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東海道・宮宿から吉田宿へ!その1

2006-08-17 22:41:06 | Weblog
≪東海道・宮宿から吉田宿へ!・その1≫

 桑名宿より七里の渡しで宮宿へ着いた旅人が熱田神宮に参拝したことは十分に想像できる。長い船旅を無事に終えて陸へ上がれば信仰心のない者でも神様にお礼を言いたくなるのではと思える。大鳥居を潜って長い玉砂利の参道を行けば、その奥に本殿が現れる。

 JR熱田駅に降り立つと凄い蝉の鳴き声が聞こえてきた。岐阜の田舎でも聴いたことのない大合唱に圧倒されながら今回のスタート地点となる宮の湊跡へ向かう。当時は海に面していたであろう湊には移築された櫓と常夜灯が建ていた。運河の向こうを新幹線が猛スピードで通り過ぎて行った。

 東海道は大鳥居の前で右に折れ、裁断橋跡を通って呼続方面へと向かう。今では裏通りとなった旧街道は以外と走りやすく、所々に残る旧家の造りに見入りながら自転車を走らせる。

 道が突き当たったところに笠寺観音があった。歴史を感じさせるその建物は、古びてはいるが威厳がある。旅の安全をと寄ってみた。

 笠寺の一里塚はすぐであった。今も当時のままの塚が都会の真ん中に残っていることは驚異であった。多分、信仰的な意味合いで土地の方が触らなかったために現存しているようである。貴重な歴史遺跡をこれからも残してもらいたいものだ。

 鳴海宿に入る。宿の入口となる位置に小さな常夜灯が残っている以外、観るべきものは無かった。次の有松は宿場ではないが、「有松絞り」で有名になり、それを商う問屋の立派な建物が今も街道筋に多く残っている。時間があれば絞り会館に寄って、絞りの妙技を観たいものである。

 国道1号線を横切り、阿野の一里塚へ辿りつく。ここは珍しく両側に一里塚跡が残るが、塚は無くなっていた。その先の境橋で尾張国から三河国に入った。

 次の宿場は池鯉鮒宿。今では知立という字が当てられるが、なかなか味のある文字である。街中を抜ける東海道に面影は少ないが、世界的企業となったトヨタへの入り口であるせいか活気があった。

 国道を横切って来迎寺辺りへ入る頃より松並木が目立ち始める。道の両側にぎっしりと残る松の大木は迫力があり、街道の雰囲気も増してよいのだが、夏の強い陽射しをさえぎってくれるのが一番あり難い。冬は木枯らしを防いでくれるのであろう。

 宇頭茶屋まで来れば岡崎宿は近い。矢作橋を渡って八丁味噌の蔵を眺めて岡崎の町へ入っていった。