Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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輪旅 飛騨・丹生川から朝日を巡る!!

2008-08-17 22:30:35 | Weblog
《輪旅 飛騨・丹生川から朝日を巡る!!》

 美濃や飛騨のエリアは、都会のサイクリストにとっては意外と空白のようである。飛騨山脈(北アルプス)を挟んだ信州があまりにも有名なため、かえって美濃や飛騨のエリアは紹介させずに来たようである。

 無名な峠群やアルプス展望のコースも少なからずあるが、今回の駄吉青屋林道も隠れたルートの一つといえる。

 今回のスタート地点はJR高山線の渚駅、そこより輪行で上枝(ほづえ)へ向かう。上枝よりは自転車で旧の丹生川村を目指す。観光客でごった返す高山市内を避けたかったのが本音ではあるが。

 観光道路と化した国道158を避け、県道459「白井北方線」を走る。道の勾配は緩く、のどかな丹生川の田舎風景の中をノンビリと流してゆく。

 笠根橋のところで国道に合流し、しばらく走って駄吉より林道に入る。飛騨らしい威厳のある神明神社のところより「駄吉青屋林道」の上りが始まった。林道の建設は古く、昭和56年とあった。

 川沿いに上がって行く道は適度に日陰があり、年月を経ているため、新道特有の嫌らしさが無いのが嬉しい。沢を横切ってからはグイグイと高度を上げていった。

 稜線が近くなったころ、北の方角に笠ヶ岳らしい山裾が見えてきた。早春か晩秋であれば、冠雪した北アルプスの眺望が楽しめるポイントのようだ。

 峠を越え、少し下ったところが飛騨高山スキー場であった。この上には「国立乗鞍青年の家」があるそうだ。

 続いて「青屋林道」に入る。道の両側は夏草が茂り、道幅を狭くしている。あまりクルマの通行もないようで、かえって自転車旅の気分をわくわくさせてくれた。振り返ると乗鞍岳の一角が大きくそびえていた。

 牛首山(1408m)を巻き、その先の朝日町境よりは本格的なダートとなる。MTBの出番はこれからで、旧式のフルリジッド(要するにサスペンションのない古い代物)のMTBを乗りこなすのも楽しみである。腕の曲げでフロントのショックを吸収し、リアの凹凸は膝の屈伸でやりこなす。

 木立の間から御岳が大きく眺められた。雪が付いていれば更に迫力は増すことであろう。

 やがて道路工事の現場に遭遇する。いつものように低調に断りを入れ、工事の邪魔にならないよう速やかに通り過ぎる。道は更に荒れて、ハンドルを取られることが多くなる。

 何とか転倒をすることもなく里へ下り立つ。カクレハキャンプ場とあり、何組かのキャンパーがテントを張り、そこからバーべキューの匂いが流れてきた。

 青屋川沿いの舗装路を快走し、朝日町の中心部へと出た。飛騨は平成の合併により、高山市、飛騨市、下呂市と白川村になったため、旧の町村名が無くなったのがさびしい。

 道の駅の先で「飛騨東部広域農道」へ入る。入り口には「平成22年開通」の看板があり、通行止めとある。半分心配しながら、立派な道を上がっていった。上部に上がると乗鞍岳が遠くに見えた。

 峠を越えたところが有道、飛騨牛の肥育牧場があった。この南に位置する阿多粕(あたがす)と並んで辺鄙なところである。

 道が国道41号に出会う手前で砂利道となった。左手の崖は大きく崩れた跡があり、この工事が済まないと貫通しないようであった。

 ラスト、国道を走って渚駅へ戻る。今回のルートはとてもマイナーで、ここを走ろうというサイクリストは少ないと思う。しかし、早春か晩秋、北アルプスが冠雪した頃に訪れれば、最高の自転車旅が楽しめることであろう。

コースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=cd10ea932fb80a0038eba13de5926faf

画像
http://album.pentax.jp/166909111/albums/39504/

輪旅 荘川・尾上郷を訪ねる!!

2008-08-17 10:34:18 | Weblog
《輪旅 荘川・尾上郷を訪ねる!!》

 庄川の上流部、御母衣ダムへ注ぐ川の一つに尾上郷川がある。源流は白山の南に位置する別山辺りで、人の住まない秘境でもある。

 今から50年前、御母衣ダムの建設によって当時の荘川村の集落230戸が湖底に沈んだという。春になると話題になる荘川桜はその名残りで、今も村人が桜の時期に移住先の都会から戻ってくるという。

 尾上もその集落の一つで、新しく付け替えられた道の脇に地蔵様や記念碑が建っていた。現在の道から湖面を見下ろすと、その岸に当時の耕作地の石垣が遺跡のように残っていた。

 今回の輪旅のスタート地点は蛭ヶ野・・・夏は避暑地として、秋は紅葉狩り、冬はスキーが楽しめるとあるが、その歴史は戦後の昭和21年からの開拓に始まったという。当時の高鷲村誌によれば、北海道や満州へ開拓団として移住した人たちが、敗戦によって引き上げ、蛭ヶ野に72戸が入植したという。

 観光化した中心部や別荘地はともかく、高原に点在する牧草地や牛舎、高原野菜の畑には当時の入植者の苦労が垣間見える。

 湿原植物園に車を止め、そこより自転車を走らせる。キャンプ場を通り、別荘地を抜けると未舗装の林道が始まる。さすがは標高千メートル近い高原だけあって、8月というのに風はとてもさわやかであった。

 カーブの部分だけコンクリート舗装がされた砂利道の勾配はきつく、ブロックパターンの後ろタイヤがズルッと滑って難儀をする。

 幾つかのカーブをこなすと眼下に蛭ヶ野高原の全容が見えてきた。赤や青の屋根は別荘のようだ。山の斜面には幾つものスキー場のグリーンが縦模様となって散見できる。

 こんなところで子供たちの声が・・・峠近くになって、家族連れのハイカーに出合った。「子供は自然の中で遊ばせるのが一番!」と一人うなづいてみる。

 峠に出ると、その先で道は二手に分かれる。右手に行けば大黒谷へ下るようだ。我々は小シウド谷へ向かうため、左へルートを採った。いずれも強固なゲートが築かれ、「私有地に付き進入禁止」とあった。

 ここからが尾上郷を堪能する秘境コースである。生憎と別山や白山本峰は雲の中であったが、その広大な渓谷は緑が豊かで、どっぷりと自然を満喫することができる。谷の向こう側、別山(2399m)から東に派生する尾根の上のピークは日照(ひでり)岳(1751m)のようだ。この山はバックカントリーのスキーヤーが頻繁に訪れるそうだが、遭難事故も起きているという。

 ほぼ水平に自転車を走らせて行くと、眼下の谷間に草原状になったスキー場の跡が見えてくる。目を凝らしてみれば、斜面には赤錆びたリフトの支柱が何本か確認できる。赤い屋根のレストハウス?らしきものも・・・

 尾上平スキー場・・・大垣の栗山アルミという企業が経営していたが、1987年頃に閉鎖したという。この辺鄙な立地条件では、流石にスキーブームであったと言えども客は二の足を踏んだことであろう。

 道はレストハウスの横へ出た。放置された建物は壊れるに任せ、廃墟と化している。あまりの気色悪さに内部を覗く勇気はなかった。あるサイトによれば、二階の大食堂にはカレーが300円というメニューがあるとか。廃村跡の人家も同様であるが、かつて人が居た場所には異様なオーラがあって近づきがたい。

 道は更に続き、アップダウンを繰り返しながら上流部へと入ってゆく。杉の植林地、自然林、落葉松林へと樹木も変化してゆく。

 突然、道路上に伐採された杉の大木が幾つも散乱していた。作業の方に断りを入れて通り過ぎる。チェーンソウやユンボなど、近代的な道具を使っていても、山仕事は大変な世界のようであった。

 最奥となる小シウド谷の橋までたどり着く。橋の下の一枚岩の上で昼食とする。あまりの水の綺麗さに感動する。釣りを得意とするこま氏は魚影を探すのに余念がない。山の幸の採集が得意なyamaサ氏は、スズメバチの巣や舞茸が採れるというミズナラの木に目線がいっていた。

 ここよりは、尾上郷川の本流に沿って下りに入る。相変わらずのダート走行のため、ハンドリングやブレーキングには神経を遣う。ガレ、浮石、雨によって刻まれた溝・・・舗装路は、力任せにペダルを漕げばよいが、ダートのMTB走行は、刻々と変化する路面との対話である。ちょっと気を抜けば転倒間違いなしである。

 ダート走行に嫌気が差したころ、ようやく尾上郷の痕跡が現れた。道脇の木立の下に地蔵様があった。その前には、かつての住人が供えたのであろう、お酒が多数並べてあった。その横の記念碑の文字をこま氏が解読しようとしていた。

 国道156号へ出て現実に帰る。大型トラックやバスの走る国道は好きになれない。クルマにびくびくしながらの自転車旅はなるべくしたくないものである。50年前に出来たという御母衣ダムの湖水は雄大であったが、その建設で移転を余儀なくされた旧荘川村230戸の住民の想いがこもった荘川桜の下で、しばしの休憩を取った。

 牧戸まで戻り、二人と分かれる。彼らは、黒谷から寺河戸川沿いに遡り、山中峠から明宝、郡上八幡へと走るそうだ。

 私は、町屋川から荘川ビレッジの別荘地を抜け、高原道路?を経て上野高原へとルートを採った。なかなかディープなコースで、本来の蛭ヶ野らしい静かな風景が展開し、嬉しくなる。水場もあり、条件がよければ白山の展望も楽しめるようだ。

 行き成り大根畑に出会う。ここは高原野菜の産地でもある。畑の中のダートを慎重に下り、ログハウスの並ぶ別荘地を抜け、北海道をイメージさせる牧草地へと至る。

 この一帯の牧場は戦後の入植者の末裔であろうか。雄大な牧草地の中に赤いトタン葺き屋根の牛舎が点在していた。車庫に収められたフォードやジョン・ディアーのトラクターが雰囲気であった。

 スタート地点に戻り、帰路は郡上八幡で郡上おどりを楽しんでから帰宅した。徹夜踊りの初日で、大勢の観光客でごった返していた。

アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=6214782765ca3635ab31f32e3a224750

画像
http://album.pentax.jp/166909111/albums/39506/

輪旅その3 信州・戸隠の里へ!!

2008-08-05 21:45:05 | Weblog
《輪旅その3 信州・戸隠の里へ!!》

 戸隠といえば、戸隠神社の中社、奥社、宝光社。その背景となる戸隠山が頭に浮かぶ。険しく切り立った岩の壁を見るだけで、神が棲むのに相応しい場所であることは、誰でもが思うことであろう。

 今回、訪れたのは戸隠村の里のエリア。棚小学校の前よりスタートした。緩やかな斜面に耕された田んぼ風景の中を北上してゆく。

 ここへ来るような観光客はいない。在りのままの農家の風景、一車線幅の道路、何気ない火の見やぐらや道祖神がとても嬉しい。

 母袋辺りより、道は尾根を大きく回り込み、その上に宇和原という集落があった。道の角にある商店へ入り、冷たい飲み物を買う。その壁に貼り付けられた看板が興味を引いた。

 日本酒・・・「雲山」(雲山銘醸)、「美寿々錦」(尾澤酒造)、「松尾正宗」(高橋助作酒造店)といったホウロウ製の看板がかかっていた。チャンスがあれば、蔵元を訪れ、蔵主のこだわりを聞きながら試飲をしてみたいもである。キングウイスキーという赤い看板も気になった。

 下楠川へ一度下り、再度、上り返して上野へ出る。ここが中心地のようである。ここより県道76号(長野戸隠線)を下って国道406号へ向かう。

 影山、沢浦の辺りへ至ると、裾花川の対岸に昨日走った小川長野線が山の中腹に見えた。信州らしい風景にしばし見とれる。

 途中より斜面を一気に下る道へ入る。葛城落合神社で休憩を取る。六文銭の紋様の入った横幕が気になった。白馬の民宿でいただいた「おやき」をいただく。素朴な味に満足し、自転車旅の面白さを、同行のmiya氏と語り合った。

 国道に出会い、裾花川沿いの道を西進してスタート地点へと戻った。


輪旅その2 信州・中条村から小川村へ!!

2008-08-03 20:35:36 | Weblog
《輪旅その2 信州・中条村から小川村へ!!》

 信州に憧れるサイクリストは多いと思う。憧れの峠群、北アルプスの展望、秘境の秋山郷など・・・しかし、私の憧れていた景色は山の中腹に点在する民家の遠望・・・そんな景色に出会うことが今回出来た。

 長野市内のリーズナブルな宿「あすなろ」を発ち、国道406号にて鬼無里方面へと向かう。戸隠(とがくし)鬼無里(きなさ)と信州らしい地名が嬉しい。トンネルの手前より県道401号へ左折する。小川長野線、これが今回のメインディッシュとなった。

 行き成りの急登となる。ジグザクを切りながら高度を上げてゆく。先ほどまで居た長野市街が一気に眼下の景色となる。信州らしくないビル群が意外であった。

 やがて右手に戸隠の村々が裾花川の対岸に見えてくる。その辺鄙さは尋常ではない。あんな山の斜面に暮らす人たちの生活はどんなんかなと・・・思いをめぐらしてみる。

 主稜線を越え、犀川側の広い谷が見えてくると景色は一変する。その雄大な景色に声を失い、長年憧れていた信州の風景に出会えたことに感動を覚えた。

 小田切のところで右折し、少し下り気味に山田中へ向かう。谷を隔てた南方向には聖高原であろうか、雄大な信州らしい風景が広がっていた。眼下に望めるのは善光寺平であろう。

 カーブを曲がるたびにデジカメの出番となる。緩やかに犀川へ落ちてゆく尾根の上には、赤や青のトタンで葺かれた民家が絵の中の風景のように展開している。その周りには棚田や畑が続き、まるで民話の世界の挿絵のようであった。

 七二会という変わった地名のところで右折し、坂の上へ上がる。更に県道401号は続き、自転車旅に飽きることはない。

 突然、太鼓(ドラム?)の音が谷間に響いてきた。祭りであろうか・・・その、ドッドッドッという地響きのような音響は不思議な感じでもあった。

 長野市から中条村へ入り、日下野の学校跡へ来ると「音楽堂」とあった。音の発信地はここであった。一寸、寄ってみようかと思ったが、先を急ぐため、その場を後にした。

 やがて正面に虫倉山(1378m)が見えてきた。信州百名山であり、民話の宝庫でもあるという。その屹立した雄姿は、一度見れば忘れないであろう。その山裾にある「やきもち家」は茅葺の民家を移築したもののようで、温泉もあり、宿泊もできるという。

 更に県道401号は続き、相変わらずその景色はサイクリストを飽きさせない。御里山の太田辺りも素晴らしい風景であった。

 やがて小川村へ入る。先祖伝来の棚田は放棄され、ススキに覆われた耕作地は寂しいものを感じる。時代の流れであろうか。やがて日本の田舎風景は、皆このようになってしまうのであろう。田舎で農業をやってみたいという都会人が多いと聞くが、なんとかならないものであろうか。

 日本記という凄い地名のところへ出た。県道36号を横切り、更に先へ向かう。葉たばこの畑の横を通り、地滑り地帯の下を通過する。瀬戸川へ出会い、落合まで下る。

 オリンピック道路と呼ばれる長野大町線へ入る。交通量も多く、面白くもなんともない道なのでリポートは省きたい。恐怖の美麻トンネルを抜けて白馬へと出た。

 その後、国道を走って小谷村中土まで車の回収に向かう。今日の宿は、白馬村の民宿「金子」、リゾートというイメージの白馬には似合わないとてもアットホームな民宿であった。

 
 今日は所属するクラブの合宿、11名のメンバーが白馬に集まり、なぜか夜の部は、キーボード、ギター、女性ボーカルによるジャズセッションとなった。