Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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輪旅 山城から大和・古寺巡礼!!

2010-03-30 10:34:33 | 自転車旅
《輪旅 山城から大和・古寺巡礼!!》

 和辻哲郎の古寺巡礼、亀井勝一郎の大和古寺風物詩・・・奈良のお寺には、京都とは違う静かさ、落ち着きがあるように感じる。そんな忘れ去られたような大和路の寺院を訪ねて自転車を走らせた。

 京田辺市からスタートし、生駒市、大和郡山市へとルートを取る。一休寺、観音寺、長弓寺、霊山寺、宝山寺(生駒聖天)、矢田寺(金剛山寺)、松尾寺(厄除観音)、慈光院の八つを訪れた。鳥居をくぐってお寺参りというのも不思議な感じがしたが。

ルートはこちらから・・・
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=d32a3cb7038730f21108994dbba3ddb0

画像はこちらから・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/361748/

 JR奈良線山城青谷駅に降り立つ。そこより、木津川に架かる山城大橋を渡って京田辺市へと向かった。前方には生駒山系のなだらかな山容が見えた。

 一休寺・・・酬恩庵は、京都府京田辺市にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は霊瑞山。本尊は釈迦如来。一休寺とも称される。 枯山水の石庭や一休和尚の木像のほか、納豆の一種である「一休寺納豆」でも有名とか・・・あの有名な一休さんが晩年に住んだという。

 同志社大学の裏手を回って観音寺へと走る。ちょとした峠を越えると一面黄色の菜の花畑へと出た。その奥に観音寺があった。

 観音寺・・・奈良時代、法相宗の僧義淵により創建された観心山親山寺が始まりと伝えられ、天平年間(729年~748年)良弁が中興したという。その後奈良の東大寺の実忠和尚が第一世として入寺したという。たびたび火災に遭い藤原氏の援助によりその都度復興されたが、藤原氏の衰退とともに寺運も衰えた。本尊は国宝の十一面観音・・・

 県道65号を南下する。道は徐々に標高を上げ、景色は田舎へと一変する。手入れの行き届いた棚田や、その背後に広がる竹薮の緑が美しい。奈良県と京都府の境となる打田の集落が最高点となる。昔のままの家並みに心がなごむ。少し下り、池に突き当たったところで右折。その先が県境であった。土手の上の枝垂桜のつぼみが膨らんでいた。


(県道65号 京田辺市打田付近)
 長弓寺・・・奈良県生駒市上町にある真言律宗の寺院。山号は真弓山、本尊は十一面観音、開基は行基と伝える。国宝の本堂は鎌倉時代の密教仏堂の代表作として知られる。両端がそりあがった桧皮葺の屋根が美しかった。

 霊山寺・・・奈良市中町にある霊山寺真言宗大本山の寺院。開基は行基と菩提僊那、本尊は薬師如来である。奈良市の西郊・富雄川沿いにあり、戦乱に巻き込まれずに古い面影を残す。バラ園があり、世界のバラの花を集めていることで有名である・・・とあるサイトより


(生駒山宝山寺)
 阪奈道路沿いに走り、帝塚山大学の横を通って生駒市内へと入る。山裾の狭いエリアでありながら、結構な繁華街で驚く。アーケード街も賑わっていた。生駒山へのケーブルカーに沿って急坂を上る。窓の周りの電飾が点滅し、ワイヤーに引かれて上がってゆくケーブルカーはとても可愛い!??オジさんが乗るには恥ずかしすぎる・・・かも(笑)

 宝山寺・・・奈良県生駒市門前町にある真言律宗大本山の寺院。生駒聖天とも呼ばれる。山号は生駒山。1678年に湛海律師によって開かれた。本尊は不動明王。鎮守神として歓喜天(聖天)を聖天堂に祀っている。仏塔古寺十八尊第十五番・・・とあるサイトより

 奈良時代、背後にある岩山で役行者が修行をしたという。その場に立つだけでも霊験があるなと感じさせる場所であった。次回は、奥の院を訪れてみたい。


(暗越奈良街道・国道408号)
 国道168号を南下し、近鉄の南生駒駅のところで左折し、国道308号へ入る。暗越奈良街道とも呼ばれ、大阪の玉造神社より伊勢神宮へ向かう伊勢本街道でもある。その歴史を感じさせる道は、今も当時の面影を色濃く残していて感動であった。

 伊勢本街道・・・いつか、伊勢神宮から大阪まで自転車で走ってみたい。行程は170km、歩きであれば1週間はかかる。一泊二日で走ろうかと。

 矢田寺・・・奈良県大和郡山市にある高野山真言宗の寺院。山号は矢田山。正式の寺号を金剛山寺という。別名「あじさい寺」とも呼ばれ、境内には約8000本、60種のアジサイが植えられている。 さらに矢田寺大門坊では、古くより容眞御流華道の家元として、華道研究も盛んに行われている・・・とあるサイトより

 松尾寺・・・奈良県大和郡山市にある真言宗醍醐派の別格本山。山号は松尾山または補陀洛山。本尊は千手観音。開基(創立者)は舎人親王と伝える。日本最古の厄除け寺と称され、2月・3月の初午の日の縁日には多くの参詣者でにぎわう。境内にはバラ園があり、バラの名所としても知られる。なお、寺名は「まつのおでら」「まつのおさん」などとも呼ばれる。

 慈光院・・・奈良県大和郡山市小泉町にある臨済宗大徳寺派の寺院である。山号は円通山。本尊は釈迦如来。石州流茶道の祖・小泉藩主片桐石見守貞昌(石州)が創建した。先ず、わら葺の山門に驚く。茨木城の楼門を移築したものとか。境内に入ると、本堂の屋根もわら葺であった。拝観料は、お抹茶付きで千円・・・

 JR大和小泉駅より帰途に着く。奈良駅で乗り換えて京都駅へ・・・平城京遷都1300年祭のせいか、外国からの観光客を多く見かけた。

仏教伝来・・・飛鳥時代、欽明天皇の頃に百済より伝えられたという。当時の豪族、物部氏は日本古来よりの神道を・・・曽我氏は仏教を支持。当時の寺院の形態は飛鳥寺にあり、その後、平城遷都により奈良方面へと移る。天平の瓦・・・奈良には、立派な寺院が多く建てられたが、平安遷都により京都へ中心は移ってしまった。よって、かえって奈良には古きよき時代の寺院が残っていると・・・私は思う。






山旅 敦賀・西方ヶ岳から螳螺ヶ岳へ!!

2010-03-23 23:02:23 | 登山
《山旅 敦賀・西方ヶ岳から螳螺ヶ岳へ!! 》

 春を探しに・・・総勢14名で敦賀の山へ行ってきました。
日曜も雨、火曜も雨・・・22日だけが好天のようでした。

 敦賀半島の山々・・・その魅力は展望・・・低山ながら日本海を眼下に眺めながら縦走できるのは感動モノです。

 先ずはフォトアルバムをご覧ください・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/359368/

 登山口は常宮(じょうぐう)神社から・・・豊臣秀吉軍が朝鮮から持ち帰ったといわれる国宝の新羅鐘は、渡来した鐘では最古のもの。「お産のじょうぐうさん」と親しまれ、安産の神様としても名を知られているという。

 神社横より民家の間の道を進み、登山口へと進む。山に突き当たったところより階段で整備された道を登ってゆく。周りの木々は広葉樹がほとんどで、視界が利くのが嬉しい。タムシバの白い花が咲き始めていた。


(奥の院展望台より敦賀湾を見下ろす)
 この山の魅力は海の展望・・・銀色に光を反射している敦賀湾の眺めに心が癒される。湾の向うには、伊吹山、金糞岳、美濃又丸、笹ヶ峰といった奥美濃の山々。部子山、銀古峯、加賀白山などの福井の山々が白く眺められた。

 オウム岩・・・ここも絶好の展望台で、その高度感が気持ちよい。ここは岩登りの練習場でもあるらしく、確保用のピンがあった。


(西方ヶ岳頂上にて)
 途中、銀命水の湧き水に喉を潤す。かなりの山の上でありながら、滾々と流れる水が不思議である。

 登り口から2時間半、途中から現れた残雪を踏みしめて頂上に立った。避難小屋もあって心強い。湾が見下ろせる岩の上に立て、展望を楽しんだ。


(西方ヶ岳からサザエヶ岳の稜線には残雪が)
 ここの山の魅力は尾根の縦走・・・残雪を踏みしめ、サザエヶ岳を目指す。時より、眼下に見える水島の海の色が素晴らしい・・・エメラルドグリーン・・・まるで南の島のような雰囲気である。

 サザエヶ岳で最後の景色を楽しみ、裏底集落へと急いで下山をした。

 敦賀三山・・・野坂岳、岩篭山、西方ヶ岳・・・次回の山旅のイメージを描くのも山遊びの大きな楽しみでもある。

輪旅 浜名湖早春賦!!

2010-03-16 11:53:09 | 自転車旅
《輪旅 浜名湖早春賦!!》

 岐阜の峠は、まだまだ雪に埋もれています。この時期は、暖かい遠州辺りを走るのが快適なようです。去年の秋より自転車を始めたというカヌー仲間のAさん・・・初心者だから連れてってください!・・・なんて言葉を真に受けてご一緒すれば・・・何と!返り討ちにあってしまいました(笑)

 先ずは動画でも・・・
http://zoome.jp/nosanjin/diary/66/

 豊橋での乗り換えは3分・・・輪行袋を抱えて階段を駆け上がった。飯田線に乗り換えると、カヌー仲間のAさんがすでに乗っていまた。自転車も輪行袋も新品・・・これからバリバリと走りたいとの言葉が嬉しい。

 三河一宮駅で下車。三河国・・・奈良時代、律令制で定められた国名で、68ほどあった。現在の県にあたり、県知事の立場が国司で、中央(都)より派遣された。一宮・・・平安時代、「延喜式神名帳」の式内社より選ばれ、任命された国司が一宮、二宮、三宮と巡拝するのが習わしであったという。それを略したのが総社だとか・・・

 三河一宮「砥鹿神社」・・・国国宮めぐりと称し、全国の一宮を巡拝しながら「御朱印」をいただいている。年を取るとこのような趣味が楽しみとなるから不思議だ。砥鹿神社は大己貴命(大国さま)を祀る旧国幣小社で、本宮山に奥宮が祀られている。


(宇利峠からの浜名湖)
 お参りを済ませ、宇利峠に向かう。標高のせいか、岐阜の山々方すれば、三河の山は優しい感じがする。東名高速に沿って峠へ向かった。ジグザグの道を上がれば直ぐに宇利峠、越えれば静岡県となり、三ケ日から浜名湖への眺めが素敵であった。


(三ケ日のミカン畑を走る!)
 三ケ日といえばミカン、温暖で日当たりのよい丘陵地が延々と広がっていた。裏道を選び、ミカン畑の中へ自転車を走らせた。


(浜名湖?猪鼻湖)
 三ケ日の町を抜け、猪鼻湖へ出て湖岸道路を走る。2メートルほどの幅のサイクリングロードが続き、快適に湖岸を走ることができた。

 気賀の関所跡へ寄り、その後は遠州森町を目指してひたすら走った。

 最後の目的地は、遠江国一宮となる「小国神社」へ。玉砂利の敷かれた長い参道を歩き、お約束の御朱印をいただいた。大己貴命(おおなむちのみこと)を祀る。「小国」という社名は、出雲の「大国」に対する遠江の美称であるという。

 暖簾を片付けようとしていた蕎麦屋にお願いし、遅すぎる昼食をとした。

 後は、袋井の駅を目指し、ひたすらペダルを漕いだ。



輪旅 御所から北野天満宮へ!!

2010-03-02 11:38:54 | 自転車旅
《輪旅 御所から北野天満宮へ!!》

 2月に入れば、京都市内の梅も咲きほころぶ。今回は、自転車の仲間20名で古都の散策を楽しんできた。

 先ずは御所へ・・・平安京の時代から明治初期まで、都は京にあった。明治に入り、都は東京に移されたが、天皇家にとっては、やはり京都がホームベース!??のように感じた。

 京都御所・・・794年、大和国の平城京より山城国の平安京に都が移され、その中央に内裏が造られた。しかし、相模国に幕府が作られた鎌倉時代、京の都は戦乱に明け暮れ、平安京の内裏(天皇の住まい)も、羅城門も、朱雀門も、大極殿も荒れてしまったという。

 現在の御所は、鎌倉中期、土御門天皇の里内裏であったものを拡充し、現在に至っている。平安時代をほうふつとさせる優美な建物を見るだけでも感動できる。宜秋門、建礼門、紫宸殿、清涼殿、御常御殿、御涼所と見学をする。特に、承明門から眺める紫宸殿は圧巻、身震いをするような感動を覚えた。

 その後、自転車の仲間20名と合流し、御苑の中を一周した。このような自然が市内にあり、テニスや散策を楽しめるのはとても羨ましい。


(北野天満宮の梅)
 武者小路通りにて北野天満宮へ向かう。三千家の一つ、武者小路千家官休庵の前を通った。途中、今売り出し中の妖怪ストリートへも。

 天満宮の梅は満開で、多くの参拝者で行列が出来ていた。京都の方はきちんと並んでお参り・・・大阪なら、横から入って直ぐにお参りするとⅠさんからのお言葉、岐阜も同様である。やはりお品がいいということか。


(古都を自転車で散策)
 清水寺や金閣寺などの有名なところもよいが、ディープ??な京都の裏道も味わいがある。予期しない場所に、歴史の教科書に出てくるような建物や遺跡があるとかえって感動するようだ。

 お昼は「水琴亭さもん」で・・・1500円のランチはとても豪勢で、京都らしくなかった。部屋の中から眺める庭園も素晴らしく、今回の一番の収穫?だったように思う。


(花街・島原の角屋)
 昼食後はフリープランへ・・・京都の街中を20名で走るのは辛い。祇園から円山公園方面へ向かうものなど、それぞれが好きなところへ。

 京都方面のサイクリングでは、いつも情報をいただいてるF原氏の案内で壬生寺へ。壬生狂言で有名なお寺の建物は昭和37年に焼失し新しいものであるが、新撰組隊士の墓である壬生塚がある。隣には、新撰組の宿舎となった壬生屯所もある。

 ここで更に別れ、男だけ?で島原の遊郭跡へ向かう。幕府公認遊郭・・・江戸吉原、京都島原、大阪新町、伊勢古市、長崎丸山・・・そういう時代もあったということだ。

 島原大門をくぐり、今も建物が残る輪違屋、角屋を訪れた。神社仏閣とは違う、豪壮な町屋としての威圧感を感じた。お公家さんも、西郷さんも、新撰組もここのお馴染み?だったとか。

 更に南下して梅小路機関区へ・・・蒸気機関車好きにはたまらない場所。あの石炭を焚く匂いと、甲高い汽笛の音を聞くだけで青春?が蘇る。展示されていた京都市電の車両も懐かしい。現在も犬山の明治村を走っているのと同型のようであった。

 羅城門跡より、京街道(鳥羽街道?)にて伏見へと向かう。鳥羽街道、伏見街道、西国道(山崎道)、奈良街道、師団街道・・・東海道は、53次ではなく、57次であったとか。

 伏見といえば灘と並ぶ酒どころ・・・月桂冠、黄桜、富翁、キンシ正宗、松竹梅をはじめ名だたる酒蔵が24集まっている。湧き水の良さが酒の味を左右するため、ここ伏見の酒造りが盛んになったそうだ。なぜか、松竹梅は灘の酒でもある!???

 御香宮神社(ごこうのみや)へ立ち寄り、美味しい伏見の湧き水をいただいた。その後、京都駅へ・・・鳥羽伏見の戦いの時、格子戸に付いた弾丸の跡にぎょっとした。

おまけ・・・その1
灘の酒といえば、大関、日本盛、白鹿、松竹梅、白鶴、菊正宗、剣菱、沢の鶴、富久娘など。

おまけ・・・その2
豊臣秀吉が京都に聚楽第(じゅらくだい・じゅらくてい)を構えていたころ、都を囲む塀「御土居・おどい」を築いたという。その中を洛中、その外を洛外と言うそうだ。現在もその痕跡が数箇所残っているという。鞍馬口、丹波口の地名はその当時の名残りとか・・・次回、それを訪ねて回るプランをやってみたい。