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輪旅 北恵那鉄道・憧憬の旅!!

2009-03-09 22:19:02 | 自転車旅
《輪旅 北恵那鉄道・憧憬の旅!!》

 昭和53年、中津町駅と下付知駅間22・1kmをつないでいた北恵那鉄道が、その役目を終えて廃線となった。

 それから30年後、自然に帰ろうとしている線路跡を探しながら、北恵那ののどかな風景の中を自転車で走ってみた。

 中津川駅の地下道をくぐり、駅の北側に出る。まったくの住宅地で、そこに始発となる駅舎があったことさえ感じることは出来なかった。駅構内は、駐車場となり、唯一、境界線となる杭だけが残っていた。

 中津川第一橋梁は、妙見橋の下に隠れていた。新しい橋の上から見下ろす橋梁は、赤くさび付き、残骸を晒している。役目を終えて朽ち果てていく人工物は、どこか物悲しい。まだまだ使えるぞ!と言っているようで・・・

 木曽川へ向かい、玉蔵橋を渡る。ここから下流方向に木曽川橋梁が眺められる。その異様な光景は、見た者の足を止めてしまう。赤というよりは黒に近い錆び色は、心の奥底にずしっと重く入り込んでくる。

 かつては、緑と黄色のツートンに塗られた電車がそこを走っていた。その車内には、買い物の人、通勤や通学の人、のどかな平和を乗せて運んでいたのであろう。

 恵那峡口停留所があったという橋の袂に行ってみる。土手をよじ登り、ヤブを分けて橋梁の目の前に出た。レールや枕木が外され、リベット留めされた鉄製の橋梁の間から眺める木曽川の流れは昔と変わらないのであろう。

 苗木城の下にある、山之田川に架かる橋へ向かう。ここはまた違う感動があった。ローマにある水道橋のように、高く積み上げられた橋脚の上に、当時のままの橋梁が残されている。

 山之田川駅を探す。地元のご婦人に訪ねると、なんと30年前の「さよなら列車」に乗って付知へ行ったという。苗木城の下から山之田までの線路跡は今でも歩けるという。

 情報通り、山之田駅のプラットホーム跡には、3段?の階段があった。線路跡に沿って苗木駅を目指す。途中は、水田の区画整理のために線路跡が無くなっていた。

 苗木駅・・・そこは分譲地となり、新築の家が数軒建っていた。これも時代の流れ・・・いたし方ない。国道を挟んだ西側の小川に、当時の橋台を見つけ、なぜか嬉しくなった。

 上苗木停留所跡は見つからず、先へ進む。線路跡は、国道を踏み切りで越え、並松への坂を上っていったようだ。農家の庭先の紳士に訊ねると、わざわざ案内をしてくれるという。沿線で出会った方は皆さん親切であった。

 民家の車庫となった場所より、線路跡は林の中を抜けて峠へと向かっていた。雑草はきちんと刈り込まれ、東濃らしい長閑な風景が後方に広がっていた。

 並松の集落へ出ると、不思議な橋が残っていた。線路を越える跨線橋のようだが、その下は埋められて畑となっていた。福光橋と書いてあった。

 道に迷いながら並松の駅跡へと出る。駅舎はもう無いが、二つのプラットホームはきちんと残り、当時の面影が色濃く残っていた。

 更に、国道に沿って付知方面へと向かう。関戸停留所跡は、路盤の半分が削られ、見る影も無いが、線路跡には枕木が残っているようで、雑草の下にその凹凸を感じることが出来た。

 福岡駅は、苗木駅同様に変貌していた。まったくその面影はなく、最近建てられた記念碑だけが残っていた。後で聞いた話しであるが、歴史保存会館の館長など、鉄道跡を残そうという有志の方々の寄付とのことであった。

 ここより線路は、現在の国道を切通しによって付知川の河川近くまで下っていた。階段状の道を強引に下り、草の生えた線路跡へと出る。

 橋梁跡をそのままリニューアルしたつり橋を渡る。福岡ローマン渓谷というらしい。その先の路盤は、きれいな遊歩道となり、栗本まで続いていた。個人的には、あまりに手を入れられた廃線跡には興味が湧かないが、まったく消え去ってしまうよりはましである。

 丸い川石で組まれたプラットホームの栗本駅に出会う。ここにあったという旅館(栗本温泉か?)のための駅とか・・・のんびりとしたいい時代だったのであろう。

 その先は、通行不能という看板に従い、橋を渡って左岸の町村道?を走る。付知川を見下ろしながらの長閑な道であった。やがて下野の集落へと至る。(最近、ボランティアの方々が草を刈り、やがては遊歩道になるそうだ)

 下野といえば、庚申さんが有名である。日本三大庚申と言われ、見ザル、聞かザル、言わザルのマスコットが街中に飾ってあった。庚申信仰も興味深い。

 ここより大萱へ迂回し、高度を上げて行く。とても展望の良い場所で、付知川沿いに広がる河岸段丘の眺めが素晴らしかった。

 坂を下って島田橋のところへと出た。鉄道跡は、国道より3メートルほど上の山裾を通っていたようだ。当初の予定では、終着となる下付知駅まで行くつもりであったが、時間切れで引き返すこととなった。

 帰路、福岡の街中にある「北恵那鉄道歴史保存会館」へ立ち寄った。以前より気になっていた所で、その手作りの資料館には、当時の北恵那鉄道の遺品が多く展示されていた。

 ここは、全国に三つしかないという個人経営の資料館で、館長である後藤さんが、長年かかって集められた鉄道関連の物が所狭しと展示されていた。「北恵那鉄道の跡を岐阜県の歴史文化遺産に・・・!」そんな熱い情熱話しをお聞きし、多くのパワーを頂いてきた。

 後は、ひたすらペダルを漕ぎ、城山大橋を渡って中津川駅へと戻りついた。

 自転車での廃線跡めぐり・・・とても相性が良く、狭い路地を走ったり、あぜ道や土手を押して行ったり、時には担いで行くのにも都合がよい。現在も、時代の流れで廃線の憂き目となる鉄道は多いと聞く。いつまでも化石燃料があるわけでもなし。いつの日にか、また鉄道が脚光を浴びて復帰する時が来るような気がしてならない。


画像はこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/69671/

アバウトな鉄道跡
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=86f2c2570ff80cb600c5596ed05668ee