中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

この仕事をして得られた喜び

2015年07月06日 01時57分27秒 | 日本への留学までの道のり
大学の今学期の授業・試験共に先週で全て終わり、ここまで某ビデオの編集、日本での大学院の研究員関係の仕事、来年度の労働ビザの更新手続きなどをしていました。
明日以降から一気に試験を採点・登録を始め、終了後は来週月曜日からの青島資料調査の準備に入ります。


さて、今日は先日あった非常に嬉しかった出来事を紹介したいと思います。
私は中国に来てから今まで、安徽省と上海市、山東省の各大学で多くの学生たちに日本・日本語を教えてきました。
そんな学生たちは卒業後、自身の専門とする日本語を活かして日本留学を希望するケースも少なくありませんでした。

日本留学を希望する学生に対しては、その時その時の可能な範囲でお手伝いをしてきたことは、このブログでも既に書いたことがあります。
(詳しくは、本ブログのカテゴリーの「日本への留学までの道のり」の記事をご覧下さい)


先日、来週月曜(13日)から青島へ調査で出かけるため、上海時代の教え子で青島出身の学生に連絡をしました。
残念ながらこの学生は私が青島へいる期間は地元に不在ということだったのですが、久々なので少し微信でメッセージをやりとりしていました。
「教え子」と書いたので、この学生が日本語科学生であると皆さんはお考えでしょう。
しかし、この学生は現在理系の専門を勉強しており、日本語科の学生ではありません。
確かに一年生の時、彼女は日本語科に属していたのですが、二年次から「もっとも興味のあった」という専門に転籍したからです。
よって、私がこの学生に授業を出来たのはただ半年間(一学期)だけでした。

もちろん、それとは関係なく、自分の教え子だという意識は変わることはなく、今までずっと接してきたつもりです。
ただ、同時に私の意識の中では、

「この学生の日本語や日本との縁は、これから弱くなってしまうのかな・・・」

という、寂しさにも似た思いが生まれていたのは事実でした。


先日、この学生とやり取りをする中で、学生の卒業後の進路について話題が及びました(現在、学生は3年生)。
私は当初、理系の専門を活かした仕事を卒業後、上海などの大都市でするのだろうと勝手に決め込んでいました。
しかし、彼女の口から意外なことを聞かされたのです。

それは、

「日本の大学院へ留学し、今の専門知識をさらに学びたいんです」

というものでした。
よく聞くと、この学生は専門をかえた後も、自分自身で日本語を勉強し続けてきたというのです。
そして、日本で現在の専門知識をより磨こうと考え、今頑張って留学準備をしていることを知りました。

この話を聞いた瞬間、自分の頭には全くなかったストーリーが私に電気ショックを与える、そんな感覚に陥りました。
何より、この学生と日本・日本語との縁が今でも続いていた、それを知れたことが私には嬉しくてたまらなかったのです。
今学期はこれまでの中国生活の中でも特に多忙で、疲れが出始めていたのですが一瞬、その疲れが吹き飛びました。

そして、この学生の学年たちに授業をしていた時期が、急に懐かしく思い出されました。
昔、かれらと上海植物園に桜を一緒に見に行ったことは、今でもよい思い出となっています。

当時の学生たちが、あと一年で大学を卒業しようとしていると思うと、本当に時間の速さを感じずにはいられません。

二班の学生たち


一班の学生たち



以前上海にいた際、日系企業の管理職にある方から、

「日本への留学経験のある中国人社員は本当に仕事がしやすいんです。やはり、実際に日本を自分の目で見て、肌で感じたことのある中国人は日本・日本人をよく熟知しているし、中国と日本という二つの国の文化的視点を持ち合わせているからではないでしょうか。」

と聞いたことがありました。
留学が珍しくなくなった時代、しかし、やはり留学することの意義が変わらずに深いことを示す言葉です。

学生の留学の希望が叶うよう、今は願わずにはいられません。


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