≪輪旅・東海道 吉田宿から見付宿へ!≫
山路を自転車で走りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、一人で知らない所へ行きたくなる・・・「怪しい草枕」
やはり自転車旅の醍醐味はソロツーリングにあるようだ。誰にも煩わされることなく、自由な思いのままに自転車を走らせるのは爽快でもある。今回は旧東海道の道筋を吉田宿(豊橋市)から見付宿(磐田市)まで走って来た。
豊橋の駅前で自転車を組み立て、アーケード街を抜けて旧東海道へ出る。曲尺手門跡を過ぎ、鍛冶町辺りよりは国道1号を行くことになる。歩道の細かい段差に神経を使いながら道路脇に視線を送るが何も旧街道の痕跡は残っていなかった。
殿田橋のところより国道を離れ、静かな裏道となってほっとする。無人販売所に並べられた柿が美味しそうであった。正面に小高い山が現れ、突き当たって右折すると火打坂の下りとなる。
坂を下りたところが二川宿、東海道線に沿って1キロあまり続く街並みに所々古い民家が残っていた。ここには当時のままの本陣が現存し、公開されている。東海道では草津宿とここの2箇所だけだそうだ。建物は解体修理がされていて、部分部分は現代の材木が使われているが、十分に当時の本陣の雰囲気を残している。隣接する旅籠の清明屋も見応えがあった。
宿を外れ、しばらくは長閑なキャベツ畑の中を行くことになる。次の宿は白須賀宿、ここはもともと海岸線にあったものが津波の被害を受けて台地の上に移ったそうだ。潮見坂の上に立つと遠州灘が眼下に眺められた。無料の資料館「おんやど白須賀」は寄って見る価値がある。
海岸線が台地にぶつかる下を東に進む。その先が新居宿で、今も関所の建物が現存していて一般に公開されていた。厳しい取調べを受けた旅人はこの岸より船に乗って舞坂へ向かった。
弁天島を過ぎ、舞坂宿へ入る。ここには脇本陣「茗荷屋」が残っており、無料で見学ができた。シルバーボランティアの方が親切に説明をしていただけるのがあり難い。
舞坂の宿外れには松並木が残り、当時の街道の面影が感じられた。道は更に東へ向かい、単調な走りを強いられる。浜松藩領界石なるものを楽しみにしていたが、ただの標識が建っているのみであった。藤原秀衡にゆかりのある二つ御堂のところで道は北東に向きを変え、浜松宿へと至る。
家康が天下取りの切っ掛けを掴んだ出世城、浜松城の城下となる町に旧街道の面影は何も無かった。自転車の旅をする者には居心地が悪く、早々に退散することとする。
天竜川を渡れば見付宿は近い。渡し場の跡を訪れ、単調な景色の中を走って磐田駅へと向かった。
山路を自転車で走りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、一人で知らない所へ行きたくなる・・・「怪しい草枕」
やはり自転車旅の醍醐味はソロツーリングにあるようだ。誰にも煩わされることなく、自由な思いのままに自転車を走らせるのは爽快でもある。今回は旧東海道の道筋を吉田宿(豊橋市)から見付宿(磐田市)まで走って来た。
豊橋の駅前で自転車を組み立て、アーケード街を抜けて旧東海道へ出る。曲尺手門跡を過ぎ、鍛冶町辺りよりは国道1号を行くことになる。歩道の細かい段差に神経を使いながら道路脇に視線を送るが何も旧街道の痕跡は残っていなかった。
殿田橋のところより国道を離れ、静かな裏道となってほっとする。無人販売所に並べられた柿が美味しそうであった。正面に小高い山が現れ、突き当たって右折すると火打坂の下りとなる。
坂を下りたところが二川宿、東海道線に沿って1キロあまり続く街並みに所々古い民家が残っていた。ここには当時のままの本陣が現存し、公開されている。東海道では草津宿とここの2箇所だけだそうだ。建物は解体修理がされていて、部分部分は現代の材木が使われているが、十分に当時の本陣の雰囲気を残している。隣接する旅籠の清明屋も見応えがあった。
宿を外れ、しばらくは長閑なキャベツ畑の中を行くことになる。次の宿は白須賀宿、ここはもともと海岸線にあったものが津波の被害を受けて台地の上に移ったそうだ。潮見坂の上に立つと遠州灘が眼下に眺められた。無料の資料館「おんやど白須賀」は寄って見る価値がある。
海岸線が台地にぶつかる下を東に進む。その先が新居宿で、今も関所の建物が現存していて一般に公開されていた。厳しい取調べを受けた旅人はこの岸より船に乗って舞坂へ向かった。
弁天島を過ぎ、舞坂宿へ入る。ここには脇本陣「茗荷屋」が残っており、無料で見学ができた。シルバーボランティアの方が親切に説明をしていただけるのがあり難い。
舞坂の宿外れには松並木が残り、当時の街道の面影が感じられた。道は更に東へ向かい、単調な走りを強いられる。浜松藩領界石なるものを楽しみにしていたが、ただの標識が建っているのみであった。藤原秀衡にゆかりのある二つ御堂のところで道は北東に向きを変え、浜松宿へと至る。
家康が天下取りの切っ掛けを掴んだ出世城、浜松城の城下となる町に旧街道の面影は何も無かった。自転車の旅をする者には居心地が悪く、早々に退散することとする。
天竜川を渡れば見付宿は近い。渡し場の跡を訪れ、単調な景色の中を走って磐田駅へと向かった。