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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

1月27-29日のこと(日本での日誌として)

2014年01月29日 23時38分52秒 | とりあえず日記
1月27日(月)
午前自宅を出て千葉大学へ。
昼に文学部O先生研究室を訪問し、私用を澄ます。
その後、大学院時代の指導教官M先生の院ゼミへ。
ゼミ終了後、大学院生研究室で雑務をしてからすぐ、K先生の研究室へ顔を出し少し歓談。
夕方、大学を後にして慶応義塾大学三田キャンパスへ。
慶応義塾大学東アジア研究所主催の講演会、「アジア・アフリカ研究―現在と過去の対話」を聞く。
この日の講演者は山田辰雄慶應義塾大学名誉教授で、「中華民国史研究―現在と過去との対話」
今月31日の講演は予定があって行けないが、上海に戻る前にもう一度行く予定である。
帰宅後はこの間県立図書館で借りてきた研究書数冊を読み進める。

1月28日(火)
寝るのが明け方だったために昼前に起床。
その後、自宅で研究作業(無事先週一本論文を提出し、次の論文執筆)を行う。
途中、色々な雑務とメールのやり取り。
最近思うのだが、私は各メール文が少し長い気がする。
もっとメール文を簡略化し、時間を省かないとメール作業で相当時間を浪費してしまう。
結局、この日は一歩も自宅から出ずに自宅に籠って研究関連作業を進めた。
しかし、やはりずっと自宅にいると精神的にまいる感じがする。

1月29日(水)
ほぼ一日使って北浦和にある国際交流基金国際日本語センター図書室へ。
ここは自宅から近所なので自転車なら15分、歩いたら…それはちょっと遠くて無理。
現在、進行中の中国での日本事情テキスト出版に関する資料集め。
あれこれ読んだりしているうちに、気づけば夕方5時過ぎ。
センターを後にし、夕食の買い物をして自宅へ戻る。
18時から19時半前まで、母が不在のために今日も私が夕食を作った。

今日はミートソース(写真の色がちょっと変な気がするけど美味しかった)。


野菜たっぷりのホワイトシチュー


他に日本の家族に中国の料理を紹介しようと、番茄炒鸡蛋(トマトと卵炒め)も作った。
それを食べる留学生達(手前がアメリカ人のR、奥がスウェーデン人のF)。

1月19-25日のこと(日本での日誌として)

2014年01月26日 01時46分07秒 | とりあえず日記
1月19日(日)
帰国した翌日だったが、午後から外出して知人達と再会。
18時前には帰宅。
すぐ上海の勤務大学を卒業後、日本留学中のOさん(慶応大大学院生)、ZさんとLさん(千葉大研究生)とZ君(某日本語学校)が我が家へ。
21時過ぎまで一緒に食事をしながら、色々と話が出来る。
ZさんとLさんは今後大学院試験があるようだが、頑張ってほしい。
そしてZ君も同様に加油!
皆元気そうなので安心、あと写真を撮っておけばよかったと後悔。

夜は論文執筆。
また日本帰国したので、youtubeで「新しい日中関係を考える研究者の会」の記者会見を見る。
ただ、「中国側では中日関係を憂い研究者が集う会は未だない」らしく、日本側の動きに対するカウンターパート不在を指摘する記者もいた。
加え、「開かれた会」と毛里和子代表は繰り返したが、ネットを管見した限り、会HPに相当するものはないように思われる(あれば教えてほしいが)
恐らく、学会員同士でメールなどが回っているのだろうが、それでは特定の学会に所属していない研究者連中の参加は考慮しないのか。
より開かれた会として機能するためには、どこまで声をかけるか、入会を認めるかももっと考慮してもいい感じがする。
ただ、こうした活動自体が日本側から起こってきたことは非常に評価できると思うし、今後の活動に期待したい。
http://www.youtube.com/watch?v=3T6GDy59uGU&list=UU_iMvY293APrYBx0CJReIVw

1月20日(月)
大学院のゼミや研究員として籍を置く大学院に顔を出す予定だったが、自身の論文が終わらない為に断念。
双方にメールをだし、自宅でとにかく論文を書き進める。

1月21日(火)
大学院へ出かけ、研究員の関連業務を行う。
その足で大学院博士・研究員の研究室へ顔を出すといつものメンバー。
現在、研究員の仕事として博論添削をしているが、私が担当する留学生で博士課程Yさんと少し面談。
夕方、帰宅して家族やホームステイ中の留学生達と一緒に食事。
やはり人数が多く、楽しく食べる夕食は楽しいが、食べる時は母いわく「戦争」のように早い(苦笑)
夜は論文執筆。

1月22日(水)
自宅で論文執筆。
また、日本へ留学を目指す学生達の計画書に筆を入れる(二度目の添削)。
学生達の進学先も絞り込まれつつあり、何とか進みつつある状態。
学生の研究課題が私の直接の専門とは限らず、指導には相当骨も折れるが、自身の勉強にもなり楽しい。
今年も各計画書に関連する本や論文を色々と読ませてもらった。
夜は気分転換に散歩をした後、母が不在だったため、私が夕食を担当。
写真を撮り忘れたが、まずまずの出来(!?)

1月23日(木)
自宅にいてばかりでは気持ちもこもりがちになるので、近所の県立図書館へ(往復は徒歩約1時間)。
そこで論文執筆や関連する文献を読む作業を続ける。
関心のある文献を借り、それをバッグに詰めて19時頃帰宅。
夕食後は論文執筆。

1月24日(金)
午後から大学院へ。
夜19時頃まで論文を書き進め、何とか完成させる(25日が締め切り)。
今回は中国語で論文を書いたのでかなり時間がかかった。
私の論文の中国語チェックしてくれた学生には感謝したい。
帰宅して、留学生Fと二人で夕食(21時頃で皆食事が終わっていたため)。
夕食をとりながら、Fと色々と歓談。
Fは早稲田で日本語をマスターした後、日本のIT関連会社へ就職したいという。
スウェーデンの大学でコンピュータサイエンス専攻だったという彼は、「日本のゲーム製作レベルは素晴らしい」という。
だからこそ、遠い異国の日本の関連企業で自分も働こうと考え、日本留学を決めたらしい。
ゲームを全くと言っていいほどしない私は、逆にFから日本の長所を教えられた思いがした。
しかし留学半年にもかかわらず、Fの日本語は相当上達している。

1月25日(土)
自宅で研究書を読みすすめる。
また、研究助成関連で各方面へメールを出す。
博士課程修了後、どんどん日中関係の研究課題に傾斜しつつある。
その関係で、日中関係の研究助成先の関連情報にも以前より詳しくなってきた。
とはいえ新参者なので関連情報を諸先輩から入手しつつ、研究を進めていく必要がある。
夜は両親が不在のために私が夕食を担当し、留学生Rも「やりたい」と手を貸してくれた。

本日は鶏のから揚げ、鶏のつくね鍋、炊き込みご飯を作った。


作りすぎてテーブルに並べられず余った料理が多いが、それらがきれいになくなるのが我が家。


やはり母の言うとおり、「戦争」である。

『千葉史学』(63号)に掲載された論文

2014年01月21日 00時01分46秒 | Mの研究活動や成果
日本へ帰って来てから、中国に行っている間に日本の自宅に届けられていた荷物を確認してみました。
その中の一つに、去年私が千葉歴史学会に投稿して掲載された論文も含まれていました。

論文題目「西山夘三の住宅学を支えた思想と行動」
掲載雑誌『千葉史学』(63号)
掲載年・月 2013年11月
掲載頁 29-51頁


この論文は私の博士論文の一部を加筆修正し、投稿したものです。
内容は主に、近現代日本において庶民住宅研究の第一人者である西山夘三氏の住宅研究の思想と行動の双方の関連性を考察したものです。
この西山氏の研究成果は現在我々が暮らす住宅にも生かされていて、戦後のダイニングキッチンの原型を生み出したのも西山氏です。
他にも、彼の住宅研究の思想・考え方、または姿勢は現在も多くの建築学者に引き継がれています。
ですから、西山氏は現代日本の住宅の多くの面でその基盤を築いた一人であり、日本の住宅史には欠かせない人物といえるでしょう。

論文では、西山夘三という建築学者がどのような思想と行動で同時代を行き抜いたのか。
また、戦時体制下と第二次大戦以降から高度成長期の日本を西山氏がどのように捉え、そこで何を主張し、どう行動したのか。
或いは、何に妥協したり、挫折をしたのか。
それらの面について論文の中では可能な限り言及したつもりです(論文の規定字数上、「割愛」とした部分もありますが)。
日本住宅史に大きな足跡を残した西山氏の住宅研究の思想と行動を追うことで、そこから同時代の日本社会も描き出せるよう心がけました。

振返れば、西山氏との出会いこそが私の研究生活の一歩目でした。
中国との縁を得たことで、西山氏の研究とは少し距離を置いた研究課題を進めている現在ですが、
研究を志した当初の問題関心がこうして活字化されたことは本当に嬉しく、有難いことです。


ところで、今は今月25日までに締め切りの論文の作業をしている最中。
今回中国語で書いた論文を中国の学会誌に投稿予定で、色々と日本と異なる論文書式に苦労しています。
ひとまず25日前には無事に投稿を済ませたいと思います。


1月18日-2月13日まで日本

2014年01月19日 00時55分06秒 | とりあえず日記
本日(18)、日本の実家へ戻りました。
2月13日朝、上海に経つまで日本にいる予定です。
実家に戻ると去年夏から下宿を始めたアメリカ人R、スウェーデン人Fの留学生二人と初めて会いました。
その後、家族と留学生と一緒に食事。
人数が多いとやはり賑やかで楽しい。
明日一日ゆっくり休んだ後、研究再開です。

ところで日本へ戻る直前の二日間、無錫の知人を訪ねる旅に出ていました。
招待して下さった方は、上海の日本人教員の勉強会に毎回参加している無錫のO先生。
今学期分の自身への慰労+ここ最近あったモロモロのことを切り換える旅。

無錫側から太湖の船に乗り、琵琶湖の約4倍という穏やかな太湖を進みました。
はっきり言って海です。


湖の小島に接岸し、そこから太湖を望む。


そして、太湖近くにある小高い山に登り、周囲を一望できる景色に見とれました。
春はこの下一面に桜が咲き乱れるとか。


思えば、中国に来てから研究調査が全く関与していない旅は本当に初めてでした。
恐らく、もう今後こんな旅は暫く味わえないでしょう。
ま、こんな旅もたまには悪くありません。

O先生大変おいしい日本料理店、韓国料理店で御馳走して下さり、ありがとうございました。
桜が満開の頃、再び訪ねられたらいいと思っています。

1月10-12日のこと(上海での日誌として)

2014年01月13日 02時44分08秒 | とりあえず日記
13日~17日まで予定していた河北省档案館調査ですが、断念しました。
理由は档案館調査に必要書類の一つが諸事情で発行されなかったためです。
背景の詳細について書くことは敢えて控えますが、とにかく悔しい、そして無念です。

档案館調査に行かない分、明日から帰国するまで上海市档案館へ通う予定。

1月10日(金)
午前~午後にかけては河北省档案館調査に関して“いろいろ”あったため割愛。

夕方から徐家汇の建国宾馆内の日本料理店で、日本人教員のSさんと会合兼食事。
現在、取り組み始めている中国での日本事情教科書出版をするプロジェクトの会合。
他にも、日頃の仕事の情報交換や、互いの今後の進路方針など話題は様々。
18~22時過ぎまで飲み食いしてから、近くの和歌山ラーメンの店でしめた。

この日、私にとって何より重要な研究調査が出来なくなり、自暴自棄になりかけた。
しかし、中国で輝き、奮闘しているするSさんとの会合で刺激をもらえ、救われたよう。

1月11日(土)
河北省調査がなくなり、時間的にも経済的にもかなりの余裕が出る。
ちなみに、大体だが中国で一週間档案調査を行った場合は2500~3500元ほどの出費。
(国内の移動費、宿泊費、食費、史料の複写費などの合計)
そこで日本へ帰る前に上海でしておくべき研究作業を書き出し、計画を立てる。
現在、翻訳途中の自身の論文の中国語翻訳作業も進められ、この日にほぼ完成。
日本の所属大学院の特別研究員として担当している仕事の一つもこの日に済ます。
週末なので部屋を簡単に掃除。
夜遅く来客、誰かと思ってドアを開けると隣の英語外教。
以前私が紹介した日本料理屋に再び友人と行って満足したらしく、そのお礼を言いたかった模様。
こちらは喜んでくれたらそれで何よりである。

1月12日(日)
先日明け方寝たので、11時頃起床。
その後、タクシーで市内へ向かい人と会う。
用を済ませたのち、再びタクシーで上海図書館へ。
1950年代後半の人民日報の記事を検索し、関連記事をひろってコピー。
この日だけで完了しなかったので、空いた時間に再度来る予定。
余った時間に図書館4階で日本の新聞各紙に目を通す。
現在、日本の対中姿勢・安全保障・靖国参拝に対する各紙の主張がより鮮明に異なっていることが確認される。
ただ、これだけ日本国内で新聞報道の〈幅〉があることは、実は中国国内では十分に伝わってない。
「官製報道しか接することのない中国の一般市民」(2014.1.10の社説)と書いた朝日新聞の評価は言い過ぎだとしても、それに近い状況であることは依然事実といえるだろう。
両国関係が悪化の一途をたどる今、より相手国・相手国民を多面的に認識しようとする傾向は弱くなり、その認識の〈幅〉が狭まっていくことが予想される。加えて、相手をより悪いもの悪いものというように固定的に認識する恐れがある。
そうならないためにも、物事を一面的にとらえず、多面的にみられる能力を身につけることが不可欠だと改めて思う。
そうした教育をする一つの場こそが、まさに大学であり、その役割を担うのが大学教員ではないか。
では今、中国の大学で働く自分の立場で何ができるのだろうか。
簡単ではないが、悩みながらも考えつづけ、実践する教員でありたい。

1月4-8日のこと(上海での日誌として)

2014年01月08日 22時14分28秒 | とりあえず日記
とりあえず更新。

1月4日(土)
上海から河北省への汽車切符(寝台席、278元)をネットで購入。
既に各大学の大学生や他の人々の帰省ラッシュが始まっていて、切符がかなり売れてしまっている。
なお、今年の中国の春節(旧正月)は1月30日から。
何とか残った切符を買ったため、出発は午後15時過ぎで石家庄到着が朝4時過ぎ…。
他は洗濯や掃除などをし、自分の論文を中国語へ翻訳する作業に取り組む。

1月5日(日)
同じく、既に書いた日本語論文を中国語に翻訳する作業に取り組む。
また、5月上海で開催予定の学会におけるパネル発表の準備。
他には、中国での日本事情テキスト出版計画の準備(会合資料作成、研究助成先を探すなど)
夜は最近お気に入りの蘭州ラーメンの店で外食。

1月6日(月)
同じく、既に書いた日本語論文を中国語に翻訳する作業に取り組む。
今年の四年生で日本へ留学を目指す学生達から送られてきた三通の計画書を添削。
一回目の添削ということでかなり筆を入れ、厳しめのコメントもつけて課題を課す。
きちんと本や論文を読み込み準備をしている学生とそうでない学生の区別が明らか。
この作業は学生達に乗り越えてもらわないといけないので、とにかく頑張ってほしい。
夜は東北料理を出前。

1月7日(火)
曇時々、雨。
昼過ぎに外国語学部事務室へ行き、学生達の成績を提出。
しかし、書類に若干の訂正すべき箇所が見つかり、書き直す。
なお、現在外国人教員はそれぞれ仕事を分担してくれる“外教秘書”がいる。
(「外国人教員=中国語が出来ない」となっており、中国語を介した仕事を秘書が代行)
現在私の場合、諸事情で約一年前から秘書が代わり、一応学科主任が代行している。
だが、主任は忙しくほぼこれまで秘書の仕事を自分でやることが大半。
最初の頃は正直不満も出たが、お蔭で中国語で自分の仕事を全て出来るようになった。
まさに怪我の功名とはこのこと。
その後、外事オフィスで給与を受け取り、档案館調査の紹介状に大学の印をもらう。
夕方から市内のカラオケへ行き、友人と翌日のパーティ―で歌う歌の練習。

1月8日(水)
雨、昨日から続く雨で寒くなる。
午後まで各方面から来たメールを色々と返す。
そして、部屋で論文の中国語への翻訳作業。
夕方4時から外国語学院の教職員のパーティ―に参加。
4時から6時少し前頃までだったが、私も一曲披露。
それが7日にカラオケで練習した“爸爸去哪儿”の主題歌。
選んだ理由は、
・皆知っている
・比較的簡単なので、音をはずす心配なし(?)
・何より、僕が好きな番組の歌
肝心の反応は唯一の「外国人(教員)」の出し物ということもあり、なかなか良かった。
主任H先生は私が歌っている写真を自身の微信(ウィシン)にアップしてニコニコ。

写真は最近見始めた韓国のテレビ番組“아빠! 어디가?(お父さん、私たちはどこに行くの?)”で登場する民律君。


この番組は元々韓国で放送が始まり、その製作権利を中国側が買い、中国でも製作して“爸爸去哪儿”として放送されていた。
相当人気を集めていたのだが、中国のこの番組は第一期が既に終了し、第二期が始まるとのうわさも。

その後、宴会へ。
ただ先にブログで紹介した通り、习近平さんの政策の関係でしんみりと大学の食堂で実施。
料理ワンプレートが一人一人に配られ、少しのおかずが出たのみだったので、宴会時間は1時間で終了。
酒はビールのみで、他はジュースなどの飲み物。
これがそのワンプレート。


日本語科のある先生は「外语学院的老师们都不满意。」と漏らしていた。
この意見に否定は出来ないが、ある意味中国の宴会で珍しい経験が出来たと思う。

謹賀新年(2014年の目標など)

2014年01月03日 18時46分55秒 | とりあえず日記
新年快乐,2014年也请多关照!

新年明けということで、2014年の目標を立ててみました。
毎年一年があっという間に過ぎていきますが、自分の好きなことをしながら生活出来ることが、実は当たり前ではないと感じることがありました。
研究という好きなことを存分にできる環境あるということがどんなに有難いことか、それをもう一度見直し、今年を過ごしていきたいと思います。

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2014年の目標・計画

大目標

一、常に私を信じてくれ、自身の思ったよう自由な道を歩ませてくれる両親に感謝を忘れない。
二、自分のためでなく、自分以外の人のために仕事・研究を頑張る一年にしたい。
三、どんなことがあっても人を責めず、まずは自分の足らない部分を見直す姿勢を忘れない。


仕事・研究の目標

仕事
一、日本事情教科書を中国で出版し、日本語を学ぶ中国の大学生達の日本理解とその興味促進に貢献したい。
 ※既に出版社とも交渉中で、共同執筆チームも編成中。今月末には一回目の会合を予定。

二、日本語科教員・学生が一丸となりスピーチコンテストで再度入賞を果たし、学生達に刺激・自信を与えたい。

三、日本語科学生達の日本語能力の向上のために様々な場面で尽力したい。
 ※勤務校から日本への留学生派遣を一日も早く決定(千葉大)、日本の大学との学生交流、日頃の交流機会を増加。

四、自身に来た仕事の連絡はなるべくその日中に返事。


研究
一、新しく取り組んでいる研究課題の成果をどんどん活字化。
 ※目標は査読論文×3。学会報告は出来る限り実施(ひとまず今年5月上海にて国際学会で報告予定)。

二、科研費・各財団へ研究助成を申請し採択を目指す。

 
三、研究員として籍を置いている千葉大学人社研内で研究プロジェクトチームを新たに立ち上げる。
 ※日本近現代史だけでなく、中国や東アジア地域の研究者と合同の研究課題を設定予定

四、自身に来た研究関係の連絡はなるべくその日中に返事。