Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

峠旅 山吹峠から山之村へ!!

2009-05-22 21:01:00 | 自転車旅
《峠旅 山吹峠から山之村へ!!》

 神岡町の歴史は古い。

 岐阜県の北東端に位置し、山岳に囲まれた盆地に市街地がある。亜鉛を産出し、イタイイタイ病の原因となった神岡鉱山があり、この町は特に近世以降は鉱山の町として栄えた。跡津川の支流の一つ打保谷川上流に「山之村地区」があるが、川沿いに道はなく、市街地から10km以上離れている上どこから行くにも峠越えになり冬季になると往来可能な道が一つだけになるため、年々過疎化が進んでいる。・・・とあるサイトより

 吉野大橋の辺りより走り始める。国道471を東に進み、高原川と双六川が合流するところで左折、双六渓谷へと入ってゆく。金木戸は沢登りの連中には有名なところである。

 途中、道は二手に分かれる。右手を沢に沿って行けば金木戸渓谷へ・・・。左手に進んで坂を上り始める。


(山吹峠からの笠ヶ岳)

 このコース、冬季は積雪のため通行止めとなる。道路のコンディションは非常によく、快適に高度を上げていった。途中、山吹の集落・・・といっても二軒ほどの民家が道路下に見えただけだが・・・

 振り返ると、そこには笠ヶ岳がどっしりと・・・北アルプスのほとんどが、岐阜県と長野県とに位置するが、この笠ヶ岳だけは、純粋?に岐阜県の山である。残雪に覆われた鋭鋒は実に格好良かった。

 地蔵様が祀られた山吹峠へ辿り着く。大きく削り取られた峠には少々がっかりするが、ようやく越えることが出来たことに感謝をする。憧れていた峠を二つの脚で、自力で越えることは、クルマやオートバイでは味わえない感動かと・・・その達成感はいつまでも忘れないものである。

 簡単な食事を済ませ、上着を着込んで下り始める。牧場に点在する白樺の木が美しかった。


(山之村森茂の風景)

 山之村はとても辺鄙なところである。神岡の町からも、峠を越えないと近づくことが出来ない。昔に比べれば、積雪量は減ったものの、今でも、その生活は厳しいようだ。

 先祖達が苦労をして開墾したのであろう、その水田は、今では荒れ果てている。多分、若い働き手が町へ出てしまったため、残った年寄りには維持が出来ないのであろうかと。


(野仏と黒部五郎岳)

 山之村・・・ただ、自転車で通り過ぎるだけでは、そこでの生活は見えてこない。次回?・・・訪れるときは、じっくりとその景色を満喫したいものである。

 北之俣から黒部五郎の眺めは、いつまで見ていても飽きない。部外者の無責任な表現かもしれないが、シャングリアと呼びたい。

 伊西の集落を通り、坂を上って伊西トンネルへと至る。後は一気に神岡の町へ下るだけである。山之村・・・それは、奥飛騨最後の秘境であることは間違いない。

フォトアルバムはこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/96125/






輪旅 丹生川の林道を走る!!

2009-05-17 20:50:38 | 自転車旅
《輪旅 丹生川の林道を走る!!》

 紹介し尽された信州と違い、飛騨には、まだまだ知られていないところが多くあるようだ。そんなところを自転車で訪ね、新たな発見をしてみるのも自転車遊びの醍醐味である。

 岐阜県境の北から東は飛騨山脈(いわゆる北アルプス)で長野県と隔たっている。よって、秋の初雪から、春の残雪期までは、どこからかの峠から山岳展望が楽しめることとなるはずである。

 信州へも、何度も通った。大町市、白馬村、麻績村、小川村、美麻村、大岡村、八坂村・・・いづれもが、絶好の山岳展望地であり、名もない峠に立ち、人知れない絶景が目の前に広がった時は、サイクリスト至福のひと時である。

 飛騨には、まだまだ知られていないビューポイントが多くある。その一つ、丹生川の某林道を走る機会があった。その結果・・・期待以上の絶景が広がり、大満足な自転車旅を楽しむことが出来た。


(林道に放置された消防車)

 ダートの林道を2時間・・・新緑に包まれた樹林の中に朽ち掛けた消防車が・・・日産パトロールか・・・かつての栄光は見る影も無く、自然に帰ろうとしていた。

 山岳展望・・・若葉が茂り始めた樹間越しに残雪の乗鞍岳がずっと望まれた。春の林道には、冬場の積雪がもたらす落石や崖崩れが多く発生している。


(崩落現場)

 そこを担ぎで越え、視界が開けた場所に出ると、乗鞍岳の大展望が目の前に広がった。

山並みが重なった場所から見るのもよいが、手前に大きな谷が広がり、その奥に山岳が広がる景色は、更に雄大である。


(至福の大展望)

 御嶽なら大平展望台、穂高岳なら安房峠、笠ヶ岳なら山吹峠、薬師岳なら大多和峠、白山なら・・・楽しみは多くあるほうがいい・・・地図を眺め、次の穴場を推理?してみるのも自転車遊びの楽しみである。

花の旅 飛騨宮川・池ヶ原湿原へ!!

2009-05-16 21:32:17 | 自転車旅
《花の旅 飛騨宮川・池ヶ原湿原へ!!》

 水芭蕉といえば尾瀬ヶ原・・・鬼無里の奥裾花自然園も素晴らしい。

 岐阜にも素敵なところがありました。旧宮川村、ニコイ高原にある池ヶ原湿原・・・まだまだメジャーではありませんが、可憐な水芭蕉やリュウキンカを観ることが出来ます。


(池ヶ原湿原)

 木道はしっかりと整備され、気軽にハイキングが楽しめました。


(水芭蕉)

 もう一つのお勧めスポット・・・飛騨特有の蔵、板蔵です。なぜか母屋から離れ、田んぼの一角に建てられていました。火災から家宝?を守るためでしょうか。


(旧宮川村、種倉の板蔵)

 飛騨には、まだまだ知られていない魅力的な場所が多くあるようです。高山や白川郷だけが飛騨ではない・・・そんな場所を自転車で探し、またリポートします。


輪旅 信州・姨捨から大町を走る!!その2

2009-05-07 19:08:33 | 自転車旅
《輪旅 信州・姨捨から大町を走る!!その2》

 その列車はスイッチバックでやって来た。姨捨の駅から眺める善光寺平は雄大であった。

 久々の再会を祝して握手交換・・・自転車仲間と信州ツーリングが楽しめることはサイクリスト冥利に尽きる。言葉に表せない幸せを実感する。

 先ずは一本松峠へ・・・千曲高原を抜けて峠へと向かった。手前には満開のリンゴ園が・・・眼下には善光寺平が大きく広がっていった。なぜか名酒「オバステ正宗」の看板が気になった。


(一本松峠付近にて)

 一本松峠より左に折れてトラバース、古峠へと向かう。冠着山が大きく迫る。古峠は大昔の東山道とか。その後、保福寺峠へルートを変えた!??

 古峠より坂井村冠着駅への道は素敵であった。自然林に囲まれ、適度な幅の道を駆け下った。

 四十八曲峠への道、修那羅峠の道と見送り、麻績村へと入る。ひなびた(寂れた?)聖高原駅・・・埼玉のYさんは、40年振りの訪問とか・・・当時は麻績駅だと。駅前の食堂でお昼とする。

 卵丼が400円、かけ蕎麦が350円・・・愉快な女将さんとの会話を楽しみながら満足なランチタイムを過ごした。

 県道55号にて、嗟切峡、山清路橋、八坂村(現大町市)へと進む。名のとおり、八坂には坂の道しかないようだ。相川のトンネルまで全てが上りであった。

 トンネルを抜け、大町市街へ出ると北アルプスが眼前に迫ってきた。夕暮れ時の残雪の山もよい。水を張った水田越しに写真を撮ってみた。


(大町付近より蓮華岳を眺める)

 国道を避け、裏道を縫って木崎湖を目指す。途中、白馬錦の酒蔵があり、ついつい覗きたくなった。

 小熊林道の入り口を確認し、湖の西岸を北上した。大型連休のためか、湖岸のキャンプ場はラッシュアワー状態・・・都会の方は、ここまで来てもラッシュが好きなようだ。

 菜の花の咲く田んぼを抜け、中綱湖の民宿へと辿り着いた。

 翌日は別行動に・・・小熊林道組と別れ、麻績村新行を目指す。沢沿いの道は、思ったより緩く、あっけなく新行に辿り着く。ここには美味しい蕎麦屋があるらしい。振り返ると、残雪の北アルプスが大きく見えた。


(美麻村新行からの後立山連峰)

 宮下、新田下と走り、左に折れて高地を目指す。結構な上りで、一汗かかされた。この峠からの北アルプスも雄大であった。峠には真新しい神社があり、その背後には人家もあった。

 高地の集落は廃村となっていた。崩れかけた民家が数軒・・・水田となるような平地もなく、生活は大変であったのだろう。

 日向畑、中村にて左折し、峠を目指す。この辺りは信級(のぶしな)というらしい。新間まで下り、再び、上りに入る。“信州峠三昧!”などという冗談も出なくなった。山上集落とでもいうのか、上奈良尾には人の気配が少なかった。

 山穂刈というのか、山上の集落を対岸に見ながら犀川に架かる穂刈橋へと出た。

 国道19号を渡り、信玄が砦を構えたという牧野島城を訪れてみた。結構な規模で、空堀も残っていた。

 最後の北アルプスの遠望を楽しみながら、小花見池、大花見池と通り過ぎ、県道390号にて千曲市稲荷山へと戻りついた。坂の途中より眺める姥捨の棚田は美しかった。

 今回も充実の自転車旅が出来たことに感謝をしたい。天気よし、仲間よし、自然よし・・・それに美味しい日本酒にグルメ・・・これ以上の楽しみはこの世にはない・・・と信じている。

輪旅 信州・姨捨から大町を走る!!その1

2009-05-06 20:07:31 | 自転車旅
《輪旅 信州・姨捨から大町を走る!!その1》

 先ずは真田の庄へ・・・真田昌幸、幸村父子のドラマは凄すぎる・・・六文銭(六連銭)とは三途の川の渡し賃とか・・・池波正太郎「真田太平記」・・・これを読んでから行けばよかったかと。

 上田市郊外、玄蕃山公園より真田を目指してスタートする。扇状地となる真田町の標高はかなりあるようで、振り返る上田の市街が眼下に大きく広がっていった。

 信綱寺より真田氏館跡へと向かう。その拠点となる館は、高台にあり、その周りは土塁に囲まれていた。なぜか今ではマレットゴルフのコースとなっていたが・・・

 9時の開館を待って歴史館へ入る。綺麗なお嬢さんの案内で館内へ・・・幸先の良い旅の始まりであった。展示資料をじっくりと観ながら、真田一族について学んだ。見学の後は腹ごしらえ・・・隣の食堂で“くるみおはぎ”を頂いた。地元の昔お嬢様方の真心料理が嬉しかった。


(真田の庄にて)

 上田の町へ下り、信濃国分寺へ・・・先ずは、新?国分寺を訪れた。旧が奈良時代で、新は鎌倉時代とか・・・いずれにしても歴史がある。現存する三重塔は当時のモノ・・・国分寺としては、塔が残っているのは吉備国分寺の五重塔と二つだけだそうだ。そういえば飛騨国分寺にも三重塔があったような・・・!???

 旧国分寺跡へも行ってみる。尼寺と並んで広大な境内が蘇っていた。もちろん礎石だけではあるが・・・鉄道が真ん中を横切っているのは、平城京跡に似ていた。その後、資料館へも寄ってみた。信濃国府は、未だに特定されていないそうであるが、当時、上田が信濃(科野?)の国の中心地であったことは間違いない。

 旧北国街道沿いに上田の市街へと向かう。途中、「刀屋」という蕎麦屋に行列が出来ていた。上田城跡・・・真田一族が徳川方と戦い、二度も守りぬいた名城である。大手門の左右にある櫓は、明治期には売却されて遊郭になっていたとか。

 往時の北国街道の雰囲気が色濃く残る柳町を通り、池波正太郎「真田太平記館」を訪れる。ここは一押し、その展示内容は充実しており、時間を掛けて見学したい施設であった。

 松代へ移動・・・関ヶ原の合戦時、昌幸と幸村父子は豊臣方へ、信之は徳川方へと、家名存続のためにとった判断は凄すぎる。結果、信之は、上田から松代へ転封となるが、松代真田藩十万石は明治期まで残ったという。(昌幸・幸村父子は家康の温情?で高野山九度山へ島流しに・・・後、大阪夏の陣で幸村が活躍するのは歴史の悪戯か!?)

 松代城、別名を海津城ともいうそうだ。信玄と謙信が五度も戦ったという川中島の合戦時、信玄が拠点にした城である。広大な敷地に堀と石垣が残っていた。往時、千曲川は目の前を流れていたのであろう。


(松代・海津城にて)

 次に川中島古戦場跡へと向かう。八幡原の史跡公園には、二人の一騎打ちを再現した像や、逆えんじゅ、執念の石、三太刀七太刀之跡等・・・見所があって楽しめた。この後、軍師・山本勘助の墓にも寄ってみた。

 小布施も良いが、松代も面白い。佐久間象山、大本営跡、長国寺と興味は尽きない。千曲市稲荷山へ移動し、一泊とする。

 武水別神社・・・この地は平安時代末期より石清水八幡宮の荘園となっており、安和年間(968年 - 970年)に八幡神を勧請したと伝えられる。八幡神は源氏の氏神としても知られ、武水別神社はこの地方随一の八幡宮として広く武門の崇敬を受け、木曽義仲が祈願したと伝えられ、川中島の合戦時の上杉謙信の勧請文等が残されてもいる。明治以降、古来の「武水別神社」の名に復し、明治17年に県社に列せられた。・・・とあるサイトより

 境内の茶屋で、名物のうずら餅をいただく。信濃一ノ宮は諏訪大社、次が戸隠神社。その次が武水別神社だとか・・・


(田毎のリンゴ園と姨捨山)

 田毎の棚田へ向かう。当然、道は急坂となり、最後は押す羽目となる。リンゴの木には花が咲き誇り、その背景には姨捨伝説の冠着山が見える。「田毎の月」は、あまりにも有名で、幾つもの小さな棚田の水面に一つづつ月が映った風景はロマンチックだと思うが、未だ写真は見たことがない。

 この後、サイクリング仲間四人と姥捨駅で落ち合う。


続きはその2へ・・・