うろキョロ散歩

楽しくお散歩をするのが唯一の趣味。
お散歩の徒然に観たこと感じたことなどなどを書き込んでいこうかな、

江戸しぐさ

2006年06月04日 | ブックスタンド
越川禮子著 講談社+α新書
江戸しぐさを身につけるため、江戸の大店の子供たちの寺子屋での教育は、「読み書きそろばん」ではなく、将来人を使うために必要な「見る、聞く、話す」に主眼が置かれていました。江戸しぐさの究極は人物鑑定力、人物観察力、洞察力を身につけることが最重要項目だったのです。

*江戸の町はすばらしかったのだと見直しました
 ①世界一の大都市(人口100万人、防災をにらんだ計画的な都市作り、地方からの人集め、江戸湾を埋め立てての土地づくり、上水を引く、各種の組織をつくるなど)
 ②進んだリサイクル都市(ごみ箱のない町、ゴミをを出さない町、品物を徹底的に使う)
 ③町人の町(侍は単なる消費者に過ぎず、商人や職人たちの町だった)

*「江戸しぐさ」は、800とも8000あるとも言われています。そのいくつかを紹介します。
*往来しぐさ
①傘かしげ。一緒にぬれましょう。
②肩引き(お互いさまです)とカニ歩き(お互いさまです) 。
③うかつしぐさ、うかつあやまり。うかつは自分の恥。
④会釈のまなざし。

*共生しぐさ(人は共に生きる仲間)
⑤「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」といって子供を教育した。三歳までに素直な心を、6歳になるとその振る舞いに節度をもたせ、9歳では人様の前でも恥ずかしくない言葉遣いを覚えさせ、12歳ではきちんとした文章が書けるようにさせ、15歳にもなると物の道理がわかるようにしなければならないというものであろう。
⑥時泥棒はだめ(突然押しかけて勝手に相手の時間を使う)。 江戸城の時計は一分の狂いもない正確なものであった。このため、幕府に仕えている武士ばかりではなく、商人たちも時間には厳しかった。現代でもまったく、同じことなのだが、都会人のマナーというべきであろう。
⑦江戸ソップ(スープ)。滋養をつける栄養食。町内の講中が大鍋で江戸ソップを作り、病人や行き倒れ、火事で焼け出された人などにふるまった。お互いに助け合い、いたわりあって暮らしていこうという気持ちのあらわれだった。

*人への思いやり(共生しぐさ)
⑧「三脱の教え」。初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないルールがあった。これなどは身分制度を全く意識させない教えであり、相手を思いやる心と、人を肩書きだけでは判断しないという、江戸商人の何事にも捉われない意気込みがみてとれる。とかく人間はフィルターをかけて人を判断してしまいがちです。本当の人間を見る観察力や洞察力が曇ってしまうからなのです。現代でも一流校の出身であるとか、有名企業の社員というだけで簡単に人を信用してしまいがちです。
⑨江戸で一番失礼な事は、「そんな偉い方とは知らずに失礼いたしました。」偉い方なんて持ち上げていますから、くすぐったい気持ちになる方がいるかも知れませんが、慇懃無礼とはこういうことをいいます。見方を変えれば、偉い人でなければ失礼なことをしてもいいのかということになります。
⑩おはようにはおはよう、おはようございますにはおはようございます。
⑪「指きりげんまん、死んだらごめん」。人間の約束は必ず守るとされた。たとえ文章化されていない口約束でも絶対に守った。「死んだらごめん」とは命にかけて約束を守るということ。
⑫「打てば響く」。江戸っ子はすばやく対応することを身上とした。当意即妙の掛け合い、初対面で相手を見抜く眼力など、その切れ味が真骨頂とされた。

* 江戸っ子の見分け方
1 目の前の人を仏様の化身と思える
2 肩書きをきにしない
3 時泥棒をしない
4 遊び心を持っている
江戸っ子は人物鑑定力、人物観察力、洞察力を身につけていなければいけない。このようなことを身につけ自らの「くせ」にしなければいけない。したがって3世代くらいかかれなければ本当の江戸っ子になれなかった。

明治になりいなかっぺの「官軍」が大いばりして江戸に入り「江戸しぐさ」をぶち壊し、踏みにじって、日本のよきものを破壊した。その150年前のつけが今の日本をダメにしている。

江戸しぐさは現在でも、いや、現在だからこそ見なおしてみる価値のある日本人に残された貴重な財産であると思いました。


江戸しぐさを復活させて生かすことで、人が人を大事にし、争いのない、もっと住みやすい世の中になることを願います。