about him

俳優・勝地涼くんのこと。

『機動戦士ガンダム00 -A wakening of the Trailblazar-』(2)(注・少々ネタバレしてます)

2024-09-05 16:14:50 | ガンダム00

今回の映画はTVシリーズ(ファーストシーズン全25話、セカンドシーズン全25話)の続編ということで、まずは予習のためにTVシリーズをレンタルで全話視聴しました。
私はガンダムシリーズは子供の頃に放映していた『機動戦士ガンダムZZ』をリアルタイムで見ていたのと、あとは福井晴敏氏による『∀ガンダム』のノベライズ版を読んだ程度でほとんど知識がなかったのですが、とても面白かった。とくに戦闘シーンのダイナミックな動きやビーム兵器の色鮮やかさに驚かされました。この時期10年くらいほとんどアニメというものを見ていなかったので、こんなにアニメのクオリティは進化していたのかと驚きました。
劇場版ではさらにこのクオリティが増し、ガデラーザ無双に始まり、ラファエル初登場、火星周辺での戦闘、クライマックスの戦いまで、息もつかせぬスピーディーな機体や敵生命体の動き、巧みなカット割り、それらを盛り上げる音楽など見ごたえ十分でした。

また私はプロの声優さんの、いわゆる“アニメ声”というものにその当時あまり馴染めなかったというか、正直好きではなかったのですが(スタジオジブリ作品をはじめ多くのアニメ映画が俳優さんを声のキャストに起用することについては賛否がありますが、アニメ声が苦手な私にとっては有難い傾向です)、『ガンダム00』を見ていて声に聞き苦しさを感じることはさほどなかった。むしろ声質・演技ともに聞き惚れてしまう場面も多く、この人たちに混ざって勝地くんが声を当てるんだなあと思うと妙な緊張が走ったりしました(笑)。
(ちなみに近年はこの〈アニメ声が苦手〉はほぼなくなりました。『鬼滅の刃』でプロの声優さんのすごさを思い知らされたので)

物語的にも、化石燃料の枯渇と温暖化対策を受けての太陽光発電システムの全世界的普及、それを支える3つの軌道エレベーターの存在、エレベーター建設の費用と技術力の確保をめぐり世界は大きく3つの勢力(ユニオン、人革連、AEU)に分かれて冷戦状態、化石燃料が売れなくなった中東諸国の没落と紛争の続発─といった設定は、実際の社会情勢を色濃く反映していて、本当に23-24世紀にはこうなっているかもしれないという現実世界と地続きのリアルさがある。そして主人公チーム(ソレスタルビーイング)の多くは紛争やテロによって傷を負った過去があり、戦争の根絶を切望しながらもその手段として武力を用いざるを得ない・・・。“紛争根絶のための武力介入”という彼らが抱えている矛盾は第一話の時点で鮮やかに示され、その矛盾の中で葛藤する人間たちの姿が丁寧に描かれていました。

それだけに、映画版の“敵”が人間でなく、外宇宙の生命体ということに戸惑った人も多かったようです。そもそもガンダムシリーズで地球外生命体を出したケース自体が初だったそうで、水島精二監督も反発を受けるのは覚悟のうえだったものの案の定〈人と人との戦いを描いてこそガンダム〉〈地球外生命体との戦いならガンダム以外でやればいい〉など結構な批判があったとのこと。
確かにガンダムシリーズはファーストガンダム以来、敵も悪ではなく、彼らには彼らの正義があり主人公たちとは考え方や立ち位置が違うだけという姿勢で描かれてきたように感じます(今に至っても初期三部作と『ガンダムUC』くらいしか見ていないので確実なことは言えないし言う資格もないのですが)。今回の“敵”である地球外生命体「ELS」も彼らなりの事情はあるのですが、その“事情”は主人公によって説明されるだけで最後まで彼ら目線でその心情が語られることはない(言葉も話せなければ顔がないので表情で語ることもできない)。互いの心情のぶつかり合い、考え方が異なるゆえの葛藤をガンダムシリーズに求める人にとっては(『00』もTVシリーズはそうしたテーマが濃厚だっただけに)納得がいかなかった気持ちはわかりますし、映画の評価が賛否両論となったのも無理ないなと思います。

ただ個人的には“敵が地球外生命体、それも非人間型”というのはすんなり受け入れられました(劇場版では〈地球外生命体が登場する〉ことを含め多少の前情報を知ってからTVシリーズを視聴したので当然ではあるんですが)。無限と言ってよい広大な宇宙に知的生命体が棲む星が地球ただ一つである可能性とそうでない可能性なら後者の方が大きいように思えるので、いずれ人類が地球外生命体と遭遇する日が来てもおかしくないし、その知的生命体が人間型である可能性とELSのような非人間型である可能性ならこれも後者の方が大きい(“Aに似ているもの”と“Aに似ていないもの”なら圧倒的に“似ていないもの”の方が選択肢が多い)だろうから。
またTVシリーズで“イオリア計画”の最終目的が“来たるべき対話”なのは繰り返し言及されていたので「これが来たるべき対話なのねー」という感想でした(というか「映画で地球外生命体とのコンタクトを描くことはTVシリーズの時点で想定済だったのか」と思いながら見ていました)。

そしてこの「来たるべき対話」の相手をELSという非人間型の地球外生命体にしたのは英断だった。通常フィクションで描かれる地球外生命体というと“宇宙人”という表現が示すように人間型であるケースがほとんどだと思います。加えて相手の側が地球人より知性や科学力で上回っていて地球の言語をあっさり習得したり翻訳機を使用したりテレパシーを利用したりして会話を成立させてくれる。そうでないと敵対するにせよ友好関係を結ぶにせよコミュニケーションが成り立たず話が進まないので当然の演出的配慮ではあるんですが、『00』劇場版ではあえてここを切り捨てた。
会話は成り立たず相手の考えも目的もわからず、形状が人間と違いすぎて表情を読むこともこちらの意思を伝えることもできない。そんな相手とどう対話を成立させるのか。上で書いたように将来人類が遭遇するとしたらELSタイプの地球外生命体に当たる確率の方が高そうなので、シミュレーションとしてこちらの方がよりリアルかつ切実さを感じました。

そのうえでただ一つ脳量子波をELSとのコミュニケーションツールとして設定することで、連邦の大艦隊ではなくイノベイターである主人公刹那が人類最大の危機を救う必然性を作った。リアルさを追及するならコミュニケーション手段は一切なしでもおかしくないところですが、TVシリーズからお馴染みの、イノベイターの特徴でもある脳量子波をELSと分かり合うための生命線として残すことで、どう考えても人類滅亡はまぬがれないだろうというぎりぎりのところで物語をELSとの和解によるハッピーエンドに着地させている。
ELSの形状についても、非人間型の地球外生命体ならもっと人間が生理的嫌悪感を催すような外観であっても不思議はない(古典SF『幼年期の終わり』はある意味これ。『00』セカンドシーズンラストシーンに書きつけられた言葉「The Childfood of Humankind Ends」は『幼年期の終わり』の原題(「Childfood’s End」)を意識したものらしいので、地球外生命体とのファーストコンタクトという設定ほか『幼年期の終わり』に影響を受けた部分はあるのでは)ところを、金属という地球上にも存在する無機物、〈人間からかけ離れていていかにも意思の疎通は困難、接近・侵食されることに恐怖は感じさせつつも外観に対する生理的嫌悪感は少ない、むしろ結晶化した姿はオブジェのようで美しくさえある〉形状に落とし込んだ。
物語のテーマ的に見るからに異質である必要があるが、観客に生理的嫌悪感をもたらすような外観の生命体がスクリーンを乱舞するような事態は避けたいという状況において、金属異性体というのは実に適切な選択だった。リアルさとエンターテインメント性を両立させるための微妙な配分―これが劇場版を賛否あれど危ういバランスの上で傑作たらしめた最大要素のように思います。


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