Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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峠旅・木曽の月夜沢峠へ!

2006-07-19 21:25:28 | Weblog
≪峠旅・木曽の月夜沢峠へ!≫

 今から30年ほど前、当時、愛読していたニューサイクリング誌に月夜沢峠の紀行文が載っていた。地道が延々と続く林道を、難儀をして越えて行くサイクリストに憧れはしても、まさか自分が行くことになるとは思ってもいなかったが。

 薮原駅まで輪行し、境峠を越えるルートを取る。天気は上々で、かえって日焼けが気になるくらいだ。先ずは一つ西のやぶはら高原スキー場へ向かう菅川に沿った道をさかのぼることにする。

 あやめ公園池を過ぎたあたりがピークのようで、そこより下って五月日で県道26号に合流する。更に笹川に沿ってジワジワと境峠を目指す。しらかば平の別荘地辺りで道はつづら折りになるが、それほどの急坂ではないため、難なく峠に辿りついた。期待していた穂高連峰の展望はお預けであった。

 いったんは奈川村寄合渡へ下り、そこで左折して野麦峠方面へ向かう。この道は野麦街道といい、明治の時代に飛騨の娘たちが岡谷の製糸工場へ出稼ぎに行ったルートでもある。

 オートキャンプ場を過ぎ、橋を渡ったところより赤田沢に沿った未舗装の林道に入って行く。先行して野麦峠を訪れ、下りてくるメンバーと待ち合わせるが、タイムオーバーのためにtaji氏と二人で月夜沢峠を目指すことにする。

 15分ほど走ると全面通行止の表示。その横には熊出没の看板もあり、緊張が一気に高まった。予め準備してきた熊除けのホイッスルを首から下げ、コーナーの手前で吹きながら高度を上げて行く。唐松林の中の林道は良く締まっていて走りやすい。

 かなり高度を上げたころ、道は2つに分かれていた。地図を見ながら休んでいると後方から犬の鳴き声が・・・それは野麦峠組みの無事蛙氏であった。再会を喜び、座り込んで談笑しようかと思いきや、背中のザックから発泡系黄金色ジュースが出てくるではないか。それもチンチンに冷えたヤツが・・・以心伝心!魚心あれば水心!渡りに船状態であり難く頂戴する。持つべきものは友!?である。

 いよいよ道は荒れ始め、ヘビーデューティーな四駆でないと走破できない路面状態となる。未熟なダートテクニックを駆使しながら何とか峠を目指す。

 月夜沢峠(1690m)に辿り着くと、そこにはオフロードバイクに乗ったhiro氏がいた。天気が良いので可児の自宅より走って来たとのこと。意外な場所での再会を喜ぶ。野麦峠組のpine氏、HR氏、gaki氏も到着する。あとmiya氏だけが到着していないようだ。

 月夜沢、なんともロマンチックなネーミングである。昔、中山道を行く旅人が、取調べの厳しい木曽福島の関を嫌って抜け道である月夜沢峠を越えたという。

 午後になると山間部では夕立に・・・セオリー通りに暗雲が立ち込め、雷雨となる。それぞれが好みの雨具を着けて下りにかかる。夏草が左右から覆い被さった林道は走り辛い。ゴロゴロしたこぶし大の石をハンドリングで避け、適度なスピードで走り抜けた。

 上手く雷雲を避け、本格的な雨に遭わずに開田村(旧)へと下りきった。牧場の草原横に陣取り、遅れていたmiya氏も迎えて大休止とした。再び陽射しも照り始め、あとは開田高原を横切って宿に入るだけである。

 今日の宿はマイヤスキー場入口にある民宿・みやま荘さん。建物、お風呂、料理とも言うことがなく、思わず15本のビールが並んでしまったことを正直に報告する。特に夕食に出た信州牛のステーキと馬刺しは絶品であった。

 翌日は生憎の雨模様。裏木曽の難所、真弓峠は諦めて三岳村(旧)より才児(さいちご)峠を越えて赤沢自然休養林を訪れることにした。

 ポンチョ、アノラック、ゴアの上下とそれぞれが好みの雨具に身を包んで三岳村への下りに入る。晴れていれば御岳の絶景を眺めながらのパノラマコースなのだか、今日はひたすら路面だけを睨んでのダウンヒルとなる。

 黒沢で左折し、いったんは木曽福島方面へ向かう。赤い常磐橋を渡って右折し、釜沼温泉の看板を目印に峠越えに入る。道は徐々に斜度を増し、つづら折りになるころには雨脚も早くなった。有名大学の天文台観測所の入口を右に見送り、しばらくして峠へ辿り着いた。

 下りきった焼笹で右折して赤沢自然休養林を目指す。8キロ先の案内板に少し躊躇するが、時間はまだ午前11時。森林鉄道の軌道跡であろう、石造りの橋脚が今も残っていた。ここは今も木曽檜の本場であるのだ。

 赤沢自然休養林は公園になっていた。観光用に林鉄も再開され、赤沢沿いには遊歩道も整備されていた。紅葉の時期にでも再訪してみたいところだ。雨で冷えた身体を掛け蕎麦で温め、そそくさと土砂降りの中を上松駅まで駆け下った。

 真弓峠は越えられなかったものの、念願の月夜沢峠へ行けたことに満足している。梅雨の末期の集中豪雨に裏木曽の山中で出会ったならば・・・それは恐ろしいことである。天気が良い日にまた訪れる・・・大人の遊びには余裕が肝心である。

カヌー旅・琵琶湖の白石へ!

2006-07-10 21:50:57 | Weblog
≪カヌー旅・琵琶湖の白石へ!≫

 琵琶湖にある島といえば竹生島、沖島、多景島が知られている。もう一つ、島ではないが、白石という岩礁があることはあまり知られていない。

 出艇は安曇川の河口にある「びわ湖こどもの国」横の北船木漁港から。多分ここが白石に一番近い位置と思われ、駐車場所からも白石の岩場が小さいながらもはっきりと望むことが出来た。

 急いでファルトを組み立て、そそくさと沖へ出る。琵琶湖は午後になると風が吹き始め、恐ろしい三角波が立つという。以前、沖島で三角波に遭遇して怖い思いをしているので、波が静かな内に往復したいものだ。

 いつものように目標物に向かって無心にパドルを漕ぐ。物音は一切なく、澱んでぬめっとした水面は不気味としか言いようがない。九州付近に来ているという台風のせいか、比良山系や伊吹山には雲が掛かっていて展望は楽しめない。彦根や長浜はあの辺りかと予測しながら艇を進める。

 約1時間で白石に辿り着く。小さく見えていた岩場も目前にすると結構大きく、直下にカヌーを着けて見上げると首が痛い。一番大きな岩の南面は垂直に切り立ち、ロッククライミングに覚えのある方なら登攀意欲が湧いてくるところであろう。

 鷲なのか鳶なのか、大きな鳥が巣を作っているようで、岩の上からこちらに睨みを効かしていた。四つの岩からなる島をぐるっと周ってみるが上陸出来そうな場所は見当たらなかった。

 風が出てくる前に帰りたい。安曇川方面に向かって漕ぎ出すが、目標物を確認するのを忘れていたため、適当に近いところに向かって進む。腕に疲れが出始めて漕ぐのが辛い。

 安曇川河口には川鵜の巣があるのか、数羽が飛び立つのが見えた。浜には合歓の木が赤い花を付けていて心が和む。少し出てきた波に乗って、サーフィン気分で港に着いた。

東海道・桑名宿から草津宿へ!その3

2006-07-04 22:34:10 | Weblog
≪東海道・桑名宿から草津宿へ!その3≫

 植林に覆われて薄暗い峠付近を抜けると茶畑が広がった。鈴鹿峠は典型的な片峠のようで、急峻な鈴鹿側に比べて近江側は緩く上っているようだ。万人講常夜灯を右に見て下りに入る。

 ひなびた家並みが残る蟹ヶ坂を抜けて真っ直ぐ橋を渡って進むと田村神社の境内へと入っていった。平安時代初期、坂上田村麻呂を祭神として創建されたという由緒ある神社である。うっそうとした森を抜け、玉砂利の上を遠慮しながら自転車を押していった。本殿前には茅の輪くぐりがあり、説明書き通りに潜ってみた。

『土山宿』
 馬子唄に「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」と謡われている。道の駅より旧街道に入り、カラー舗装の道を進むと当時の雰囲気が色濃く残る家並みが両側に広がる。一里塚跡、旅籠跡、本陣跡、高札場跡と宿場町の定番ともいえる痕跡が其処かしこに残っていて、ゆっくりしたい所でもあった。

 白川の渡し場を迂回し、垂水斎王頓宮跡へ寄ってみた。何の変哲もない林の中に祠があった。頓宮とは、都の天皇が伊勢神宮にお参りする時に泊まったところということか。

 街道は野洲川に沿って河岸段丘上を西に進む。緩やかに下っているために自転車には好都合な地形でもある。

『水口宿』
 小さな丘を越え、坂を上ったところに水口宿の東見附跡があった。この地域の中心地でもあるのか街並みは結構大きく、水口城の城下町でもある。本来ならゆっくりとしたい魅力的な場所であるが、今回は急ぎ旅のために通り過ぎただけであった。

 更に西に進み、横田の渡し跡へ突き当たった。明治期のものであろうか、石の橋台だけが残っていた。

 横田橋を渡って草津線三雲駅に寄って休憩を取る。道は更に落ちついた家並みの中を真っ直ぐに草津へ向かっていた。

『石部宿』
 街道沿いの民家が増えて、どこからが宿なのかは判断し辛い。夕方の帰宅ラッシュのせいか、クルマが多くなって怖い思いをする。

 和中散本舗のところまでくれば草津宿は近い。最後の力を振り絞ってペダルを漕ぐ。金勝川の堤防下を走るようになると気も楽になった。橋を渡って左岸へ移り、坂を下れば中山道との追分の碑の下へと出た。

 桑名宿から草津宿を一日で走るのは急ぎ過ぎのようだ。当時の旅人並とまではいかないでも、一日自転車で50キロ位がのんびり出来て良いようである。次回はピンポイントで興味の湧くエリアだけを訪れてみたい。

 草津駅よりは輪行のため、駅前のラーメン屋さんでチャーハン、ラーメン、餃子、生ビールと心置きなく味わった。

東海道・桑名宿から草津宿へ!その2

2006-07-03 23:00:12 | Weblog
≪東海道・桑名宿から草津宿へ!その2≫

『庄野宿』
 石薬師宿の一里塚跡よりは田んぼの中を行く。安藤広重が描く風景版画の中の「庄野の白雨」はこの辺りで描かれたと庄野宿資料館の管理人より聞いた。旧家を移築したという建物は当時のままの高札が展示してあり、見応えがあった。入場無料がありがたい。
 
 神戸領領界石、亀山領領界石と通り過ぎ、和泉橋を渡って亀山宿へと入ってゆく。

『亀山宿』
 有名な亀山ローソクを左に見て、徐々に繁華街へと進んで行く。鈴鹿川の河岸段丘に発達した亀山市は城下町でもある。本丸町辺りより右上に見える石垣の上には今も多門櫓が建ている。

 野村一里塚を過ぎ、坂を下って鈴鹿川の堤防上をしばらく走ると関宿は近い。

『関宿』
 坂を上り始めると、両側に手入れの良くされた民家が現れてくる。道は土色にカラー舗装がされ、家々の軒先にはかつての屋号が看板として掲げてあった。平日にもかかわらず、観光客らしき集団が徘徊していた。歴史的に価値のある街並みが観光という手段で生き残るのは良いとは思うが、個人的に興味が湧かず、急いで通り過ぎた。

『坂下宿』
 国道1号に沿ってしばらく走り、市ノ瀬より右に折れて旧道を走る。町は完全に忘れ去られ、人っ子一人いない。たまに見掛ける古い民家は当時のままのようで(と言っても建てられたのは大正から昭和初期であろうが)なぜか見ているだけで心が落ち着く。

 宿の外れからいよいよ鈴鹿越えが始まる。今も昔も難所のようで、国道も大きくS字カーブを描いて高度を上げている。旧道は鈴鹿川を離れ、真っ直ぐに坂を上って片山神社横へと出る。更に山道は続き、国道を潜って階段状の道を上がるとなだらかな平地となった峠へと出る。

 休憩を兼ねて鏡岩を訪れる。途中には田村神社跡という碑があり、瓦の欠片も散乱していた。鏡岩に立つと鈴鹿側の展望が眼下に開けていた。当時の追いはぎはここに立て獲物の旅人を待ち伏せたのではと思える場所であった。