Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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廃線の旅 紀州・有田鉄道へ!!

2010-07-31 13:43:58 | 旅行
《廃線の旅 紀州・有田鉄道へ!!》

 有田鉄道は、沿線で穫れた木材や蜜柑(有田みかん)などの農産品を、積出港である湯浅
港まで運搬する目的で、1913年2月に設立された。しかし、時代の流れで2003年に廃線となった。

フォトアルバムはこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/447848/

 先ずはJR紀勢本線藤並駅へ・・・観光案内の女性に状況を尋ねてみるが、廃線跡のことは知らないという。駅舎は跡形も無く、新たに歩道(サイクリングロード?)としてカラー舗装がされていた。

 田殿口駅を目指す・・・踏切があったと思われる場所を過ぎると赤い橋梁が草むらの中に残っていた。リベットの跡が懐かしい。大昔、鉄骨の建物を組み上げる時、赤く熱したリベットを建物の上にいる作業員へ放り投げ、上で受け取ってからリベットを両側から叩いて固定する。そんな風景を昭和40年頃はどこでも見ることができた。

 郊外に出るとミカン畑が広がった。いうまでも無く、有田ミカンの産地だ。有田川の対岸の山も七割がミカン畑となり、壮観であった。

 田殿口駅・・・緩くカーブした先にプラットホームが残っていた。ここよりは真っ直ぐに金谷町へ線路が延びていたようだ。

 小さな川を越える・・・当然、橋の下を覗き込んで見る。やはり昔の橋梁がその下にあった。石で組まれた橋脚も味わいがある。この橋をゴーという音とともに鉄道が走っていたかと思うとなぜか嬉しくなる。


(橋梁)

 下津野駅・・・何とプラットホームが新築に・・・意味があるのだろうか。歴史とか思い出とか、何を見て懐かしく思うものがあるのだろうか。

 御霊駅・・・駅舎らしきものが残っていたが、これも今一、壁に直接書かれた駅名だけが本物だろうか。


(始発?終着?金屋口駅)

 動輪の残されたミニ公園?を過ぎると終着の金屋口駅・・・現在は鉄道公園となり、ジーゼルの気動車が動態保存されているらしい。車両のことは詳しくないが、何両かが保存されていた。そのうちの一つ、レールバスは、私の田舎の樽見鉄道より御輿入れしたという。


(金屋口駅構内)

 金屋町の玄関口、有田鉄道の本社のある金屋口駅はとても風情があった。今にも女子高校生が自転車で駆けつけ、改札口からホームを走って出発しようとしているジーゼルに乗り込む・・・そんなシーンが思い浮かんだ。

 現実・・・かつて賑わいのあった駅前は寂れ、地元のスーパーもシャターを閉めていた。酒屋さん、雑貨屋さん、床屋さん・・・いろんな店が繁盛し、多くの人たちが行きかったのであろう。

 ローカル私鉄の廃線・・・そんなのは全国に五万?とある。廃線になってから訪れても意味が無いかも・・・しかし、何か大切なものをどんどん捨てているようで「何か違うんじゃないのか」とも感じてしまう。

 ノスタルジー・・・そんな言葉も死語となり、消え去っていくのが寂しくもある。

山旅 奥越・赤兎山へ!!

2010-07-21 22:12:38 | 登山
《山旅 奥越・赤兎山へ!!》

 越前と加賀の境にある山、赤兎山(1629m)へ行ってきました。
フォトアルバムは・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/443288/

 ここの魅力は、高層湿原と白山の大展望。
赤池の周辺にはササユリやニッコウキスゲが・・・
白山、別山、三ノ峰から願教寺山、野伏山の連山。
大長山から大日山、経ヶ岳から荒島岳・・・展望は360度・・・欲しいままでした。

 登山道沿いのブナ林・・・福井の山に癒された一日でした。

 福井北インターを降り、勝山から小原へ・・・帰りに気が付くのだが、敦賀経由と白鳥経由では30キロもの違いがあった。次回よりは、九頭竜経由でと思う。

 小原・・・ここは平家の落人集落だとか、家屋の造りに特徴があった。更に奥へ進むとゲートが・・・通行協力金として一人300円を徴収・・・実質の入山料であろうか。全国的に広がりつつあるようだ。

 駐車場には50台あまりが・・・人気の山のようである。仕度をし、登山道を登り始める。ブナの幼木が茂るコースは、適度に日陰もあって歩きやすい。中腹よりは背後に大長山が大きく望めるようになる。実に格好良い山だ。

 小原峠へ至り、右にルートを採って赤兎山を目指す。結構な急坂で、枝につかまりながら高度を上げる。樹間越しに白山の雄姿が・・・幾筋もの雪渓が標高の高さを物語っていた。ここは白山の絶好の展望台のようで、三ノ峰から別山、白山本峰から釈迦ヶ岳までが丸見えであった。


(赤兎山・頂上付近の笹原)

 頂上台地へと上がると、周り一面が笹原であった。ササユリの花が登山道沿いに咲き、心をなごましてくれた。頂上で写真を撮り、さらに先にある避難小屋を目指す。ニッコウキスゲが咲いているという・・・

 小屋の手前には福井県唯一の高層湿原、赤池があった。気が遠くなるような年月を経て造られた湿原は貴重・・・水面に写る青空が美しい・・・ニッコウキキスゲもちらほらと。


(白山の展望をバックに!)

 避難小屋の更に先が絶好の展望台であった。手前の大きな谷を隔て、別山を始とした白山の連山が一望のもとであった。豪勢なランチをたらふくいただいた。

 三ノ峰から銚子ヶ峰、願経寺山からよも太郎、薙刀山、野伏ヶ岳。鷲走ヶ岳から荒島岳も手に取るように・・・真南に見える三角錐の山は屏風山であろうか。


(高層湿原の赤池)

 一番近い山は経ヶ岳・・・火山性の山でスタイルは抜群、また登ってみたい山である。遠くに見える大日山も魅力的だ。

 この山には奥越の秘湯「鳩ヶ湯」からも登山道がある。刈込池の紅葉が素敵な頃に再訪をしたい。

フォトアルバムは・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/443288/

廃線の旅 尾小屋鉄道をたどる!!

2010-07-12 22:18:45 | 旅行
《廃線の旅 尾小屋鉄道をたどる!!》

 北陸地方、唯一の762mm軌道(ナローゲージ)の軽便鉄道として人気を集めていた、石川県小松市の尾小屋鉄道。尾小屋鉱山の鉱山鉄道として開業し、華やかな時代もあったものの、モータリゼーションの波に勝つ事はできず、昭和52年3月19日の営業を最後に、ついにその歴史に幕を閉じた。・・・尾小屋鉄道ホームページより
http://www.geocities.co.jp/Hollywood/5419/

 33年前、小松駅の前より小さな鉄道が白山の麓に向かって走っていた。軽便鉄道・・・それはまるでトロッコのような客車で、のんびりとトコトコと走っていたという。尾小屋鉄道・・・尾小屋鉱山で採掘された銅鉱石を運ぶために敷かれた鉄道で、今は写真でしか知ることができない。

 「新小松駅」駅前にて八百屋のオバちゃんに昔の話しを伺う。地元で勤めていた運転士の方ももういないとか。500mほど南下してから大きく左にカーブし、田園地帯(当時?)を真っ直ぐに東方向へと向かう。

 「西吉竹」「吉竹」の駅付近よりサイクリングロードとなり、徐々に勾配を上げてゆく。「遊園地前」の駅があったと思われる一帯は公園となっていた。ちょっとした峠を越えて「花坂」へ下り立つ。道路の上には当時の軌道跡が明瞭に残っていた。


(大杉谷口橋梁)
 
 道路沿いに「西大野」「大杉谷口」へと進む。この先で軌道跡は左にカーブし、大杉谷口橋梁を渡っていた。さび付いた橋梁の上には朽ち果てた枕木が今も残り、廃線から33年という月日の流れを感じさせてくれる。通りがかった中学生に鉄道のことを聞くと、そんなのが走っていたのは知らないという。当たり前か・・・

 「金野町」当時のままのプラットホームが自然に帰ろうとしていた。前後の軌道跡も残り、しばらく自転車で辿ってみた。

 「金平」「沢」「塩原」「観音下」と田んぼの中に残る軌道跡を探ってみる。いよいよ山間地へ・・・行き止まりが多くなり、国道から迂回して探してみるが藪となっているところが多くなる。


(素掘りの金谷隧道)
 
 夏草が茂る道を強引に入ってみると、忽然と素掘りの隧道が現れた。入り口は石で組まれ、当時の電線の碍子がぶら下がっていた。今にも向うから蒸気機関車が走ってきそうな気が・・・

 「倉谷口」「長原」・・・隧道や橋梁が残っているはずであるが、川の対岸にあり、聞く人もいないために確認ができなかった。

 終点「尾小屋」かつての銅鉱山の跡であり、当時の面影は薄い。尾小屋鉱山資料館があり、かつての坑道跡・マインロードを見学することができる。手前の広場には蒸気機関車と客車が展示されていて、当時の面影を偲ぶことができる。しかし・・・やはり鉄道は走っていてこそ生きていると感じるのだが・・・


(展示の写真より)

 地方には、まだまだ多くのローカル私鉄が残っている。車社会の波に飲まれ、廃線の運命を辿るところも多くあるが、なんとか残ってもらいたいものである。化石燃料の枯渇、排気ガスによる環境汚染・・・何年か先、また鉄道が見直される時がやってくる・・・その時まで頑張ってもらいたい。

フォトアルバムはこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/444669/


歴史旅 越中・能登・加賀をゆく!!

2010-07-07 09:46:11 | 旅行
《歴史旅 越中・能登・加賀をゆく!!》

 国国宮(くにくにみや)巡り!・・・私の勝手な造語ではあるが、奈良時代頃に制定された国府、国分寺、一ノ宮を訪ねるのがロマンに満ちて面白い。

 国府・・・現代の県庁に当たり、当時は六十幾つかの国があった。今となっては場所の特定もされていない国が多いが・・・今回の旅でいえば、越中国は、高岡市伏木に古府という字名があり、能登国は七尾市内に古府町という場所があった。加賀国は、小松市に古府町があり、国府小学校、国府中学校があったのみ。

 国分寺・・・越中国は、高岡市伏木に国分(こくぶ)という字名がある。能登国は、七尾市郊外にて発掘がされ、南門や礎石が再現されていた。加賀国は不明のようである。

 一ノ宮・・・越中国は、高瀬神社と気多神社の二つがある。能登国は、羽咋市の気多神社。加賀国は、旧鶴来町の白山比(しらやまひめ)神社。

 五箇山トンネルを抜けて城端へ入る。途中の展望台から見る砺波平野の散居村の風景は見飽きない。富山へ来た感じがした。

 城端・・・言葉の響きが好き!・・・前々から行ってみたかった場所。それは期待以上であった。先ずは城端駅へ・・・木造の駅舎は昭和30年代のまま、今も残っているのが不思議なくらいであった。街並みの情報を仕入れ、坂の町を散策した。

 ここは絹糸の生産が今も盛んなようで、板壁の工場から機会の音が聞こえてきた。川沿いの景色も素敵であった。5月には、六台の曳山が・・・9月には「むぎや祭」が開催されるという。


(城端の撚糸?工場)

 越中国一ノ宮・高瀬神社を訪れる。一度衰退した社殿は、地元の篤志家の手で再建されたという。旧の加越能鉄道の線路跡に沿って石動へ向かう。


(砺波平野の散居村)

 埴生口の資料館により、倶利伽羅峠へと向かう。旧北国街道であり、源平合戦の舞台でもある。木曽義仲が仕掛けた火牛の計は有名・・・その場に立って谷の深さを知り、なるほどと思う。


(源平合戦・倶利伽羅峠)

 国道471号にて羽咋市へ向かう。能登ののどかな田舎風景を堪能しながら走る。この時期の水田の緑は見ているだけでも飽きない。


(気多神社)

 能登国一ノ宮・気多神社・・・3ヘクタールもの広さの杜は「入らずの森」と呼ばれ、樹齢百年以上のたぶの木が密生しているという。


(能登国・国分寺)


 七尾市へ向かう。能登国・国分寺・・・真ん中を丸くくり抜いた五重塔の基壇が田んぼの中に残り、それを切っ掛けに発掘がされ、国分寺の全体像が蘇ったという。

その近くに能登国府もあったという。古府町へも寄ってみたら能登国惣社があった。

 津幡方面へ戻る。金沢の町は大き過ぎて通過・・・旧鶴来町へ。


(白山比神社)

 加賀国一ノ宮・白山比(しらやまひめ)神社・・・


フォトアルバムは・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/437988/

動画は・・・
http://zoome.jp/nosanjin/diary/83/