと、早速行動を開始した。

(アヴィニヨンTGV駅)
ホームの直ぐ脇が待合室になっている。


プロヴァンスの4日間は美しい村巡り、ローマ時代の遺跡巡りと、どちらかというと私好みのプランだったので、残りのパリ観光一日半は出来るだけカミさんの意向に合わせようと思っていた。ただどうしても強い意向が無い場合は、指導力を発揮してしまう傾向がある。

(ル•ボン•マルシェ)

ル•ボン•マルシェは1852年創業の老舗デパートで隣接する食品館は、あらゆる種類の食材が豊富に取り揃えてあった。そしてカミさんのショッピング中は、何分後待合せといういつものスタイルにする。ただあまりの広さに待合せ場所が分からなくなるので、目の届く範囲での自由行動だ。


(精肉棚)

(チョコレート棚)

(ビネガー棚)


食材のコーナーでは幾つかの食べる所があり、ワインを飲みながら食事をしている。フランス人にとっては時間帯に関係なく、食事にワインは欠かせないのだろう。
そしてこの日のカミさんのお買い上げは110ユーロで殆どがお土産だ。週2回のパートになったとはいえ、まだ長年勤めた医療機関で働く身なので色々付き合いがあるのだろう。その他にも2月に1回の子供の幼少期からのママ友との会食、他3種類の地元サークル仲間と、お土産関係者が多いのだ。総じて周りを見渡しても女性の方が元気が良い。
私の場合は特に配布先もないので、お土産の購入はない。

(サン•ジェルマン•デ•プレ教会)







ショッピングの後は6世紀にベネディクト派の修道院としての起源を持つ左岸のサン•ジェルマン•デ•プレ教会へ。

(オルセー美術館)


そしてこの日のメインイベントであるオルセー美術館へ。移動は全てメトロを利用しているが、乗換駅間の距離が長いので歩く、歩く。メトロでのスリ被害が多いのだが、今回の観光は18区、19区の治安の悪い所や、北駅、東駅などの利用も避けているので、まだスリとの遭遇はない。

比較的ゆっくり見れるだろうと16:00入場券を予約したが、多くの人で賑わっていた。
オルセー美術館は、マネ、モネ、ルノアールの印象派の絵画や、ゴッホ、ゴーギャンなどのよく知られている名画を数多く見ることが出来た。賑わっているとはいえ、東京の海外からの名画展のように、芋の子洗いの頭越し肩越しの鑑賞とはならない。美術館そのものの建築物としてのスケールが違うのだ。

ロンドン、ウィーン、ローマ、フィレンツェ、マドリードと名だたる美術館に行ってきたが、どこもゆっくり鑑賞できた。

(ゴッホ/ローヌ川の星月夜)


(ゴッホ/ アルルの部屋)

(ゴッホ/ 自画像)

(ルノアール/ 田舎のダンス)


(モネ/ 日傘の女)


(ベトナム料理フォーティン)




(牛肉フォー)


ご飯、味噌汁、納得、魚の干物で育った身としては、ソースがどうの、肉の柔らかさがどうのと言っても飽きてしまう。そこでこの日はベトナムのフォーの店へ。フォーが好きで池袋、新宿のフォーティン•トーキョーにはよく行くが、ここもハノイ本店のフォーティンのパリ店なのだろう。
嬉しいことに、8月我が町にオープンする商業施設にフォーティン•トーキョーが入るので今から楽しみにしているのだ。