Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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峠旅 佐久から上州への峠群をゆく! その2

2007-05-23 22:20:24 | Weblog
≪峠旅 佐久から上州への峠群をゆく! その2≫

 下仁田はとても魅力的な田舎町であった。西上州の山間に開けた小さな町で、昭和初期にコンニャク景気で大いに賑わったという。今でもコンニャクとネギが名物である。

 二日目の朝、先ずは土産物屋を訪れる。コンニャク御殿とでもいうのか、会長直々にお話しを伺う。店頭には群馬出身の総理大臣の寄せ書きがあった。成り行きで、上野村村長へのメッセージと土産を預かる。

 川沿いの静かな道を辿って南牧(なんもく)村を目指す。河原からはカジカ蛙の素適な鳴き声が聞こえ、新緑の山の斜面に貼り付く民家も感じが良かった。

 途中、塩ノ沢峠を越えるというIさんと分かれ、三人で大上峠を目指す。西上州の谷筋は深く、一向に高度を上げてくれないのが気に掛かる。

 熊倉の分岐でお茶タイムとする。バーナーでお湯を沸かし、リラックスタイムを過ごす。突然、空き家と思われた民家よりご婦人が現れ、冷たい飲物の差入れを頂いた。地元の方の人情に触れるのはツーリングの大きな楽しみでもある。

 いよいよ大上峠への上りに入る。ひたすら、ただひたすらにペダルを漕ぎ、幾つものカーブをこなして行く。救いは5月の爽やかな風、汗ばむものの、濡れを感じるほどではない。

 大上峠は静かそのものであった。峠の碑と地蔵様だけの何もないところではあるが、拭き抜ける風も心地よい場所であった。

 峠を下り、再度、ダムのところより十石峠に挑む。峠は車やバイクの観光客で賑わっていた。展望台に上ってみるが、感動はあまりない。そそくさと下りに入る。

 Sさんと豪快なダウンヒルを楽しむ。童心に帰るひと時であり、自転車の最大の楽しみでもある。途中、湧水で濡れたカーブに差し掛かる。おまけに砂も薄っすらとのっている。まともの突っ込めば転倒間違い無し、危うく二人で止まり、冷や汗をかいた。

 上野村乙父(おっち)にある黒沢家住宅や上野村村長宅に立ち寄り、神流(かんな)川沿いに今日の宿となる乙母(おとも)の今井旅館を目指した。神流(かんな)川の谷沿いに開けた上野村は辺鄙なところでもある。今から20年前、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落し、520名の命が奪われた場所でもある。


峠旅 佐久から上州への峠群をゆく!

2007-05-13 21:48:18 | Weblog
≪峠旅 佐久から上州への峠群をゆく! その1≫

 信州佐久と西上州を分ける峠は数々ある。今回は内山峠、大上峠、十石峠、ぶどう峠を越えて来た。それは、今から35年前、サイクリング雑誌のツーリング記録で知った峠群でもある。

 長野新幹線佐久平駅に4名のメンバーが集まり、そこより二泊三日の峠旅が始まった。中山道岩村田宿を抜け、県道44号下仁田浅科線を東進する。前方には上州との県境となる稜線が立ちはだかっているが、それほどの険しさは感じなかった。

 親小田、志賀と佐久地方そのものの家々が立ち並ぶ集落を通り抜ける。駒込よりは人家も無くなり、いよいよ峠への上りに入る。更に未舗装の九竜平林道に入り、大きな砂利がゴロゴロした地道をノンビリと、かつ確実にペダルを漕いで上がって行く。

 新緑にはまだ早く、山桜の咲く下を落ち葉を踏み締めながら走るのも心地よい。幾つものつづら折れをやり過ごして妙義荒船林道へ辿り着く。

 そこよりは内山牧場の横をかすめ、荒船山を正面に眺めながら内山峠を目指す。左手下方には上州の山間の村村がはるか下に眺められる。かなりの高度差で、上州からの上りは大変そうだ。

 荒船山が目前に迫ったところが内山峠であった。稜線上のちょっとした切通しで、ハイカーの車が多く停まっていた。昔の峠の風情はあるものの、静かさには欠けるようだ。

 次ぎの訪問地は神津牧場。明治時代に作られた日本で最初の西洋式牧場とのことで、その背後には浅間山が遠望でき、別天地的な素適な場所であった。いい齢をしたオッサンが3人、名物のソフトクリームをほお張る姿は絵にならないであろう。

 下仁田へ一気に下る。国道254号沿いに残る旧道を上手く拾って快適なダウンヒルを楽しむが、あまりの激坂にブレーキを握る手がしびれてくる。道の両側は新緑で彩られ、萌黄色が目にやさしい。山菜に興味津津のK瀬さんが目ざとくコゴミを見付けて止まる。

 下仁田の町はネギとコンニャクが有名。昭和初期にはコンニャク相場の高騰で大儲けをしたとかで、今日の宿となる「下仁田館」には、往時は30名の芸者が居たという。なかなか風情のある宿であった。ここは上信電鉄(高崎~下仁田間)の終点でもある。

 一日のツーリングの後の楽しみはお風呂とご馳走。テーブルを覆い尽くすコンニャクと山菜の料理は十分に満足のゆくものであった。女将から聴く下仁田の歴史の話で盛り上がり、ビールの本数が増えたことは言うまでもない。

輪旅 甲賀の里・信楽を行く!

2007-05-10 22:17:14 | Weblog
≪輪旅 甲賀の里・信楽を行く!≫

 近江鉄道の終着駅でもあるJR草津線の貴生川駅前に27名のサイクリストが集まった。今回は京都の2つのクラブさん、名古屋の2つのクラブさんと奥美濃サイクリングクラブとの合同ランに参加である。

 いささか時代遅れの駅前商店街を抜け、野洲川の支流に沿って堤防道路を下って行く。平行して走る草津線は、中山道と東海道の追分となる滋賀の草津より三重の柘植を結ぶローカル線で、昔、C58という蒸気機関車が走っていたように記憶をしている。

 昔の主要幹線、東海道が野洲川を渡るポイントに出合う。横田の渡しといい、江戸時代は4艘の船をつなげて仮の橋を架けたという。いわゆる船橋というものであろうか。対岸には1823年に建てられたという高さ10m(日本一?)の常夜灯が望まれた。

 天保義民の碑を過ぎ、三雲駅のところより山間へ入って行く。県道53号牧甲西線の上りに入る。27名の隊列は徐々に乱れ、健脚を誇る連中はガシガシとスピードを上げて先行して行く。

 ゴルフ場を過ぎ、やがてアセボ峠に辿りつく。昔の旅人がこの峠を越える時、あまりの汗にアセモができたところから名が付いたとか。かなり眉唾っぽい話であるが。新道の上に昔の峠と思われる場所があり、地蔵さまが奉られていた。

 心配していた雨が降り出す。それぞれが好みの雨具に身を包み、峠の下りに入った。スピード感を感じながら右に左にカーブをやり過ごす。降り切ったところが信楽の里、周囲を小高い山に囲まれた盆地状の農村地帯である。

 唐突に紫香楽宮跡が右手に現れた。笹に覆われた赤松林の丘は、奈良時代の天平年間に聖武天皇が都を置いた場所である。凄い史跡であるにもかかわらず、仲間は足早に先へ行ってしまった。

 雲井駅の辺りより裏道に入り、信楽高原鐵道沿いに南下する。長閑な田園風景が続き、家々の前に置かれたタヌキの置物に信楽らしさを感じさせてくれる。

 終着となる信楽駅前の「魚松」にて昼食をいただく。お椀をデフォルメ?した大きな器に盛られたご馳走は豪華そのもの。それにお寿司まで付いて大満足であった。

 帰りは同じ道を戻り、雲井よりは国道307号を走る。高原状の原野を行くこの区間も魅力的で、鉄道がその雰囲気を盛り上げてくれていた。

 国道の途中より旧道に入り、小野峠を越えて貴生川へと戻った。水口は東海道の宿場町で、水口城もあった。水口藩は二万五千石で家康も頻繁に泊まったとか。

 たいした雨にも遭わず、和気藹々のうちに合同ランは終了した。たまにはこのようなプランも良い・・・自転車の仲間と交流出来ることは違う楽しみがある。