Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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輪旅 近江・湖東の廃村を巡る!!

2009-01-14 11:05:26 | Weblog
《輪旅 近江・湖東の廃村を巡る!!》

 鈴鹿には一般登山道として使われていない道が無数に存在するが、これを知っている人はほとんど居ない。情報不足を言うより自分の山登りをしないからである。地形図を完全に読む訓練さえ積めば、道があろうが無かろうが、自分の行きたい所へ必ず行けるのである・・・「鈴鹿の山と谷」西尾寿一著 第3巻より

 東海よりも、近畿よりも、とても近くて秘境ムードの色濃い鈴鹿山系はとても興味深い。冒頭の文章にもある、西尾寿一氏の「鈴鹿の山と谷」には多くのロマンが記載されていて、思わず引き込まれてしまう。

 この鈴鹿山系の麓には、多くの廃村跡が残っている。大昔は、木地師や樵たちが活躍したエリアでもあるが、今では、多くの集落が離村し、廃墟と化しつある。

 今回、訪れたのは、武奈、妙幸、男鬼、霊仙、五僧、保月、杉の集落跡である。
それは昭和30年代、電気やプロパンガスの普及により、自然とともに生活していた山村集落が成り立たなくなり、先祖伝来の土地を離れて町へ出て行った歴史の証しでもある。

 中山道関ヶ原宿よりスタートする。旧街道を、今須宿、柏原宿、醒ヶ井宿、番場宿へと忠実になぞる。国道21号を走ることなく、安心して行けるのが嬉しい。伊吹もぐさで有名な柏原宿は、かなり町並みの保存や再建が進み、見応えがあった。

 番場宿の西の外れより滝谷林道に入る。行き成り、急登の坂が始まり、一気に汗を掻くこととなった。MTB、ランドナー、小径車・・・各自がまちまちの自転車で参加し、それぞれが苦労をしていたようだ。

 崖下に清竜の滝が見えてくると上りも終る。この滝の上には鎌刃城という戦国時代の城跡があるという。その先からカルスト地形が広がるとあるが、植林が進んでいて、判別がつかない。

 武奈町へ入る。畑の跡や、庭先にあったと思われる柿木は残っているが、家の跡は見えない。少し谷へ下った辺りにあるのだろうか。

 たまたま、彦根市内から返ってきていたかつての住人の方にお会いする。昭和20年代は、山仕事や薪、炭などで生計を立てれたが、電機やプロパンガスが普及するようになると、収入が激減したという。結果、子供の教育なども考えて町へ下りたという。

 妙幸・・・屋根らしきものが木々の間に見えていたが、あれが集落跡であろうか。同行の亀三郎氏は、ここに思い入れがあるようで、単独で下っていった。この辺りより鈴鹿山系最北の霊仙山(1084m)が大きく望めた。

 次に訪れたのが男鬼、おおりと読む。今もかつての住人が帰ってきて、手入れをさているようであるため、荒れた感じはない。今にも玄関から人が出てきそうな雰囲気であった。

 霊仙・・・ここは霊仙山の登山口でもあるらしく、車が何台も停まっていたが、ここの住人のではなさそうであった。雨戸がしっかりと閉じられ、蔵の土壁が崩れはじめているのが寂しかった。

 芹川より権現谷へ入り、上流へと遡る。石灰岩質の河原は伏流となって、干上がっていた。以前、訪れたときは、土石流の災害のために谷は土砂で埋まっていた。

 五僧へは、新しい林道が付いていた。舗装された林道を15分も上がれば峠に着く。かつてここに集落が・・・山間の峠の周りには耕作地になるような場所もない。峠を越える人も知れている。山仕事だけが収入であったのであろう。今も二軒の家屋が残っているが、あと数年で朽ち果て、元の自然に帰るのか。

 ハサハギ林道へ入り、保月(ほうずき)を目指す。尾根を大きく回りこみ、高度を上げてゆく。やがて谷の中に集落跡が現れた。10数軒はあるのであろうか、茅葺の屋根が朽ちて落ち、その残骸を見せている。ある一軒家から老婆が出てきたのには驚いた。

 町立脇ノ畑小学校跡の碑が集落の外れにあった。かつてここの運動場では、子供達が走り回っていたことであろう。お寺も、お宮さんも、今も残っている。

 次に、杉の集落へ向かう。途中、石灰岩の岩の上に大杉がそびえ、祠の祀られた場所に出会う。思わず手を合わせたくなる雰囲気があった。

 杉の集落も朽ち果てかけていた。ここにもかつての住人が山仕事のために帰ってきていた。多分、町の生活では、老人の出番が無いために居づらいのであろう。ここへ来れば、やることはいっぱいあるそうだ。元気な顔は生き生きとしていた。

 杉坂峠・・・この一帯は、多賀大社の神木林とある。神社の造営にはここから切り出した杉の大木が使われとあった。

 豪快なダウンヒルにて飛の木橋の袂に出会う。水谷、荘巌寺、中山と走り、中山道の摺針峠の東側に出る。更に、名神高速沿いに走って番場へ向かい、帰途に着いた。

 廃村跡を巡ったからといって、何かの収穫があるわけではない。ただ、日本にもこういう時代があったことと、そこで繰り返されていた生活に、現代の日本人が忘れてしまった何かがあったことは、事実であるということである。

アバウトなコースは・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=387f7dea641d6e624e50255dcd29f06b

画像は・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/57691/

輪旅 信楽から和束、宇治田原へ走る!!

2009-01-07 21:49:42 | Weblog
《輪旅 信楽から和束、宇治田原へ走る!!》

 気になる場所というものがある。暇に任せて地図を見ている時、草津~信楽~和束~宇治田原~石山のコースに目が留まった。どんなところだろうか・・・無性に行きたくなった。

 多分、何もないと思う。何処にでもあるような日本の田舎があるだけだろう。しかし、それがまた、たまらなくいいのであるが・・・

 JR草津駅を降り立つ。早速、自転車を組み上げ、駅前のアーケードを走り貫ける。信号待ちで並んだ電動自転車の主婦、青信号と同時のダッシュには驚いた。行き成り5メートル先を走っていたのには唖然とした。

 天井川のトンネルを潜ったところが追分・・・東海道と中山道の分岐点である。その先には当時のままの本陣が残っていた。

 県道2号に入り、国道1号線を横切る。橋の上より眺める近江冨士の三上山が格好良い。次に県道108号へ入る。

 平野にて県道16号へ左折をする。ようやく近江らしい家並みが現れてほっとする。その重厚な造りは歴史の重みを感じさせ、圧倒するものがある。モノトーンの瓦、真っ白な漆喰、年月を経た板塀・・・まさしくクールジャパンを感じさせる。

 大戸川に沿って遡る道は、風情はあるものの大型車の通行もあり、ちょっと緊張させられる。百メートルもの後方からクラクションを鳴らすダンプには閉口した。

 第二名神の斜張橋を左に見、大鳥居の交差点にて右折をする。田代川に沿った県道12号はとても静かで、ようやく自転車旅の気分が味わえた。路肩の湧き水が凍ってオブジェになっていた。

 神慈秀明教会の前を通り、三筋の滝で休憩を取る。なかなかの名瀑で、見応えがあった。ミホミュージアムは休館のため、次回の楽しみとする。

 畑口で右折し、更に林道越えにて中野を目指す。信楽高原というのか、その枯れた感じの農村風景は味わいがある。中野に出ると、タヌキの置物のオンパレード?となった。タヌキ様・・・愛嬌があって、心が和む。

 杉山口にて県道5号へ入る。木津信楽線といい、今回のコースではベストな風景が展開した。ちょっとした峠を越えれば、京都府相楽郡和束町へ入る。

 余談ではあるが、奈良時代、聖武天皇は都(首都)をころころと変えた。恭仁京、紫香楽宮、難波京、平城京へと・・・ということは、恭仁京から紫香楽宮へ移動の時は、このルートを通ったと思える。

 和束町はお茶の産地であった。小高い山の頂上まで耕作された茶畑は独特の文様を見せ、手入れの行き届いた緑は心を癒してくれる。これぞジャパニーズ・ビューティかも・・・

 町の中心部より、県道62号の宇治木屋線に入り、犬打峠へ向かう。が、しかし、なんと通行止めとのこと。いつもなら、押し担ぎでクリヤしてきたが、今回は、ゲートの前に屈強なガードマンが立ちはだかり、絶対阻止!?の雰囲気であった。彼曰く、木津へ出て山城へ回れば宇治田原へ出られるよと。クルマじゃないんだから、簡単に行けるか!!と言いたかった。

 時間的には余裕があったので、爆走して迂回をする。以前、訪れた恭仁京跡(山城国国分寺跡でもある)の前を過ぎ、上狛にて山背古道に沿った道を北上した。

 城陽市青谷橋にて国道307号へ入る。この道は最悪であった。結構な幹線道路で、交通量も多く、大型トレーラーが自転車の横をすり抜けるように追い越して行った。

 無事に宇治田原町の中心部、郷ノ口へ着く。ここは、神君家康公の伊賀越えの時に通ったというルートに当たる。何か説明版でもと探すが、見つからなかった。次回、ゆっくりと訪れ、裏白峠から多羅尾、御斎峠へと辿ってみたい。

 日本茶の発祥地といわれる郷ノ口は、とても静かでしっとりとした町並みが魅力的である。川沿いの製茶工場?が素敵であった。

 冬場の日帰りランは時間との勝負でもある。県道783号にて石山を目指す。猿丸神社の辺りで峠を越し、滋賀県へ入る。大石、関津峠、南郷、と走って瀬田川の河畔へ出た。

 ラスト、閉門となった石山寺の前で記念?撮影をし、JR石山駅より帰途に着いた。


 京都府といえども広い。北は丹後半島、南は奈良県との境となる木津市辺りである。今回は、宇治茶の本場となる和束町から宇治田原町を訪れることができ、一つの宿題が済んだようで満足であった。

コースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=e38d945e1b75d43478ba3342a293ac8b

画像
http://album.pentax.jp/166909111/albums/57210/

輪旅 高賀六社巡り・続編!!

2009-01-06 22:31:09 | Weblog
《輪旅 高賀六社巡り・続編!!》

 以前、所属するクラブの行事で高賀六社めぐりに参加した。高賀(こうか)山(1,224m)を中心に六つの神社があり、それを回る巡礼の旅でもある。その距離は100kmを越えるため、徒歩では厳しく、自転車でもそれなりの自信がないと厳しい。

 前回は、美濃市の道の駅「美濃にわか茶屋」からスタートし、金峰神社、滝神社、高賀神社と回った。今回は美並よりスタートした。

 粥川が長良川と合流する基幹集落センターにクルマを停め、長良川右岸を北上する。このコースは何度も走ったことがあり、川面を眺めながら快適にポタリングを楽しむ。クルマが少ないのが有難い。

 相生にて左折し、那比川沿いに遡る。国道256号ではあるが、交通量はとても少なくて走りやすい。別名、南天街道ともいい、郡上名産の南天の赤い実が綺麗であった。

 高畑温泉の手前より宮ヶ洞谷に入って本宮神社へと向かう。入り口より道は未舗装で、MTBでないと辛いコースでもある。結構な勾配で、ギヤを最大に落とし、クランクをクルクル回して上流へと向かう。

 入り口にあった石碑以外は何も標識が無く、道を間違えたのではと不安になる。いい加減上った辺りで、右手に太鼓橋らしきものが見えたが、本殿は見えない。

 自転車を止め、段の上に上がると本殿がようやく見えた。本宮神社である。その参道は苔むし、両脇の杉の大木が立派であった。大きくは無いが、歴史を感じる本殿は威厳があり、思わず拝みたくなる。拝殿に置かれたお神酒を少しだけ頂いた。

 風に乗って雪が舞い始めた。急いで下り、次の神社を目指す。入り口にあった素朴なコーヒー屋さんへ寄りたい気もしたが、先を急いだ。

 二間手にて右折し、新宮川沿いに南下する。新宮神社は、集落の最終にあった。巨木に囲まれた境内は独特の雰囲気があり、高賀信仰で賑わった往時が偲ばれた。ここでもお神酒を頂いた。

 いよいよ八王子峠越えに入る。時より風に乗って雪が舞うなか、林道の峠越えに入る。600mほどの標高であり、甘く考えていたが、天候のせいもあり、辛い峠越えとなった。

 大きな碑があるところが峠であった。広場もあって明るい場所ではあるが、素朴な峠の雰囲気には欠ける。そそくさと下りに入る。

 新たに舗装し直された道を快適に下る。結構な勾配で、ブレーキシューが熱くなるのが心配であった。下りきったところが矢納ヶ淵。なかなかの絶景で、一見の価値ありであった。

 すぐ先が星宮神社、最後のお参りを済ませ、帰路に着いた。

 粥川には大ウナギがいるとか・・・そういえば、関市には旨いウナギ屋あったことを思い出した。

高賀六社とは・・・
http://www.horado.com/kouka/rokusya.html

画像(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/56843/

峠旅 越中・ブナオ峠を行く!!

2008-11-17 22:26:28 | Weblog
《峠旅 越中・ブナオ峠を行く!!》

 平成20年7月、東海北陸自動車道の飛騨トンネルが開通し、岐阜と富山は一気に近づいた。このチャンスを活かし、富山エリアの峠を訪れることにした。場所はブナオ峠・・・ネットで道路情報を得ようとするが、いつ見ても工事通行止めとある。

 富山県道54号「福光上平線」とある。れっきとした県道であれば、県の予算で維持管理するものと思うが、実態は工事もせずに放置されているようである。その確認も今回の目的の一つであった。

 美濃インターに集合し、一路、白川郷へと向かう。蛭ヶ野高原辺りの紅葉はすでに終っていた。清見より飛騨トンネルに入る。全長は10,710m、日本では2位、世界でも8位の長さとか。軟弱な地質のため、トンネル掘削機の「天生太郎」は、そのまま埋められてしまったそうである。ちなみに、麻生太郎ではない!???

 上平インターにて降り、道の駅「上平」にクルマを停める。ここよりサイクリングの開始である。タカンボースキー場を左に見て、新屋橋を渡って左折し、草谷に沿って峠へ向かう。工事通行止めの電光掲示板が物々しい。

 県道は1車線幅で、ガードレールも無く、ゆるゆると紅葉の中を上ってゆく。天気はまあまあ、5人のメンバーの顔は明るい。互いに写真を撮りながら、峠ツーリングを楽しみながら走る。ここがかつて塩硝街道と呼ばれたルートである。

 道が大きく南に張り出した辺りで、谷の底に湖が見えた。桂湖とある。その奥には、飛騨・加須良という合唱集落があったという(昭和42年に離村)。ちなみに、下流には越中桂の集落もあったとか。

 そこより一息でブナオ峠へと至る。この峠からは、大門山、赤摩木古山、奈良岳、大笠山へと、越中と加賀の境となる名山へ登ることが出来るようだ。

 簡単な食事を済ませ、いよいよ廃道状態の県道へ突き進む。まるで工事などはされておらず、アスファルトの道には草木が茂って、ようやく人が歩いて通れるスペースだけが開いていた。これを付けたのは釣りの連中と思われる。

 枯れた夏草や枝を避け、落ち葉の積もった道を慎重に下る。落ち葉の下が舗装されているため、余計に滑りやすい。隠れた落石にも注意が要る。


 10km程であろうか、延々と閉鎖区間が続いた。どこかで工事でもと、期待はしたが、結局は何もやってはいなかった。巨大な倒木が数箇所あり、担ぎで何とかやり過ごすが、モーターバイクでは無理なようだ。

 最後の倒木を越えると熊撃ちの猟師のジムニーが止まっていた。このエリアは熊の巣だとか。猟師の世界の裏話を聞かせてもらった。

 中河内の集落跡へ出れば危険エリアからは開放される。フラットになった道を快適に飛ばす。途中の滝谷トンネルでは、暗闇の中を歩く人を見たという。

 刀利ダムを過ぎ、福光の町を目指す。夏の集中豪雨の爪跡らしきものが随所に見られた。沢という沢が全て抜けているのには驚いた。自然のエネルギーには凄いものがあると。

 太美(ふとみ)の辺りで右折し、桜ヶ池経由で国道304号へ向かう。この辺りよりは、砺波平野の散居村が遠望できた。

 城端(じょうはな)へ入り、迷いながら国道へと出る。再び上りに入り、南下をする。新設された五箇山トンネルを使わず、細尾峠、小瀬峠へと向かう。トンネルの右手の道に入ると、行き成りの崩落現場へ出くわす。その下は人喰(ひとくい)谷と恐れられた峡谷となっている。

 人喰谷・・・昔の物資輸送は人の手に頼っていた。ボッカと呼ばれる人夫達で、雪の朴峠を越えてきたボッカ達が雪崩に遭い、多くの犠牲者が出たという。

 細尾トンネルの入り口より先は未舗装であった。最後の力を振り絞って小瀬峠を目指す。砺波から五箇山へ越える峠は今も厳しいということを実感した。

 ススキの原となっている峠は明るい場所であった。袴腰山が目の前に望まれ、人形山や三ヶ辻山が南東方向に大きく遠望できた。

 秋の夕暮れは早い。持参した衣類を全て着込み、ダウンヒルに入る。九十九折の道を一気に下った。あまりに激しいブレーキングのせいで、リムが手で触れないほど熱くなっていた。

 途中、五箇山ユース・ホステルの前を通った。すでにユースは廃業しているようで、人気はなかった。羽馬家といい、江戸時代は、加賀藩の役人であり、塩硝を扱っていたという。合唱造りは、火薬を隠すのにも役立ったようである。

 更に下り、菅沼の合唱集落へと向かう。多少は観光化しているが、白川郷の荻町ほどではない。観光客よろしく、五平餅を味わう。

 ラストラン・・・庄川沿いの裏道を激走?し、車へと戻った。帰り道、荘川インター入り口の「桜香の湯」に浸かり、峠旅の疲れを癒した。


※塩硝街道・・・江戸時代、加賀前田藩が越中五箇山で煙硝を作らせ、それを金沢へ運んだ道が塩硝街道である。

コースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=b675bd2e2ca8c531113041a2f2cbf4f1

画像(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/54168/



輪旅 阿木林道から上矢作へ!!

2008-11-05 22:37:20 | Weblog
《輪旅 阿木林道から上矢作へ!!》

 日本百名山に数えられる恵那山(2191m)は、東濃地方の盟主でもある。中央道を名古屋方面より長野へ向かう時、恵那市辺りより右手に望まれる山で、そのどっしりとした山容は、一度観たら忘れない貫禄がある。

 以前より、恵那山林道の鯉子峠を越えるプランを計画していたが、しかし、そのルートは、災害のために寸断され、現在は不通となっている。そのサブプランとして、阿木林道から墓戸峠を越えて上矢作へ至るコースを組んでみた。

 スタート地点は、山城として有名な岩村城の城下町、岩村から。一方通行の街中を行くと、歴史を感じさせる家屋が多く残っていた。カステーラの懐かしい看板が嬉しい。

 隅櫓が再建された歴史資料館にクルマを停め、そこより国道363号を阿木に向かって走り始める。前夜の雨も上がり、秋の爽やかな風を感じながら東濃の田舎風景を眺めながらひた走る。途中の富田地区には、「農村景観日本一」という場所があり、展望台までもが造られていた。

 阿木川に出会い、そこより上流に向かってさかのぼる。民家が無くなった辺りより阿木林道が始まり、斜度も増してくる。馬頭観音などの地蔵様が道の両脇に祀られているところをみると、歴史のある道のようだ。上流にある風神(かざがみ)神社までの参道には、三十三の観音様が祀られているとか。

 風神神社:祭神は十一面観世音菩薩で、もとは阿木町大根木の長楽寺の御本尊であった。「風天さん」という愛称で親しまれていたが、神仏混淆時代に現在地に神として祀られたという。伊勢湾台風の少し前、ここに参詣した信者の家だけが被害を受けなかったということから、にわかに信者がふえた。信者が裁ききれないほど賑わっていたようだ。毎年8月31日に大祭が行われている。・・・あるサイトより。ちなみに、フランスにあるゼファールというメーカー名は、風の神だそうだ。

 道は更に斜度を増し、ダートへと変わっていった。沢を橋で渡り、ヘアピンを過ぎた先にゲートが現れた。いよいよ本格的な林道走行となる。紅葉の海の中をゆるゆると上がってゆく。

 道が谷筋から離れ、山の斜面を行くようになると眺めも良くなる。後方に大きく見える山は、天狗森山であろうか。笹原が広がり、登りたくなるような山の景色であった。

 ようやく墓戸峠へ着く。ブナであろうか、紅葉した大木に囲まれた雰囲気のよい峠であった。軽い食事を採り、記念撮影をして次の目的地、阿岳本谷へ向かう。

 林道は、千メートル前後の標高を水平に行く感じで、展望もよく、気持ちの良いハイウェイであった。南斜面のため、紅葉も明るく照らされ、最高のロケーションが展開された。

 阿岳本谷に出会い、左折して上流のホコロ沢へ向かう。道は最近開削されたようで、道は安定していなかった。工事現場の方の昼寝を邪魔しないよう、静かに通り過ぎる。

 ホコロ沢より飯田洞へ至る。標識には、恵那山林道鯉子峠とあるが、崩落のため、通行は不能とのことであった。

 橋のところで左折し、荒峰山への林道に入る。クルマはまったく入っていないようで、落ち葉の絨毯が延々と続いていた。ご機嫌なツーリングコースであった。気を付けなくてはいけないのが、落ち葉に隠れた落石・・・乗り上げれば転倒間違いなしである。

 道がフラットになったところが最高点であった。後は、上矢作の町まで下り一方である。途中、天を突くような風力発電の風車が樹間に現れた。人間が造るものは、異様だけど凄い感じがした。

 風車が立ち並ぶ草原のベンチで休憩を楽しむ。展望は欲しいまま・・・茶臼山など、奥三河の山々が一望の元であった。北方向には、今まで走ってきた林道も見えているようだ。夏場、ここは牧場になるという。

 秋の日は短い・・・急いで下りに入る。途中、大船神社への参道となる松並木に寄ってみる。その大木は凄く、何本もの松が参道沿いに並んでいた。ちょと松枯れが心配ではあったが・・・

 無事に上矢作の中心部へ出てほっとする。自販機で暖かい飲み物を仕入れ、道路端に座り込んで休憩を取る。皆の顔には、満足感と安堵感が共存しているように見えた。

 後は、岩村まで国道を走って戻るだけ・・・道の駅「上矢作ラ・フォーレ福寿の里」で暫しの休憩を取り、木の実トンネルを抜けて岩村へ戻り着いた。同時に闇が迫り、岩村の町並みに灯りが点きはじめた。

コースはこちら
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=cb014ccbe87c9cb6c4f328d2c8418b22

画像はこちら
http://album.pentax.jp/166909111/albums/52589/