Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

東海道・桑名宿から草津宿へ!その1

2006-06-28 22:05:25 | Weblog
≪東海道・桑名宿から草津宿へ!その1≫

 歴史街道を自転車で走るは興味深い。そこには今でも数百年前の街道の雰囲気が色濃く残っていて、当時の旅人の気分がリアルに味わえる。

 今回は伊勢国桑名宿より近江国草津宿間を走ってみた。現代の国道1号線に沿ったルートながら、時代から忘れ去られたようにひっそりと旧街道は残っていた。

『桑名宿』
 尾張国宮宿(熱田)から七里の渡しを船で来た旅人は桑名城の北に位置する湊へと辿り着く。そこには立派な伊勢神宮一の鳥居が出迎え、今でも大塚本陣跡には船津屋が料亭を営んでいる。石畳風に化粧された道路を南へ進む。やがて九華公園となっている桑名城跡の石垣が左手に現れ、道は何度も右に左にと折れ曲がる。

 天武天皇社。それは壬申の乱のとき、吉野から不破へ向かった大海人皇子が桑名で泊まったという史実から明治天皇が造ったそうである。

 中川梵鐘店を過ぎ、火の見櫓のところで左折して南進する。町屋橋、朝明橋、富田一里塚跡と走り、海蔵橋を渡って四日市宿へと入っていった。

『四日市宿』
 なが餅の笹井屋を過ぎ、手差の道標を右に折れると諏訪前のアーケードへと入って行く。商店街は今も活気があり、懐かしい感じさえする。時間があればお店をひやかして買い物でもしたいところだ。

 丹羽文雄生家跡を過ぎ、連格子の残る民家を左右に見ながらノンビリとペダルを漕ぐ。旧道が1号線に出会ったところが日永の追分、大きな道標の横に建つのは伊勢神宮二の鳥居で、20年毎に行われる遷宮の時、桑名の一の鳥居同様にここも建替えられるそうだ。

 参宮街道を左に見送り、東海道は右手に進む。内部川を渡って釆女町へ入り、集落の中を突き当たると杖衝坂へと出る。ここは日本武尊が伊吹山の戦いで傷つき、大和へ帰る途中、この坂が辛くて思わず剣を杖にして越えたという場所である。
「吾が足三重の勾(まがり)の如くして甚(いと)疲れたり」
これが三重の県名の由来になったそうである。
 またここは芭蕉が旅の途中に落馬したという場所でもある。

『石薬師宿』
 国道1号に沿ってしばらく走り、左手の旧道へ折れると石薬師宿に入って行く。ところどころに古い家が残っており、わき見をしながら自転車を走らせる。小沢本陣跡を過ぎ、宿の南外れに石薬師寺があった。それほど大きくはないお堂がかえって雰囲気である。紫陽花が満開の庭で暫しの休憩を楽しんだ。

 石薬師宿の近くには伊勢国府跡がある。また国分寺跡もあり、次回はその辺りをゆっくりと訪ねてみたい。日本武尊ゆかりの加佐登神社や伊勢一の宮となる椿大神社も必見である。

伊勢神峠から大多賀峠へ!

2006-06-27 21:31:22 | Weblog
≪伊勢神峠から大多賀峠へ!≫

 自転車乗りにとっては梅雨時から真夏はあまり嬉しい時期ではない。雨具を着けてのツーリングは快適ではないし、また、炎天下では熱中症が怖い。

 集合は瑞浪市大川にある陶器製の狛犬の前、その大きさは焼き物としては世界一だそうだ。今日のメンバーは10人ほど、それぞれが好きな自転車で集まった。先ずは国道419号で愛知県境を目指して上りに入る。

 小原トンネルの手前で左折し、県道20号を走る。ここはかつて岐阜県一周で走ったコースであり、当時の記憶が思い出される。少し砂の乗った滑りやすい路面を快適に下って行く。久し振りのメンバーもいて会話に花が咲く。

 途中より愛知県旭町(現豊田市?)へ入る。矢作川を渡って時瀬で自走のメンバーと合流する。そこより矢作ダム、奥矢作湖と上流に向かって走る。バイクの連中が多少五月蝿いのを除けばとれも静かで良いところである。

 旭大橋より黒谷に入り、坪崎を目指す。クルマはほとんど通らず、自転車専用道といったところか。ぐんぐん高度を稼いで上がっていった。

 汗をしっかり掻いたころに無名の峠に着いた。稲武町西小田木の集落であろうか、眼下にのどかな田舎風景が望まれた。少し下ったところで伊勢神峠とトンネルの分岐点へと出た。押しで峠を越えるグループとトンネルを抜けるグループに分かれる。

 石造りのトンネルは明治のもので、長さは300m余り。照明はなく、真っ暗な中を押して歩く。ここは愛知でも有名な霊感スポットだそうで、数々の逸話があると聞く。前を歩くメンバーのテールランプを頼りに足早に抜けた。

 次に訪れたのが大多賀峠、途中には放棄された簡保の施設があった。勿体無いの一言。ここで更に緑区から自走のメンバーと合流した。最近ネットで入手したというK社のスポルティフが素敵であった。

 井戸沢で工事による通行止めに出くわす。担いであぜ道を行くので通って良いかと確認すると駄目だという。稲武は厳しいところであるようだ。

 タイムオーバーのため、段戸牧場は諦め、小田木に向かってランチとする。峠のレストランでカツドン定食とビー○で旅の安全?を祈る。

 その後は小田木川に沿って下り、帰り道を急ぐ。最後の30分ほどは雨に降られたが、まずまずの日帰りツーリングに満足して車中の人となった。


三重・錫杖ヶ岳に登る!

2006-06-14 11:13:57 | Weblog
≪三重・錫杖ヶ岳に登る!≫

 今年の5月は自転車プランが集中し、柄にもなく10峠120kmランなどというハードなプランまでこなしてしまった。長年のアウトドア遊びでも身体の故障はしたことが無かったが、最近右膝の痛みが少し気になる。

 身体は全身の筋肉をバランス良く使ったほうが良いだろうと、今回は久々の低山ハイクに出かけた。メンバーは、最近カヌーで知り合った瑞穂市のHさんと、いつも大阪からバイクで駆け付けてくれるM君の三人。

 今回の山は三重県亀山市の近くにそびえる錫杖ヶ岳、標高は676mと低いが、いつも名阪国道を走っていると気になる山である。山名のとおり先の尖った鋭鋒である。

 登り口は安濃ダムの錫杖湖、下ノ垣内東登山口より入る。天候は梅雨時でもあり、山全体が雲に覆われて視界はきかなかったが、雨に降られることはなくて運が良かった。林道をしばらく詰め、やがて植林帯の下を行くことになる。沢からは河鹿蛙の美しい鳴き声が・・・木々からはホトトギスの独特の鳴き声が・・・自然がとても豊富なところで心が安らぐ。

 メンバーとの会話が弾み、ほどなく稜線に出る。上から降りてきたご夫婦から「頂上はガスで何も見えませんよ!」と情報をいただく。稜線に入ってからも急坂は続き、錫杖の名に恥じない鋭鋒であることを実感させられる。

 休憩用の東屋に着けば頂上は近い。そこより5分ほどで岩がむき出しになったピークに着いた。生憎の天気で展望は楽しめなかったものの、十分に眺望の良さを感じさせる雰囲気があった。

 立派な東屋でランチタイムとする(回りの道路用ガードロープは景観を台無しにしていると思うのだが!)美濃の名産という触れ込みの味付け鶏肉「ケーちゃん」を焼いて美味しいビールをいただく。Hさん手作りの牛肉巻きお握りもご馳走になった。

 下山は下ノ垣内西登山口を選ぶ。こちらのほうが山の雰囲気は良さそうであった。ほどなくお寺の横へ降り立った。正味4時間ほどのプチ登山に満足して帰途に付いた。

東海道・見付宿から由比宿を走る!その3

2006-06-08 22:21:49 | Weblog
≪東海道・見付宿から由比宿を走る!その3≫

 府中宿の名の通り、かつてはここに駿河国の国府があったために付いた地名である。かの大御所、家康公が隠居所とした駿府城はここから来ている。町外れに出ると久能街道への碑跡があった。参勤交代で府中宿を通った大名が徳川家への忠義のために久能山東照宮へ参拝したであろうことは間違いがない。

 JR東海道線が東海道を分断していた。現代の大動脈が旧道をズタズタにしているのは仕方ないことか。申し訳に東海道記念碑というのが建っていた。

 更に裏道となって静かな東海道を進む。江尻宿(現清水市)に入る手前で清水追分と言う地名があった。ここより右折して清水湊へ至る分岐点であるという。角には今も追分羊羹の老舗が盛業していて、土産に一つ買ってみた。サービスに一口羊羹とお茶が出てきたのが嬉しかった。

 何度か道を折れて江尻宿の中心地を抜ける。角の小間物屋のお姉さんに道を尋ねると親切に方角を教えてくれた。松並木跡の碑を見ながら興津宿へと向かう。この辺りは国道1号線を行くため、快適さはない。右手には駿河湾が逆光を反射して眩しい。天気が良ければ正面に富士山が望めるはずであるが、今日は生憎の曇り模様で見えなかった。

 興津川を渡って左折し、少し上流より薩捶峠への道に入る。小さな集落を抜け、坂をうねうねと上って行くとお墓に出た。そこより階段状の遊歩道を担ぎで上がり、海が間下に見えるところより少し上で峠に辿り着いた。今ではミカン畑になっている斜面はかなり急峻で、そこに付けられた東海道はかなりの難所と思われた。

 昼食代わりのアンパンをかじりながら駿河湾の絶景に見とれる。眼下にはJR東海道線、新幹線、東名高速、国道1号線と現代の大動脈が山際と海岸の間に集中しているのが興味深い。

 山の斜面へ水平に付けられた細い道を自転車で走る。ミカンの他にもビワの木も見られた。やがて一気に下りに入り、由比宿へと入っていった。山と海岸に挟まれた狭い街道沿いに建てられた家々には、今も懐かしい感じの風情が残っていた。今はサクラエビのシーズンらしく、お祭りをやっているようであった。

 自転車で旧街道を走るのは面白い。微妙な道路の起伏や曲り具合(視覚)手や足に感じる石畳や地道の感触(触覚)木や花の臭い(嗅覚)鳥の鳴き声(聴覚)今も盛業している美味し処(味覚)など五感で体感できる楽しみはクルマやバイクで走っても味わえないであろう。本陣、旅籠、高札場、一里塚・・・それが当時の物でなくても、その雰囲気に出会えるだけで値打ちがある。江戸時代の旅人の気分が味わえる自転車旅には当分はまりそうである。

東海道・見付宿から由比宿を走る!その2

2006-06-08 19:30:56 | Weblog
≪東海道・見付宿から由比宿を走る!その2≫

 大井川橋を渡って島田宿に入る。「越すに越されぬ大井川」と謡われ、軍事的な要因で橋は架けられなかったという。今でも川越遺跡として川会所、札場、宿などが残されていた。とても雰囲気があり、是非ともゆっくりしたいところだ。
 
 東海道ではないが、島田には蓬莱橋というのが大井川に架かっている。全長が900メートル弱で、ギネスにも認定されている木造の橋である。以前よりこの上を自転車で走りたいという念願がようやくかなった。

 国道1号線を走ったり、旧道を走ったりして藤枝宿を抜ける。藤枝では見るべきものは何もなかった。東海道を示す標識も見当たらず、あまり歴史に熱心ではないところのようだった。サッカーは有名だが・・・

 両側の山が迫ってきて、谷の中を行くようになると岡部宿であった。役場のところより右折し、カラー舗装のされた旧道を走る。雰囲気はまあまあで、当時の家並の風情も残り、本陣跡や今も残る旅篭の柏屋が印象的であった。屋内に置かれた人形にはドキッとさせられたが・・・

 廻沢口の交差点で国道1号線を渡り、旧道に入る。坂下地蔵堂の近くの民家で道を尋ね、急坂の道を押しで上がって行く。いよいよ宇津ノ谷(うつのや)の峠越えに入る。薄暗い樹林の下を黙々と歩くと、当時の旅人の苦労が分かるような気になる。最後は登山道のような急坂をよじ登って切り通し状の峠に着くことができた。とても当時のメインストリートとは思えない難所で、馬や荷車で荷物を運んだとは想像できない。駕籠に乗って通ったであろう殿さんでも我慢しきれずに怒り出したのではと・・

 なんとか自転車に乗って峠を下りたところより宇津ノ谷の集落が見下ろせた。谷の中に寄り添うように並ぶ建物は当時のままであろう。何百年という歴史を感じる風景であった。石畳風に舗装された道に自転車を走らせていると、軒先でお喋りをしていた老婆より話しかけられた。

 国道と平行している旧道を走り、橋を渡って萱葺きの家に突き当たる。ここがとろろ汁で有名な丸子(古くは鞠子)宿の丁子屋である。迷わず自転車を停め、お店に入る。黒光りのする梁、当時の旅人の携行品などが展示されていて、それだけでも価値がある建物だ。すり下ろした自然薯を麦飯にかけた“とろろ汁定食”を頂いた。

 夕方の6時も過ぎると薄暗くなり始める。旧道の坂を府中宿(静岡市)に向かって下りて行く。夕方のラッシュアワーのせいか、車が多くて神経を使う。安倍川に架かる橋を渡って府中宿の中心街に入っていった。