聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

マルコ福音書 重い皮膚病を患っている人をいやす

2006年03月28日 | 新約聖書日記
◆重い皮膚病を患っている人をいやす
『 1:40 さて、重い皮膚病を患っている人が、イエスのところに来てひざまずいて願い、「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と言った。
1:41 イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、
1:42 たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。
1:43 イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、
1:44 言われた。
「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。
ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」
1:45 しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。
それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。』(日本聖書協会 聖書 新共同訳から)

新約聖書略解(日本基督教団出版局)をまとめて
『これは全ガリラヤ宣教中の出来事であり、かつ、それを終了させる。
「重い皮膚病」は「鱗状の、かさぶたができた」の名詞化された語で、ハンセン病とは即座に同一視できない。
「清くする」と言われるように、この病気になると、不当にも祭儀的に不浄とされ、イスラエルの民の中で差別的に排除された。
病気の人が語りかける「御心ならば・・・」は、「もし(あなたが)欲するなら、・・・」で、相手の意志を問う。
イエスはそれに深く心を動かされて、彼に触り、「よろしい」でなく、「(私は)欲する、・・・」と明確な意志を表明する。
その後の「厳しく注意し」は、怒った馬がいななくように激しく叱ることで、「だれにも・・・」は「一人にすら言うな」の強い禁止である。
この激しい禁止命令は、編纂者が45節の彼の行動を先取りし、そのために二次的に過激にしたものと考えられる。
イエスは彼に、エルサレムの祭司に癒された自分を示し、「清め(の捧げ物)」を捧げるように指示する。(レビ14章)
「人々に証明しなさい」の原文は「彼らに対する証言のために」で、
彼の癒しが、彼を「汚れた」と判断した祭司たちに対する告発的証言になることを目指す。
「町」は無冠詞の「都市」で、ガリラヤのどの町にも入れない。
奇跡だけが宣べ伝えられることはイエスの本意ではないようである。』


恵み深い天の父なる神さま
イエスさまは、病で不当に排除されてしまった人に触り、そして、癒されました。
この世から不当に差別された人々を救われます。
奇跡を起こすことがイエスさまの欲するところでなく、
イエスさまは、人々が神を信じることを、教えられます。
神を知り、神の御心を知る、信仰が与えられますように。
主イエス・キリストの御名によって、お祈りします。
アーメン


最新の画像もっと見る