Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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輪旅 古都散策ラン その1!

2007-02-28 21:30:52 | Weblog
≪輪旅 古都散策ラン! その1≫

 京都、それはあまりにも知名度が高すぎて、近づき難いイメージがある。あのテレビや雑誌で紹介される場面は田舎者の行くところではないと。

 京都には東山、北山、西山というエリアがあり、その山裾には著名な神社仏閣が散在している。今回はそれらの名所をつないで走ろうというプランで、哲学の道など、当時から僧侶などが隣りのお寺さんを訪ねて歩いたような素朴な道を選んで走ってみた。

 先ずは京都駅より三十三間堂を目指す。三十三間堂は東山区にあり、正式名称は蓮華王院本堂。三十三間堂は御白河法皇の命で平清盛が創建したもので、本堂の柱の間の数が33あることから三十三間堂と呼ばれている。 1001体の観音像があることで有名。朝日が差す中、お堂の横を走り抜ける。

 次に目指すのが清水寺。延鎮上人に帰依した坂上田村麻呂が宝亀11年(780)に仏殿を建立したのが始まりで元は奈良興福寺/法相宗に属していたが、近年に独立寺院/北法相宗となった。有名な清水の舞台/本堂は徳川家光の再建である。

 東大路通から五条坂へ入り、更に観光客で賑わう清水坂を上がって行く。韓国や中国からの来訪者も多く、いろんな言葉が飛び交っていた。
 
 自転車を担いで産寧坂を下る。途中、舞妓さんに出くわすあたりは京都らしい風景である。唐辛子?の専門店へM氏が入っていった。階段の下よりは八坂の塔を目指して石畳の道を走り下った。

 高台寺の前を北へ向かう。高台寺の境内にはねねの墓が祀られている霊屋が有り、高台寺蒔絵で彩られた祭壇下にねねが眠る。少し登ると傘亭/時雨亭の茶室が有り、この付近の紅葉が美しいそうだ。

 丸山公園の枝垂れ桜を左に見て知恩院の山門前に出る。ここは法然上人が浄土宗の教えを広め、その後に入滅した地である。日本一大きい山門をくぐり石段を上がると大伽藍が広がる。除夜の鐘で知られる日本一(70トン)の釣鐘も本堂から少し登ると見られる。左甚五郎の忘れ傘など知恩院七不思議も興味深い。

 ウェスティン都ホテルの前を抜け、蹴上のインクラインのレンガトンネルを抜けると南禅寺へと至る。南禅寺、それは室町時代には五山の上位に列せられる大寺院で、亀山天皇の離宮を大明国師を開祖として寺と改め、禅林禅寺としたという。 水路閣、 インクラインの桜などが有名とか。ここは湯どうふでも知られている。

 

山旅 タンザニア紀行 その6

2007-02-22 17:28:27 | Weblog
≪山旅 タンザニア紀行 その6≫

 いよいよキリマンジャロの最終日、気持ちの良い日の出とともに行動開始である。ポーターが沸かしてくれたお湯で顔を洗い、配給のミネラルウォーターで歯を磨き、ささやかなランチパックを頂いて出発する。

 数日前に登って来たダラダラの草原(というよりは低潅木帯)を無心に歩く。目線を上げれば雪の付いたマウェンジーの南面が格好良い。サボテンの一種というセネシオも所々に見られる。

 ジャンボ・サーナ!すれ違う現地の方も、観光の外人もみな明るい声で挨拶を交わす。この挨拶をするだけでも元気が出てくるのは不思議である。

 マラダラハットを過ぎ、ジャングル帯を抜ければゲートへと着く。途中、現地の子供が小さなカメレオンを小枝に乗せて写真を撮れという。勿論、有料である。タンザニア国旗のバンダナも売っていた。

 最終の訪問地はアリューシャ国立公園、ここは広大な原野に野生の動物が生息するというサファリでもある。マサイ族の民家に似せたモメーラ・ロッジに泊り、翌日は野生のキリンやシマウマ、バッファローをランドクルーザーの屋根から見学するというツアーに出掛けた。

 11日間のアフリカ旅行、それは長い人生の中ではほんの一瞬かもしれない。しかし、決して忘れることのない大事な想い出ができたことも事実である。思い立てば何処へでも出かけられる。それは素晴らしいことだと思う。

山旅 タンザニア紀行 その5

2007-02-22 11:43:59 | Weblog
≪山旅 タンザニア紀行 その5≫

 やはり安全第一、11名のメンバーから事故者を出すわけにはいかない。何がなんでも頂上へという思いも大切ではあるが、標高5400m、「ここまで来れて良かった!」でも良いのではないか。結果はここで登頂を中止、撤退と決まる。

 メンバーには様々な思いがあったようだ。高知県より大阪の登山学校まで通い、雪上や岩の技術も取得されてキリマンジャロに臨んだ方。毎回の登山は、日帰りでも15キロ以上の荷物を背負うことを日課にされているとか。スイスアルプスやマッキンリーにも訪れ、キリマンジャロへは一生の思い出にという方。参加料金も半端ではなく、無念な気持ちはひしひしと伝わってくる。私とて同じ気持ちである。

 グループを三つに分け、現地ガイドが両サイドに付きながら慎重に下る。登山では下りの方が圧倒的に事故が多い。先行した私達はハンズ・メイヤーズ・ケープと言われる岩陰で後続を待った。この30分程が異常に長く感じられ、テルモスに入った熱いお茶を飲みながら今回の旅を振り返ってみた。

 どんな思いがアフリカのタンザニアまで私を来させたのか。それほど複雑なことではなく、長年のアウトドア遊びの中で、いろんな事をやってみたい、いろんな場所へ行ってみたい。それくらいの思いしか浮かばない。一生は一度、地球上のいろんな所へ立つことが出来れば満足かなと。

 4800mまで下りてくると、前方のマウェンジー峰の右に太陽の薄明かりが差し、その鋭い岩峰が雪原の上に浮かび上がって来た。それはとても神秘的で、この世の景色を超越したものであった。地球の創造主のなせる技、いかに人間なんて小さな存在でしか無いことを思い知らされる。

 キボハットのロッジにてしばしの休憩を取り、気を取り直して下山に入る。ホロンボハットまでの長い道のりを一気に下る。振り返れば全体を雪に覆われたキリマンジャロの本峰がドカンとそこにあった。「5895m、ウフル・ピーク」そう簡単には登らせないぞ!と言っているようであった。

 天気は快晴、それぞれのメンバーも気持ちの切り替えが出来たのか、会話を楽しんだり、写真を撮ったりして明るい雰囲気であった。現地ガイドと肩を組んでの記念撮影も。

 今日の宿泊はホロンボハットのロッジ、巨大な山容の山だけに、一気に下ることは出来ない。しかし、登りの時とは違う余裕でキリマンジャロでの最後のロッジ生活が楽しめた。同行の仲間との会話、ロッジでの食事、写真撮影・・・充実したひと時が過ごせた。

山旅 タンザニア紀行 その4

2007-02-17 21:12:34 | Weblog
≪山旅 タンザニア紀行 その4≫

 寝たのか、そうでないの分からないまま朝を迎える。遥か遠いアフリカまでやって来て、まともに寝られない生活は身に応える。

 ここホロンボハット(3720m)では高所順応のために二泊することになる。日本でいえば富士山の頂上と同じ高度であり、ここで2日間いることにより身体が高所に慣れるそうである。

 三日目も雨、気が滅入るが天候ばかりは仕方ない、この日は近場のピークを往復して身体を慣らすことになる。6千メートルに近いピークを目指すためとはいえ大変な作業である。

 四日目、キボハットを目指して登りに入る。雨は小止みとなり、気分的にはありがたい。草原状の平たい高地を黙々と歩くことになる。ラストウォーターと呼ばれる沢の横の休憩地を過ぎると砂漠地帯のサドルへと至る。延々と平地の中を行くルートは退屈極まりない。ただ黙々と歩くのみで辛い行程でもある。

 やがて雪をまとった山々が目前に現れる。最近の地球温暖化で、キリマンジャロの氷河も小さくなっているとの事前情報からすれば、この雪は想定外である。雪の上では休憩もままならず、配給のミネラルウォーターを少しだけ口に含む。

 この日の宿泊はキボハット(4703m)のロッジ、最終の山小屋でもある。ここよりは否が応でも歩いてピークを踏むしか方法がない。背後にそそり立つ盛り上りがキリマンジャロの本体であることは分かるのであるが、雪をまとった岩肌の斜面を見ると気が重い。

 五日目、最終のアタックの日は深夜の12時に起床し、15時間の行程でピークを目指すという計画である。充分な高度順応の出来ていない登山者は、五千メートル以上の高度に長時間いては危険なため、一気に高度を上げて一気に下るのが安全なのだそうだ。

 中途半端な睡眠を取り、夜中に起されて登頂の準備をする。持参した全ての衣類を着込み、頭にはヘッドランプを付ける。行動食となるランチパックと温かいお茶を入れたテルモスをアタックザックに詰める。ロッジの前に全員が揃い、隊列の順番を決める。

 月明かりがあるのが有りがたい。それほど堅くはない雪面を踏みしめて登山道を上がってゆく。トップとラストはタンザニアのガイド、長身で屈強な身体には安心して任せることができる。彼等は国家資格を持つエリートでもある。

 ハンズ・メイヤーズケープという岩屋を過ぎると雪面の斜度が増し、堅く締まった雪面に足を取られるようになる。軽アイゼンでもあれば、なんでもないコンディションではあるが、観光目的のツアーでのアイゼンやピッケルの使用は禁止である。保険加入の都合なのか、矛盾を感じるルールである。

 参加者の小さなスリップが目立つようになり、添乗員と現地ガイドの間で話し合いが持たれた。

山旅 タンザニア紀行 その3

2007-02-16 21:22:02 | Weblog
≪山旅 タンザニア紀行 その3≫

 世界遺産であり、タンザニアの国立公園でもあるキリマンジャロへはマラングゲート(1860m)よりの入山となる。事前に入山許可と入山料を払っていると思われるが、手続きに1時間半ほど掛かって待たされる。この後、ポレポレという言葉を何度も耳にするが、のんびりとかゆっくりという意味合いらしい。分かりやすくいえばアフリカ時間とでもいうのであろうか。

 いざ出発という頃から雨が降り出す。本来の雨季は11月で終わるとのことであったが、今年は長引いているようで、三日間ほど雨にたたられた。黙々とジャングルの中を歩く。道はとても整備されていて歩きやすい。

 今回のツアーは山岳旅行専門のアトラストレック、添乗員はマッキンリーやアコンカグア登頂の経験を持つプロガイドで、その経験は申し分がない。問題は11名の参加者の技術や経験がまちまちで、一度も同行をしたことがないことである。

 この日の宿泊はマンダラハット(2700m)、10棟ほどのロッジがジャングルの中に建っていた。ソーラー発電の蛍光灯がある他は暖房といったものもなく。濡れた雨具を天上から吊るして、早々に2段ベッドに敷いた寝袋に入る。暗くなってから韓国からのツアー客が同室となった。

 翌日も雨、ひたすら登山道を歩き、高度を稼ぐ。このツアーのスタッフは11名、ガイドが2名、その他ポーターとコックが同行している。我々のメインの荷物はポーターが運び、簡単な荷物だけを背負っての大名旅行でもある。宿泊するロッジでの料理はすべてコックが作ってくれるというシステムになっている。

 標高が3000mを過ぎると台地上の所へ出、大木の茂るジャングルから低潅木の草原へと変化する。相変わらず雨は降っているものの、それほど強くはなく、刻々と現れる珍しい花の写真を撮ることだけが唯一の楽しみとなる。

 キリマンジャロは火山性の山であり、その雄大な裾野はとてつもないスケールで、延々と草原の中を歩かされる。お昼ご飯はパンとフルーツとお菓子の入ったランチパックをいただく。内容はとても質素で、ただお腹を膨らますというだけのもである。

 3時過ぎ、今日の宿泊地であるホロンボハット(3700m)のロッジへ辿りつく。この日のベッドは最悪で、一人分のスペースに二人が寝かされた。ニューイヤー登山の客で混んでいるらしく、仕方ないとはいえ辛い経験である。ただひたすら耐えて寝るのみであった。