Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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輪旅 万波高原から八尾・風の盆へ!!

2010-08-29 17:36:19 | 自転車旅
《輪旅 万波高原から八尾・風の盆へ!!》

 越中八尾・おわら風の盆(前夜祭)へ行ってきました。

 走ったルートはこちらから・・・
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=e897fe7d633f8e7c3b2c44bc4880a1fa
 当初予定の久婦須川は、崖崩れに阻まれ、敢え無く敗退・・・国道471号へエスケープし、八尾の町へと向かいました。

 画像はこちらから・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/459111/

 動画はこちらから・・・
http://eyevio.jp/channel/p_bookmark_328116/381828?offset=0&sort=

 スタートは、旧宮川村打保駅(JR高山線)・・・近代的な駅舎で旅情は湧かないが、これからの行程を考えると気が重い!??万波への道は行き成り坂で始まる。白山神社を大きく廻り込み、後はひたすらペダルを漕ぐ羽目となる。

 この暑さは何とかならないものか・・・飛騨地方であり、多少は標高が高いために涼しいかと思えばまったく・・・どうしようもない。道を覆う木の陰とせせらぎの音だけが救いであった。すれ違うクルマの方より「峠はずっと先だよ!」あり難くない情報をいただく。

 今回の参加者・・・
miyaさん・・・お祭り部会の主席!?で、「飛騨古川祭り」「諏訪の御柱祭」とご同行をいただいている。今回のお楽しみは「おわら風の盆」・・・張り切りすぎてその背中さえ見ることができなかった。

 tajiさん・・・筋金入りのランドナー乗りからあっさりとMTB乗りに・・・このギア比ならどこまでも上っていける!と豪語。往年のリジッドサスにもかかわらず、どんな悪路でも走破してゆく姿は勇まし過ぎる。

 haseさん・・・趣味は、レトロな赤丸ポストめぐりとか。もう中部の千箇所以上は回ったという。今回は別メニューで富山のポストめぐりへ・・・八尾で合流する約束である。

 私・・・割愛??します。


(万波高原を走る!)

 横たわるマムシを轢きそうになるも、無事に新?万波峠へ着く。本来の峠はもう少し北に位置するようだ。水分をしっかりと補給し、アスファルトの路面へ横たわる。「これは難行苦行だ!!」と心の中でつぶやいた。きっと悟りがひらけることであろう・・・

 峠より少しばかりのダウンヒルを楽しみ、万波川に架かる橋の上に出る。この三叉路より右に折れて下流へと向かう。川は、富山県に入ると久婦須川へと名前を変える。道は未舗装であるが、人は入っているようでMTBの走行には問題がない。

 小さな発電所のような所へ出る。オレンジと茶に塗られたクルマがあるところをみると関西電力の管轄のようである。夏草に覆われた道は更に続き、時より現れる大きな水溜りも一気に通り過ぎる。

 かなり走ったと思われるころ、突然、道は崖崩れ現場に・・・ほとんど斜面を埋め尽くし、その先は数十メートルの断崖になっていた。居合わせた渓流釣りの方からの情報によれば、人一人ならなんとか通れるとか・・・その先は一本道が続き、富山側の久婦須川ダムの所まで出られるとのこと・・・しかし、崖のトラバースはかなり危険・・・安全第一で引き返すことにする。

 結果、万波高原を走りぬけ、もう一つ西に位置する大長谷川に沿った国道471号にて八尾へ向かうことにした。白木峰を大きく廻り込み、国道は八尾の町までずっと下りであった。


(八尾の夕暮れ)

 4時少し過ぎ、ようやく八尾の町へたどり着く。先ずは水分補給・・・酒屋でビー〇を仕入れ、神社の境内で・・・「生き返った!」とつぶやきながら遅い昼寝に突入していった。元気なmiyaさんは、八尾に二軒あるという造り酒屋へ銘酒の買出しに出かけたようだ。


(おわら風の盆)

 夜の部の始まり・・・haseさんと合流し、八尾の町を散策・・・と思いきや、某清涼飲料水メーカーのCM出演へ・・・いづれはマスコミデビュー・・・かも。

 橋を渡り、坂を上って街中へ・・・先ずは造り酒屋へ・・・銘柄は「風の盆」利き酒はできなかったものの、次回は味わってみたいなと思う。

 腹ごしらえ・・・一杯の掛け蕎麦をいただく。八尾の町には飲食店はあまりないよう・・・結果、派手濃い屋台の並びも無く、至って静か・・・ここだけの話し・・・風の盆は観光化し過ぎ、あまり良いイメージがない・・・思いを180度変えることに。

 踊りはもっと素敵・・・派手なアナウンスも無く、静々と始まるのが良い・・・まさしくテレビで観たまま・・・いや、それ以上の厳かさで踊りが始まった。生、ライブ・・・目の前で繰り広げられる風の盆は夢のよう・・・踊り手のしぐさの全てが素晴らしい。

 祭りの後の寂しさ・・・名残の惜しい会場を後に帰路へと着いた。




輪旅 上石津から五僧峠へ!!

2010-08-25 20:31:08 | 自転車旅
《輪旅 上石津から五僧峠へ!!》

 先ずはコースから・・・
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=816bce944508931afd8bd726e0604e81

 関ヶ原の戦いは1600年・・・形勢不利とみた西軍・島津義弘が敵中突破をはかり、牧田、上石津・時山、五僧峠へと逃げ、薩摩へと戻った話しはあまりにも有名である。今回、このコースをトレースしてみた。

 関ヶ原駅前に集合。大阪、京都、彦根、鈴鹿・・・それぞれがそれぞれの思いと自転車を持って集まった。近ごろの流行なのか、大勢のウオーキング愛好者が駅前広場いっぱいに広がり、準備運動をしていた。


(関ヶ原の醤油醸造所)

 先ずは伊勢街道を南下し、上石津へと向かう。途中より巡見街道へ入る。一之瀬より勝地峠へ向かう。ちょっとした上りで大汗をかかされた。「伊勢街道最大の難所といわれた峠(183m)で、秀吉の軍が北勢攻めで勝利をおさめ、この峠を越える時勝地(かちぢ)と秀吉が名付けたとも伝えられている」・・・とネットの記事にあった。

 下多良へ下り立ち、しばらくは旧道を進むことになる。地球温暖化・・・猛暑・・・アスファルトからの照り返しで体温は上昇し、もうろうとした状態でペダルを漕ぐ。ついつい自販機の冷えたペットボトルに目が行ってしまう。

 時の交差点にある八百屋?スーパー?で最後の仕入れをし、方角を西に変えて先へ進む。道はひたすら真っ直ぐに西へ向かい、牧田川に沿って徐々に高度を上げていった。1600年、薩摩へ敗走する島津義弘の一行もここを通ったという。

 20名近い参加者の列はバラバラとなり、木陰で休むもの、パンクの修理をするものとそれぞれの事情で行動することになる。真っ直ぐに伸びた林道が左に大きく向きを変えた先が五僧峠であった。今も二軒の廃屋が残り、昭和30~40年代ままの風景が峠の侘しさを増していた。


(権現谷林道にて)

 当初の予定コースは、保月、杉へと向かい、杉坂峠を下って多賀大社へというプランであったが、予定時間を超過しているため、権現谷林道を下り、彦根駅へ向かうことになる。

 権現谷は荒れており、細い700Cのタイヤでは心もとない。バーストをしないよう慎重に下っていった。枯れていた沢は、大きな岩の下から地下水が湧き出る辺りより川となっていた。その水をボトルに汲み、一息を入れる。その冷たさは格別!!


(湧水地)

 霊仙からの道と合流し、河内の風穴にて最後の休憩を取る。テレビででも紹介されたのか、凄い人出で、道は大渋滞を起こしていた。汗と埃にまみれたサイクリストには相応しくない雰囲気で、そそくさと芹川に沿って彦根へと向かう。

 日もかげり、わずかに気温が下がった風を頬に感じながら川沿いの道をひたすら走る。やがて彦根駅へ・・・無言で自転車をバラし、それぞれの家のある方向の列車に乗って解散となった。


山旅 濁河温泉から御嶽へ!!

2010-08-12 21:14:29 | 登山
《山旅 濁河温泉から御嶽へ!!》

 半分!?は岐阜の山なのに木曽御嶽という。加賀白山しかり・・・こだわりで、岐阜県側の濁河温泉より飛騨頂上を目指した。

 先ずは画像から・・・
http://picmate-club.panasonic.jp/p/29596/album/azDCdbncSt3q/photo_list

 小坂より県道に入り、濁河温泉への道を上がってゆく。その距離は40km、山道の苦手な方には辛い道中となる。救いはそこに広がる眺望、大平展望台から眺める御嶽の雄姿にはため息が出える。

 濁河スキー場を過ぎればすぐに温泉街へ・・・意外と活気のある旅館街に驚く。やはり秘湯ブームなのであろうか。

 奥まったところより登山道は始まる・・・橋を渡って御嶽教の神社?へ・・・沢に沿った中腹の道を登ってゆく。木製の板が敷き詰められ、多少は歩きやすいというところか。

 森林限界が近づくころ、北方向に乗鞍岳が少しだけ望めた。更に正面の鞍部へと高度を上げる。ここが胸突き八丁・・・グループが大きくバラけ、ひたすら足を上げることだけに専念をする。

 五ノ池小屋の屋根が見えた!・・・その場所の周りにはコマクサの大群落が・・・あまりにも多いことに驚く。イワギキョウも負けずと咲いていた。


(コマクサの群落)

 飛騨頂上にて記念写真を・・・五ノ池や四ノ池は干上がっていた。三ノ池は、なみなみと碧い水をたたえていた。摩利支天山は目の前に・・・継子岳へはちょっと頑張れば・・・最高点の剣ヶ峰へはかなりの時間が・・・今日はここより下山することにする。


(火口湖・三ノ池)

 御嶽は火山である。1970年10月、眠っていると思われた御嶽が突如噴火・・・日曜日であったため、周辺の山に登っていた多くの登山者が噴煙を目撃している。自然のもつ恐ろしさを感じた。


(飛騨頂上にて)

 年に一度は三千メートル級の山へ・・・そんな思いで計画した御嶽ではあったが、やはりハイキング程度とは行かなかった。予想以上に寒い気温、時より発生するガス・・・3時過ぎには夕立が・・・やはり山を甘く見てはいけないようだ。

輪旅 飛騨の林道を走る!!

2010-08-06 06:30:35 | 自転車旅
《輪旅 飛騨の林道を走る!!》

先ずはフォトアルバムでもみてください・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/448570/

動画はこちらから・・・
http://zoome.jp/nosanjin/diary/87/

 旧丹生川村役場、宿儺鍋の前より走り始める。小八賀川に沿った裏道はお気に入りのコースで、正面に乗鞍岳を眺めながら徐々に高度を上げてゆく。駄吉より林道へ入る。

 この林道の登りがなかなかのもので、暑さのせいもあり、何度もサドルから降りる羽目となる。早春、晩秋のころ、空気が澄んでいれば、白い三角錐の鋭鋒、笠ヶ岳が遠望できる。


(飛騨の林道)

 いよいよ林道へ入る。未舗装であり、クルマの通行はあまりないようで夏草が道を覆っていて快適ではない。素晴らしいのはその樹林帯、白樺の幼木の森が緑の陰を作り、ギラギラ輝く太陽を隠してくれて助かる。

 ひたすら未舗装の道にMTBを走らせる。縁があって乗ることになったフルサスの自転車は快適であった。それまでのリジッドのMTBも味があって良かったのだが・・・


(高原野菜)

 林道を抜けると高原野菜のハウスの上に出た。なかなかの眺めで、もう一つの飛騨の風景であることは間違いない。

 舗装された九十九折の道を下ってゆくが、10センチほどもある蓋のない溝が幾つも出現するのは恐怖であった。気を許せば転倒間違い無しである。


(滝町の棚田)

 滝町の棚田へ寄ってみる。昭和40年代ころまでは、飛騨のどこにでもあった風景なのだが、耕地整理などでその姿を消してしまった。ここ滝町の棚田も最近になって保存運動が高まり、ボランティアの手助けを受けながら苗田造りが行われているようだ。

 一番高いところの水田に立ち、緑の棚田風景をカメラに納めた。なぜか懐かしい感じがするのは私が田舎育ちのせいであろう。

 クルマのほとんど通らない飛騨フルーツラインをひたすら走ってスタート地点へ戻った。

歴史旅 大和三山ハットトリック!??

2010-08-05 21:17:19 | 旅行
《歴史旅 大和三山ハットトリック!??》

 天の香具山、畝傍山、耳成山・・・大和三山を知らない人は少ないかと。とくに歴史好きにはなじみの山々である。明日香を訪れた時、その三山が先ず目に付く・・・万葉の歌人も同じ景色を見たのであろう。

 現在も発掘調査が進む藤原京跡・・・その位置は、三山に囲まれた中心でもあるようだ。つまり三山を意識して場所が決められたとも思える。そこより自転車を走らせ、三山を目指した。

画像はこちら・・・
http://album.pentax.jp/166909111/albums/448569/

 先ずは畝傍山(199m)へ・・・神武天皇陵、橿原考古学研究所附博物館の前を過ぎ、山の麓にある東大谷日女命神社のところより登り始める。ここは橿原神宮の杜であり、手付かずの自然林が素晴らしい。地元の方が多く登っていた。

 昔、ここは火山だったとか・・・頂上には畝火山口神社の碑がある。木々の間より信貴山、生駒の山々が遠望できた。


(畝傍山からの信貴山・生駒山)

 次の目的地は耳成山(139m)・・・奈良らしい街並みの残る北八木を抜けていく。池のそばの鳥居をくぐって耳成山口神社を目指す。神社の境内は氏子の方により気持ちよいほど清掃されていた。頂上はそこよりすぐであった。ここも昔は火山だったとか・・・


(香具山からの耳成山遠望)

 天の香具山(152m)を目指す。持統天皇の歌はつとに有名・・・
「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天香具山」
奈良文化財研究所の前を過ぎ、天理教のところより頂上を目指す。

 名前が知られている割には人の入った気配は少なく荒れた感じがした。まあ、登るよりは見る山というところか。天香具山神社へも寄ってみる。


(天の香具山頂上)

 大和三山を登る・・・これも旅の醍醐味かと・・・飛鳥や奈良時代の人々もこの頂に立ったのかは知らないが、そこから眺める景色はそれほど変わっていないように思える。三つの頂からみる藤原京の姿に興味が湧いた。

次は青垣山・・・そんな山は存在しないのか!??
「倭は国のまほろば たたなずく 青垣山隠(こも)れる 倭 麗し」