日本に帰ってきて約10日が過ぎた。
この間、ほぼ自宅で原稿執筆、並びに近所で済ませられる用事を済ませた。
大寒波が中国には来ているようだが、日本もやや寒さが厳しくなってきた。
来週以降は母校の院ゼミへ顔を出したり、某会合・所属学会の研究会などで外出が増える。
今回はここまでの滞在記を日記形式で記録しておく。
1月17日(日)
明け方まで起きて色々と作業をしているせいで、こちらでの生活は夜型。
ゆっくり起床し、昼前に外出して浦和へ。
夕方帰宅し、大学研究員の業務を進める(留学生の博論チェック、1月上旬〆切)
なお、日本の各紙は台湾の総統選挙での民主進歩党、蔡英文の勝利を報じている。
今後、国民党の馬英九総統時とは異なる路線がとられるのは明らかだが、果たしてどこまで路線変更が行われるのか。
ただ、「現状」に大きく変更を迫る様な措置を直ちに取る可能性は低く、可能な範囲で徐々に路線変更が行われていくのではないか。
この日に読んだ毎日や朝日の論調も、基本的にそのようなものだった。
ともかく日本にも、東アジアの国際情勢にも大きく関与する出来事だけに、注目していきたい。
18(月)
午前、29日の某会合で提出する予定の原稿を執筆。
昼は近所の手打ち蕎麦屋で。

こちらは深谷ねぎを使った天ぷら

午後は午前の作業をつ続け、夕方から大学研究員の業務を進める。
留学生の日本語レベルにもよるが、日本語チェックも結構時間がかかる。
〆切を考慮し、毎日10頁前後をノルマにしているが3時間前後が必要。
19(火)
今月29日の某会合で提出する予定の原稿を執筆。
昼は郵便局へ行って、東大出版会のUPを注文(2015年の毎月号全て)。
帰宅後、読みたかったが読めていなかった研究書を幾つかネットで購入。
その後は、大学研究員の業務を進める。
20(水)
18日の流れとほぼ同じ。
あっという間に時間が過ぎる。

21(木)
ゆっくり起床し、昼前に戸田公園駅で研究者の先輩M氏さんと会う。
近所の喫茶店へ移動し、双方の依頼事項を伝えた後、雑談や近況報告。
Mさんは私が院生時代からの兄貴的存在だが、今でもお世話になっている。
その後、自宅に戻り、研究依頼の資料を調査依頼先に郵便局から送る。
今の研究で重要な調査の一つであるため、何とか上手くいってほしい。
その後は大学研究員の業務を進める。
22(金)
午前は父と近所の国際交流基金国際日本語センターへ。

そこで中国の仕事で必要な教材チェックや資料コピー。
センターを出て遅めの昼食を近くにある洋食屋で父と。
その後、喫茶店で父と暫し雑談しながら、中国の仕事の意見交換など。
それにしても、年始からの株価下落はすさまじい。
「中国経済の減速」「それに伴う世界経済の需要減少」「原油安」などが要因だと報じられている。
中国経済の減速は確実だと私も感じるが、これほどの影響を周囲に与える要因になりうるとは驚き。
ちなみに現在、元で中国の仕事の給与をもらっている私には、円高元安は結構堪える。
現在の年収ベースで考えると、数十万円のマイナスが出るからである。
(去年は1元20円前後、現在は1元18円を切る)
自宅へ戻り、大学研究員の業務を引き続き進める。
夜は29日の某会合で提出する予定の原稿を執筆。
23(土)
午前は電車で両親と、ホームステイのスウェーデン人Pと映画に。

酒蔵を改装して出来た作られた映画館(深谷シネマ)

入り口はこんな感じ。

この映画は私が現在取り組んでいる課題に大きくかかわるもので、稲塚権次郎という農業研究者の人生をまとめた映画。
研究を進める中で知り合い、大変お世話になった農業研究者N氏を通じて教えて頂いた映画。
NORIN TEN~稲塚権次郎物語
http://www.norinten.net/
稲塚氏の研究業績は、農林10号という小麦の品種を生み出したことが取り上げられることが多い。
これは戦後、世界の食糧危機を救うことになる小麦品種の元になったからであり、その意味で大きな社会貢献を果たしたとされている。
ただ個人的には、戦時中・戦後と中国に渡って農業研究・指導をした経験を持つ稲塚氏について、当時のことをもっと知りたくて見に行った。
ドキュメント映画にも近い構成という印象であり、かつストーリーは変な脚色がなかったので、違和感なく楽しませて頂いた。
映画を通して、これまで戦時中・戦後に中国で農業研究・指導をした稲塚氏ばかりに目が行っていたが、それに同行して大陸に渡った稲塚イト氏(お連れ合い)が受けた境遇を全く無視していたことを思い知らされた。
特に戦後、中国に抑留された稲塚氏とそれに付き添って残ったイト氏が様々な苦労を経験し、何とか引き揚げてきた事実は重く受けないといけない。
やはり、ある歴史の全容を知っていくには、より広く深く関連史料にあたり、その実態に迫る作業が欠かせないことを改めて感じることになった。
この間、ほぼ自宅で原稿執筆、並びに近所で済ませられる用事を済ませた。
大寒波が中国には来ているようだが、日本もやや寒さが厳しくなってきた。
来週以降は母校の院ゼミへ顔を出したり、某会合・所属学会の研究会などで外出が増える。
今回はここまでの滞在記を日記形式で記録しておく。
1月17日(日)
明け方まで起きて色々と作業をしているせいで、こちらでの生活は夜型。
ゆっくり起床し、昼前に外出して浦和へ。
夕方帰宅し、大学研究員の業務を進める(留学生の博論チェック、1月上旬〆切)
なお、日本の各紙は台湾の総統選挙での民主進歩党、蔡英文の勝利を報じている。
今後、国民党の馬英九総統時とは異なる路線がとられるのは明らかだが、果たしてどこまで路線変更が行われるのか。
ただ、「現状」に大きく変更を迫る様な措置を直ちに取る可能性は低く、可能な範囲で徐々に路線変更が行われていくのではないか。
この日に読んだ毎日や朝日の論調も、基本的にそのようなものだった。
ともかく日本にも、東アジアの国際情勢にも大きく関与する出来事だけに、注目していきたい。
18(月)
午前、29日の某会合で提出する予定の原稿を執筆。
昼は近所の手打ち蕎麦屋で。

こちらは深谷ねぎを使った天ぷら

午後は午前の作業をつ続け、夕方から大学研究員の業務を進める。
留学生の日本語レベルにもよるが、日本語チェックも結構時間がかかる。
〆切を考慮し、毎日10頁前後をノルマにしているが3時間前後が必要。
19(火)
今月29日の某会合で提出する予定の原稿を執筆。
昼は郵便局へ行って、東大出版会のUPを注文(2015年の毎月号全て)。
帰宅後、読みたかったが読めていなかった研究書を幾つかネットで購入。
その後は、大学研究員の業務を進める。
20(水)
18日の流れとほぼ同じ。
あっという間に時間が過ぎる。

21(木)
ゆっくり起床し、昼前に戸田公園駅で研究者の先輩M氏さんと会う。
近所の喫茶店へ移動し、双方の依頼事項を伝えた後、雑談や近況報告。
Mさんは私が院生時代からの兄貴的存在だが、今でもお世話になっている。
その後、自宅に戻り、研究依頼の資料を調査依頼先に郵便局から送る。
今の研究で重要な調査の一つであるため、何とか上手くいってほしい。
その後は大学研究員の業務を進める。
22(金)
午前は父と近所の国際交流基金国際日本語センターへ。

そこで中国の仕事で必要な教材チェックや資料コピー。
センターを出て遅めの昼食を近くにある洋食屋で父と。
その後、喫茶店で父と暫し雑談しながら、中国の仕事の意見交換など。
それにしても、年始からの株価下落はすさまじい。
「中国経済の減速」「それに伴う世界経済の需要減少」「原油安」などが要因だと報じられている。
中国経済の減速は確実だと私も感じるが、これほどの影響を周囲に与える要因になりうるとは驚き。
ちなみに現在、元で中国の仕事の給与をもらっている私には、円高元安は結構堪える。
現在の年収ベースで考えると、数十万円のマイナスが出るからである。
(去年は1元20円前後、現在は1元18円を切る)
自宅へ戻り、大学研究員の業務を引き続き進める。
夜は29日の某会合で提出する予定の原稿を執筆。
23(土)
午前は電車で両親と、ホームステイのスウェーデン人Pと映画に。

酒蔵を改装して出来た作られた映画館(深谷シネマ)

入り口はこんな感じ。

この映画は私が現在取り組んでいる課題に大きくかかわるもので、稲塚権次郎という農業研究者の人生をまとめた映画。
研究を進める中で知り合い、大変お世話になった農業研究者N氏を通じて教えて頂いた映画。
NORIN TEN~稲塚権次郎物語
http://www.norinten.net/
稲塚氏の研究業績は、農林10号という小麦の品種を生み出したことが取り上げられることが多い。
これは戦後、世界の食糧危機を救うことになる小麦品種の元になったからであり、その意味で大きな社会貢献を果たしたとされている。
ただ個人的には、戦時中・戦後と中国に渡って農業研究・指導をした経験を持つ稲塚氏について、当時のことをもっと知りたくて見に行った。
ドキュメント映画にも近い構成という印象であり、かつストーリーは変な脚色がなかったので、違和感なく楽しませて頂いた。
映画を通して、これまで戦時中・戦後に中国で農業研究・指導をした稲塚氏ばかりに目が行っていたが、それに同行して大陸に渡った稲塚イト氏(お連れ合い)が受けた境遇を全く無視していたことを思い知らされた。
特に戦後、中国に抑留された稲塚氏とそれに付き添って残ったイト氏が様々な苦労を経験し、何とか引き揚げてきた事実は重く受けないといけない。
やはり、ある歴史の全容を知っていくには、より広く深く関連史料にあたり、その実態に迫る作業が欠かせないことを改めて感じることになった。