Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

輪旅 播州の小京都・龍野へ!!

2009-01-25 19:20:08 | 自転車旅
《輪旅 播州の小京都・龍野へ!!》

 そうめん“揖保の糸”、うすくち醤油、龍野城跡、赤とんぼ・・・龍野は魅力的な町であった。(現在は、合併でたつの市へ)

 中年18キップ!??にて網干駅へ・・・車中ご一緒した名古屋からのご婦人たちは、鈍行で高知まで行くそうだ。四国八十八所霊場巡りの一環で・・・そのパワーには脱帽・・・名古屋名物?の手作り鬼饅頭を頂いた。

 途中、三ノ宮駅にて、今日の同行者となる寅氏と合流。しばし、自転車談義に花を咲かせる。

 網干駅よりサイクリングの開始。寅氏の東叡社製デモンタブルの組み立ては、とても早かった。

 ノンビリとペダルを踏み、堤防に出会ったところより北上をする。対岸の堤防法面に異様なモノが乾してあった。黒、青、ピンク・・・ぼろきれのようでもあるが、布団くらいの大きさがあった。

 結論・・・それは牛の革であった。この地域は革の加工が盛んのようで、多くの工場があった。2メートルほどの木製ドラムの中へ牛の皮と塩などを入れ、回転させてなめす作業をするそうである。

 最初の訪問地は、“そうめんの里”、播州といえば揖保の糸、素麺造りが盛んなようで、昔からの製法を写真で観る。とても高級な揖保の糸は、金持ち?しか食べられないので、試食をお願いした(笑)

 昼には少し早かったが、夜勤明けの寅氏の要望で、昼食とした。注文は、「鯛めん」・・・なんと、お頭付きの鯛の煮つけと温麺のセットである。とてもゴージャスなランチに舌鼓を打つ。やはり、鯛は播磨灘で採れたものであろうか・・・

 次の訪問地は、播磨の小京都・龍野・・・揖保川河畔に栄えた城下町は、以前より気になっていた場所で、ようやく訪れることが出来た。

 古い家並みの中をゆっくりと行くと、一軒の醤油工場に出会う。それは、看板を見なくても、その香ばしい匂いですぐに分かった。龍野は醤油の生産でも有名なのである。

 ちなみに、キッコーマンなど(野田市)、ヤマサ、ヒゲタなど(銚子市)ヒガシマルなど(たつの市)が有名な産地で、この三つのエリアで日本の50%が造られているという。

 龍野城・・・脇坂藩五万三千石が明治維新まで治めていたという。その末裔の方は、今も町のイベントには参加されるそうである。別名を霞城ともいい、本丸御殿、埋門(大手門?)、隅櫓が再建されていた。

 龍野のうすくち醤油といえばヒガシマル・・・その資料館へも行ってみた。当時の工場が整備され、見応えのある展示物に興味津々であった。企業の姿勢として、このような資料を残すことはとても企業イメージがよい。

 なぜ赤とんぼなのか・・・童謡の赤とんぼは、三木露風作詞、山田耕筰作曲・・・龍野は、三木露風が生まれた場所であり、その歌碑があった。まるでその詩のごとく、龍野は童謡が似合う町でもある。

 最後、相生の町へ行き、この時期が旬の牡蠣料理を白龍城(ペーロンジョウ)でいただいた。播磨灘は、タイ、メバル、スズキ、カレイ、ベラ、ヒラメ、エビ、貝類、海草類などの豊富な海の幸の宝庫であり、海の幸を楽しむツーリングを次回に企画したいなと思った。

画像はこちら
http://album.pentax.jp/166909111/albums/62187/

輪旅 遠州三山と遠江国一宮へ!!

2009-01-25 19:17:39 | 自転車旅
《輪旅 遠州三山と遠江国一宮へ!!》

 法多山(はったさん)、油山寺(ゆさんじ)、可睡斎(かすいさい)・・・この三つのお寺を遠州三山という。

 遠江国一宮の三國神社へも訪れてきた。

 冬場、特に正月前後は青春18キップが有難い時期でもある。奥美濃や飛騨の峠は深い雪の下となり、結果、18キップを活用して歴史散歩へと出かけることとなる。

 一日、JRの鈍行列車だけが2300円で乗り放題となるキップはありがたいが、遠距離に行く場合は、列車接続の悪さに閉口する。よって、岐阜からの活用エリアは、東海道線の掛川駅から山陽線の姫路駅辺りとなる。それでも片道4時間は掛かってしまう。

 以前より気になっていた遠州三山と呼ばれるお寺へ行ってみた。特別に信仰心があるわけではないが、寺院や神社が感じさせる雰囲気にはとても興味がある。

 朝6時の樽見鉄道始発に乗り、袋井駅には10時過ぎに着いた。自転車を組み立て、法多山尊永寺へ向かう。牧之原台地から東、掛川、袋井、磐田、浜松にかけてはちょっとした平野のようで、明るく、伸びやかな平地が広がっていた。

 法多山尊永寺(はったさん そんえいじ)・・・高野山真言宗別格本山の寺院。一般に法多山と通称され、寺号の「尊永寺」よりも「法多山」の名で広く知られている。遠州三山の1つ。本尊は聖観音(正観世音菩薩、厄除観世音)。厄除け観音として知られ、厄除だんごが名物となっている・・・と、あるサイトに書いてあった。

 茶畑を過ぎ、初詣の賑わいも無くなった屋台の前を進むと立派な山門が現れた。砂利の敷かれた参道を奥へと進む。最後は、結構な階段を上って本堂へと至る。

 建物は立派で、圧倒するものがあるが、築年は新しい。下世話な話しではあるが、その費用が何処から出ているのか興味があった。古い寺院だけに値打ちがあるとは思わないが・・・

 帰り、回遊式?の参道を行くと、厄除けだんごの自販機が現れた。ホンダ、スズキ、ヤマハと、遠州からは世界的な企業が多く出ている。先取りの風土・・・自販機くらいで驚いてはいけないようだ(笑)

 200円という価格設定も上手すぎる。味も美味過ぎる!???本場の静岡茶で、なごみのひと時を過ごした。

 次に、油山寺を目指す。以前、走ったことのある旧東海道を横切り、茶畑の広がる丘を越えて行った。

 医王山油山寺(ゆさんじ)・・・真言宗智山派の寺院。遠州三山の1つ。山号は医王山。詳しくは医王山薬王院油山寺と称する。本尊は薬師如来。紅葉の名所として知られる・・・と、ネットの資料にあった。

 掛川城から移築したという山門は立派過ぎる。大手門であろうか、漆喰で白く塗られた門は迫力があった。どういう経緯で来たのか調べる価値はあるかも。

 目にご利益が・・・世界一の数珠が・・・お参りするだけでいろんなご利益がある感じで嬉しい。更に奥の本院?にも足を伸ばしてみた。

 三つ目は可睡斎へ・・・近くにヤマハのテストコースがあるようで、轟音が鳴り響いていた。

 萬松山可睡斎(かすいさい)・・・曹洞宗の寺院。山号は萬松山。江戸時代には「東海大僧録」として三河国・遠江国・駿河国・伊豆国の曹洞宗寺院を支配下に収め、関三刹と同等の権威を持った・・・と、ネットの記事にあった。

 可睡斎は、秋葉総本殿でもある。明治6年、秋葉山(あきはさん、静岡県浜松市)の神仏分離に伴い三尺坊大権現(さんしゃくぼうだいごんげん)が遷座され火防災除の寺ともなった。まあ、分かりやすく言えば、お寺は可睡斎で、お宮は秋葉山本宮秋葉神社ということ。

 次に向かったのが遠州の小京都・森町。田園地帯を走りぬけ、街中へ入る。小京都というにはちょっと寂しい感じもするが、祭りの山車を納めた蔵が立派であった。

 毎年の11月、14台の山車が練り歩く“けんか祭り”は有名だそうだ。伝統の 「舞児還し」(まいこがえし)は、まつりのハイライト!だとか・・・次回は、祭りの時にでも訪れてみたい。

 遠州の森といえば石松・・・あまりにも有名人?である。清水次郎長の子分として幕末期に活躍したとされる侠客。親分より依頼を受けて、讃岐の金刀比羅宮へ詣でた時の言葉「寿司食いねえ!」は誰でもが知っている。檻?に囲まれた墓標が哀れであった。

 ラストは、諸国一宮巡り・・・遠江国一宮「小國神社」を訪れた。まだまだ初詣の雰囲気が残る神社の門前は、多くの参拝客で賑わっていた、玉砂利の敷かれた参道脇には多くの屋台が連なっている。

 最後の鳥居をくぐると、桧皮葺の立派な社殿がでーんと現れる。やはり神社仏閣の建物には人を圧倒させる異様な雰囲気がある。素直な人も、そうでない人も、神の前では純真になるようだ。

 門前の土産屋を冷やかし、磐田駅への帰路を急いだ。途中、お茶畑の中を行く道路は、静岡らしい風景が360度広がっていた。

おまけ・・・
 磐田に住むカヌー仲間と再会し、駅前の炉端焼きで旧交を温めてから車中の人となった。

画像はこちら
http://album.pentax.jp/166909111/albums/63105/

輪旅 続・御陵巡り・・・!!

2009-01-15 22:21:59 | 自転車旅
《輪旅 続・御陵巡り・・・!!》

ここ数年、続けている御陵巡りに出かけた。平成天皇は125代、よって、天皇陵は124あるはずである。(南北朝の時代と歴代でない天皇もおられるが)

京都大原の北、小出石辺りよりスタートする。百井峠、花背峠と越えて京北町を目指す。京都の田舎らしい別所の風景は素敵であった。

花背にて左折をし、常照皇寺の山国御陵を目指す。

後花園天皇陵(第102代)
在位:(1429)~(1464)父:貞成親王(後崇光院)
御陵:後山国陵

光厳天皇陵(北朝1代)
在位:(1332)~(1333)父:後伏見天皇
御陵:山国陵

順徳天皇陵(第84代)
在位:(1210)~(1221)父:後鳥羽天皇 第3皇子
御陵:大原陵

後鳥羽天皇陵(第82代)
在位:(1184)~(1198) 父:高倉天皇 第4皇子
御陵:大原陵

弘文天皇陵(第39代)
在位:(671) ~ (672) 父:天智天皇
御陵:長等山前陵 

淳和天皇陵(第53代)


光仁天皇陵(第49代)

春日宮天皇陵

景行天皇陵(第12代)

舒明天皇陵(第34代)

崇峻天皇陵(第32代)

後醍醐天皇陵(第96代)

後村上天皇陵(第97代)

清寧天皇陵(第22代)

雄略天皇陵(第21代)

飯豊天皇陵

顕宗天皇陵(第23代)

孝霊天皇陵(第7代)

安康天皇陵(第20代)

称徳天皇陵(第48代)






続きは後日に・・・

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http://album.pentax.jp/166909111/albums/63106/


輪旅 近江・湖東の廃村を巡る!!

2009-01-14 11:05:26 | Weblog
《輪旅 近江・湖東の廃村を巡る!!》

 鈴鹿には一般登山道として使われていない道が無数に存在するが、これを知っている人はほとんど居ない。情報不足を言うより自分の山登りをしないからである。地形図を完全に読む訓練さえ積めば、道があろうが無かろうが、自分の行きたい所へ必ず行けるのである・・・「鈴鹿の山と谷」西尾寿一著 第3巻より

 東海よりも、近畿よりも、とても近くて秘境ムードの色濃い鈴鹿山系はとても興味深い。冒頭の文章にもある、西尾寿一氏の「鈴鹿の山と谷」には多くのロマンが記載されていて、思わず引き込まれてしまう。

 この鈴鹿山系の麓には、多くの廃村跡が残っている。大昔は、木地師や樵たちが活躍したエリアでもあるが、今では、多くの集落が離村し、廃墟と化しつある。

 今回、訪れたのは、武奈、妙幸、男鬼、霊仙、五僧、保月、杉の集落跡である。
それは昭和30年代、電気やプロパンガスの普及により、自然とともに生活していた山村集落が成り立たなくなり、先祖伝来の土地を離れて町へ出て行った歴史の証しでもある。

 中山道関ヶ原宿よりスタートする。旧街道を、今須宿、柏原宿、醒ヶ井宿、番場宿へと忠実になぞる。国道21号を走ることなく、安心して行けるのが嬉しい。伊吹もぐさで有名な柏原宿は、かなり町並みの保存や再建が進み、見応えがあった。

 番場宿の西の外れより滝谷林道に入る。行き成り、急登の坂が始まり、一気に汗を掻くこととなった。MTB、ランドナー、小径車・・・各自がまちまちの自転車で参加し、それぞれが苦労をしていたようだ。

 崖下に清竜の滝が見えてくると上りも終る。この滝の上には鎌刃城という戦国時代の城跡があるという。その先からカルスト地形が広がるとあるが、植林が進んでいて、判別がつかない。

 武奈町へ入る。畑の跡や、庭先にあったと思われる柿木は残っているが、家の跡は見えない。少し谷へ下った辺りにあるのだろうか。

 たまたま、彦根市内から返ってきていたかつての住人の方にお会いする。昭和20年代は、山仕事や薪、炭などで生計を立てれたが、電機やプロパンガスが普及するようになると、収入が激減したという。結果、子供の教育なども考えて町へ下りたという。

 妙幸・・・屋根らしきものが木々の間に見えていたが、あれが集落跡であろうか。同行の亀三郎氏は、ここに思い入れがあるようで、単独で下っていった。この辺りより鈴鹿山系最北の霊仙山(1084m)が大きく望めた。

 次に訪れたのが男鬼、おおりと読む。今もかつての住人が帰ってきて、手入れをさているようであるため、荒れた感じはない。今にも玄関から人が出てきそうな雰囲気であった。

 霊仙・・・ここは霊仙山の登山口でもあるらしく、車が何台も停まっていたが、ここの住人のではなさそうであった。雨戸がしっかりと閉じられ、蔵の土壁が崩れはじめているのが寂しかった。

 芹川より権現谷へ入り、上流へと遡る。石灰岩質の河原は伏流となって、干上がっていた。以前、訪れたときは、土石流の災害のために谷は土砂で埋まっていた。

 五僧へは、新しい林道が付いていた。舗装された林道を15分も上がれば峠に着く。かつてここに集落が・・・山間の峠の周りには耕作地になるような場所もない。峠を越える人も知れている。山仕事だけが収入であったのであろう。今も二軒の家屋が残っているが、あと数年で朽ち果て、元の自然に帰るのか。

 ハサハギ林道へ入り、保月(ほうずき)を目指す。尾根を大きく回りこみ、高度を上げてゆく。やがて谷の中に集落跡が現れた。10数軒はあるのであろうか、茅葺の屋根が朽ちて落ち、その残骸を見せている。ある一軒家から老婆が出てきたのには驚いた。

 町立脇ノ畑小学校跡の碑が集落の外れにあった。かつてここの運動場では、子供達が走り回っていたことであろう。お寺も、お宮さんも、今も残っている。

 次に、杉の集落へ向かう。途中、石灰岩の岩の上に大杉がそびえ、祠の祀られた場所に出会う。思わず手を合わせたくなる雰囲気があった。

 杉の集落も朽ち果てかけていた。ここにもかつての住人が山仕事のために帰ってきていた。多分、町の生活では、老人の出番が無いために居づらいのであろう。ここへ来れば、やることはいっぱいあるそうだ。元気な顔は生き生きとしていた。

 杉坂峠・・・この一帯は、多賀大社の神木林とある。神社の造営にはここから切り出した杉の大木が使われとあった。

 豪快なダウンヒルにて飛の木橋の袂に出会う。水谷、荘巌寺、中山と走り、中山道の摺針峠の東側に出る。更に、名神高速沿いに走って番場へ向かい、帰途に着いた。

 廃村跡を巡ったからといって、何かの収穫があるわけではない。ただ、日本にもこういう時代があったことと、そこで繰り返されていた生活に、現代の日本人が忘れてしまった何かがあったことは、事実であるということである。

アバウトなコースは・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=387f7dea641d6e624e50255dcd29f06b

画像は・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/57691/

輪旅 信楽から和束、宇治田原へ走る!!

2009-01-07 21:49:42 | Weblog
《輪旅 信楽から和束、宇治田原へ走る!!》

 気になる場所というものがある。暇に任せて地図を見ている時、草津~信楽~和束~宇治田原~石山のコースに目が留まった。どんなところだろうか・・・無性に行きたくなった。

 多分、何もないと思う。何処にでもあるような日本の田舎があるだけだろう。しかし、それがまた、たまらなくいいのであるが・・・

 JR草津駅を降り立つ。早速、自転車を組み上げ、駅前のアーケードを走り貫ける。信号待ちで並んだ電動自転車の主婦、青信号と同時のダッシュには驚いた。行き成り5メートル先を走っていたのには唖然とした。

 天井川のトンネルを潜ったところが追分・・・東海道と中山道の分岐点である。その先には当時のままの本陣が残っていた。

 県道2号に入り、国道1号線を横切る。橋の上より眺める近江冨士の三上山が格好良い。次に県道108号へ入る。

 平野にて県道16号へ左折をする。ようやく近江らしい家並みが現れてほっとする。その重厚な造りは歴史の重みを感じさせ、圧倒するものがある。モノトーンの瓦、真っ白な漆喰、年月を経た板塀・・・まさしくクールジャパンを感じさせる。

 大戸川に沿って遡る道は、風情はあるものの大型車の通行もあり、ちょっと緊張させられる。百メートルもの後方からクラクションを鳴らすダンプには閉口した。

 第二名神の斜張橋を左に見、大鳥居の交差点にて右折をする。田代川に沿った県道12号はとても静かで、ようやく自転車旅の気分が味わえた。路肩の湧き水が凍ってオブジェになっていた。

 神慈秀明教会の前を通り、三筋の滝で休憩を取る。なかなかの名瀑で、見応えがあった。ミホミュージアムは休館のため、次回の楽しみとする。

 畑口で右折し、更に林道越えにて中野を目指す。信楽高原というのか、その枯れた感じの農村風景は味わいがある。中野に出ると、タヌキの置物のオンパレード?となった。タヌキ様・・・愛嬌があって、心が和む。

 杉山口にて県道5号へ入る。木津信楽線といい、今回のコースではベストな風景が展開した。ちょっとした峠を越えれば、京都府相楽郡和束町へ入る。

 余談ではあるが、奈良時代、聖武天皇は都(首都)をころころと変えた。恭仁京、紫香楽宮、難波京、平城京へと・・・ということは、恭仁京から紫香楽宮へ移動の時は、このルートを通ったと思える。

 和束町はお茶の産地であった。小高い山の頂上まで耕作された茶畑は独特の文様を見せ、手入れの行き届いた緑は心を癒してくれる。これぞジャパニーズ・ビューティかも・・・

 町の中心部より、県道62号の宇治木屋線に入り、犬打峠へ向かう。が、しかし、なんと通行止めとのこと。いつもなら、押し担ぎでクリヤしてきたが、今回は、ゲートの前に屈強なガードマンが立ちはだかり、絶対阻止!?の雰囲気であった。彼曰く、木津へ出て山城へ回れば宇治田原へ出られるよと。クルマじゃないんだから、簡単に行けるか!!と言いたかった。

 時間的には余裕があったので、爆走して迂回をする。以前、訪れた恭仁京跡(山城国国分寺跡でもある)の前を過ぎ、上狛にて山背古道に沿った道を北上した。

 城陽市青谷橋にて国道307号へ入る。この道は最悪であった。結構な幹線道路で、交通量も多く、大型トレーラーが自転車の横をすり抜けるように追い越して行った。

 無事に宇治田原町の中心部、郷ノ口へ着く。ここは、神君家康公の伊賀越えの時に通ったというルートに当たる。何か説明版でもと探すが、見つからなかった。次回、ゆっくりと訪れ、裏白峠から多羅尾、御斎峠へと辿ってみたい。

 日本茶の発祥地といわれる郷ノ口は、とても静かでしっとりとした町並みが魅力的である。川沿いの製茶工場?が素敵であった。

 冬場の日帰りランは時間との勝負でもある。県道783号にて石山を目指す。猿丸神社の辺りで峠を越し、滋賀県へ入る。大石、関津峠、南郷、と走って瀬田川の河畔へ出た。

 ラスト、閉門となった石山寺の前で記念?撮影をし、JR石山駅より帰途に着いた。


 京都府といえども広い。北は丹後半島、南は奈良県との境となる木津市辺りである。今回は、宇治茶の本場となる和束町から宇治田原町を訪れることができ、一つの宿題が済んだようで満足であった。

コースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=e38d945e1b75d43478ba3342a293ac8b

画像
http://album.pentax.jp/166909111/albums/57210/