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廃線紀行 井笠鉄道を訪ねる!!

2011-02-15 22:39:38 | 鉄道
《廃線紀行 井笠鉄道を訪ねる!!》

 井笠鉄道の鉄道線のうち、最後まで残った本線も1971年(昭和46年)3月31日を限りに運行を取り止めたが、井笠鉄道は数ある軽便鉄道の中でも遅くまで残ったため、車両が多く保存されていた。井笠鉄道の前身である井原笠岡軽便鉄道が創立されてから70周年に当たる1981年を期して、旧新山駅舎を流用した「井笠鉄道記念館」を設置し、残っている車両も保存することとなった。

 廃止後40年以上経過する現在でも保存状態は極めて良好である。元新山駅駅長とその家族が管理をしている。2002年には記念館が産業考古学会の推薦産業遺産に指定され、また2009年には館長も産業考古学会の保存功労賞に選ばれた・・・以上、とあるサイトより

 北恵那鉄道、尾小屋鉄道、有田鉄道・・・鉄道マニアといえるほどの者ではありませんが、サイクリングネタの一環として地方の私鉄ローカル鉄道跡を訪れています。日本の高度成長期を支え、人を、産業を運び続けた鉄道も時代の流れで役目を終え、廃線に・・・もう要らないから消えてくれ!・・・そんな薄情な気がしてなりません。効果、効率だけを追い求める現代社会、成果がなければいけないのかと。鉄道廃線跡を訪ねるたびにそんな叫びがレール跡から聞こえてきます。「お前ら、俺が一生懸命運んでやったんだぞ!」と・・・

 廃線から30年以上・・・意味合いは違いますがまさしくビンテージな世界、熟成をし、芳醇?な空気が漂っていました。・・・草むらに没した築堤、レンガ造りの隧道跡、赤く錆びた鉄製の橋梁、石造りの橋脚・・・ふと、街並みの中にかつてのプラットホーム跡を見つけたときは、複雑な感動を覚えます。


(かつての新山駅・現在は記念館に!)
 井笠鉄道の名は、井原と笠岡を結んでいたからでしょうか。ナローゲージ(軌間762mm )の軽便鉄道が昭和46年まで走っていたのも凄いことですが。(現在も近鉄内部・八王子線、三岐鉄道北勢線は稼動)


(井笠鉄道沿線図)
 場所が分からず、交差点に止まって訪ねようと思ったらそこが記念館でした。かつての新山駅舎をそのままにして、内部には当時の鉄道グッズが・・・隣りには可愛い蒸気機関車と客車が保存されていました。懐かしい沿線図もたまらない・・・


(スチーム・ロコモーティブ!?)
 イギリスあたりから輸入されたものでしょうか(正解はドイツでした)、まるで新橋-横浜間といった風情。こんな小さな蒸気機関車が頑張ってくれていたのですね。今も動輪には油が注され、いつでも現役復帰という感じでした。

 1号機関車 1913年、オーレンシュタイン・ウント・コッペル-アルトゥール・コッペル社(ドイツ)製の蒸気機関車。鉄道線全廃翌々年の1973年から5年間、西武山口線で「おとぎ列車」の牽引に使用されていた・・・とあるサイトより


(懐かしの出札窓口)
 「笠岡まで大人一枚!」そんな声が聞えてきそうです。切符を持って改札へ・・・変?なハサミでパチンと切り掛け?が・・・とても懐かしいです。


(雄姿!)
 もう写真でしか当時の姿を見ることはできません。その線路跡に県道48号が作られたのでしょうか。まるで当時の軌道跡が残っていないのがちょっと寂しかったです。

 現在、その一部は井原鉄道として存続していましたが、オール・コンクリートの近代的な鉄道になっていました。

 願わくば、井笠鉄道記念館の館長さん(駅長さん)が健在なうちに訪ね、当時のお話を聞きたいものです。