《峠旅 奥飛騨・茂住峠へ!!》
かつて飛騨の神岡は国内有数の非鉄金属鉱山であった。その歴史は古く、奈良時代に遡るという。栃洞坑、茂住坑、円山坑などより亜鉛、鉛、銀を産出し、江戸時代には国主金森氏が治める天領とされていた。
明治期になり、三井組が採掘をするようになってから産出量は大幅に増えたが、やがてその鉱毒のカドミウムが神通川を汚染し、イタイイタイ病の原因となった。
今では、精錬所の煙突から排出された鉱毒ではげ山となった木々も、緑を戻しつつある。その坑道も、スーパーカミオカンデとして宇宙から到来する素粒子ニュートリノの研究施設へと変化した。ノーベル賞を授与された小柴教授のことは記憶に新しい。
今回の峠旅は茂住峠(1,060m)東茂住の交番横よりスタートをする。峠までの標高差は800mあまり、6名のサイクリストは冗談を交わすこともなく、黙々とペダルを踏み続けた。
このルートは、ほとんどが照葉樹林に覆われ、濃い緑のトンネルが延々と続く。時より見かけるのは鉱山時代の施設で、坑夫をトロッコで運んだと思われる客車も放置されていた。
沢の水は豊富で、水分の補給には困らない。同行のtajiさんに「汚染はされていませんよね!」と確認をしてみる。スタート地点より1時間半、ようやく茂住峠へと辿り着いた。
峠にはお地蔵さまが奉られていた。かつて長棟に鉱山があり、人が住んでいたという。その時代に使われた峠道なのであろうか。かすかな道の跡が残っていた。
いよいよダートの林道下りである。富山平野まで長棟川に沿って付けられた林道は、ほとんど水平に近く、快適なMTBツーリングが楽しめる。
その渓谷は険しく、林道から谷底は見えない。コースを外せば千尋の谷へまっさかさま、命の保障はあるはずもない。それでも童心に返った6名のサイクリストは、嬉嬉として自転車を走らせていた。
断崖絶壁に掘られたトンネルをいくつも抜け、その中には素掘りのものもあった。大きな岩石が沢の中に重なるところに地蔵さまが奉られていた。
奥山発電所の送水路管を過ぎ、長棟第一発電所への分岐点を過ぎれば、桧峠は近い。峠を越せば富山平野へまっしぐらに下るだけである。無口であった皆の顔に安堵感が漂っていた。
当初の予定では旧の大山町から大沢野町笹津を経て、細入村より国道41号を神通川沿いに遡って東茂住へ戻るプランであったが、大清水の辺りより「林道・町長水須線」へ入って町長へとショートカットをこころみた。
車がまったく通らない林道からは富山平野が眼下に眺められた。東方向に立山連峰が望めないかと期待したが前衛の里山が邪魔をしていて期待はずれであった。
町長よりは神通川の右岸を遡る。国道のバイパス工事なのか、巨大な斜張橋が現れた。無数に張られたワイヤーで吊り下げられたアーチが中央でドッキングし、完成は間近のようであった。
神通峡の部分は、庵谷トンネルへ迂回し、再度、ダムのところより右岸へ戻って先へと進む。この区間は、自転車ならなんとか通過できたようであった。
舟渡の辺りは野仏の里と呼ばれ200体あまりの石仏があるという。飛騨街道にあったという東猪谷関所跡を過ぎ、東茂住のスタート地点へと戻った。走行距離60km、約7時間の山岳ツーリングであった。パンクや事故もなく、充実した一日を仲間と過ごせたことに感謝をしたい。
アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=5f1a086d14a9bbfcbc9046d9f32b05f1
フォトアルバム(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/26021/
かつて飛騨の神岡は国内有数の非鉄金属鉱山であった。その歴史は古く、奈良時代に遡るという。栃洞坑、茂住坑、円山坑などより亜鉛、鉛、銀を産出し、江戸時代には国主金森氏が治める天領とされていた。
明治期になり、三井組が採掘をするようになってから産出量は大幅に増えたが、やがてその鉱毒のカドミウムが神通川を汚染し、イタイイタイ病の原因となった。
今では、精錬所の煙突から排出された鉱毒ではげ山となった木々も、緑を戻しつつある。その坑道も、スーパーカミオカンデとして宇宙から到来する素粒子ニュートリノの研究施設へと変化した。ノーベル賞を授与された小柴教授のことは記憶に新しい。
今回の峠旅は茂住峠(1,060m)東茂住の交番横よりスタートをする。峠までの標高差は800mあまり、6名のサイクリストは冗談を交わすこともなく、黙々とペダルを踏み続けた。
このルートは、ほとんどが照葉樹林に覆われ、濃い緑のトンネルが延々と続く。時より見かけるのは鉱山時代の施設で、坑夫をトロッコで運んだと思われる客車も放置されていた。
沢の水は豊富で、水分の補給には困らない。同行のtajiさんに「汚染はされていませんよね!」と確認をしてみる。スタート地点より1時間半、ようやく茂住峠へと辿り着いた。
峠にはお地蔵さまが奉られていた。かつて長棟に鉱山があり、人が住んでいたという。その時代に使われた峠道なのであろうか。かすかな道の跡が残っていた。
いよいよダートの林道下りである。富山平野まで長棟川に沿って付けられた林道は、ほとんど水平に近く、快適なMTBツーリングが楽しめる。
その渓谷は険しく、林道から谷底は見えない。コースを外せば千尋の谷へまっさかさま、命の保障はあるはずもない。それでも童心に返った6名のサイクリストは、嬉嬉として自転車を走らせていた。
断崖絶壁に掘られたトンネルをいくつも抜け、その中には素掘りのものもあった。大きな岩石が沢の中に重なるところに地蔵さまが奉られていた。
奥山発電所の送水路管を過ぎ、長棟第一発電所への分岐点を過ぎれば、桧峠は近い。峠を越せば富山平野へまっしぐらに下るだけである。無口であった皆の顔に安堵感が漂っていた。
当初の予定では旧の大山町から大沢野町笹津を経て、細入村より国道41号を神通川沿いに遡って東茂住へ戻るプランであったが、大清水の辺りより「林道・町長水須線」へ入って町長へとショートカットをこころみた。
車がまったく通らない林道からは富山平野が眼下に眺められた。東方向に立山連峰が望めないかと期待したが前衛の里山が邪魔をしていて期待はずれであった。
町長よりは神通川の右岸を遡る。国道のバイパス工事なのか、巨大な斜張橋が現れた。無数に張られたワイヤーで吊り下げられたアーチが中央でドッキングし、完成は間近のようであった。
神通峡の部分は、庵谷トンネルへ迂回し、再度、ダムのところより右岸へ戻って先へと進む。この区間は、自転車ならなんとか通過できたようであった。
舟渡の辺りは野仏の里と呼ばれ200体あまりの石仏があるという。飛騨街道にあったという東猪谷関所跡を過ぎ、東茂住のスタート地点へと戻った。走行距離60km、約7時間の山岳ツーリングであった。パンクや事故もなく、充実した一日を仲間と過ごせたことに感謝をしたい。
アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=5f1a086d14a9bbfcbc9046d9f32b05f1
フォトアルバム(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/26021/