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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

海外における「日本研究」の現状など

2013年07月29日 23時19分55秒 | Mの研究活動や成果
今日は生憎の雨でしたが、午後から大学院の大学院時代所属していたゼミに参加してきました。
ちなみに先週は同じゼミにて、私の研究報告(といっても未完成の)をさせていただきました。

本日のゼミでは院生が研究発表するのではなく、ゼミ主催のM先生による海外出張の報告でした。
今年の初め頃から5月頃までインドのデリー大学に仕事で長期滞在していたため、その「インド報告」が本日であったというわけです。

その報告内容が幾つか印象深かったので、ここにも書いておこうと思います。
報告は主に、インドの大学・そこでの研究事情、そして現在のインド社会事情などでした。

まず、先生はデリー大学のEast Asian Studiesで仕事をされていたそうです。



ここは大学の一学部で、東アジア研究、その教育を担っているとのこと。
日本・中国・朝鮮にまたがる範囲を東アジアとして設定し、それぞれの地域の専門家がいるようです。

なお、デリー大学におけるEast Asian Studiesの以前の名称は、China Japan Studiesでした。

1970-1990年代半ばまで、海外においては日本研究の人気は高く、いわゆる「花形」でした。
しかし現在、中国研究が「花形」であり、日本研究は勢いを落としているのが実態です。
そうした中で、日本研究が東アジア研究に組み込まれてしまっているという、やや悲観的な見方を私はしていました。
しかしM先生は、こうした状況は「東アジアの中から日本を見ることのできる契機」ともなるはずで、決して悲観的にのみ捉える現象ではないとの認識を示していらっしゃいました。


また、デリー大学で文学専攻というある院生は、文学研究を通じて「東アジアにおける近代」の特質を考察する課題に関心を持っていて、それがなかなか面白かったというお話もありました。

具体的にこの学生は、
・東アジアにおける近代化とは、かなり似通っているとの前提に立っている
・そして、東アジアにおけるそれぞれの国家が高度経済成長をし、都市人口がある一定の比率を超える時、どの大都市でも共通性のある、幾つかの社会現象が起こるのではないか、との仮説を持っている。
・例えば、村上春樹や吉本ばななのような作家(かなり人気のあるそれ)の作品が売れ始める時期、それぞれの東アジア地域において共通する社会状況が存在しているはずで、この学生はその背景を考察することで、東アジアの近代化の共通性を明らかにしようとしている

とまあ、下手くそなまとめなのですが、大体このような内容でした。
こうした観点はこれまでの文学作品自体の研究、あるいは、地域を固定化したりして文学作品との関連性を研究してきた流れと異なるもので、今後の文学研究の一つの方向性を示唆するという印象を私は持ちました。


時代の流れとともに、学術分野自体の再編が起こり、各学術分野の問題関心は変わっていくのは当然のことだと思います。
そうした大きな流れの中に文学研究も組み込まれていて、そうした動き出しが確実に世界では起こっているということです。

なお、今回の報告においてはあまり話題になりませんでしたが、やはり海外に研究をいかに発信するかというのも益々大きな課題となってきていると思いました。
また発信するだけでなく、こちら側が世界で出された諸々の研究成果に直接触れていくためには、それなりに自身で英語や他の外国語を読みこなす必要があります。

ですから、どの分野を研究している日本人の学者であってもやはり日本語だけではだめで、英語、あるいは別の言語を修得することが不可欠である時代となっています。

中国のメディアは参議院選挙をどう報じたか。

2013年07月25日 02時05分59秒 | 日中関係のあれこれ
先日の参議院選挙では自民党が圧勝し、野党の惨敗となりました。
特に民主党が失った議席は大きく、また、他の野党も議席を伸ばせませんでした。
ただ、これが果たして「民意」なのか・・・。
正直、私にはかなり疑問があるのですが。

ともかく今後、当面は自民党が安定政権として、日本政治を担当することとなりました。


では、今回の選挙を中国メディアはどのように報じているのでしょうか。
例えば、こちらの中国メディアのネット記事。

sina新聞中心
http://news.sina.com.cn/z/nihonsangi23/index.shtml

ここでは主に、
(1)自民党将面臨“経済悬崖”
  →自民党が“経済の崖っぷち”に直面していること

(2)自公党執政連盟三大優勢
  →自公連立政権の三つの優勢点

(3)図解:2013日本参議院選挙
  →2013年における参議院選挙の構図を図解したもの

(4)日本政党対主要選挙議題的立場
  →各政党の主要選挙議題に対する姿勢・立場

(5)右翼掌握参院後三大走向
  →(右翼の)自民党政権が参議院を掌握後、向かう三つの方向
   その三つの方向として挙げられていたのが以下。 
   1、経済問題面臨大考験((日本の)経済問題という試練に挑む)
   2、可能大力推動修憲進程(改憲の動きを推し進める可能性が高い)
   3、周辺外交上採取什么様的態度(周辺諸国の外交にどのような態度で挑むか)

(6)安倍再奪権後頻繁対華秀強硬
  →安倍首相が権力を奪った後、対中政策は強硬に

の六つの柱として設定され、解説されています。
(1)、(3)、(4)は日本でも同様に報じられていた内容といえるでしょう。
そして、(2)の背景については、
優勢之一:東京都議会選挙大勝(東京都議会選挙の大勝利)
優勢之二:安倍的超高民意支持率(安倍首相の国民からの高い支持率)
優勢之三:対手太不争気(対立政党の期待はずれ)

が挙げられていました。
ただ、これら六つの中で中国が何より注目したのは(5)、(6)の内容でしょう。
記事をみると、明らかに中国メディアが安倍政権を危険視し、今回の選挙結果を好ましくないものとして認識していることが分かります。

下の頁を見れば理解できるように、安倍首相は「右翼」の中でも「最右翼」という認識が中国側メディアの一般的なものとなっています。

重读安倍晋三(安倍首相の家系図、思想や政治的立場、歴史認識を紹介したもの)
http://slide.news.sina.com.cn/w/slide_1_2841_28491.html#p=5

こうした政権が「ねじれ国会」を解消し、政権基盤を固めたことで、中国メディアは日本の対中政策は強硬化し、中国を囲い込む対中政策が実施されたり、歴史問題の軋轢が再度高まりを見せたり、何より日本社会、そして日本人が徐々に右傾化していくことを懸念していることが伺えます。

このように、自民党の参議院選挙での勝利はかなりの「刺激」を中国側に与えているというのが、中国メディアの論調のようです。


一方、実際の中国人の個々の反応はそれと少し異なる部分もあるにせよ、やはりメディアの反応と似通っているようです。
こうしたことは、中国版twitterである微博(ウィボー)などの書き込みに目を通すとよく分かります。
或いは、実際の中国の教え子や知り合いからの情報も結構頼りになるのですが、現在はまだ誰からも聞いていません。

仮に今回の参院選の自民党勝利が日本人の「民意」だとしても、それとあまりに対照的な評価が海外でなされているというのはやはりおかしい、と私は思います。

一つの国家だけの国益を考える、或いは、一国の国民からだけ「支持される」ものの、他国ではそれと対照的な評価を受けるようなリーダーは、もはや時代遅れとなってきていると、私は考えているからです。

やや抽象的な言い方になりますが、自国とその周辺地域との関係、さらにもっと広い世界全体の利益へと視野を広げられるリーダーこそが、これから求められるリーダーのように思われます。
ただ、現在の中国の対日政策を見ていると、安易に「協調」路線を取ることが相当難しいのも事実でしょう。
つまり、日中双方の首脳がどうこの問題に向かい合うがもっとも重要なのですが。

ともかく、上記の点で安倍首相の政治姿勢はそうした世界の潮流に、ある種、逆行するものだと私は感じています。
日本の東アジア諸国との関係が難しく、困難な局面におかれているのは事実です。
ですが、そうした相手をより刺激し、強硬路線をとるのが得策ではないはずです。
是非、もっと広い視野から、東アジア諸国との対外関係を築いてもらいたいと願う私です。


ところで、君はどう考えていますか??

中国の大学生達の暮らす学生寮

2013年07月19日 23時51分21秒 | 中国の大学、大学生
今日は中国の大学の学生寮について少し紹介しようと思います。


中国の大学では寮生活を送るのが一般的で、大部分の学生はそうしています。
(中国では遠い高校や中学へ通学する場合も珍しくなく、その場合も寮生活)

寮は所謂、共同部屋で一人部屋はおろか、2人や3人部屋はほぼありません。
一般的には4人、或いはそれ以上の人数で一緒に暮らす部屋となっています。

私が安徽省の大学で勤めていた際、寮は基本的に6人部屋でした。
上海の現在の大学では3人、4人、6人部屋と種類が様々ですが、大半は4人以上です。
(3人部屋というケースは大学院生以上から)

これは寮の入り口を撮影したもの(安徽省の大学)


そして寮の各部屋をつなぐ廊下。
古い寮ですが、それなりに綺麗に掃除がされていました。


これは各部屋の入り口です。
番号がふられています。


寮の各部屋にはベット(二段式)と各学生のデスクが設置されています。
写真にも写っていますが、部屋には空調はないため夏は扇風機のみ(汗)
そして、マイナス10度以下にもなる冬でも暖房はなく、ストーブなどの設置も禁止です。
この理由は、「火事になると問題」であるからだそう。


各自の学生のベットはカーテンや簡単な仕切りがあるのみです。
ですから、完全なプライベート空間というのはこの寮の部屋内には存在しません。


なお、寮の電気ですが24時間ついている大学(安徽省の大学)と、規定時間になると一斉に電気が切れる大学(上海の大学)とがあるようです。

どちらも一長一短があるのですが、私は24時間つけてあげるべきだと感じます。
中国の大学幹部からすると「色々な事情」から判断を下さざるを得ないのでしょうが。


ともかく、このような寮内で学生達は授業以外の自由時間を過ごしています。
長い時間を友人と一緒に過ごすので、「ゴタゴタ」が起こることもあります。
しかし、基本的には寮で一緒の生活を送った学生同士は仲が深まるようです。

同じ寮生活を通じて生まれる“親友”、なかなかいいものです。


・・・でも、僕がもしこのような共同生活をすることになったら。。。
家族以外の他人と共同生活経験のない私にこれが出来るか、今、その自信はありません(汗)

日本へ帰ってからの生活

2013年07月17日 22時13分33秒 | とりあえず日記
7月14日の午前中、上海を出て飛行機で成田へ。

成田に着いてまずは空港内のスタバで読書をしながら電車を待つ。


スタバから見ると、すぐに改札が。


少し蒸し暑いという程度だったのが有り難いが、通常はもっと暑いとか。
(家族、祖母、近所の人などの話し)
家族はみんな元気そうでなにより。
ニュースを見れば、今月21日の第23回参議院議員選挙関係の話題が目立つ。
しかし、ネットで「2013 総選挙」と検索すると、2013年のAKB総選挙がトップに出てくる(汗)
この時期になっても、多くの国民の関心はまだまだ「政治」に向かっているとはいえないのかもしれない。


話変わって、6月から始まっていた自宅の改築工事もそろそろ完成。

予定では改築し、増築された二部屋を留学生達を受入る貸部屋にする計画。
家族で今年の最初に話し合い、具体的に方針をまとめ、工事に入っていた。
その入り口は既に完成。


内部はほぼ完成で、これから壁紙をはり、電気を通せば工事も終わり。


そして、部屋内部からみた部屋の入り口部分。


入居してもらう学生募集は、近隣大学の留学生関係部署や知り合いの不動産に依頼。
実際に既に希望者の話も来ているということで安心。
どんな学生が入居してくれるか楽しみだ!


なお、帰宅して翌日からは自宅か、近所の県立浦和図書館に籠もる日々。
ちなみに今日は県立図書館でひたすら文献と格闘。

帰宅して、今度は自室で来週の研究発表準備!


研究関係のやることは本当に多く、常に研究のことが頭を占領している。
しかし、何よりこの作業が楽しく、本当に充実感を覚える。

素晴らしい夏期休暇が始まっている。

7月14日(日)~8月26日(月)まで帰国

2013年07月14日 03時27分06秒 | とりあえず日記
中国で私が勤務する大学では来学期は9月2日から開始です。

それまでは夏休みとなり、先日の7月12日(金)から大学教員だけでなく、大学職員も休暇に入りました。
(日本の大学では、これだけ長期の休暇は大学教員もさることながら、大学職員はまずないでしょう)

なお、8月26日(月)が大学教員・職員の仕事始めとなり、9月2日からは大学の授業が始まります。
ということで、私は本日から8月26日(月)まで一時帰国することにしました。

夏季休暇中、基本的に大学の大部分の教員・職員は休暇となり、大学はいつもよりも閑散とします。
ただ、留学生や中国人の大学院院生達は実験や他の研究活動で大学にいるケースも珍しくないようです。

私も彼らと同じで、こうした休暇中こそが研究に本腰を入れて取り組める大変貴重な時期です。
ですから、中国の大学ではなく日本へ場所を移して研究に取り組むという意味では、学期中と忙しさは変わりません。
ただこの間、日本の大学や各研究機関を訪れ、様々な研究者の方々と触れ合えるという意味で大きな喜びがあります。
大学の学期中は「アウトプット」が中心ですが、休暇中には「インプット」が中心になるからでしょう。

一応、数日前に少々無理そうな研究計画(汗)を立て、それを休暇中で完成させられればと思っていますが果たして。
ま、大体毎年こんな感じで計画を立て、それが完璧に出来たことはないのですが…

それでは中国の皆さん、さようなら~!


同済大学(上海)の档案館へ行ってきました。

2013年07月12日 10時51分41秒 | Mの研究活動や成果
7月11日(木) 蒸し蒸しし、太陽が照りつける一日

この日はかねてより計画していた、上海の同済大学档案館へ出かけてきました。
同済大学は中国で、いやアジアの中でも建築学分野で有力な大学として有名です。
午前中に雑用を済ませ、同済大についたのは11時半すぎだったと思います。

同济大学档案馆
http://www.tongji.edu.cn/~archives/


なお、ここの档案館は午前・午後の間に休憩が入り、午後は13時半からの開門。
ですから、まずは同済大学の図書館に行って、目ぼしい本や資料を探してみました。
その後、大学構内で食事を済ませて、開門時間前に档案館へ。

大学の南校舎の門をくぐって、200メートル弱のところにありました。

入口の標識



建物はこんな感じで、この一階部分が档案を閲覧するスペースになっています。



一階の入り口スペースでパシャ。


ここをさらに入ると、閲覧スペース(と言っても、長机を取り囲むように椅子が十脚程備えられただけ)になっています。
閲覧の際は、外国人の場合、パスポートを持参すれば問題ありません。


ちなみに今回の調査では、1960年代に存在した日中間の学術外交に関する档案を収集するのが目的でした。
…しかし、残念ながら1960年代以前の档案はほとんど保存していないとか。
また、大学档案館以外の大学各部署が保存しているケースもあるようです。
(別の部署で档案がどの程度保存されているかの確認作業は後日の課題)
よって、档案館の職員ですらどこに档案が保存されているか把握していない状況でした。

国家・各省(或いは、市)の档案館であれば、この時期の档案は大部分がきちんと保存されています。
そして、その整理も進み、開放も進んできているのですが。
その一方で、各大学の档案館はまだまだ一般開放するレベルには至っていないと感じました。

本日はこれから上海市档案館へ向かいます。
それでは!

北京市档案館のこと

2013年07月09日 03時39分37秒 | Mの研究活動や成果
今回は先日まで調査で行ってきた档案館の一つ、北京市档案館に関する情報を書きたいと思います。
ここでは北京市に関わる民国時期档案、中華人民共和国時期档案、档案資料、北京市労働模範档案、訴訟档案、工商税務档案が検索可能です(総数は810635)。

北京市档案館HP:http://www.bjma.gov.cn/Default.ycs
住所:北京市丰台区蒲黄榆路42号
なお、現在の档案館は今後新館へ移動する予定があるとのこと。




では、そもそも档案とは何なのでしょうか?

これは、中国の各機関が保存する文献・書類・調書などを指しています。
档案法の関連規定では「国家の安全、重大利益などにおよぶ档案以外、作成後に満30年を経たものについては一般公開しなければならない」となっています。

よって、30年の時を経て公開されている膨大な档案は、重要な歴史史料であり、中国関係の歴史研究者にとっては重要なものです。
なお、数年前から北京市档案館では文革期 (1966~76年)の档案も公開が始まっています。

関連HPの記事:北京市档案館、文革期の史料を初公開へ
HPアドレス:http://pekin-media.jugem.jp/?eid=471


さて、次に北京市档案館の利用について簡単に説明しておきましょう。

私のような外国人が利用するケースでは、今まで(少なくとも2011年時点)はパスポートのみを持って行けば入館できました。
しかし、2013年7月現在ではパスポートに加え、紹介状が必要となります。

北京市档案館の該当ページ(查档手续):http://www.bjma.gov.cn/dafw/lgly/lglyxsy.ycs?GUID=1058

なお、こうした紹介状が必要とされるのは、中国国内のどの档案館でも一般的になっているようです。
パスポートだけで入館出来た頃が懐かしい…

入館手続きを済ませた後、荷物をロッカーにしまい、備え付けのパソコンで見たい档案を検索します。
なお、事前に北京市档案館HPから档案検索をし、目当ての档案を絞って出かけると便利なので勧めます。

そして、検索して見たい档案があればパソコンから窓口に申請します。

档案の種類は、
(1)紙のもの
(2)電子化されたもの
(3)マイクロフィルムのもの
の三種類でした。

お目当ての档案をコピーもできますが、制限にかかるとコピーできないため、パソコンを持参し入力するのが一般的です。
なお、私が訪問した日も10人弱の方が来館していましたが、皆パソコンを持参し入力していました。
ちなみに「制限」の具体的な内容ですが、

「特定の人物の発言内容・個人情報などが档案に記載されている場合」

にはコピーが出来なくなるとのこと。
よって、コピー申請を窓口に出した後、档案館の係りがその档案内容を調べ、どこまでコピー可能かを判断します。
その後、ここまではコピーが可能などと通知が出て、実際のコピーとなるため時間が相当かかります。

そのためだと思いますが、留学生達が一つの「档案入力チーム」を結成し、档案館に来館し、せっせとパソコンに入力していました。
日本へ帰るとなかなか中国には来られなくなるので、中国にいる間、こうした総動員体制で入力作業を進める必要性を再認識しました。
そう考えると、今の研究環境は大変貴重といえるでしょう。


今回、北京市档案館へ通った時間は2日と半日でしたが、その間、約2万字分の各種の档案を入力してきました。
コピーは上記のとおりなかなかスムーズにはできないので、約40枚と大した量ではありません。


最後になりますが、档案館の係の方々はそれなりに丁寧に対応してくれました。
ただ、恐らく「面倒」や「帰宅したい」という理由で、

「コピーは一度に申請して下さい」

と言ってみたり、閉館時間5分前になると、

「明日来るなら、明日続きの作業をして下さい」

と言ってみたりと、完璧な対応というわけではなかったのも事実です(苦笑)
ま、それ以外は特に大きな問題はなく、順調に調査が出来ました。


もし再度行く機会があれば、次回は総力戦体制で調査に挑みたいと思っています!

北京の档案館調査から上海に戻りました。

2013年07月06日 22時10分10秒 | Mの研究活動や成果
本日午前、約一週間の調査を終えて上海へ戻ってきました。
これから収集した資料整理などを可能な限りやろうと思っています。


今日は、調査日程を簡単に記しておくことにします。

6月30日(日) 曇、時々雨 
18時14分 上海火車(汽車)駅を出発

7月1日(月) 曇、時々雨
9時半過ぎ 北京駅着
10時半 上海へ戻る際のチケットを駅構内で購入後、そのまま宿泊先のホテルへ移動。


13時 ホテルからタクシーで移動し、北京市档案館へ
17時 档案館を出て、ホテルへ戻る途中に夕食。

「担担麺」と頼んだら、こんなものが出てきた。
日本のそれとはずいぶん違う…。


20時 ホテルへ戻る。シャワーなど休憩。
21時‐ 翌日の調査準備、読書。
1時 就寝


7月2日(火) 快晴
9時15分 開館と同時に、北京市档案館で調査開始
16時 档案館を出て、地下鉄で国家図書館へ


17時 国家図書館で研究書・学術誌などをコピー、読む
20時 図書館を出て、ホテルへ戻る途中、串焼きの店が連なる一帯で夕食。
22時 ホテルへ戻る。シャワーなど。
23時‐ 読書など。
2時 就寝 


7月3日(水) 快晴
10時 歩き回ったせいか体が痛く、朝早く起床できず(4、5日と同じ調子…)。
12時 外交部档案館へ。相当数の档案が公開制限がかかっていた。
15時 急遽、予定を切り替えて北京日本文化中心の図書室へ。
18時 北京日本文化中心を出て、SK大厦内一階のカフェで一息。
20時 西単にある北京図書大厦で研究書を物色。
   結局、川島真≪中国近代外交的形成≫北京大学出版社、2012年、他4冊の図書を購入。


22時 ホテル近くで遅めの夕食。
23時 ホテルの戻る。シャワーなど。
24時 読書など。
1時 就寝


7月4日(木) 快晴
10時 北京市档案館へ。
17時 档案館を出て、北京の王府井へ。
18時 北京ダックで著名なレストランで、ダックを堪能。

21時 王府井をブラブラして、夜の天安門を眺めてホテルへ戻る。
夕方の王府井


夜の王府井


もう一枚


夜の天安門


22時 読書など。
1時 就寝。


7月5日(金) 快晴
11時 国家図書館へ。4階の資料収集。
18時 国家図書館を出て、ホテルへ戻る。
19時半 ホテルで荷物を受け取り、タクシーで北京南駅へ。
21時16分 北京南駅発の动车(動車=所謂、新幹線)に乗り込み、上海へ。 


7月6日(土) 曇
9時 上海駅に到着。


今後は、研究者の方のために北京の档案館調査に関することなども紹介していきたいと思います。 
それでは!


北京の資料調査(北京市档案館、外交部档案館など)

2013年07月03日 22時21分59秒 | Mの研究活動や成果
6月30日(日) 18時過ぎの汽車で上海を経ち、翌7月1日の午前9時過ぎに北京へ着きました。

7月1日(月)から5日(金)までの一週間、北京で資料(档案)調査を行うためです。
北京は上海よりも気温は高いものの、蒸し暑さがなく、快晴が続いています。
ただ、例の大気汚染の問題があるのは事実のようで、喉が痛くなりました。
(マスクを着用している人々が上海より北京の方が多い)




さて、今回の調査目的は1950~60年にかけての日中民間交流に関する文書・記録(档案)を収集することです。
そのために選んだ資料収集場所は、

(1)北京市档案館
(2)中国外交部档案館
(3)中国国家図書館

です。
7月1日、2日と北京市档案館を訪れ、本日3日は外交部档案館へ来ています。
詳しくはまた追って記事を書きますが、現在、外交部档案館では「日中」、または「日本」に関するものがほぼ見られなくなっていました。
ちなみに、「日本」で検索をかけた場合、見られる档案はたった40。
さらに、「中日(或いは、日中)」で検索をかけた場合、なんとゼロ…。

なお、2010年時点で外交部档案館を訪れた日中外交史の研究者の記録では、

「1960年から65年までの外交档案が公開されたのは昨年11月だが、8月24日現在、「日本」というカテゴリーでヒットする档案数は1742」

あると書かれており、2013年7月現在、大部分の档案が公開制限対象となっていることが分かります。
大澤武司氏HP http://www2.kumagaku.ac.jp/teacher/osawa/danganguan_2009.html

いつ公開されるのかも明らかになっていないようなので、しばらくは別のルートから資料を探すしかなさそうです。
調査に来る前より「公開制限がある」とは聞いていましたが、これほどだったとは・・・


よって、明日・明後日と北京市档案館・国家図書館などへ出かけ作業を続けるつもり。
残り二日で可能な限り資料収集を行い、上海へ戻ろうと思います!

それでは今日はこのへんで。