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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

中国では組織よりも人と人の関係が重要

2014年04月03日 23時20分00秒 | 現代の中国社会
「中国はコネ社会」などとよく言われることがあります。
「コネ」は「関係」と言い換えてもいいと思いますが、この評価や認識は私自身もかなり正確な指摘だと考えています。
こうした中国社会の背景には、公や社会制度に対する信頼が低いということが大きく関係していると言われます。

自国の公や社会制度が十分に信頼できないものだ、と中国の人々が認識しているからこそ、
中国では組織よりも人と人との関係に重点を置くようになっているのが実態です。
そうした具体例を日本と中国の比較を通して、今回は紹介したいと思っています。
 
まず、一つの例として挙げたいのが、日本人の会社組織に対する考え方と、中国人のそれとの違いです。
日本人は会社組織で様々な案件が動くので担当者が誰であったとしても、組織の方針や意志は不変であることが普通です。
だからこそ、担当者が誰であろうと、また人事異動で誰に変ろうとも、まずは会社組織の一員として対します。
何より日本の場合、「○○会社という大手の社員だから信頼できる」などというように、
まずは組織そのものを信頼するという傾向が強いことが特徴です。

一方、中国人の場合、日本とは対照的です。
すなわち、中国人は担当者が変われば組織も変わると考えることが多いものです。
だからこそ、担当者が人事異動で動く際には、「あなたは今度どこに?」と聞いてくることが多いようです。
日本では「後任はどなたですか?」と次の担当者を尋ねるのが一般的だと思います。
ここからも、中国人は会社組織そのものを信頼するというよりも、
社員一人との関係を重視していることが伺え、信頼できるものは組織ではなく人であることが理解できます。

私は中国生活5年ですが、この間、自然に人と人との関係を重視する生き方を身につけていくようになっていきました。
具体的には、自身の研究支援を中国で受ける場合、誰に頼めばもっとも案件が動くか、
仕事の環境を改善する為には誰に依頼すればいいのか、など様々な問題を組織に頼らずに、
個人的に「この人だ」と考えた人に依頼をし、各問題を解決するように心がけたものです。
もちろん、このためにはきちんと日頃から多くの人間との信頼関係を築いていく事が何よりも大切です。
ともかく、この方が迅速に、かつ高い確率で物事が動くので効果的でした。


中国人との信頼関係の築くために私が気をつけたことは二つあります。
一つ:誠実に仕事に取り組み、ごまかさない。
二つ:依頼を簡単に断らずに、可能な限り引き受けて精一杯やってみる。


ということでした。
一番目は日本でも世界でも共通することだと思いますが、二番目も中国では結構重要なことだと思います。
すぐに「できない」という人間を中国人は信頼してくれません。
まずは「やってみる」という熱意、その姿勢を見せ、実際に何とかやりとげていく人間を信頼します。
もちろん無理難題は断った方がいいのかもしれませんが、大抵の要求は出来るものです。
実際、厳しい要求を引き受け見事にやり遂げた時は、相手との強い信頼が生まれます。

日本と中国、組織を信頼する国と、もう一方は個人個人を信頼する国。
本当に対照的な国だと思います。
しかし、どちらの国でも「信頼」を何よりも重視して関係が構築されているのは同じことに気づきます。
要は、国のあり方が違うために、その「信頼」の構築形態が異なっているだけにすぎないと私は思います。



日曜日午後の上海(華東理工大学周辺)

2014年03月09日 18時21分50秒 | 現代の中国社会
今日は日曜日、久々の晴。
晴れたので毛布や掛布団を干し、洗濯をしました。

来週の授業準備に費やしたかったのですが、なかなか進まず。
頭が悶々としてきたので、大学周囲を気分転換に散歩しました。

ちなみに、私の勤務する大学は上海市にあるとはいえ、比較的市内から外れた場所にあります。
(といっても、一応、繁華街の徐家汇までタクシーで10-15分、地下鉄で10分弱)
そのため多くの日本人がイメージする上海とはやや異なり、下町風情が漂う場所。
暮らす分には比較的静かで悪い場所ではありませんが、観光場所や遊ぶ場所は皆無に近いです。
それもそのはず、この辺は以前の上海では何もなく畑や湿地が広がっていた場所でした。

そんな「上海の田舎」にあるのが、現在、私が勤務する華東理工大学です。
その周辺を歩いてきたので、写真と共にお届けします。

まず、日曜日午後の大学構内。
人はまばらで、時間がゆっくりと流れています。


ちなみに、中国では町の公道だけでなく、大学校内の各通りにも名前がついています。
といっても、私は校内の各通りを全く覚えていません(笑)
実際、大学構内の通りにまで名前をつける必要性がないと感じるのは私だけでしょうか。


大学の西門を出ると梅龍路(梅陇路)が走っていて、ここは車の往来が比較的多い道です。
大学の西門近くには、学生が利用することが多い食堂、電気店、果物店、カラオケなどが続いています。


果物店の写真。
なお、中国ではパック詰めの果物はほとんどなく、その場で量り売りです。
値段は日本よりもかなりお得!


そして、彼らも毎日の様に同じ場所に所狭しと並んでいます(苦笑)
ちなみに、ここに自転車を止めると、確か5角(約8円)駐車料金を請求されます。バイクはいくらでしょうか??


今日はポカポカしていて、先週よりも少し薄着でも大丈夫なくらいの陽気でした。
春はそこまで来ています。


30分程色々と散歩してから、再び自宅に戻って仕事をしました。
ちょうどいい気分転換になりました。


さてさて、また明日から月曜日!
新しい一週間を楽しみましょう。

飲食店にあるはずのトイレがない!?(中国)

2014年02月18日 22時19分11秒 | 現代の中国社会
今週から新学期が始まっています。
今学期、私の担当授業は木・金(四科目)に集中しました。
去年締結したばかりの千葉大との全学協定により、今年秋から千葉大へ学生を留学させることが可能となりました。
留学希望者の中からその定員を選ぶ校内面接は明日予定されています。

ちょうど目覚まし時計が壊れていたので、中国のアマゾン(亚马逊)で新しく二つ購入しました。
今学期の授業計画、授業の準備も無事済ませたので、新学期のスタートが気持ちよく切れそうです。



さて、今日は中国国内の飲食店に関する話。
中国に来たことのある日本人であれば誰もが経験したことがあるはずですが、中国の飲食店にはトイレが完備されていないところが目立ちます。
それが小さな食堂などのみなら分かるのですが、マックや比較的大きなチェーン店でもトイレがないケースがあるのが中国です。
安徽省で働いていた時、さすがにマックにはトイレがついていたのですが、上海ではトイレのないマックが結構あることに気づきました。
一方、KFCではトイレがない店舗は今まで見たことがなく、ほぼどの店も完備されているものと思われます。

トイレがない飲食店では、大抵「近くにある」と店員さんに言われ、場所を説明されます(苦笑)
大型ショッピングセンターやデパートのレストラン街なら外に出なくてもよいのでいいのですが、個別の店舗では外に出ないといけません。
ですから、雨の日や冬は店舗外のトイレに行くのが「面倒だなぁ」と感じてしまうのです。
加えて、その教えられたトイレがなかなか見つからずに困る!というケースもあります(笑)

ちなみに、上海では各コンビニが林立していますが、これも日本とは違い、コンビニでトイレを借りるという文化はありません。
日本では外出中トイレに行きたくなったら、「コンビニはどこかな?」と探すものですが。
ともかく、各店舗にトイレが完備されているのが当然の日本から中国に来ると、この違いになかなか慣れません、私は。

中国では飲食店の仕事はあくまでも「料理を提供すること」と意識されており、他の「サービス」は一段下に見られているのでしょうか。
その象徴的なケースが、中国の飲食店にトイレが必ずしも完備されていないということにつながっているのでしょうか。
一言で言えば、「肝心なのは料理。それに近くにトイレがあるなら、敢えてコストをかけてトイレを店舗に設けるほどのことはない」と考えているからなのでしょうか。

私自身、この真意を確かめたことはありません。
もし御存知の方がいれば教えて下さい。


さて、今夜は知人と韓国焼肉“汉拿山”へ行ってきました。
先週土曜日は別の大学教員同士で同じチェーン店で別の店舗へ行くほど、私のお気に入りの店です。
そして、どちらの店舗内にもトイレはなく、少し離れた場所にあったことも書き添えておきます。

タイガービールで乾杯。

今夜も相当楽しめました。

“贈り物”が減少! 中国における「八項規定」の影響

2013年12月21日 02時26分36秒 | 現代の中国社会
今週で今学期の大学の授業が全て終わりました。
来週は学期末試験監督をし、採点、登録したら今学期の仕事はほぼ終わりです。
その後、締切前の論文完成、そして河北省の資料調査、1月18日に帰国です。

「コーヒーばかりでは飽きてきたな」と思っていたら、学生から鉄観音茶をもらいました。


香りが良いのでもらってから毎日飲んでいます。



さて、今日は中国の習近平体制で実施されている「八项规定」の影響に関して。

中国語の出来る方は御参考までに以下の頁をご覧下さい(百度百科に記載された「八项规定」の説明)
http://baike.baidu.com/link?url=Kao3wgajLn9LHZg6E8JovJ65WcQyQJEtibXR_-ArzncYUWMrNAf8DnhSh_B4AMFjORy06o9d7yxe8Wm4XXcvTa

この規律、よく“倹約令”と説明されがちですが、内容はそれだけではありません。

①調査・研究の改良(要改进调查研究)
②会議活動の簡素化(要精简会议活动)
③書類・説明の簡素化(要精简文件简报)
④訪問活動の規範化(要规范出访活动)
⑤警備業務の簡素化(要改进警卫工作)
⑥ニュース・報道の改善(要改进新闻报道)
⑦草稿発表の厳格化(要严格文稿发表)
⑧勤勉倹約の励行(要厉行勤俭节约)


以上の八項目が掲げられ、内容は多岐にわたります。
要するに、政治的信頼を回復するために綱紀の乱れを正そうと掲げられた方針と言えるでしょう。
この影響は私が勤めている大学でも顕著に表れています。

このブログの去年の同じ時期の記事、或いは、節日の記事をご覧頂ければよく分るはずです。
去年の年末は大学から贈り物として、お菓子・食べ物・日用品など様々なものを所属学部からもらっていました。
また、年末は外国人教師のためだけに学部長がパーティーを開いてくれもしました。
別の節日にも何かしら贈り物があり、それらは私の中で毎年の恒例行事となっていました(笑)
しかし、それは今年めっきりと姿を消しました。

さらに、事務室のコピー使用に関しては、去年まで各教師が事務室のコピー機を自由に使い放題でした。
ですが、今年に入ってからコピー機自体が移動し、基本的に鍵のかかった部屋に置かれるようになりました。
コピーする際は事務員に伝え、事務員がコピー室のカギを開け、事務員がコピーをしてくれるようになりました。
これでは事務局員がコピー室の開閉を管理するので、コピーに無駄に時間がかかるようになっています。
実際、この面倒くささにコピーを事務室でする教員は確実に減少しています。
加えて、コピー用紙も最も安いものを使うようになり、よく破れるので困りものです。

他にも大学内で影響が出ているのはほぼ確実でしょうが、私が実際に確認しているのは上記の内容です。
なお、私以外に上海にお住いのある日本人のブログでは上海蟹の値段にも影響が出ているようです。
また、白酒の需要にも影響が出ており、製造企業は相当の赤字が出ているとのニュースも目にしました。
つい先日も、帰りのスクールバスを待っている時の教員間の話題もこれらに関するものでしたし、その影響を多くの人が感じているのが分かります。

このように、2013年の中国は「八项规定」の影響が様々なところで感じられた年となりました。
そろそろ毎年恒例の学部の忘年会などもありますが、去年よりも質素にやるのでしょうね。
これまでの中国で「贈り物競争」が激化し、大きな社会問題になっていたのは事実で、それは社会全体のために必ず改善すべきです。
ただ、年に一度しかない忘年会まで、何かしんみりとやるようでは少しさみしい気もしますね。

最後に今年の年越しも中国ですが、久光やしんせん館に買い物に出かけ、自宅で日本料理を作り、知り合いと食べて飲んで楽しもうと計画中。
大晦日と元旦だけはとにかく日本の正月気分を味わう予定です。

中国の病院事情2(腰椎捻挫で通院・・・)

2013年12月10日 18時55分09秒 | 現代の中国社会
12月8日(日)の夜11時頃でした。
下に体を勢いよくかがめた拍子に、腰に今まで経験のない激しい痛みが走りました。
実はここ数日、既に腰に違和感を感じていたのですが、突然腰の何かが切れたような衝撃。
そのまましゃがむこともできず、座っても痛い、とにかく横になり、熟睡できぬまま夜が明けました。

そして9日の朝。
痛みは前の日よりも痛くなっていて、しゃがむと激痛が走り、ズボンを履くのも一苦労。
また、どんな姿勢をしていても痛みが常にある状態なので病院に行くことを決めました。
選んだのは、中山病院(上海市徐汇区枫林路180号)です。
ここは復旦大学の付属で、かなり大きな病院の一つです。

私はタクシーで行きましたが、バスなら957番、地下鉄なら9号線肇嘉浜路(zhào jiā bāng lu)站からが便利です。
到着した時間は丁度昼間で、患者さんもかなりいました。

入口エントランスの写真


まず一階の受付で自分の診察してほしい場所を伝えると、どこへ行けばよいか教えてくれます。
私は腰だったので二階に案内されましたが、まず收费口で診察料(約15元)を払います。
なお外国人であってもパスポートの提示を求められることは通常なく、料金のみを払います。
(必要な場合もあるかもしれないので、私は念のため持っていきましたが)

その後、待合場所で待たされること10分。
すぐに診察室へ案内されました。
医師の診断では、软组织损伤ということでした。
日本語で言えば、腰椎捻挫となるようです。
なお、腰椎捻挫とぎっくり腰とは違うようで、前者は何か強い衝撃が腰にかかったときになるものです。
一方、ぎっくり腰はさほど大きな負担や衝撃が腰にかかっていなくても発症するもののようです。

ともかく、医者からは「一週間の自宅療養と横になって安静に」と告げられました。
また、二種類の痛み止めももらいました。
やはり座る時間が長すぎることと、姿勢の問題などで腰に相当負担をかけていたのでしょう。
処方された薬を診察代を支払った收费口で受け取り、薬代150元を支払いました。

このように中国では診察料は診察前に、処方薬の費用などは最後に払うのが一般的です。
また、救急車も乗る前に費用を支払う必要があるのも中国の特徴です。
日本では救急車は無料、診察料や薬の費用は全て最後に払いますが。

二階で診察を終え、帰る時に一階を見るとこんな感じ。


現在は一日三回痛み止めを飲んでいるので何とか動けますが、発症してから72時間は特に安静にすべきとのことです。
ですから、現在はただただ自宅で横になって安静にし、外に出かけずに出前をとっています。
仕方なので主任H先生と連絡をとり、事情を説明して明日の授業は休講にしました。
「仕方ないよ」と思う自分と、「何やってんの…情けない」と感じる自分との葛藤がすごいです…。
同時に、今まで腰に問題がなく自由に生活できていたことが本当にありがたいことだと感じています。
こういう経験をできたことで、今まで当然と思っていたことに心から感謝することができました。
(そうなる前に気づける方は、もっと素晴らしいのは言うまでもないのですが)


でもいろいろ考えても仕方ない。
今、出来ることをきちんとやっていくしかない。
焦らずに着実に一歩一歩。

国慶節休暇の中国国内は“超混雑”

2013年10月03日 22時50分59秒 | 現代の中国社会
10月1日から7日までは中国の国慶節休暇。
中国の大半の人々は仕事がお休みとなります。

先ほどネットのあるニュースで、国慶節休暇の中国の様子を表す衝撃的な写真を見つけました。
それがこれらの写真です。

場所は北京の故宮周辺の様子。
もし携帯など持たずにはぐれたら一貫の終わりですね。もはや前へ進めるのでしょうか。


そして、天安門広場へ通じる地下鉄の通路。
警察(公安)の方々も普段はあり得ない場所で警備をしています(苦笑)


まさに“一斉移動”、日本人にとっては圧倒される光景です。

この国慶節期間中、北京はもちろんですが他の中国国内の主要観光地も人だらけになるようです。
ですから、連休中に観光地に出かけると「疲れるだけ」ということで外出を控える人も結構います。
或いは、経済的にゆとりがある人々は海外旅行を選択するケースも多いようです。
ちなみに、上海に住む日本人の知人達は全て日本へ帰国しました。

私は上海に残って研究活動をしていますが、上海の街の様子は普段と大きく変わるという印象は受けません。
どうも上海のような大都市に旅行というより、自然豊かな場所や歴史が残る街などへ出かける人が多いようです。
もちろん、南京東路や外灘、豫園などの観光名所は人が普段より多くなっていることは間違いないのですが…


国内は国慶節連休が続くにも関わらず、明日以降から上海市档案館は開館することになっています。
ですから私は档案館へ出かけて档案収集、その分析を進めるつもりです。
外灘の端に位置する上海市档案館はいつもは静かですが、明日はさすがに少々賑やかかも…

個人的には変わらず静かであることを期待したいところです。



9.18の上海の様子(去年と2013年の比較)

2013年09月21日 22時49分46秒 | 現代の中国社会
9月19-21日(本日)までは、中国では中秋節休暇でした。
大学でも授業はなく、明日(日曜)から振替え授業が開始されます。
この休暇期間は結果的に毎日、学生・教員と食事会が入りました。

その写真を幾つか紹介。
まずは19日は上海体育館近くのレストラン「小南国」にてH先生・卒業生達と食事。


写真を見ると、何か“家族”のようです。


20日は昨年度の卒業生、本日は大世界で安徽省時代の学生と現在の教え子達などと一緒に食事をしてきました。
安徽省時代の教え子達とも今でも変わらない交流が続いていて、会う度に成長した姿を見せてくれます。
こうした教え子達と会うと不思議と元気をもらい、この仕事をやってきて良かったと心から思えます。


さて、今回は先日の「9.18」の様子を書いておこうと思います。
御存知の通り1931年9月18日は、中国瀋陽(旧奉天)にて柳条湖事件が起こった日です。
この事件が満州事変の発端となったため、中国では現在でもこの日を忘れていません。

よって、この日は中国では国内の「反日ナショナリズム」が高まるとされ、様々な場面で警戒が求められます。
去年は領土をめぐる日中政府間の対立時期と、この日が重なったため、相当警戒度が高まりました。
その様子についてはこのブログでも書いたことがあります。

去年、「9.18」の様子を書いた私のブログ記事。
http://blog.goo.ne.jp/mimutatsu1008/e/f4d1ee923fe9d8a569b85d7216da4b4f

しかし、今年の「9.18」の様子は去年と相当違い、中国在住の日本人・中国政府・警察側の警戒度はかなり低かったのではないかと思います。
去年は大学側から「9.18」の前日に連絡があり、「明日は気を付けるように」と言われてましたが、今年は何も連絡はありませんでした。
大学構内や授業の時の様子は去年と同じく、今年もいつもと変わらず普通でした。
ただ今年、在中国の日本人側は少々心配を抱えている人もいたようで、知人の日本人は「9.18は外出を控える」と話していました。
聞くと、これは去年の「物騒な雰囲気」を経験したことがそう思わせたとのことでした。
それだけ中国で暮らす日本人にとって、去年の経験は強い衝撃を与えたのだと思います。

ただ、そうした心配は杞憂に終わったというべきでしょう。

なお、今回の食事会で聞いた話ですが、去年は中止された日本語スピーチコンテストも続々と開催されているようです。
日中をつなぐこうした“パイプ”が様々な場所でどんどん構築され、より太いものとなっていくことが本当に不可欠だと思います。
ここでいう“パイプ”とは、一重に友好交流だけでなく、経済・貿易、学術・技術など多岐にわたる交流のパイプラインを意味します。
そうした基盤があればこそ、双方の理解・受容の進行が可能となり、仮に双方の関係が悪化しても双方の関係保持が可能になると考えるからです。

まだまだ双方の国家間の抜本的改善の兆しは見えてきませんが、その環境の中で日中をつなぐパイプが着実に構築されていくことを願います。
そして、そうしたお手伝いを私も中国での仕事・研究活動を通して、微力ながら進めて行きたいと思います。

中国における日本語需要の変化?

2013年09月05日 23時31分19秒 | 現代の中国社会
今学期の授業は火・水のみ。
ということで今週の授業は昨日終わり、本日は自宅で仕事などをしていました。
「今学期は授業数が少なく、研究にも集中できる」などと思っていたら、そうはいきませんでした。

学科の主任から電話がきて、「第二専攻の授業も少しやってほしい」と依頼を受けることにしました。
そんなわけで来週から約一か月間、週一回ペースで日本語を第二専攻とする大学四年生対象に卒論の書き方を教えることに。


さて、今日の話題は先日(水)あった授業で感じた“ある変化”について書いておこうと思います。
その変化とはずばり、

「二・三年の日本語科の学生の中から、他学科へ転籍する学生が複数出てきた」

というものです。
中国の大学は日本と違い、新学期は9月から始まります。
つまり、昨日は新学期第一週の授業と同時に、今年度第一回めの授業でもありました。
ちなみに、昨日の授業は大学二年、三年生が対象の授業でした。

授業の最初に出席している学生の顔を確認すると、いるはずの学生(3人)が欠席しているのです。
その理由を他の学生に聞いて、初めてその学生達が日本語科から他学科へ転籍したことを知りました。
具体的に転籍理由は学生本人に聞かなければ本当のところは分かりません。
ですが、これだけ一気に転籍するという事態は、5年目を迎える中国の大学生活で初めてのことでした。

特に二年生の一つの班で班長を務め、学ぶ姿勢も積極的だった女子学生の転籍には正直驚かされました。
他に転籍をした学生達も日本語を学ぶことには熱心で、期待している学生ばかりでした。
彼女が抜けてしまった班の班員の雰囲気もどことなく静かで、寂しそうにさえ見えました。

「一体、何が起こっているのだろう。」

と授業前にも関わらず、決して軽くはない動揺を感じたのは確かです。
ですが、それを一時忘れて授業に集中するように努め、何とか午前の授業が終わりました。


昼食の間、頭は転籍していった学生のことで占領されていました。
そんなこんなで昼食が終わり、午後の授業へ向かうと教室には転籍していったはずの学生達も来ていました。
「どうしてこっちの授業に来ているの?」と聞くと、

「今は所属学科の授業がないので、M先生の授業を聞きにきました。」

と、笑顔と一緒に返事が返ってきました。
その瞬間、私の気持ちに大きな変化が起こったのは言うまでもありません。
授業にもいつも以上に熱が入り、それまでのモヤモヤはどこかへ飛びました。
授業後、転籍した学生一人に、

「時間があるなら、いつでも授業を聞きにおいで。歓迎するよ!」

と伝えると、嬉しそうに大きくうなづき「先生、さようなら!」と言って帰って行きました。


これらの学生達は決して日本語・日本を学ぶことが嫌になり、転籍の方向を選択したのではない、とこの時にはっきりと確信できました。
むしろ、自分一人で選択したというより、家族・周囲の多くの人々の意見で、転籍の方向性を余儀なくされたのではないかと思われます。
つまり、このようなことが背景にはあるのだろうと私は考えます。
まず、昨今の先行きが不透明な日中関係、そして東アジア・世界での日本の影響力の低下などが、今回の事態の根幹にあったのではないか。
そして、中国の大学でも卒業後に仕事がない人々が増えているという昨今の事態と、先に挙げた日中関係の悪化・日本の停滞などの事態が重なりあって、このような事態が促進されたのではないか。

中国の大学では、アジア圏の言語の中で必ず専門学科が設置されているのは日本語学科で、他の言語はほぼありません。
それだけ中国の中で日本語を学ぶということは重要なことだと、これまでは認識されてきたといえます。
ただ、今回のような事態に直面した時、現在はそうした状況が徐々に変化してきていることは間違いなさそうです。

恐らく、こうした流れはこのままでは将来どんどん加速していくはずです。
特に、入学希望者の減少は少し前から問題視されてきていると安徽省の大学にいた際に耳にしたことがあります。

もちろん、中国と日本に関わる仕事をする立場の一人として、この事態が少しでも改善されていくことが一番の希望です。
しかし、私一人ではこの事態に向かい合い、それを改善するなどということは無理な話です。
だからこそ、今私が中国で出来る仕事を精一杯真剣にやっていくしかないのだと思います。
授業で、交流で、そして、私自身が中国で生活する態度で。

それを忘れず、真剣に中国生活を送っていきたいと思う日となりました。

中国における給与体系 大学教員を事例に

2013年06月30日 01時13分16秒 | 現代の中国社会
私は2009年より中国の大学で外国籍教員をしています。
その中で、中国における給与体系と日本のそれとの違いを感じる経験が何度もありました。

よって、今日は「中国の給与体系」に関して少し書きたいと思います。
その際、基本的に大学における給与体系に限定させていただくことにします。

中国の大学における給与は主に、

(1)基本給(月々の)
(2)各種手当
(3)ボーナス

の三つからなっています。
ここだけを見れば、日本の大学と同様であるとお感じになることでしょう。
しかし、以下の点が日本の大学とは大きく違うのです。

それは、(2)の「各種手当」に関する部分です。
中国では、この手当の中に実に様々なものが入っています。
実際に見聞きしたものをあげれば、

まず、職位給(教授給、副教授給など)、昼食手当、交通手当、法律で規定された一人っ子手当などがあります。
(なお、日本と違い「住宅手当」という手当はないのも特徴)
また、休日労働(土日や祝日の講義)の手当として休日出勤手当がつきます。
この他にも管理職、或いは、○○指導手当というのもあります。
(例えば、「卒論指導手当」など)

以上は私が知っているものだけで、この他にも様々な手当があるようです。

特に管理職として高い職位を得るほど、高額な職位手当がつくことになっていて、それが既得権益になっています。
かなり高額な職位手当が出されているケースもあるようですが、その額を他の教員は知るよしもありません。

一般的には日本の大学教員の場合、
給与大半は基本給が占め、その次にボーナス、最後に手当の額が続くと思います。
しかし、中国の大学教員は上記のように手当が多様であるため、基本給と手当が大体同じケースもあります。
或いは、手当が基本給を上回ってしまうケースもあるのかもしれません(聞いたことはない)。


このように、中国では教員によっては高額な手当が支給されるケースがあり、それは他の教員には見えません。
よって、各自の基本給は大体分かるのですが、手当を加えた額になると誰がどの程度なのか分からない場合があるのです。
そして、そうしたケースは大学の管理職として高い地位を得れば得るほど分からなくなっていきます。

さらに、上海のケースだと大学で管理職をしていない教員達は担当授業が週二日、三日程度しかありません。
管理職でない場合、中国の大学では主にやるべき仕事は授業だけです(会議が少々あるが)。
よって、管理職手当がつかない教員は、授業以外の日に別の仕事をしていたり、週末手当がつく土日にも授業をやっていたりします。
さらに大学教員をしながら、自分の会社を経営しているなどという方も珍しくありません。

ですから、上記の手当に加え、こうした通常の大学以外での仕事の収入も入れると、誰がどの程度稼いでいるかなどは想像できません。


極端な例ですが、私の知り合いの同済大学(上海)の建築学部のある教授は、

1、同済大学での仕事(上海)
2、別の大学で出張講義(広州)
3、建築デザインの請負(中国国内の各種デザイン建築)
4、不動産の貸し出し

などをこなしていると話してくれました。
特に、3の仕事例では2010年の上海万博のデザイン設計も担当したそうで、その収入は相当なものだったとか。
ですから、その教授は、

「同僚も同じような状態なので、どの先生がどの程度収入があるのかは全然わからない」

と話していました。

以上からお分かりのように、中国は日本よりも大学の給与体系が不透明な箇所が多く、そのために互いの給与がどの程度かは想像することが難しいのが現状です。
また他の仕事も兼ねている教員も多く、そうした場合にはさらに分からないということになります。


ちなみに、一般的に中国では給与をあまり気にせずに話したり、聞いたりすることが慣習となっています。
しかし、その際に話すのは基本給の額が大半であり、手当を含めた額を伝えることがないのが実態です。
分かりやすい例を一つ紹介します。
以前、学生の一人が、

「先生、温家宝さんの給与は一か月3000元も満たない額なんです」

と話してくれたことがありました。
これが事実か否かは別として、この額が基本給のみを指していることは明らかです。

中国に来て以来、私はどうして中国人が給与を平気で話したり、聞いたりするのか疑問を持っていました。
ですが、上記の中国の給与体系を考えると、基本給が“全ての給与”ではないからこそ、基本給を公言したり、聞いたりすることがはばかられないといえるのかもしれません。

実際の全ての給与を話したり、聞いたりするということは日本でも中国でも避けられるべきことと捉えられているように私には感じられます。

中国の病院事情(上海、華山医院)

2013年05月25日 22時27分18秒 | 現代の中国社会
前回の記事でも書きましたが、ここ数日の疲れがたまったせいかアトピー性皮膚炎がひどい状態に。
さすがに「これはまずい」と思い、先日、上海で高い評価を集める病院、華山医院へ行ってきました。



ここは復旦大学附属の総合病院なのですが、特に、皮膚科の評価が高いことで有名です。
アトピー性皮膚炎に苦しんでいた私にとってはまさにうってつけの病院と判断し、行ってきました。

行ってみて驚いたのは、人の数!
とにかく人・人・人…

特に、皮膚科は凄い人数。



私が行って診察の受け付けをすると、その前に既に受付を済ませ、待っている人数が400人強(汗)
中国ではここまで患者が並ぶことは多くはないでしょうが、やはり日本よりも待ち人数も多いのが特徴です。



これでは何時間待てば自分の番になるのだろう、などと心細い気持ちで待ちました。
数時間の待ち時間を覚悟していましたが、どんどん前の患者の診察が終わり、約50分で自分の番へ回ってきました。

待っている患者の数の多さもさながら、診察側も凄い回転スピードでした(苦笑)
実際に診察を受け、アトピー性皮膚炎を治す塗り薬、飲み薬をもらいました。
これで40元弱(約680円)。

早速、薬を肌に塗ると、今までかゆくてたまらなかった全身の皮膚のかゆみが急におさまりました。
信じられない位の効果に軽く感動しました。

ここ暫く、全身のかゆみに悩まされてきましたが、これでその悩みから解消されそうです。
それにしても華山医院、確かに高い評価を受けているだけある病院でした。