私は2009年に中国に来ましたが、これまで安徽省に二年、上海三年、現在は山東省の大学で働いています。
その間、本当に数え切れない中国で活躍する日本人教員の方々と縁を得てきました。
そこで今後、このブログを通じて中国で縁を得た日本人教員の方を順次ご紹介させて頂くことにしました。
その第一回目は、上海時代に大変お世話になったI先生です。
私の安徽省時代は日本人教員の仕事が何で、どのような授業をすべきか手探りのまま二年がすぐ過ぎ去りました。
ただ、いい意味で地方の大学であったため、学生はどんな授業でも一生懸命で、こちらに遣り甲斐は感じられました。
そして、自身の研究活動のために選んだ次の勤務地、上海の大学で働いていた時に縁を得たのがI先生でした。
2011年9月当時、I先生は上海外大で日本人教師に着任したばかり、私は華東理工大に着任したばかりでした。
上海へ異動して以降、中国の地方大学とは何もかもが違い、日本語教育素人の私は再び苦労することになりました。
もがき苦しむ時期、私の心の中には二つの相反する感情が何度も出ては消えていきました。
一つは、「俺は博論を完成させる環境を得たくて上海の大学を選択したんだ。授業が下手でも今は無視しろ。研究優先だ」
もう一つは、「いやいや、そんなわけにはいかんでしょ。そんな中途半端な仕事じゃ、研究だって大成しない。まずは仕事優先だ」
結局、後者の感情を優先し、私は学期期間中は研究を無視し、当面は仕事だけに専念することにしました。
上海に移って暫くしてからは、自分自身の授業力を上げたいと考え、上海の日本人教員が学びあう教師会に参加することにしました。
そして、その上海教師会こそが、I先生と直接知り合うきっかけになった場所でした。
その頃、上海教師会では年に二回ほど開催される定例会に加え、自主的に有志の教師が集まって勉強会を開くようになっていました。
この勉強会の発起人の一人がI先生であり、もう一人がドイツの大学院で日本語教育を学んできたという若手のK先生でした。
この二人の呼びかけに、上海だけでなく、上海周辺の各学校で教える日本人教員が集まり、毎回10-20人ほどの先生が見えていました。
私は特に用事がない時は毎回顔を出し、日本人教員達の実践、経験、様々な思いや考えを、この場で吸収してやろうと考えたものです。
当時、各先生方の発表に対するK先生のご指摘は大変鋭く、「これが専門で勉強してきた人の視点なんだな」と触発されたのを覚えています。
そして、I先生は各先生方の報告をいつも静かにうなずきながらじっと聞いており、時折、穏やかな口調でご質問されるのが印象的でした。
ズバッと本質部分をえぐるK先生と、それを静かに見守るようなI先生というお二人の組み合わせもよいバランスだったのでしょうか。
勉強会はその後も継続され、結局、私が上海を去るまで毎回定期的に開催されていきました。
いつだったか、そんなお二人と一緒に教師会の帰りに喫茶店により、お話しさせていただく機会がありました。
私がI先生に「最近、お忙しいですか」と聞くと、I先生から「はい」という一言が返ってきたのを記憶しています。
後で詳しく聞くと、I先生は週30コマ(45分が1コマ)を超える授業をこなしたと分かり、ただただ驚いたものです。
(※なお、中国の大学では日本人教員の週ごとの授業数に上限規定があり、規定超過分は別途、給与の支給が義務)
普通の日本人教師はその半分か、それ以下ですから、いかに多い授業を担当されていたかが分かると思います。
それら授業に加え、週末も自らが先導となって勉強会をし、大学では日本語コーナーもされていたと言います。
また、日本語スピーチコンテスト常連校の上海外大は頻繁に大会に参加するので、その指導も多いと聞きました。
ですが、いつ会っても穏やかな笑顔と物腰の低い態度で、「大変」などと口に出されることはありませんでした。
ただ今思えば、I先生は勉強会には必ず参加しても、その後の打ち上げはほぼ欠席し、帰宅されていました。
口に出さないだけで、実際には相当お疲れだったのではないかと思います。
私にはとても出来ないことです。
日本語教育の素人である私が、何とか上海の大学で教えることができたのは、あの勉強会の存在が大きかったと思います。
だからこそ、その会を立ち上げ、運営を一手に担ってくださったI先生には大変お世話になりましたし、感謝しています。
そんなI先生は大学でも学生から慕われていたことを、先日、ある記事から知ることが出来ました。
上海外大のHPのある記事
http://culture.shisu.edu.cn/xrlm/2014/2014,xrlm,023600.shtml
記事によれば、I先生が学生達に対して一番おっしゃっていた言葉が“頑張りましょう”(一起加油吧)だったとあります。
学生の閲覧数が他の記事よりも圧倒的に多いこと、また、記事内容からも学生から信頼され、慕われていたことが伝わってきます。
それにしても、学生達はよく教師一人一人を見ているんだなということも、この記事を見て教わりました。
日本へ先にお帰りになったI先生ですが、私が本帰国が決まったその時には、必ず会いに行きたいと思っています。