mitakeつれづれなる抄

普段いろいろ見聞き感じ考え、そして出かけた先で気になることを書き綴ったブログです。

堂島は昔は島だった

2010年03月23日 | 地理・地名

 今日の投稿は、大阪の方や歴史に詳しい方など知ってる方には「当たり前!!」と怒られそうですので、そんな方はスルーしてください。(笑)

 昨年末の12月9日投稿「迅速測図がネットで見られる」を書くきっかけになったことで、大阪市北区に堂島と言う地名がありまして、これ漢字で書けば何でもないですけど、「ドージマ地下センター」という地下街の名称が何とも野暮ったく、子供・・・というよりもう少し大きくなってからですが思ったものです。

 その後は何度か大阪へ来て、いや来ないままでも地図を見てて普通に地名として「堂島」の文字を見ておりましたけど、これ考えてみればなぜ「島」とついていたのでしょうね、っていう疑問に当りました。

 それと阪神電車。1905年に開業した区間のうち、大阪側の発着点は出入橋でした。出入橋、橋なんですねぇ。今そんな橋は無い筈ですし、少し東に桜橋。桜橋といえばサンケイホールというのは古いでしょうけど、橋地名が幾つか残っています。

 つまりこれら一つの川筋にかかっていたもので、その川筋の名は曽根崎川。この曽根崎川が南を流れる堂島川から別れてまた合流し、囲まれたところは中洲だったそうで、その中洲の名前が「堂島」。これ知ったのは昨年の秋でして、頭の中の曇りが一つ晴れたような気がしました。

 そうなると現場を見なければ気がすまない、ってことで年末行って来ました。流石に曽根崎川と堂島の痕跡全てを回るわけには行かず、旧曽根崎川流路であった北新地と、福島区浄正橋近辺です。石碑があるらしくそれを頼りにして。

 堂島の位置。googleの地図に書き加えました。淡い黄色の部分が昔の堂島。

Dojima

 北新地の新地本通。かつてここを曽根崎川が流れていたそうです。

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 JR東西線の北新地駅近くに、こんな高低差を見つけました。画面奥の通りが新地本通で、川筋を埋め立てると却って元の川筋だった場所が微高地となる例です。

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 場所と日付は変わって、福島区浄正橋(じょうしょうばし)。国道2号線に浄正橋交差点がありますが、実際の旧浄正橋はもっと南の地点です。

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 上天神南交差点から少し西へ入った、関電病院の近くに浄正橋跡?とした石碑がありました。

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 下の方が埋まってますやン。大正の頃に建てられたものだそうで、その後の道路改良でこんなんになってしまったでしょう。少し危険でしたが、車道に出て裏側も写しました。

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 ココからはおまけ。この場所から東を見上げると、こんな建物がありました。

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 そして近くにはこんな所も。一部では聖地ですね・・・。

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 貼り紙の「年越しそば」の通り、大晦日でした。後の予定がありましたので店には入っておりません。ぜひ一度食べに入りたいお店です。

 その後ネットをあさると、曽根崎川に関しての石碑など記念碑が幾つかあることが分りましたが、おいおい探して見る事とします。


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