Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

7月29日(日曜)暑気払い!

2018-06-28 05:48:46 | 旅行
奥美濃サイクリングクラブ会員各位!いよいよ夏本番😁ビール🍺の美味しい季節となります。日頃のご活躍、掲示板やフェイスブックにて拝見しています。皆さんの武勇伝?をお聞きしながらの飲み会!7月29日(日曜)夕方より一宮にて開催します。多くの方の参加をお待ちしています。クラブの活動に興味のある方の参加も歓迎します。メールやメッセンジャーにて問い合わせ下さい😁詳しい内容は7月中旬くらいより案内予定です(๑˃̵ᴗ˂̵)
※写実はあくまでもイメージ??!😁ですので、誤解のないように!(笑)

グルメ旅? 欧州のビールを味わう会!

2014-08-26 23:15:56 | 旅行
《グルメ旅? 欧州のビールを味わう会!》
「美濃国・酒呑童子の会」という、まことに怪しげなグループよりお誘い?を受け、のこのこと参加してきました。参加者は二十数名・・・会場に用意されたテーブルの上には、ドイツ、ベルギー、イギリス、チェコ、デンマーク、ポルトガルなど・・・ヨーロッパの名だたる銘柄のビールがずらりと・・・隣のテーブルには、生ハムやチーズがてんこ盛り!?・・・飲む前から舞い上がってしまったのは不覚でした(笑)

なんと、10種類の欧州ビールを味わうことができました。日本に居ながら、欧州のグルメ旅が出来た気分でした。とても幸せなひと時を過ごせたことに感謝・・・生きていて良かったと!

味については・・・やはり本場の味は違う!・・・というコメントで勘弁願います。実は、四本目ぐらいから酔いが回り、記憶が無い・・・・


(千客万来?)


(グルメがてんこ盛り?)


(迫力の10?種)


(友、遠方より来る!)

旅行 ペルー・その3 ナスカ地上絵へ!

2014-07-09 05:54:47 | 旅行
《旅行 ペルー・その3 ナスカ地上絵へ!》
ペルーの国土は日本の四倍とか・・・次の観光地といえども大移動が強いられます。
ナスカの地上絵へ・・・一度リマまで戻り、大型バスでパンアメリカンハイウェイを300キロ南下してピスコへ移動します。右手には太平洋が・・・左手は砂漠の連続です。

ピスコ空港よりセスナ社製小型機(12人乗り)で180キロ東方へ・・・砂漠地帯からアンデス山脈となる手前にナスカの地上絵がありました。一人2ドルのチップが良かったのか、陽気なパイロットが右に左に大旋回・・・おかげで地上絵はバッチリと発見できましたが、ちょっと酔い気味に(笑)
また、地上絵のサイズはまちまちで、予想以上に大きいモノも・・・半分の写真には写っていませんでした。思ったより見つけづらい・・・

空中都市・マチュピチュ遺跡、ナスカ地上絵、5千メートル級のアンデス山脈・・・難行苦行のペルー旅でしたが、あの世にも持っていける記憶遺産!?になったようです。


(田舎の青空市場)
ペルーの田舎は貧しい感じでした。犬は放し飼いで、みな痩せていました。


(首都リマ の街並み)
スペイン統治時代の名残り・・・ヨーロッパの街並みと変わりはありません。宗教はキリスト教、協会は賑わっていました。


(リマからピスコへ・途中の田舎町)


(ピスコの海・太平洋)


(セスナ社製12人乗り)


(機内にて)


(宇宙人)


(ハチドリ)


(最後の楽しみはお土産)

アンデス山脈(アンデスさんみゃく、スペイン語: Cordillera de los Andes)は、主に南アメリカ大陸の西側に沿って、北緯10度から南緯50度まで南北7500km、幅750kmに亘る世界最大の褶曲山脈。山脈はベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの7カ国にまたがる。 最高峰はアコンカグア(6960m・一説には7021m)で、6000mを越える高峰が20座以上聳え立っている。新生代第三紀末(鮮新世)から現在までの太平洋プレート、ナスカプレートと南米大陸のぶつかり合いで隆起してできたと考えられている。



旅行 ペルー・その2 マチュピチュへ!

2014-07-08 19:11:25 | 旅行
《旅行 ペルー・その2 マチュピチュへ!》
マチュピチュ・・・尖った絶壁の山々がそびえるウルバンバ渓谷の山間、標高2,280mの頂上にあるマチュピチュ。マチュピチュとは老いた峰を意味します。山裾からはその存在を確認できないことから“空中都市”とも呼ばれるこの遺跡は、スペイン人から逃れるために、あるいは復讐の作戦を練るために、インカの人々が作った秘密都市だったともいわれている。 マチュピチュの総面積は5平方km、その約半分の斜面には段々畑が広がり、西の市街区は神殿や宮殿、居住区などに分かれ、周囲は城壁で固められている。16世紀半ば、インカの人々は高度な文明が栄えたマチュピチュを残し、さらに奥地へと消えてしまう。その後400年以上にわたって人の目に触れることなく、1911年にアメリカ人歴史学者ハイラム・ビンガムが初めて見た時には、草に覆われた廃虚となっていた。マチュピチュにまつわる多くの謎は、未だに解明されていない。(とあるサイトより)


(ウルバンバ・ホテルの朝)
日本とペルーの時差は14時間・・・日にち的にはまる一日乗りっ放し、極度の疲れからか早めに就寝・・・当然、爆睡でした。翌朝、いよいよマチュピチュへ。


(インディオの土産屋さん)
インカの末裔!?地元の女性がホテル前の庭先でお土産の販売・・・とてもカラフルな衣装に目が行くが、やはりアルパカ製品は高価・・・ちょと冷やかしてみる。


(ペルーアンデス)
南米・アンデスの最高峰はアコンカグア(6961m)、その他にも5千メートル級の山々が南北につながっているという。見ただけで感動・・・


(山岳鉄道・ペルーレイル)
ホテルよりバスでオリャンタイタンボ駅へ。そこよりはペルーレイルにて移動・・・運営はあのオリエント急行の会社とか、洒落たブルーに黄色のラインが素敵でした。


(車窓より)
天井部分は窓ガラスになっており、真上にアンデスの白い山々が眺めることができます。


(マチュピチュ村)
マチュピチュ観光の拠点・・・世界中からやってくる多くの観光客で賑わっていました。駅前はお土産の屋台で一杯、帰りが楽しみです。


(ついにマチュピチュへ)
バスに揺られて30分ほど、急な斜面を九十九折で上がります。上部には見覚えのある尖った山が・・・


(空中都市!?)
ついにマチュピチュの全容が・・・何度も観光パンフレットやテレビの特集などで見ているものの、やはり本物は違う・・・圧倒的なスケールに大感動!この目で見たものだけが真実・・・しかりと脳裏に焼き付ける。


(無題)
なぜこんな辺鄙な場所に宮殿を・・・太陽を神と崇めるインカの人にとって、より太陽に近いこの高地が理想郷であったのでしょうか。スペイン軍も、最後まで気付かなかったそうです。


(アルパカ)
アルパカの毛で編んだセーターは超高級品。


(ウルバンバ村を見下ろす)
夢の刹那・・・もう次の移動です。アマゾン川の支流、ウルバンバ川に沿って開けたウルバンバ村を後にします。


(アンデス山脈)
山を見ているだけで癒されます。


(有名な山?)
もう少し若ければ登ってみたい・・・


(草原地帯)
見渡す限り・・・


(感無量!!)
再訪はあり得ないかも・・・


旅行 ペルー・その1 クスコへ!

2014-07-08 06:14:13 | 旅行
《旅行 ペルー・その1 クスコへ!》
定年退職(再雇用中ではありますが)の記念?として、以前より憧れていたペルーへの旅に行ってきました。8日間で29.8万円から・・・以前であれば50~60万円以上が相場!?だったのが庶民にも手の届く料金設定に・・・

成田~ニューヨーク~ペルー・リマ~クスコ~ウルバンバ~マチュピチュ・・・
20時間以上にも及ぶ飛行機旅は苦痛の一言、それに時差が14時間・・・信州のビッグ峠を越えるより多難な旅行でもありました。メインディッシュ?はマチュピチュ遺跡とナスカの地上絵・・・苦痛以上に感動をたっぷりといただいてきました。

6月25日18:20、JL-0004にてニューヨークへ(所要13時間)。5時間後、ラン航空LA-0531便にてペルーのリマへ(所要8時間。ペルーと日本との時差が14時間、缶詰状態は21時間と、南米の遠さを実感。


(リマよりクスコ空港へ)
リマから更に乗り継いでクスコ(インカ帝国の首都?)へ・・・ここの標高は3400㍍とか、空気の薄さを実感し、腹式呼吸を心がける。その分、空の透明度は抜群で、青い空が感動でした。


(クスコの街並み)
15世紀、スペイン軍が上陸し、植民地に・・・その後、アフリカからの奴隷が・・・暗い歴史を持つ国でもあります。街並みは中世のヨーロッパのようでもあり、狭い石畳の道を走り抜けるクルマは日本製のトヨタが大半、その乱暴な走りは発展途上のアジアの国のようでもありました。クラクションがけたたましい・・・


(祭り?アルマス広場にて)
原住民であるインディオは現代でも独自の衣装を身にまとい、アイディンティティーを主張しているようでした。ネズミ?の丸焼きはお祭りのご馳走とか・・・ぎょっとさせられました。


(ペルー料理!?)
ペルーは農業国・・・歯ごたえのいいステーキと豊富な野菜がご馳走とか・・・黄色いインカコーラでいただくランチは???好みの問題ですが。仕上げのコカ茶は未体験の味がしました。


(フォルクローレ・コンドルは飛んで行く)
今回の旅のもう一つのお楽しみはフォルクローレ・・・サイモン&ガーファンクルで知った「コンドルは飛んでゆく」・・・目の前で演奏される民族音楽はまた格別、ペルーへ来たことを実感しました。


(クスコの郊外)
ペルーといえばフジモリ元大統領・・・最貧国に属していた国を盛り上げた功績は大きいと思うのですが、特権を有していた白人層からは人種差別的に・・・そのスキャンダルによって失脚!??・・・一筋縄ではゆかないようです。


(パンパ?の大草原)
クスコの町を出れば貧しそうな家々が・・・草原(砂漠?)に立つ日干し煉瓦造りの農家は、その生活の厳しさがにじんでいました。今どきの日本人には耐えられない生活かと・・・


(5千メートル級?ペルーアンデス)
見渡す限りの草原大地へ出ると、その向こうには雪(氷河?)をいただいたペルーアンデスの山々が遠望できます。標高は5千メートル級とか・・・その雄大さに絶句、この景色を見れただけでも南米に来た甲斐があるというものです。


(ウルバンバのホテル着)
マチュピチュへの起点となるウルバンバ村のホテルへ到着。何でもいいから、お湯の出るシャワーと温かいベッドへ・・・ひ弱な日本人はタフでないようでした。