Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

輪旅 越中の利賀村を走る!!

2009-09-29 21:53:46 | 自転車旅
《輪旅 越中の利賀村を走る!!》

 利賀村(現南砺市)・・・それは富山で一番辺鄙な場所かもしれない。以前、白川郷から牛首峠を越えて利賀村水無へ入ったことがある。水無はすでに利賀川ダム建設の時に廃村となっており、屋敷跡の石垣や耕作地の痕跡だけが残っていた。

 五箇山インターを降り、平村より結構な山道を上り、山ノ神トンネルを貫けて利賀村の中心地へと入っる。地名は阿別当、利賀そばの郷がそこにあった。

 5キロほど北上し、旧の村役場駐車場に車を停める。天気はイマイチで、時より小雨が降るというコンディションであった。いっそ、しっかりと降ってくれれば温泉ツアーにでも切り替えたいところであるが、予報では、9時頃より晴れるとか・・・

 濡れた路面を気にしながら走り始める。坂を上がれば直ぐに新楢尾トンネル・・・潜ったところが百瀬川・・・ほとんど車の通らない国道471号を二人で走る。点在する民家に人気はなく、山間の寒村という感じそのものであった。

 当初のプランは、栃折峠を越えへ、八尾の町より県道25号にて旧山田村、庄川町へと向かう予定であったが、出発が遅れたために百瀬川に沿って山田温泉へと向かうコースを取った。なかなか静かで良い道が続いていた。


(百瀬川にそって富山平野へと向かう)

 谷の集落より人家が現れる。左折すれば鍋谷へ・・・牛岳トンネルを貫ければ小牧ダムへと出るようだ。百瀬川は山田川へと名前を変えていた。

 山田温泉に出る。地元では人気?の場所のようで、数軒の温泉宿もあった。サイクリングの仲間と泊まるには絶好のロケーションとみた。

 県道59号より25号へ入る。周囲の山の標高は低くなったものの、富山平野に出たとはいえない。結構なアップダウンを繰り返しながら庄川町へと向かった。


(庄川の旧道に沿って走る)

 三谷の交差点で左折をし、県道11号にて庄川町を目指す。岐阜県にも荘川町(現高山市)があるが、同じ庄川の流域ということで地名が付いているようだ。庄川に架かる雄神橋を渡って町中へと入っていった。

 この町並みが良かった。融雪用の散水装置が埋められた道が井波町へと続いていた。適度に曲がりくねった道沿いの民家の佇まいがまた良い。豪勢な佇まいではないが、まさしく日本の家屋である。


(彫刻の町、井波)

 予定にはない訪問であったが、井波の地名を見つけて寄りたくなった。この井波は彫刻の町・・・あの欄間彫刻の職人が住む町でもある。その光景は、ガラス越しに見学することが出来、数十本のノミが整然と並べてあるのを見てもその彫刻の凄さが伝わってくる。

 瑞泉寺・・・そこは井波彫刻の集大成!?・・・建物のそこかしこに凝った彫刻が施されていた。一見の価値あり・・・であった。

 瓜裂清水の前を通り、小牧ダムへと向かう。ここからが長かった。峠こそないものの、庄川から利賀川に沿って付けられた国道は、急峻な谷の上部を通り、峠越え以上の大変な上りを強いられる。

 冬場の積雪期、この道を利用して富山の町へ通勤に・・・信じがたい光景である。凍結した路面でスリップすれば千尋の谷へ・・・

 道の駅「利賀」で最後の休息を取り、スタート地点へと無事に戻った。

 東海北陸自動車道が全通したため、富山と岐阜は近くなった。まだまだ富山には素敵なところが多くあるようで、しばらくは富山通いが続きそうである。

コースはこちら・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=9b1971021b195472dbc92f73c8d83b28

画像はこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/225265/





長州への旅!

2009-09-23 21:52:05 | 旅行
《長州への旅!》

 大垣インターから新門司インター間は692km・・・高速千円(実際は2100円??)の魅力には勝てず、徹夜で走ることとなりました。関門海峡大橋を初めて渡りました。関門トンネルは工事のために通行止めのため、再び大橋で下関に戻って観光を開始・・・

①壇ノ浦といえば源平の合戦・・・火の山から眺める海峡は雄大でした。


②安徳天皇陵(第81代)・・・平氏の滅亡とともに入水、わずか8歳であったという。母はのちの建礼門院(平清盛の娘)時は1185年、7年後に鎌倉幕府が成立。これで歴代、124代の天皇陵を全て巡拝することができました。


③唐戸市場・・・下関といえばここ・・・海なし県の住人としてはまるで竜宮城・・・アワビ、ウニ、サザエ・・・クジラの肉も・・・豪勢すぎて涙が!??


赤間神宮
 山口県下関市にある神社である。旧社格は官幣大社。壇ノ浦の戦いにおいて幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。江戸時代までは安徳天皇御影堂といい、仏式により祀られていた。平家一門を祀る塚があることでも有名であり、「耳なし芳一」の舞台でもある。
とあるネットより

長門国一宮 住吉神社
 長門(ながと)の国というよりは長州のほうが通りが良い。社殿上の正面屋根(檜皮葺)に五つの千鳥破風を組み、春日作りと流造りを組合せた特徴のある本殿は国宝。

長府
 長門府中が長府になったかと・・・甲斐府中が甲府、駿河府中が駿府、周防府中が防府。功山寺には高杉晋作の像が・・・乃木希典の生誕地・・・土塀の美しい町であった。

秋吉洞
 百枚皿、黄金柱・・・一度見れば充分かと。

秋吉台
 カルスト地形は雄大であった。次回は歩いてみたいところである。


 町全体が博物館・・・多くの民家に当時の石垣が残り、一日いても飽きない癒しの町かと。萩城跡、松下村塾、高杉晋作誕生地、木戸孝允旧宅、伊藤博文別邸・・・見所は多い。伝統的建造物保存地区の浜崎町、平安古町なども必見。萩反射炉へも足を伸ばしたい。

防府
 周防国の国府があったことから防府(周防府中?)。周防一ノ宮の玉祖神社、三大天満宮の防府天満宮、種田山頭火の小路、周防国分寺、毛利氏邸宅跡、周防国衙跡と周る。

 周防国分寺は、奈良時代の面影があり、その歴史の重みに感動を覚えた。広大な国衙跡も歴史ロマンを感じさせてくれる。

山口市
 宿泊は、湯田温泉・・・なかなか歴史のある温泉で、夜の散策も楽しい。中原中也記念館へは是非とも寄りたい。

 瑠璃光寺・・・西の京とも呼ばれ、藩主大内氏によって造営された五重塔は素晴らしいの一言。

津和野
 先ずは蒸気機関車C57と並走する。その迫力は圧倒的・・・無機質な今時の鉄道にはない、生き物に似た温かみがあった。

 津和野の町・・・昔、訪れた時のような感動はなかった。観光客が多すぎるせいであろうか。


 無事に山口の観光を終えた。またチャンスがあれば訪れてみたいが、次回は新幹線を利用したい。車でのドライブには遠すぎる。

山旅 平瀬道より白山へ!!

2009-09-14 22:12:25 | 登山
《山旅 平瀬道より白山へ!!》

 秋本番の白山へ行ってきました。

 メインの登山口である石川県白峰村一之瀬(現白山市)からは何度か登ったことがありますが、白川村平瀬からのルートは初めてでした。大白川・・・白水湖・・・平瀬道は予想以上に素晴らしいコースでした。

 
 岐阜、福井、石川にまたがる山ではあるが、なぜか加賀白山と呼ばれる。それは、石川県白山市に祀られた白山比(しらやまひめ)神社の存在からかもしれない。全国に渡って勧進されている白山神社の総本宮であり、加賀の国一ノ宮でもある。

 山岳信仰といえば、富士山(浅間大社奥宮)、白山(白山比神社奥宮)、立山(雄山神社峰本社)、御嶽山(御嶽神社奥社)など、山自体が信仰の対象であり、頂上には祠が祀られている。伯耆大山、男体山、石鎚山、戸隠山、月山・・・主だった山々が御神体である。

 深夜、大白川の登山口に着く。長野からのメンバーと合流し、テントで前祝の酒盛り・・・翌朝のプランの打ち合わせをし、寝袋に入った。

 避難小屋の横より登山を始める。結構なブナ林もあって心がなごむが、道の勾配はきつく、一気に汗が噴出した。

 ブナ林が終り、ダケカンバの大木が現れ始める。道は稜線を行くようになり、右手には三方崩山のガレが大きく現れた。

 大倉山が近くなったころ、木々の間に白山本峰が見えてきた。蛭ヶ野辺りより見慣れた二こぶのピークが目の前に・・・久々に眺める高山に感動を覚えた。


(大倉山付近よりの白山本峰)

 大倉山避難小屋を覗いてみる。昔の避難小屋と違い、中は清潔そのものである。ここで一泊もよいかと・・・

 室堂の平に出れば苦しい登りから開放される。ハイマツの中の道を横切り、小屋の前へと至る。ベンチに腰掛け、しばしの休憩を楽しんだ。


(白山頂上よりお池めぐりへ)

 御前峰(2702m)へ無事に到着。先ずは祠に感謝のお参りを・・・素直にお参りが出来るところが日本人である証かも。小松基地からやって来たヘリコプターが上空でホバリングをしていた。何かの訓練であろうか・・・

 時間も早いため、お池めぐりをする。白山は火山であり、頂上の付近には多くの火口跡の池が残っている。とても素敵なところなのだが、登山者の一割も訪れないようだ。静かな頂上散歩を終えて室堂へと戻った。


(白水湖を眼下に下る)

 下山に入る。白水湖めがけて一気に下る。自転車であれば、至福のダウンヒルと行きたいところだが、登山の下りは登り以上に辛い・・・休憩のたびにストレッチを繰り返し、その後に襲ってくる筋肉痛に備えた。

 無事に下山。白水湖の横にある露天風呂に飛び込む。湖面を眺めならが入る掛け流しの温泉は最高・・・今日の充実した登山を振り返った。



輪旅 越中八尾・おわら風の盆へ!!

2009-09-01 21:31:26 | 自転車旅
《輪旅 越中八尾・おわら風の盆へ!!》

 越中八尾・・・それは風の盆で知られている。
 胡弓と三味線の音に合わせての盆踊りは、とても哀愁にあふれていて物悲しい。
結果、雨天のために踊り(前夜祭)は中止となったが、素敵な八尾の街を見れただけでも満足な旅であった。

 アバウトなコースは、河合角川~楢峠~(国道471号)~八尾~岩稲温泉(泊)~猪谷~(国道360号)~角川

 初日、飛騨高山へ集合・・・国八食堂にてとうふ定食、ホルモン焼き、イカ焼きをいただく。観光地のレストランはつまらない・・・地元の方しか行かないような食堂がお勧めのようだ。

 城山公園に車を停め、護国神社から東山の寺院を巡ってみる。観光客はほとんど見かけず、静かな飛騨高山を味わいたい方にはお勧めの場所である。

 飛騨春慶塗りの店・・・桜山八幡宮・・・最後、三之町はやはり酷い人ごみであった。今日の宿は、丹生川の民宿「四反田」・・・古民家の建物はとても落ち着く。


(楢峠にて)

 飛騨河合、角川駅に車を停め、そこよりスタートする。上村にて国道471号へ入る。400番代の国道がどんなものか・・・林道と変わらないと思って間違いはない。

 休みの無い坂が入り口より始まる。それまでのお喋りが止まり、黙々とペダルを踏むだけの作業となった。場所によっては10%以上の勾配が・・・自転車に興味の無い方からすれば酔狂としか思えないだろう。

 途中、二ツ屋の集落跡を通る。いつの頃に離村したのか・・・当時の家屋跡の石垣だけが残っていた。さぞかし、当時の山間の暮らしは大変であったことであろう。明治期、諏訪へ女工さんとして飛騨の娘たちが野麦峠を越えていったことは多くの人が知っている。

 約8キロ、当初の予定では2時間とみたが、流石は筋金入りの健脚揃い・・・一時間半ほどで全員が峠に辿り着いた。峠の地蔵さんに旅の安全を祈願し、早い昼食タイムとした。

 楢峠の富山県側・・・国道471号は、八尾の町までほぼ下りが続く。大長谷川沿いの道にはガードレールがなく、結構な高度感があって怖い思いをする。なぜかパンクが立ち続けに二台・・・里に近い場所であったのが幸いであった。

 杉ヶ平あたりより人家が現れる。冬の積雪を考えると生活は大変であろう。確実に過疎であることは分かる。谷折峠、栃折峠への分岐を過ぎ、新しいトンネルを抜けて八尾の市街へと入っていった。


(越中八尾の町並み)

 以前より憧れていた八尾の町は期待以上であった。地図を見ても、ネット上の画像や情報からでも、そのリアルな雰囲気は伝わってこない。五感・・・目、耳、鼻・・・体感してこそ、初めてその土地の本質が分かるようである。

 日本の道百選にも選ばれている「町道諏訪町本通り線」・・・その適度に傾斜した石畳の道沿いには、独自な造りの民家が立ち並んでいて美しい。夜になると、その沿道で優雅な「おわら風の盆」が繰り広げられる。


(ランドナー)

 今日の宿は、旧細入村にある岩稲温泉「楽今日館」・・・富山平野の南縁の高台を東に向かってひた走った。眼下に、富山空港へ降りる旅客機が大きく見えた。

 神通川を見下ろす露天風呂に入り、今日の汗を流した。テーブルいっぱいの料理を目の前に飲むビールは最高であった。しかし・・・夜の部の「風の盆・前夜祭」は無情の雨のせいで中止となった。

 三日目・・・神通川に沿って猪谷へ・・・更に、宮川伝いに国道360号をひたすら走って、スタート地点の旧河合村角川へと戻り着いた。

 反省会・・・飛騨高山のラーメンは美味しい。隠れた名店「ひさご」にて中華そばをいただき、その後に解散とした。

コースはこちら・・・
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=a132cc29d5725ea349a65a1828a58988