《輪旅 中山道…加納宿から愛知川宿へ!!》
壮大なプランといえばまさしくこれではないか。私の自転車の大先輩、OさんとTさんが北海道の宗谷岬から九州の佐多岬まで日本列島を自転車で縦断しようというのである。
お二人の年齢は60代半ば。失礼ながらどこにでも居るオジ(お爺?)さんなのであるが、なんと往年のキャンピング車にバッグを四つ(フォーサイド)とフロントバッグの計5つを自転車にくっ付け、日本列島の中央部を縦断しようというのである。
装備の重量は30キロとか、日数は50日を予定しているそうである。その行程は毎日、旅先からノートパソコンでブログにアップされ、仲間がそれを見てコメントするという算段である。
加納宿・・・今回は走っていないが、今も江戸時代の加納城跡が残っている。和傘で有名。
河渡宿・・・長良川の渡し場があったところ。時代は違うが、ここにある国枝サイクルはホイール組みの名人とかで、今も競輪選手からの依頼があるという。
美江寺宿・・・中山道は神社の前で90度折れ曲がる。宿はずれの農村風景が素敵であった。揖斐川を渡ったところが呂久、小簾紅園(おずこうえん)には皇女和宮の有名な「おちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそ
すれ」の歌碑がある。
赤坂宿・・・北に位置する金生山は石灰岩の山で、化石が今も採れるという。宿はずれの青墓は源義朝も寄ったという歴史の里、小栗判官・照手姫 伝説もある。美濃国分寺跡も近い。
垂井宿・・・美濃一宮の南宮大社がある。いまだに当時の旅籠が営業を続けている。
関ヶ原宿・・・いわずと知れた天下分け目の合戦があったところ。多くの史跡が残っている。また、壬申の乱の跡でもある。川が血で染まったという黒血川がある。
今須宿・・・妙応寺は岐阜でも最古の寺とか。宿はずれの「寝物語の里」が美濃と近江の境となる。
柏原宿・・・往時の建物が多く残っている。伊吹もぐさの産地でもあり、今も盛業している「亀屋佐京商店」の店頭には福助人形が飾ってある。
番場宿・・・「まぶたの母」の番場の忠太郎は架空の人物ではあるが、あまりにも有名である。
鳥居本宿・・・琵琶湖を見ながら?摺針峠を越えると鳥居本宿。赤玉神教丸本舗の建物は立派である。雨合羽の看板は見所。
高宮宿・・・多賀大社への大鳥居がある。提灯屋など、当時の面影が濃く、ゆっくりと散歩をしてみたい宿場である。
愛知川宿・・・今も繁盛?してる商店街があるが、宿の面影は少ない。この先の五個荘で中山道から外れ、近江商人発祥の地、五個荘を散策してみた。
最後は今日の終着となる能登川、お二人を宿へ送り、ビールをご馳走になってから帰りの電車に乗った。
10月6日、お二人が無事に日本縦断を果たされ、佐多岬へ到達されたとの知らせを受けた。
壮大なプランといえばまさしくこれではないか。私の自転車の大先輩、OさんとTさんが北海道の宗谷岬から九州の佐多岬まで日本列島を自転車で縦断しようというのである。
お二人の年齢は60代半ば。失礼ながらどこにでも居るオジ(お爺?)さんなのであるが、なんと往年のキャンピング車にバッグを四つ(フォーサイド)とフロントバッグの計5つを自転車にくっ付け、日本列島の中央部を縦断しようというのである。
装備の重量は30キロとか、日数は50日を予定しているそうである。その行程は毎日、旅先からノートパソコンでブログにアップされ、仲間がそれを見てコメントするという算段である。
加納宿・・・今回は走っていないが、今も江戸時代の加納城跡が残っている。和傘で有名。
河渡宿・・・長良川の渡し場があったところ。時代は違うが、ここにある国枝サイクルはホイール組みの名人とかで、今も競輪選手からの依頼があるという。
美江寺宿・・・中山道は神社の前で90度折れ曲がる。宿はずれの農村風景が素敵であった。揖斐川を渡ったところが呂久、小簾紅園(おずこうえん)には皇女和宮の有名な「おちていく 身と知りながら もみじ葉の 人なつかしく こがれこそ
すれ」の歌碑がある。
赤坂宿・・・北に位置する金生山は石灰岩の山で、化石が今も採れるという。宿はずれの青墓は源義朝も寄ったという歴史の里、小栗判官・照手姫 伝説もある。美濃国分寺跡も近い。
垂井宿・・・美濃一宮の南宮大社がある。いまだに当時の旅籠が営業を続けている。
関ヶ原宿・・・いわずと知れた天下分け目の合戦があったところ。多くの史跡が残っている。また、壬申の乱の跡でもある。川が血で染まったという黒血川がある。
今須宿・・・妙応寺は岐阜でも最古の寺とか。宿はずれの「寝物語の里」が美濃と近江の境となる。
柏原宿・・・往時の建物が多く残っている。伊吹もぐさの産地でもあり、今も盛業している「亀屋佐京商店」の店頭には福助人形が飾ってある。
番場宿・・・「まぶたの母」の番場の忠太郎は架空の人物ではあるが、あまりにも有名である。
鳥居本宿・・・琵琶湖を見ながら?摺針峠を越えると鳥居本宿。赤玉神教丸本舗の建物は立派である。雨合羽の看板は見所。
高宮宿・・・多賀大社への大鳥居がある。提灯屋など、当時の面影が濃く、ゆっくりと散歩をしてみたい宿場である。
愛知川宿・・・今も繁盛?してる商店街があるが、宿の面影は少ない。この先の五個荘で中山道から外れ、近江商人発祥の地、五個荘を散策してみた。
最後は今日の終着となる能登川、お二人を宿へ送り、ビールをご馳走になってから帰りの電車に乗った。
10月6日、お二人が無事に日本縦断を果たされ、佐多岬へ到達されたとの知らせを受けた。