Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

自転車、登山、テレマークスキー、カヌー・・・そんな情報が満載ですよ!!

祭り旅 飛騨古川・起し太鼓へ!

2014-04-23 20:33:31 | 祭り旅
《祭り旅 飛騨古川・起し太鼓へ!》
祭り旅・・・岐阜の自慢ともいえる古川の起し太鼓へ行ってきました。以前よりお誘いをしていた京都の方々と9名で。静の起し太鼓、動の付け太鼓・・・この絶妙なバランスが古川祭りの魅力のようでした。もちろん、蓬莱と白真弓の振る舞い酒も堪能。

満開の桜のもと、北山から眺める小京都の街並み、三之町筋の景観、トランブルー、宮川の朝市、飛騨エアポートから恵比寿峠、飛騨の田舎風景の荒城郷、20日の曳山、国八食堂の豆腐ステーキ・・・素敵なペンション「飛騨の森」
飛騨を満喫した自転車旅でした。


(北山から見下ろす高山市内)


(今宵の宿 ペンション飛騨の森)


(素敵なディナー)


(古川やんちゃ 起し太鼓)


(素敵な仲間たち)


(荒城郷あたりを走る)


(曳山の勢揃い)


(国八食堂の豆腐ステーキ)


祭り旅 徳島・阿波踊りへ!

2013-10-26 22:37:54 | 祭り旅
《祭り旅 徳島・阿波踊りへ!》
以前よりとても気になっていた祭り・・・徳島の阿波おどりへ行ってきました。
四日間の観客は130万人とか・・・その人の多さに圧倒され、踊りも観れずに帰る!結果は無料の桟敷席に座って4時間あまり・・・目の前で演じられる阿波踊りは想像以上の迫力とパワフルさで心を圧倒してくれました。

連と呼ばれるグループの数は幾つぐらいあるのでしょうか・・・次から次へ繰り広げられる連の演舞は、同じようで全てが違う・・・その洗練された組み立てにも感動でした。

一生に一度は見たい祭り・・・是非とも来年は訪れてみてください。感動間違いなし!!


























祭り旅 飛騨古川祭り・起し太鼓へ!

2013-04-21 23:10:16 | 祭り旅
《祭り旅 飛騨古川祭り・起し太鼓へ!》
ここ数年、全国のお祭りに行く機会が多くありましたが、やはり地元・岐阜の祭りも素晴らしい・・・やはり一押しは飛騨古川の起し太鼓・・・まさしく祭りからパワーがいただけるとても熱い祭りです。

その魅力・・・静の起し太鼓と、動の付け太鼓の組合せは絶妙です。辻辻での付け太鼓の出没を予測し、その交差点へ。起し太鼓が通り過ぎると、背後から押し寄せてきます。油断をすると転ぶことに・・・とても勢いを感じる祭りです。

(満開の臥龍桜 飛騨一宮)


(高山 東山寺院群)


(古川 瀬戸川)


(白真弓と蓬莱の振る舞い酒)


(付け太鼓衆のパフォーマンス)


(起し太鼓)


(トランブルー)


(国八食堂 豆腐焼き定食)

祭り旅 近江八幡の左義長へ!

2013-03-21 21:58:42 | 祭り旅
《祭り旅 近江八幡の左義長へ!》
ノー編集のフォトアルバムです・・・
http://gallery.nikon-image.com/110885861/albums/3319465/
大勢の観光客が押しかける祭りというよりは、地元の方が伝統的な祭りを引き継いでいるという感じで、好感が持てました。

その歴史は信長の安土城時代よりとか・・・神輿のように担がれる山車は、松明・だし・十二月(赤紙)の三つからなり、酒に酔った若集が町内を練り歩きます。見せ場は、組合せと呼ばれる山車同士のぶつかり合い、「けんか」ともいうそうです。負けたほうは山車が横向きになるような迫力のあるシーンもありました。「チョヤレ・チョヤレ」「マッセ・マッセ」の掛け声も祭り気分を盛り上げてくれます。

ハイライトは午後八時からの奉火、五つづつの山車に一斉に火が放たれ、みるみる間に炎に包まれます。三か月ほどの時間を掛け、町内の方々が作り上げた山車が10分ほどで燃え尽きる・・・なにか日本的な感じ(無常観?)が漂っていました。

興味のある方は是非とも来年あたりに訪れてみてください。


(八幡掘り)
訳あり愛車のセラで近江八幡へ・・・ここは豊臣秀次の城下町、八幡掘はとても絵になります。西の湖の湖畔に車を停め、そこよりサイクリングで市街へ。祭り見物には自転車が重宝します。路地も走れ、停めるスペースにも困らないから。


(山車の行列)
市内をぐるっとまわり、地元の方の盛り上がり具合をチェック・・・正直、大勢の観光客が押し寄せるという見世物的祭りではないようです。どちらがよいか・・・後継者が居なくてすたれてゆく祭りもありますので、多少はショーアップされるのも致し方ないかもですが、やはり素朴な地元の方だけの祭りも魅力的です。


(町へ繰り出す)
その起源は・・・信長が安土にお城を構えたころからでしょうか。それが八幡へ来たようです。市の名前の起源となる八幡は、日牟禮八幡宮から。武運長久の八幡さまはのちの近江商人の庇護を集め、今日に至っているようです。


街中を流す山車・・・八番堀に掛かる石橋の上を練り歩くシーンは絵になります。


祭りにはお酒がつきもの・・・もちろん日本酒!しかし、安全のためでしょうか、二リットルの紙パックはイマイチな雰囲気でした。やはり一升瓶が似合う!


暗くなると祭りの盛り上がりもヒートアップ・・・山車同士がぶつかり合う「組合せ」が鳥居の前で始まります。祭りに喧嘩はつきものといいますが、なぜか見ている側も興奮状態に。


山車の総数は13基とも・・・八幡さまの境内に集結してきます。午後8時より奉火・・・5基の山車が一気に燃え上がります。その炎が放つ得体のしれないパワーは何なのでしょうか、見る人の気持ちを一つにすることは間違いがありません。これが祭りの真の目的かもです。


祭りのあとの寂しさ・・・賑わった祭りも終わりがあります。まだ余韻を楽しむ見物客の合間を縫って帰路に・・・思いは、次はどこの祭りを訪れようかなと。

祭り旅 小江戸・栃木から秩父の夜祭りへ!

2012-12-07 21:57:13 | 祭り旅
《祭り旅 小江戸・栃木から秩父の夜祭りへ!》
小江戸と呼ばれる町があります。川越、栃木、佐原、大多喜、厚木、遠江掛塚、近江彦根・・・栃木市は吹上藩の城下町、日光例幣使街道の宿場町でもあるそうです。巴波川に沿った蔵の景色は一見の価値ありでした。明治期は栃木の県庁所在地だったとも。

翌日は秩父市へ・・・300年以上の歴史を誇るという念願の秩父夜祭を見るためです。全山が石灰岩という武甲山の麓に広がる盆地・・・三大曳山祭りといえば、京都祇園祭、飛騨高山祭、秩父夜祭だそうです。豪壮な六台の山車と羊山から打ち上げられる花火・・・秩父神社の妙見さんと武甲山の蔵王権現が年に一度出合う祭礼とも。

今宵の宿は「比与志」・・・部屋に戻り、街中で仕入れた「武甲正宗」の生原酒に酔い、祭りの余韻を楽しんだのは言うまでもありません。「秩父錦」は次回のお楽しみに・・・

前夜は館林のSさん宅にお邪魔し、お世話になる。スタートは岩舟町役場、北にそびえる岩舟山の山頂には三重塔で知られる高勝寺があるそうです。太平山の山裾に沿って・・・途中、鷲巣の神社では祭礼に出くわし、奉納の舞を見学させていただきました。その後、ふるまいの豚汁を頂く。


(日光例幣使街道を走る)
日光例幣使街道(中山道倉賀野宿より分岐)・・・徳川家康の没後、東照宮に幣帛を奉献するため、京の都より勅使(朝廷の使い、公家?)が日光東照宮へ通った道。日光杉並木もその一部だそうです。

その道が商業で栄えた栃木市を通っていました。趣のある街道沿いには代官屋敷や往時の商家が並んでいました。


(巴波川沿いの蔵)
巴波とうずまと読む・・・往時、栃木は江戸との舟運(巴波川から利根川へ)の起点となり、北関東の商都として大いに栄え、その代表が塚田家、木材の廻船問屋として財をなし、今も豪壮な土蔵造りの蔵が残っているのだそうです。


(旧栃木町役場)
明治期、県庁は栃木市にあった・・・しかし、歴史の流れの中で宇都宮へ・・・結果、県の名前として栃木が残ったとのことです。今も町役場や栃木病院といった大正時代の洒落た西洋建築が残っているのが嬉しく感じられます。


(秩父三十四ヶ所観音霊場めぐり)
二日目は秩父市へ・・・以前、塩山~大弛峠~川上村梓山(泊)~三国峠~中津川林道~秩父市~正丸峠~名栗(泊)~青梅~あきる野~高尾へと走ったことがあります。その時、いつかは秩父夜祭も観たいなと!

古くは知々夫国とも・・・和同開珎が造られた場所とも。産業は木材と絹織物・・・大正時代よりは武甲山で採れる石灰岩でセメント製造も盛んに(秩父セメント)露天掘りのため、武甲山の形が大きく変わってしまったのは致し方ない・・・のかも!?


(荒川を渡る)
秩父でもう一つ有名なのが秩父三十四ヶ所観音霊場めぐり・・・なんと岡崎と鈴鹿ナンバーが来ていたのにはびっくり・・・信仰心のなせる業?なのでしょうか。

霊場めぐりの一部を回り、荒川に掛かる橋(地図にはあった)・・・は無く、飛び石を渡って対岸へ。ちょっとしたハプニングでした。


(今宵の宿・比与志にて)
市内の外周をポタリング後、宿へ。「比与志」は素敵な宿でした。古民家風の造りは落ち着きがあり、とてもリラックスができます。薪ストーブはとても暖か・・・!


(秩父鉄道・秩父駅前にて)
夕方、いよいよ祭り見物に・・・全国から集まったのではという数の屋台がずらっと・・・観光客はうん十万人かも。先ずは祭り見物場所の確保・・・見どころを予測して街中を歩きます。


(豪壮な下郷笠鉾の山車)
出発は秩父神社前より・・・六台の山車がゆっくりと御旅所まで曳いて行かれます。見せ場は門での方向転換・・・数メートルの柱が山車を持ち上げ、大きく傾いた状態で向きを変えます。数トンはあるかと・・・拍子木の音が街中にこだまし、東にそびえる羊山から打ち上げる花火が祭りを盛り上げてくれます。なぜかハイライトの団子坂は近づくことさえできませんでした。

三日目・・・初めて通る雁坂トンネルを抜け、甲府市より帰路へ着きました。

※例幣使街道とは・・・ゆすりの語原!??
京の朝廷の使いが、日光東照宮に毎年御幣を捧げるために通った道です。東照宮の例祭に合わせ、四月一日に京を発ち、四月十日に上州に入り、翌日にこの道を通り、十五日に日光に到着したとされています。禄の低い公家が例幣使であったことから、道々金品を強要したり、籠をゆすって落ち金銭を要求したといいます。このことから金品を要求することを「ゆする」と言うようになったとされます。(とあるサイトより)