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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

久々の大学院研究室での徹夜

2013年01月30日 06時09分04秒 | Mの研究活動や成果
もう6時、そろそろ朝日が出てくる時間ですね。
帰国して以来、ずっと夜型の私は昼前に起きるような生活が続いております。
昨日(29)もそうで、昼前に起きたあと大学院へ向かいました。

大学院研究室へ着くと、そこで夕方まで暫し作業。
研究書購読、自分の研究論文、依頼を受けている計画書の修正、などせっせと3時間強。

18時からは幕張へ移動。
そこで大学院時代の仲間で、某私大の専任教員Yさんと飲みました。
将来のことや研究関係など積もる話もあり、気づくと21時過ぎ。
そこでお開きとし、再び大学院研究室へと戻ってきました。


そして、お茶を飲みつつ少し休憩して酒の酔を覚ました後、
今度は本日(30)打ち合わせで用いる論文の序章を作成していました。
その間、重要なメールが複数あり、そのやりとりも。
(研究費関係、学生の計画書、研究者の紹介の依頼など)

明け方3時半頃、猛烈な眠気が。。。

「これは無理だぁ・・・」

とそのままデスクで軽く仮眠をとり、うつらうつらして5時すぎになっていました。
やはり体力が落ちているようで、最近は完全な徹夜は厳しいようです。
もっと運動をして、猛烈な体力を持たないといけません。


これから軽く松屋で朝飯を腹にいれ、続きの研究作業をしようと思います。
生活リズムはめちゃくちゃですが、こうして研究だけに没頭できるのはやはり最高です。
ある院生時代の友人が、

「もしMが大学院だけにずっといたら、中国の仕事をしている時よりも博論提出に時間がかかったかもね。」

と言った言葉が分かるような気がします。

‘限られた時間(研究時間)’

という意識が、今の研究の楽しさを支えている一つの、そして大きな要因なのでしょう。

学生たちの留学へ向けた取り組み(計画書を書く)

2013年01月28日 20時31分28秒 | 日本への留学までの道のり
明け方に寝る生活が続いているせいか変な疲れを感じることが出てきました。
さすがにもう少し早めに寝て、朝には起きる生活に戻そうかと思っています。

実家に戻っているので、食生活は大変健康的です。
今夜はおでんと焼き魚(鯖)、そして野菜サラダでした。



明日明後日と大学で用があるので、明日は朝早めに起きて研究室へ行く予定です。


さて、本日のテーマは日本へ留学を希望している中国人大学生達の取り組みについて。
現在、私が世話をしている学生達は3人いて、すべて大学四年生達です。
彼女達にはそれぞれ自分が指導を依頼する教員へ見せる計画書を書いてもらっています。

それぞれ関心ある課題を決め、それに関する先行研究を調べ、そこから自身の課題を絞り、見込まれる研究成果や意義をまとめてもらっています。
そして、自身の研究計画を簡潔に記してもらっています。

そうした作業を経て、学生達には計画書を私に一度提出してもらっています。
受け取った計画書を見て、私のほうから必要な意見を出し、修正してもらうのです。

既に二人の学生が計画書を出してくれ、それに修正意見をつけて送り返すところです。


彼女達にとっては外国語である日本語で計画書を書くのは、それ自体大変な作業です。
加えて、三人とも人文系の研究課題であるために、関係する先行研究を整理するのもかなり大変です。
彼女達は日本語専攻で日本語に関する知識はあっても、それ以外の知識は少ないからです。
(なお、学生達の研究課題分野はそれぞれ言語学、歴史学、文学)
日本人の大学生にとっても、こうした作業は決して楽ではないですから。
ですから、それら先行研究をきちんと把握し、自身の問題関心を絞るのは相当大変だろうと思います。

ただ、その作業をきちんと経て大学院へ留学すれば、必ずやっていけると考えています。

ちなみに、彼女達はいずれも研究生という形で留学する予定です。
その後、半年ないし一年の研究生期間を経て、大学院修士課程へ入学予定です。
その研究生期間もきちんと指導を受けた学生であれば、より短くすることも可能です。

だからこそ私は、この過程で学生達が大いに考え、悩んで計画書を書き上げていってほしいと思っています。

今後は一週間前後の間に、彼女たちが指導を希望する教員の方々へ計画書を提出予定。
これは私が日本滞在期間しか出来ない作業なので大変重要であると同時に、ここである程度学生の評価が決まることとなります。

ですから、学生達にもメールを送り、

「君達が何か問題や相談がある時はいつでも連絡をしてきていいよ。」

と伝えました。
学生達はもちろん、私もそのために出来る限りのことをしてあげたいと思っています。
自分の研究や語学勉強、自身の研究計画書執筆など多忙なのですが、最後まで付き合うつもりです。

大学院時代の友人達と再会

2013年01月26日 18時42分43秒 | とりあえず日記
昨日は夕方まで自分の研究作業を行い、それから南越谷へ。
JR南越谷駅北口すぐの飲み屋で、大学院時代の先輩Fさん、同級生S君と飲みました。

FさんもS君も共に日本近世史専攻です。
Fさんは大学院博士課程を既に修了し、今年4月から学振PDに採用が決まっています。
一方、S君は大学院修士課程を修了後、埼玉県某NPO法人の学芸員として勤務中です。

二人とも研究の畑がやや違うこともあり、あまり研究を介して会うことはありません。
今回は時間がとれたので、久々に近況報告でもしようと機会を設けさせてもらいました。

行った場所は、「大衆寿司酒場 こがね」さん。

〒343-0845 埼玉県越谷市南越谷1-26-9
東武伊勢崎線新越谷駅 徒歩1分
JR武蔵野線南越谷駅 徒歩1分
TEL 048-966-4483



こがねにて、18時半過ぎから22時過ぎまで過ごしました。
酒があまり強くない私ですが、気付くとビールジョッキ3杯を飲んでいました。
食べたのは、

寿司の盛り合わせ×2人前
枝豆
豚の角煮
刺身盛り合わせ(五点盛り)
おでん盛り合わせ(牛すじ入り)
オニオンサラダ
ポテトサラダ

などでした。
あとは、各自ジョッキを二、三杯飲む程度。
三人で約1万円だったので、一人3千円と少し。

飲みながら色々な話題に話しは及びました。

・今後の各自の進路について
・今取り組んでいる研究課題や取り組んでいる仕事
・歴史家にとっても欠かせない史料保存のこと
・歴史の授業の方法やその課題
・歴史を学ぶことの意味、意義
・お茶の話題
・歴史ゲーム(三国志、信長の野望)

などなど。
短い時間でしたが、色々と面白い話題が多く出て楽しかったです。

なお、もう一人声をかけていた後輩S君が来れなかったのは残念でした。
仕事が忙しいと聞きましたが、次回どこかで飲めれば嬉しいです。

とりあえず更新3

2013年01月25日 03時49分14秒 | とりあえず日記
帰国後、色々とやることが多いのですが、時間が過ぎるのもまた早いです。

今日は、

・現在の論文を推敲、加筆修正 →そろそろ終了
・メールのラリー(研究関係、留学生の受入関係、自身の研究費関係)
・研究書や論文を乱読
 ※現在の論文関係、今後の論文関係、最近の学会誌の論文
・休憩もかねて、NHKスペシャル「中国文明の謎(第1、2集)」を視聴
 ※今後は第3集:http://v.youku.com/v_show/id_XNDk0NDE0ODcy.html
・中国語学習を二時間ほど(文法問題、音読など)

そろそろHSKの申込をしようかと思っていますが、今回は中国で申し込む予定です。
このように色々とすべきことが山積みですが、日本へ帰ってきて大変充実しています。


明日は午前から大学へ出かけ、主に院生研究室で研究をするつもりです。
そして、幾つか頼まれている「依頼」を済ませてこようとも思っています。
午後は、日本語教育に関する講座があるそうで、そちらに参加してきます。

そして、夕方からは久々に大学院時代の先輩や、同期と飲んでくる予定です。


というわけで大した内容もない記事ですが、今日は寝ます。
おやすみなさい。。




日本での母と娘の会話

2013年01月24日 04時19分05秒 | とりあえず日記
今月末に提出予定の論文はほぼ書き上がりました。
といっても博論の一部なので、加筆修正が終わったというべきでしょうか。
今後は別の研究者の方に御意見を頂くなどして最終修正をする予定です。

それが終われば、次の論文の分析に入る予定です。
また日本で読んでおきたい研究書や論文も数多く、全力で読む予定です。
この休暇中にしか出来ない研究に集中して取り組む絶好の機会ですから。


さて、今日は日本へ帰ってきて違和感を感じた出来事を一つ紹介します。
それは私が近所を歩いていた時に偶々耳にした、母と娘の会話でした。

一見すれば、二人は非常に仲がよく理想的な親子のようでした。
ただ、それは私が二人の会話を聞いた後、二人を見た際の印象にすぎません。
実は私は二人を見る前、既にその会話が勝手に耳に入ってきたのです。

それを聞いていると、どう考えても若い子供同士の会話のようでした。
声もお互い高かったですし、内容がとにかく幼稚だったからです。
しかも、両者の関係性は聞いている限り、友人という感覚でした。

「なんだ、若い女の子達が後ろから歩いてきたのかな。」

などと思って、目をむけた時の軽い驚きは今も覚えています。
50過ぎにも見える(?)母と小学生くらいの女の子が二人で歩いていたからです。

それは一見すれば仲がよさそうですが、会話内容と合わせて考えると違和感がありました。

どうも母と娘という関係性ではなく、完全に友達化した関係性が成立しているように感じられたからです。

それは母親が幼い子供の目線に立って合わせているのではないのです。
むしろ、母親が若い小学生の娘と同じ立場になってしまっている感覚なのです。
ですから、聞いている側としては、

「おいおい、それって母親としてどうなの??」

と感じてしまったわけです。

ただ、恐らくこうした傾向は少し前からあった日本社会の母子の関係性であったと思います。
ですが、中国でほぼ暮らす私には、休暇中を利用して帰国している今だからこそ、違和感を強く感じたのだと思います。

逆に言えば、中国の母子関係は日本のこうした状態とは異なるのでしょう。
母と娘や息子の関係性が明らかに違い、そこにはきちんと親子関係が築かれているのです。

今回の経験から、この点は現代の日本と中国との大きな差異になっていると思いました。
個人的には、やはり親子関係がきちんと成立したことを前提にして、仲が良いというのが理想ではないかと思っているのですが。

あまり親子の距離が近すぎてしまうと、親が親である意味が失われていくようにも感じますから。

この点を日本の、そして中国の皆さんはどう感じているのでしょうか??

久々の大学研究室、図書館での生活

2013年01月21日 22時00分40秒 | Mの研究活動や成果
月曜日の今日、さいたま市の自宅を出て千葉市にある千葉大学へやってきました。
私は去年9月修了したため、大学に行く道、また大学構内にて色々と‘部外者’となったことを実感しました。

当然、定期券は学生の立場(それに相当する料金)で発行することはできません。
自宅から大学までは一ヶ月7往復以上する場合、定期券を購入したほうが安くなります。
ですから、そのことも考えたのですが学生証がもはやないために断念・・・

とりあえず、必要以上は大学へは足を向けずに自宅や近所の図書館で研究をすることに。


電車で一時間程で大学に着くと、今度は大学図書館を利用する際にも学生証が必要なことに気づきました。
そこで後輩のL君にお願いし、彼が普段使わないということなので代わりに学生証を借りて入館。
あとで聞くと、別に部外者であろうと千葉大図書館は誰でも利用が可能とのこと、苦笑。

そんなことも知らずにこれまで使っていた僕は恥ずかしい限りです。

図書館内をうろうろしていると、H先輩と遭遇。
聞くと有志の学生達と毎週勉強会を開いているそうで、その開催情報も教えてもらいました。
H先輩や私の直接の指導教官M先生がインドへ仕事で行っているため、弟子達は自分で学習機会をつくるしかないのです。

なお、夜、図書館を外から見るとこんな感じ。




図書館の入口にあたる一階のエントランスには、よく様々な講座が開催されているようです。


図書館内を一通りめぐり、必要な本や論文を集めた後、今度は博士課程の研究室へ戻ってきました。
これから終電の時間くらいまでは論文を書こうと思っています。


なお、大学院研究室が入っているビルの入口は夜はカードキーがないとはいれません。
そのカードもない僕は、これまた同じ博士課程の学生であるAさんにお借りしました。

本当に現在、僕はこの大学の‘部外者’のようです。。。
ま、無事に大学院を修了できたことに感謝すべきなのでしょうが。


留学生史研究会へ

2013年01月19日 01時50分23秒 | Mの研究活動や成果
まず、無事に日本へ帰国しています。
茨城空港から浦和までは遠かった・・・3時間ほど。
ま、格安航空なので値段で全て許しましょう(笑)


帰国して翌日の今日。
午後から神奈川大の大里浩秋先生、孫安石先生などが主催されている、
留学生史研究会へ顔を出しました。

これは主に、日本への中国人留学生の歴史を様々な視点から研究、
議論している研究会です。

中国生活が長くなっている今(すでに4年目)、その環境を活用しない手はありません。
また、博士課程も無事に終わった今、新しいテーマへと歩み始めたいと思っています。
そんななか、千葉大のK先生より勧めていただいたのがこの研究会でした。


留学生史研究会の詳細(孫安石研究室HP http://sonansuk.jugem.jp/?eid=331)

◎日時:2013年1月18日(金)、2時~5時
◎場所:東京大学駒場キャンパス18号館4Fーコラボルーム (予定)
◎内容:書評・駒場会議
(1)書評報告
1.卞鳳奎『日治時期台湾留学日本医師之探討』 (台湾:博揚文化事業有限公司)
ー見城悌治(千葉大学)
2.鮮明『清末中国人使用的日語教材』(中央編訳出版社)ー孫安石(神奈川大学)
3.◆ー大里浩秋(神奈川大学)
4.小谷一郎『1930年代後期中国人日本留学生文学・芸術活動史』(汲古書院)-周一川(日本大学)
5.白土悟『現代中国の留学政策―国家発展戦略モデルの分析』九州大学出版社ー王雪萍(東京大学)

(2)参加者の自己紹介と研究動向
(3)神奈川大学共同研究採択の報告と今後の予定について


12時 京王井の頭線、駒場東大前でK先生と集合  
   その後、今取り組んでいる共同研究の打合せ(東大内のカフェスペース) 

14時 研究会開始
   上記案内にあるように5人報告者がそれぞれの本を書評
   休憩を含め、17時すぎに終了

17時半 懇親会へ(Mは用事があり、18時半頃早退き)


今回は書評会ということだったので、各研究者の持っている具体的な問題関心、
また、各々が留学生史研究を通じて何を明らかにしようとしているのかなどは、正直よく分かりませんでした。

ですが、留学生という人の国家を超えた移動を通じて見えてくる、
一つの歴史像はやはりあるはずです。
私はそうしたトランスナショナルな歴史像の構築に関心を持っている立場なので、
今後も参加可能な機会があれば是非参加していきたいと思いました。

それにしても、研究会の皆さんがきさくで大変雰囲気のよい会でした。

中国の街でいつまでも残るサンタさんたち

2013年01月17日 05時01分26秒 | 中国人の思考など
数時間後には浦東空港へ着いていないといけません。
冬休み、日本へ一時帰国が出来るのはやはり嬉しいです。
…ただ、今回は春秋航空を利用の為、茨城空港着(涙)

埼玉県浦和の実家まではちょっと遠いな…。


さ、今日は上海の街を歩いていて一つ気づいたことを書きたいと思います。
それは、去年のクリスマス後もいつまでも街に残る“サンタさんたち”についてです。

   


サンタさんと言っても、要するに、写真のようなポスターやデコレーションされたサンタさんです。
去年のクリスマス以後からずっと気になっていたのですが、元旦を過ぎても一向になくなる気配がありません。

今日出かけた上海の人民広場近くにある外文書店では、新年とクリスマスを一緒に祝ったデコレーションも見られました。
また、せっかくそこまで出かけたので周囲の租界時代の建築を見て回った際に、
中国の春節と去年のクリスマスを同時に祝うような雰囲気の飾り付けも見られたのには驚きでした。

要するに、

“日本と比較すると、中国では季節の風物詩を代表するものにあまり敏感ではない”

と強く感じました。
逆に言えば、

“日本人は季節の風物詩や、季節の移り変わりに大変敏感である”

と言えると思います。
だからこそ、私はこうした中国の街の様子に違和感を感じたのでしょう。

思えば、国語学の権威である金田一春彦氏の著書『日本語』上巻(岩波書店、2012年)にも同様の記述内容がありました。
なお初版は1988年で、これは47版目。すごい…。

「春めく」や「秋めく」という言葉も、まさに季節の変化を表した言葉です。
また、「初霜」「初雪」「初鰹」「初時雨」なども季節の推移を表現する風物で日本的語彙です。

そして、「季節はずれ」という単語も日本ならではのものだそうです。

季節の移り変わりを表現した和歌や俳句が数多いのをみても、このことが確認できるかもしれませんね。


ともかく、こうした季節に対する認識と感性は日本人と中国人の間で違いがあるのは確かなようです。

研究計画書指導と教員探し

2013年01月14日 09時47分30秒 | 日本への留学までの道のり
さて、最近は留学を希望する学生達と良く連絡を取り、実際に会う時間もとって、その指導をしています。
学生達は本当に自分で色々と調べ、勉強して確実に力をつけてきているのを私は実感しています。

現時点では、各自の研究課題がほぼ固まって来た段階で、先行研究と自身の研究の位置づけを明確にさせています。
これまで研究というものをしたことがない学生にとって、この作業は本当に大変で、指導も骨が折れます。

毎回、色々と「先行研究」を探してくるのですが、それがどうも不適切だったり、範囲が狭かったりします。
また、十分に先行研究を調べる作業も私の助言がないと難しい時があります。
振返れば、私も学部時代と修士時代とこうした作業はいつも難しさを感じていました(苦笑)

こうした課題を克服するには、

1、自分がやりたい研究課題が何か、これをきちんと意識すること
2、そのうえで関連する研究書や論文を乱読し、それらを整理すること
3、そうした作業を通して、自分の研究課題を絞っていく

これが定式でしょう。
個人的な実感としては、以上の作業を経た後、三者に意見を求め客観的な意見をもらうことが重要です。
あとは、数多くの論文を書いていく作業を経て、こうした作業は徐々に慣れ、力がついていきます。

ともかく学生達は今、その一歩目を踏み出して葛藤しているわけです。
そうした研究課題と先行研究の位置づけが明示出来れば、あとは関連文献や論文や資料を読んで分析、
その結果を論文にしていけばいいわけです。


そして計画書がある程度まとまってきたら、同時にそうした課題を指導してくれる日本側の教員を探す必要が出てきます。
現在は三人の指導学生とも、それぞれ指導を希望する教員を探し、それぞれ連絡を取り合うところまでは来ています。

ただ、ここでポイントなのは学生が個人的に連絡をとるのでは、あまり返事が期待できないということです。
大学の教員は多忙ですし、こうした依頼が少なくないですし、それにいちいち対応できない状況があるようです。
ですから私が面識があり、学生の研究課題を指導できそうな教員を絞り、私からまずは連絡をさせて頂くようにしています。

そして、それぞれの教員が受入れ可能かをお聞きし、学生の簡単な研究課題と計画書をお送りし、
御意見(評価)を伺います。

あとは、先生方の評価によるので、私にはどうすることも出来ません。
ですから、私に出来るのはそこまでの作業が主になります。

1、よりきちんと研究指導(計画書の)をすること
2、そうした学生の課題にあった、また性格にもあいそうな教員を探す

この二つです。
「2」に関しては、もし私に知り合いの教員がいない場合もあります。
その場合、他の研究者に紹介して頂けるように依頼します。
実際、一人の学生は文学の研究だったので、知り合いの方に紹介を依頼しました。

今後は私が日本へ帰り、学生達が1月下旬頃には書き上げるであろう計画書を手に、
教員を訪問して計画書並びに、学生の人となりをお話しする予定です。



ところで、昨日ネットで以下のような文章を見つけました。
以前の記事でも紹介したように、中国では留学の斡旋会社が数多くあり、その問題性を指摘したものです。
私はどこまで真実かを確かめようもないのですが、学生から得た情報では大部分が当たっている模様です。

「注意!とんでもない中国人研究生の実態 中国人留学生の真実(5)」
http://www.jctsc.co.jp/1399.html

数多くの中国人留学生が日本へ来てくれるのは大変嬉しいのですが、
こうした弊害が同時に起こっていることも我々は知っておいていいと思います。

そうした中、私が担当して色々指導している学生達は、助言を基に自力で留学を実現しようとしています。
ですから、その中で葛藤や不安、悩みも抱えて頑張っているわけです。

私はこうした過程を経て留学の道を得ていく方が、将来は確実に役立つ!と思います。

教え子と南京東路で安徽料理を

2013年01月12日 21時53分13秒 | 中国でのグルメ
今日は午前、訪問客が来ました。
安徽省で勤務していた時の教え子で、現在は上海で仕事をしているT君とそのお姉さんでした。
大学の正門で待ち合わせて、そのまま私の部屋へ招待して小一時間ほど歓談。

その後、部屋を出て南京東路付近の四川中路にある安徽料理(古代の)を食べさせてくれる店へ。

    

店の名前は「風波荘」といい、中国に幾つか支店があるそうで今日行った場所もその一つ。



    

着いた時間は午後2時頃でしたが、お客さんがまだ数組いました。
店内はこんな感じで、古い中国の料理と酒を提供する料理屋の雰囲気を演出していました。







食べ物は店員さんにおまかせを頼み、お勧めのメニューを6品持ってきてもらって黄酒で乾杯しました。
今日久々に会ったT君とお姉さんは安徽省出身なので、私も久々に二年半過ごした安徽の料理を食べたくなりました。
久々に食べた安徽料理は基本的にどれも辛く、スパイシー、黄酒を飲みつつ食べると体が温まりました。



値段は、T君が先に会計を済ませてくれたので、私は後で慌てて100元を払っただけで全部の額は不明です。
まあ、200元前後だったのではないかと思います。

食事を終えて私は上海図書館へ、T君は会社の残業へと向かいました。
お互いなかなか忙しいのですが、またこうして教え子たちと食事が出来る時を楽しみにしています。

それにしても久々の安徽料理美味しかったー