中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

現代中国の大学四年生たちの「出口」

2016年12月11日 04時45分22秒 | 中国の大学、大学生
本日は久々に現代中国の事情についてレポートをしたいと思います。
テーマは中国各地域の大学生の就職事情とそれに関わるトピック。

私は安徽省、上海、山東と三つの地域の大学で教えてきました。
各地で就職を控えた大学生四年を見てきましたが、結構地域の特徴が出ていました。
例えば、

1 学生の「(教師への)従順度」は、山東>上海>安徽 の順
 *もちろん安徽も純朴で従順な子もいたが、波が激しく、ムラッ気有。

2 卒業後の就職事情の良さ 上海>山東>安徽 の順
 *圧倒的に上海は良い、山東は沿岸部の青島などは良いが、安徽は全体的に厳しめ


3 卒業を控えた四年時の授業の出席率の良さ 上海>山東>安徽 の順
 *上海は出席はとらずともほぼ欠席なし、山東は出席をとらないと欠席者が出るが、とればほぼ出席。
  安徽はとっても大半が欠席(たとえ人気教師の授業でもほぼ変わらず)

4 親の所得水準の高さ 上海>山東>安徽

5 自分の頭で考えて行動する、先を見てビジョンを描く習慣
 *全体的にこの点が弱い傾向があるが、大学の水準や家庭環境(経済水準、情報量、縁故)などで差が有。
  そして、この面でも上海の学生が一番秀でていた印象。

こんな特徴があったように思います。
もちろん、これは各地域の一校の事例から得た印象なので、全体傾向とみるのは危険なのですが…。

少ない事例ではありますが、ここからは各家庭の経済水準と、卒業後の出口がどの程度保証されているか、
これが四年時の大学授業・活動に対するかれらの態度と、ある程度関連していることが感じられます。


もちろん上記の理由の他に、
1 現代の中国人大学生の思考様式(卒業、進路に対する)
2 「1」の中国各地での差異と共通性
3 各時期、年ごとの違い
4 大学入学前の教育的影響(小➡中➡高の教育から大学教育への連続性)

などを細かく考えることも欠かせないと思います。

ともかく、進学した大学の水準(ランキング)、大学の有る地域(都市か否か)、家庭の経済水準、
さらには、自分自身で自主的・主体的に決めて大学生活を送ってきていないなどの要因も重なり、
それらが融合する形で四年次の学生たちの大学の生活態度が決まってくると私は考えています。


要するに、
①卒業後の進路に対する不安が大きい学生ほど、大学授業・活動には関心を持たなくなる(持てなくなる?)。

②進路に対する不安の大きさは、上記の様々な要因が重なり合って決まるものである(特に多面的意味での「経済」?)。

これが就職を控えた中国の大学四年生の大学授業に対する態度を決める、
主要なメカニズムの一つであると私には感じられます。


これに加えて、就職に向かう学生に対する大学側のサポートも各地域で差が結構あります。

例えば、上海では大学3年の終わりからインターンシップが始まっているのに対して(もっと早いケースも)、
現在の山東の大学では4年の侯学期からでないとインターンシップを始めることは禁止されています。
(理由は「学生が授業を休むから」というのが一番大きいものだとか)

またインターンシップ先も上海では様々な機会が選べ、日本語科学生の場合は日本語を使う環境も多いです。
例えば上海の日本領事館・日系の大手でインターンを経験する学生は多く、これが次の就職にも有利になります。
一方、山東(済南)では数は相当減ってしまい、インターン期間は無給のケースもあるようです(上海は給与有)。
安徽のケースはあまり聞かずに異動してしまいましたが、どうだったのでしょうか…。


日本では大学四年時に書く、卒業論文が大学生活の総決算であり、結構重要だと思いますが、
こんな調子なので日本よりも中国の大学生たちは論文に余力がなくなってしまうケースも多いようです。
もちろん日本でも卒論はどんどん軽視される傾向にあり、書かなくても卒業できる学部も存在しますが。

大学四年こそ、ゼミや卒論で高度や教養を身に着けられる可能性が高いと思うので、
この時期に別のことに力を割かなければいけない学生たちは可哀想な気がします。
特に学術の世界で生きている立場として、この楽しさを学生と共有できないとすれば残念なことです。


結局、教育・研究を行う大学教員からの要望と、卒業を控えた学生の要望のギャップが大きければ大きいほど、
大学四年次の学生と教員との間でのフラストレーションはたまることでしょう。
だからこそ、そうした事態を出来るだけ回避するための措置を如何に講じるのか、
この具体的な方策が求められていると言えます。

個人として、或いは、各大学の日本語学科の組織としてどんな動きがとれるのかを、
大学生たちの「出口」の問題を考慮しながら、考えていく必要があると思います。



【写真】先週金曜は学生らとビールで乾杯



【今学期最後の授業前の様子】