Club野風増   岐阜・本巣100夢プロジェクト!

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輪旅 下諏訪から茅野、小淵沢、韮崎へ!!その2

2010-04-29 22:38:31 | 自転車旅
《輪旅 下諏訪から茅野、小淵沢、韮崎へ!!その2》

 3日目、今日も晴れ・・・自転車旅ではこれが一番嬉しい。食堂で焚かれるストーブの煙が煙突から流れ、それにまぎれながらスタートを切る。撮影旅行のオヤジさんがびしっとしたジャケット姿で見送ってくれた。

 ラングラー・ランチ(牧場)の前を通り、小淵沢の駅方面へ下りる。風がちょっと冷たかった。再び、県道17号に乗り、韮崎を目指す。


(小淵沢付近を走る!)
 長坂の手前で右折し、清原白樺美術館の前を通る。得意な円形のレンガ造り・・・1900年、パリ万博の時、あのエッフェルが設計したワインパビリオンを模したものとか。

 坂を下ったところが台ヶ原宿・・・甲州街道の宿場町である。東海道や中山道ほどの賑わいはないが、今も残る宿場町の風情は貴重である。ここに素晴らしい造り酒屋が・・・「七賢」の山梨銘醸・・・その建物は重厚そのもの、土間には、昔のトロッコのレールが今も残り、ほの暗い蔵の中に歴史の重みを感じた。


(山高神代桜)
 日本三大桜・・・根尾の淡墨桜、三春の滝桜とこの山高神代桜。樹齢二千年と云われる神代桜・・・歴史の重みが持つオーラは凄すぎる・・・生命力、少しでもあやかれればなと。本音・・・ちょとその姿は痛々しい・・・枯れた?腐った?幹に手当てをと素人は思う。

 晴れていれば・・・神代桜の背後には、甲斐駒ケ岳が大きく望まれる。満開の桜と残雪の名峰・・・最高の取り合わせといえる。


(新府桃源郷にて!)
 途中、神社の境内で能の舞?に出会う。地域の春祭り・・・こうして地元の方々が伝統文化を引き継いでいるのは嬉しいことだ。

 釜無川を再び渡り、坂を上がって日野春駅へ出る。再度、県道17号を走り、新府を目指す。桜の花から桃の花へ・・・新府城といえば、武田勝頼が築城したが結果は悲劇に・・・今は、桃源郷として多くの観光客が訪れている。一面のピンクの桃畑・・・背後には、ニセ八(八ヶ岳に似ているという意味)と呼ばれる茅ヶ岳が。

 再び、韮崎への坂を下ってゆく。途中、富士山の雄姿が前方に・・・皆が自転車を停め、カメラを向けた。韮崎駅・・・ここで今回の旅も終り・・・近くのレストランでお別れパーティーを・・・赤ワインをご馳走していただいた。自転車旅の仲間は嬉しい・・・再開を約束し、車中の人となった。


輪旅 下諏訪から茅野、小淵沢、韮崎へ!!その1

2010-04-23 10:26:05 | 自転車旅
《輪旅 下諏訪から茅野、小淵沢、韮崎へ!!その1》

 信州といえば地酒・・・舞姫、麗人、真澄へと酒蔵を訪ねる。その味は格別かと・・・今宵の宿でのお楽しみに四合瓶を買い求める。手頃な値段の純米酒を・・・真澄、何と言っても諏訪の大所・・・宮坂酒造の娘さんだろうか、とても親切にしていただいた。みやげに真澄とプリントされたサコッシュを購入。

 諏訪大社上社本宮へ・・・通称、「諏訪さま」、「諏訪大明神」等とも呼ばれ、延喜式において古代においては神社の中の最高位である名神大社とされていたという。全国にある末社(諏訪神社)は二万五千社とか。ここは信濃国一ノ宮、御朱印をいただく。次いで前宮へも参拝する。


(上社の川越し場)
 上社の御柱祭・・・川越し、木落し場と回る。御柱の先に二本のツノ?があるのが特徴。下社の御柱祭は勇壮で豪快とすれば、上社は優雅、ゆったりと御柱が運ばれるという。七年後、次回はこの川越し、木落しを目に焼き付けたいと願う。茅野の銘酒「ダイヤ菊」へも寄ってみたい。


(残雪の八ヶ岳をバックに)
 県道17号(茅野小淵沢韮崎線)をメインに走る。国道20号は、クルマも多く、谷間を走っているために展望は期待できない。一番上部を走る山麓ロードは、けっこう木が茂り、やはり眺めが今一、アップダウンも多いような・・・

 富士見高原に向かって広大な八ヶ岳山麓をひた走る。阿弥陀岳であろうか、残雪と岩場のコントラストが素晴らしい。蓼科や野辺山、清里が人気であるが、原村から富士見町あたりの景色は、雄大でノンビリで最高にご機嫌なサイクリングコースである。八ヶ岳の名峰はもちろん、南アルプスの甲斐駒や鳳凰三山、富士山の遠望も感動である。

 トラクターで耕作が始まった水田の向うに甲斐駒ヶ岳が見え始める。雲と逆光のため、その迫力ある雄姿は堪能できなかったが、迫力は充分にあり、満足する。こんなところで余生を過ごせたらなと・・・

 原村の分杭という交差点のところのレストランでランチとした。上社御柱のミニチュア版が展示してあった。地域の方の練習用!?だそうだ・・・けっこうマジに作られていたが。


(雄大な裾野を快走!)
 小淵沢へ近づくと、道のアップダウンがきつくなる。道の駅でしばしの休憩・・・ソフトクリームが美味しそうであった。今宵の宿「あかまつ山荘」はもう近い。ちょっと派手なペンション街を通り貫ける。

 「あかまつ山荘」は山小屋風・・・とても落ち着いた雰囲気に安心した。同行のTaさんと散策に出る。先ずは、三分一湧水・・・次に信玄の軍用道路「棒道・ぼうみち」へ・・・5度にわたる「川中島の合戦」へ通った道だとか・・・原野に真っ直ぐ付けられた道を自転車で走ってみた。あの武田騎馬軍団もこうして通ったと思うと感慨が湧いてくる。

 夕食、お風呂に続き、これが一番のお楽しみ・・・なんと馬刺しが!ビールが何本も並んだことは言うまでも無い。同宿の方・・・75歳、一人でクルマを運転し、桜の写真撮影を目的で旅行を続けてお見えとか・・・私たちに挨拶をされ、自己紹介までされるのには感動・・・私もこうありたいと思った。

 夜の部・・・冷えた舞姫をいただき、夜遅くまで自転車談義に花を咲かせた。

輪旅 御柱祭・神代桜・新府桃源郷を訪ねる!!

2010-04-13 06:53:18 | 自転車旅
《輪旅 御柱祭・神代桜・新府桃源郷を訪ねる!!》

 天下の奇祭、諏訪大社の御柱祭へ行ってきました。圧巻は、山出しの木落とし坂・・・氏子が御柱に乗って坂を下る・・・それは死人も出るという壮絶な神事でした。

 先ずは動画でも・・・
http://zoome.jp/nosanjin/diary/70/

 諏訪大社は、上社の前宮と本宮、下社の春宮と秋宮の四つから成り、それぞれの神殿の四隅に四本の御柱が建てられる。結果、16本の御柱が運ばれることとなる。

 特に凄いのが下社の木落とし坂・・・その斜度は35度とか・・・そこを御柱に乗って下ろうという氏子の心意気は凄すぎる。まさしく神がかりである。

 今回走ったコースはこちら・・・
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=8a8a79f57db665353a104125aa07ba0e

 御柱祭のホームページより・・・
 信州・諏訪大社では七年に一度の寅と申の年に宝殿を新築し、社殿の四隅にあるモミの大木を建て替える祭りを行います。この祭りを「式年造営御柱大祭」、通称「御柱祭」と呼び、諏訪地方の6市町村21万人の氏子がこぞって参加する天下の大祭です。

 七年に一度、おいそれとは見にいけない。今年こそは・・・万難を廃し、前夜に下諏訪へ入る。早朝、5時に起きて木落し坂へ向かう。前回は、坂の上からであったため、御柱の全容を見ることができなかった。今回は、坂の途中の最前列に陣取り、この目に焼き付ける思いで臨んだ。

(これが木落し坂の全容)

 木落し坂の対岸には有料の桟敷が・・・一番良い場所は五千円とか。それぞれがベストの場所を見つけようとうろついている。まだ6時間前・・・こんなに早くから待った祭りもないような気がする。その分、気分が徐々に高まっていくのが楽しい。

 11時頃、仲間7人が到着。早速、確保した場所へ案内をする。御柱祭は初めてとのこと・・・目の前で、その凄い神事を体験していただければありがたい。お神酒をいただきながら再会の話題に花が咲く。

(この坂を御柱に乗って下る!)

 いよいよ木落しの時間・・・気分は嫌が上でも盛り上がる。先ず、長い引き綱を持て氏子達が坂を下る。次に進軍ラッパ、木遣りと続く・・・やがて御柱に乗って下る若者の挨拶が・・・木の先端に立ち、大きな拍手と歓声の中で意気込みを語る。一世一代の名誉・・・諏訪大社の氏子ならではの心意気か。

 御柱は、徐々にせり出し、後部で留めてあった綱が斧で断ち切られると、御柱は一気に坂を下っていった。それに従って、前掛け姿の氏子たちも駆け下っていく。時間にして数秒・・・この瞬間に掛ける氏子たちの情熱・・・昔、日本人が心の奥底に持っていた魂・・・だと感じた。

(注連掛にて木遣りを!)

 二本の木落しを見てから帰路に着く。祭りの後の余韻・・・気分の高揚がなかなか収まらない。道を曳行してゆく御柱と一緒に歩く。注連掛では、先に落とされた御柱の上に氏子が乗り、木遣りを披露していた。

 その後、下社春宮と秋宮に参拝し、湖畔沿いに走って今宵の宿「民宿・すわ湖」へと向かった。

輪旅 大垣輪中堤&桜回廊を走る!!

2010-04-05 07:11:07 | 自転車旅
 大垣市が桜回廊50kmという構想を打ち出しました・・・
早速、その一部を自転車で巡って来ました。

http://zoome.jp/nosanjin/diary/69
 凄いのが大島堤辺り・・・桜のトンネルが延々と続いていました。

 輪中・・・鎌倉時代末期の元応元年(1319年)に、標高が低いために高潮などによる水害に苦しんだ農民たちがそれまで下流側に堤防が無い「尻無堤」に堤防を追加し集落全体を囲う最初の輪中である高須輪中が完成した。その後周辺の集落もこれに習い、周辺地域には数十の輪中が形成された。木曽川や長良川の強力な水流が作りかけの堤防を流してしまうことも多かったとか・・・

 三城公演より東中之江川に沿って堤防の上を南下する。長沢を過ぎ、新幹線の下を潜る。公設卸売市場の北側を通り、クリーンセンターの西側に出る。神明宮の辺りの風景に感動・・・


(輪中堤を走る!)
 水門川との合流点は遊水地となり、釣りを楽しむ人もいた。名神高速道路を潜り、更に南下。横曽根で牧田川と水門川が合流する。ここより向きを変え、牧田川の左岸を遡って行く。正面には残雪に覆われた伊吹山が・・・冷たい向かい風に難儀をする。

 養老鉄道の橋梁下で休憩。しばし自転車談義に花が咲く。ここより杭瀬川の左岸となり、北上を続ける。高速道路の下を潜り、杭瀬川スポーツ公園の東側に出る。ここより少しの区間は工事中であった。新幹線を再び潜る。

 旧国道21号に架かる塩田橋の袂を過ぎ、未舗装の堤防上を走る。ここより桜回廊の始まり・・・太いタイヤのグリップを効かせ、豪快に走る。


(昔懐かしい橋)
 養老線と東海道線が交差する辺りに昔懐かしい橋が現れる。ヤラセ?写真を撮り、笠縫の堤防に上がる。ここあたりは公園として整備され、とても走りやすい。無人の東屋を見つけ、ランチタイムとした。

 国道のバイパスを潜って、再び、未舗装の堤防へ上がる。河間より東赤坂駅の間の道はすっきりとしない。駅の北辺りより明瞭な輪中堤が現れた。赤く舗装された遊歩道を辿ってゆく。


(桜トンネル)
 桜はほぼ満開・・・花見には寒すぎるせいか、宴会のお客は居なかった。互いにお喋りを楽しみながら、桜トンネルをひた走る。ライスセンターを過ぎたところで道は矩形に曲がる。その先、二つの道路はアーチ状の橋で跨ぐため、道路横断の心配は必要がなかった。

 平野井川が横を流れるようになり、曽根城公園の辺りで南方向に向かう。ちょっとした池は、昔の堤防決壊の痕跡で、切れた堤防の先は大きく地面がえぐられるという。

 堤防の上と下、二重に植えられた桜は迫力がある。まさしく桜のトンネル・・・土手の中間で宴席を設けるグループが多く見受けられたが、雑踏というような状態ではなかった。

 大垣輪中の大島堤というのか、経済大学までの間が圧巻であった。開発町の辺りで堤防から離れ、ソフトピアの塔を目指して南下。スタート地点の三城公園へと戻った。

 距離にして35kmほど、お花見ランとしては丁度良い距離であった。このコースの良い点・・・メインとなる道路や鉄道をアンダーパスでやり過ごせること。大勢で走る場合、車道の横断が嫌なものである。大垣市が桜回廊50kmという構想を打ち上げたとか。大きな町の外周をノンビリと走れるコースがあれば、そこに住む方は幸せである。ウォーキング、ジョギング、マラソン、サイクリング等の常設コースにしていただければありがたい。