Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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峠旅 奥飛騨・茂住峠へ!!

2008-06-17 20:13:39 | Weblog
《峠旅 奥飛騨・茂住峠へ!!》

 かつて飛騨の神岡は国内有数の非鉄金属鉱山であった。その歴史は古く、奈良時代に遡るという。栃洞坑、茂住坑、円山坑などより亜鉛、鉛、銀を産出し、江戸時代には国主金森氏が治める天領とされていた。

 明治期になり、三井組が採掘をするようになってから産出量は大幅に増えたが、やがてその鉱毒のカドミウムが神通川を汚染し、イタイイタイ病の原因となった。

 今では、精錬所の煙突から排出された鉱毒ではげ山となった木々も、緑を戻しつつある。その坑道も、スーパーカミオカンデとして宇宙から到来する素粒子ニュートリノの研究施設へと変化した。ノーベル賞を授与された小柴教授のことは記憶に新しい。

 今回の峠旅は茂住峠(1,060m)東茂住の交番横よりスタートをする。峠までの標高差は800mあまり、6名のサイクリストは冗談を交わすこともなく、黙々とペダルを踏み続けた。

 このルートは、ほとんどが照葉樹林に覆われ、濃い緑のトンネルが延々と続く。時より見かけるのは鉱山時代の施設で、坑夫をトロッコで運んだと思われる客車も放置されていた。

 沢の水は豊富で、水分の補給には困らない。同行のtajiさんに「汚染はされていませんよね!」と確認をしてみる。スタート地点より1時間半、ようやく茂住峠へと辿り着いた。

 峠にはお地蔵さまが奉られていた。かつて長棟に鉱山があり、人が住んでいたという。その時代に使われた峠道なのであろうか。かすかな道の跡が残っていた。

 いよいよダートの林道下りである。富山平野まで長棟川に沿って付けられた林道は、ほとんど水平に近く、快適なMTBツーリングが楽しめる。

 その渓谷は険しく、林道から谷底は見えない。コースを外せば千尋の谷へまっさかさま、命の保障はあるはずもない。それでも童心に返った6名のサイクリストは、嬉嬉として自転車を走らせていた。

 断崖絶壁に掘られたトンネルをいくつも抜け、その中には素掘りのものもあった。大きな岩石が沢の中に重なるところに地蔵さまが奉られていた。

 奥山発電所の送水路管を過ぎ、長棟第一発電所への分岐点を過ぎれば、桧峠は近い。峠を越せば富山平野へまっしぐらに下るだけである。無口であった皆の顔に安堵感が漂っていた。

 当初の予定では旧の大山町から大沢野町笹津を経て、細入村より国道41号を神通川沿いに遡って東茂住へ戻るプランであったが、大清水の辺りより「林道・町長水須線」へ入って町長へとショートカットをこころみた。

 車がまったく通らない林道からは富山平野が眼下に眺められた。東方向に立山連峰が望めないかと期待したが前衛の里山が邪魔をしていて期待はずれであった。

 町長よりは神通川の右岸を遡る。国道のバイパス工事なのか、巨大な斜張橋が現れた。無数に張られたワイヤーで吊り下げられたアーチが中央でドッキングし、完成は間近のようであった。

 神通峡の部分は、庵谷トンネルへ迂回し、再度、ダムのところより右岸へ戻って先へと進む。この区間は、自転車ならなんとか通過できたようであった。

 舟渡の辺りは野仏の里と呼ばれ200体あまりの石仏があるという。飛騨街道にあったという東猪谷関所跡を過ぎ、東茂住のスタート地点へと戻った。走行距離60km、約7時間の山岳ツーリングであった。パンクや事故もなく、充実した一日を仲間と過ごせたことに感謝をしたい。

アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=5f1a086d14a9bbfcbc9046d9f32b05f1

フォトアルバム(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/26021/


輪旅 中山道与川道を走る!!

2008-06-04 10:52:45 | Weblog
《輪旅 中山道与川道を走る!!》

 江戸時代、五街道という主要幹線があり、東海道と並ぶ重要な街道として中山道があった。

 日本橋と三条大橋を69の宿場で結ぶ中山道は、箱根越え、大井川の渡し、七里の渡しを嫌う旅人に利用されたという。その道中は、山間を行くために決して楽ではなかったようだが。

 今回、木曽路と呼ばれる野尻宿と三留野宿の間にある与川道(よがわどう)を自転車で訪れてみた。この区間は、木曽川にそって正規の街道があったが、川の増水やがけ崩れが多く危険であったため、与川へ迂回する道が造られたようである。

 出発は南木曽町役場から。JR中央線の跨線橋を越えてすぐに右折し、南下してゆく。この山裾を縫ってゆく平坦な道は、かつての森林鉄道の軌道跡らしく、南木曽の町や妻籠宿を眼下に眺めながらゆく快適な道であった。

 今日の同行者はこまさん。自転車、テニス、フライフィッシング、登山とアウトドアをこよなく愛する好青年?で、「レースよりツーリングが好きです!」という頼もしい同行人でもある。

 妻籠城跡を過ぎ、大妻籠の集落が対岸に見えるころ国道256号へ出会う。しばらくは国道を走り、南木曽温泉の辺りより旧道へ入って蘭(あららぎ)の町中を走り抜ける。昭和の頃のままの床屋や酒屋の佇まいが嬉しい。

 ちなみに、島崎藤村などが属していた蘭派というのはここの地名(蘭川?)から名づけられたという。

 レトロなコンクリート製の本谷橋を見送って、長者本谷川に沿って上ってゆく。道は林道然となり、山の緑と川のせせらぎの音だけの世界へと入ってゆく。時より鳴くホトトギスが気持ちを和ませてくれる。

 舗装路が谷底へ下りてゆく辺りで左折し、ゲートを越えて地道に入る。いよいよ与川林道へ入ったようだ。よく踏まれたダートは、MTBのタイヤに丁度良く、じわじわではあるが高度を稼いでゆく。

 三叉路に出会った辺りが与川峠のようである。観光コースではないので、看板などは一切ない。

 少し下ったところから残雪に覆われた御嶽や乗鞍岳が遠望できた。今日、クラブの仲間がその場所でレースに参戦していると思うと違う感動があった。

 伐採小屋のある三叉路で右折し、さらに林道を走る。清冽に流れる沢水を飲むと心なしか甘い感じがした。

 フキ採りのご婦人と熊の話しをし、与川地区へと一気に下った。向田で橋を渡って上流へと向かう。宇礼の辺りはタラノメの栽培が盛んなようである。

 更に道を詰めると再び地道となり、じわじわと高度を上げてゆく。無名な峠を越え、下りに入ると正面に中央アルプスが忽然と現れた。空木岳、南駒ヶ岳、越百山の辺りであろうか。雪は少なくなっていたが、十分に迫力のある眺めであった。

 なぜか木曽なのに伊奈川という川に沿って下る。この道も森林鉄道の跡らしく、狭い石組みのトンネルを潜った。

 国道19号に出会い、殿大橋を渡って右岸を下り、野尻宿を目指す。ちなみに木曽殿とは木曽義仲のことで、松尾芭蕉も尊敬?(源氏がキーワードか?)していたようである。近江膳所の義仲寺に二人は並んで眠っている。

 野尻向橋を渡り、野尻宿へ向かう。この橋の上流には、赤錆びてはいるが立派な森林鉄道の鉄橋が残っていた。木曽ヒノキの伐採が盛んであったころの歴史遺産として長く残してもらいたいものだ。背景の木曽山脈(中央アルプス)が絵になっていた。

 野尻宿を横切って、再び山道に入る。のぞきど森林公園の看板が目印となる。道は急峻で、グイグイと高度を上げてゆく。相変わらずこまさんは元気で、見る見ると離されてゆく。

 このルートが与川道であり、稜線を越えるところが根ノ上峠であった。舗装路より右に入ったところに峠の看板があり、旧の道筋を確認する。

 慎重にブレーキを掛けながら下ってゆく。当時の雰囲気が色濃く残る道はとても心が落ち着く。「左のぢり、右やまみち」と記された地蔵様が途中にあった。

 再び舗装路に出、三留野宿を目指す。坂本平辺りで対岸へ渡り、旧の与川道に沿って走る。旧道は山裾のあぜ道のようなところを通っているようだが、時間の都合もあり、舗装路をゆく。

 最後の上りとなる桃木峠を越える。この辺りは、昔、読書村といったそうだが、今も字名で残っていた。

 木曽のひなびた農村風景を縫って南木曽の町へ下りていった。陽も傾き、逆光に向かって最後のランを楽しんだ。走行メーターは65kmを指していた。

アバウトなコースマップ
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=f35c24b8a1d3b0a0049f846e6fbd8cca

フォトアルバム(期間限定)
http://album.pentax.jp/166909111/albums/23262/