中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

今、日本の特定秘密保護法案関係の報道を中国から見て思うこと

2013年11月28日 22時13分44秒 | 日中関係のあれこれ
23日(土)
中国から日本の尖閣諸島上空を含む東シナ海を「防空識別圏」に指定したとの報道を耳にしました。

きちんと情報確認をしたいので上海図書館に行き、中国の軍事関係紙・総合紙を見ると大抵はどの紙も一面で報じていました。
一方、同図書館内にある日本の新聞各紙では24日(日)の紙面の時点ではそれに関する報道はありませんでした。
(恐らく、翌日の各紙には報道があったのでしょうが、その後確認をしていません)

日本では特定秘密保護法案をめぐる報道が各紙の注目を集め、上記記事はそれと比べて注目度が低いのもあるかもしれません。
しかし、今回の中国の外交態度だけでなく昨今は中国側の対日姿勢の変化が明らかに確認できます。
(もちろん、「さきに日本の対中政策が変わった」との意見もあるでしょうが)
今回、特定秘密保護法案の成立を目指す日本政府には、そうした中国の対日姿勢に対抗する意識があるのは明らかです。
一言で言えば、国際環境の変化を踏まえ、日本の安全保障の体制が変わろうとしているわけで、その一つが今回の法案であるといえます。
こうした日本の安全保障の在り方を巡る議論は第二次大戦後何度もありましたが、今は特にその変化を求める意見が政府側に強いわけです。
一方、日本の国民も今回の法案をこのまま賛成できないとしながらも、その多くが現状維持を望んでいるとは私は考えていません。
何かしらの形で日本の安全保障を議論し、変化させる時期に来ていると感じている国民も少なくないと感じています。

最近、朝日新聞では一面に特集(「異議あり 特定秘密秘密保護法案」)を組み、毎回各識者にこの法案への異議を執筆させています。
その中で、私にはどうも一部賛同しがたい内容がありました。
それは安倍政権の政策課題と特定秘密保護法案との関連性を論じた、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏による記事でした。
氏は記事の中で、

「安倍政権は経済成長を最優先の政策課題に掲げ」ており、「その流れの中に特定秘密保護法案を位置づける必要」があると言います。
この法案を成立させれば、「国民が知ることのできる情報が制限」され、「政策決定はスピードアップ」し、「トップダウン」で決まるようになると言います。
そして、安倍政権がこの方針を重視する理由は、「集権的、非民主的なシステムの方が金もうけのために効率的だから」と説明しています。
氏はこの法案が施行されれば、「反政府的な言論人や労働組合は(略)抑圧され、メディアも政府批判を抑えることになる」と言います。

2009年以降中国で暮らし、2010年・2012年共に中国にいた私は、上記の氏の意見に対し、どうしても一部違和感を感じました。
もちろん、氏の大半の意見に対しては賛成なのですが、異議を感じたのはもっとも上に書いた氏の主張でした。
安倍政権が確かに経済政策を最優先課題の一つにしているとはいえ、それだけが特定秘密保護法案を成立させたい理由にはならないはずだからです。
私はむしろ、この法案は日本の安全保障を変化させ、現在の国際環境に対応するために成立させようとしている側面が強いと認識しています。
その理由は昨今の日本を取り囲む東アジア国際関係の状況をみれば、うなづけなくもありません。
(誤解のないように言えば、私は決して安倍政権の姿勢に手放しに賛成の立場ではない)

また、いくら「民主的」な社会が重要であるとはいえ、現在の日本政府はあまりにも権力が分散しており、物事の決定に時間がかかりすぎます。
「民主的」であることが社会の絶対条件であると考える一方で、あまりに物事が決まらず、国の方向性が定まらないのではそれも困ります。
特に、めまぐるしく変化していく現在の東アジアの国際環境に日本が対応していくためには、現状では不安が残るのは事実です。
そういうことを第二次大戦以降、きちんと議論していなかったことこそが、現在の日本社会の大きな問題になっていると私は考えています。

東アジアの国際関係をこれ以上緊張させないためにも、相手国と競合するように安全保障費に国家予算を費やすという形は望ましいものではありません。
それを行えばどんどん緊張関係を生み出すだけで、根本的な解決はおろか、一触即発という最悪の結果を招く可能性が極めて大きいと思われます。
ただ、日本の安全保障体制を何も変えない、何も対応しないというのでは現在の国際関係に対応できなくなってくる可能性は否めないと私は思います。
よって、日本の安全保障を変化させることが「戦争への道」と短絡的にとらえるのではなく、東アジア諸地域の安定のために今日本がどう行動すべきかを国民全体が真剣に考えるべき時期にきています。


ともかく、日本国内の事情やそこで優先される政策からのみ、今回の特定秘密保護法案との関係を論じる氏の記事には疑問を感じざるをえませんでした。
率直に言って、どうも安全保障という皮膚感覚が鈍感な内容の記事だと思わざるをえなかったからです。
その点、日経新聞などはこの点をきちんと把握していて、客観的な正しい評価をしていると感じました。



さて話題変わって。
最近は時間が出来れば上海図書館へ行って関係論文を読み、自身の論文を書き進めています。
寒くなり運動をするのも億劫になりがちですが、図書館周辺の並木道を歩くのは気分転換で最高です。

図書館周辺を走る衡山路

その衡山路の交差点



11月16-21日のこと(上海での日誌として)

2013年11月21日 22時43分27秒 | とりあえず日記
先週末から今週にかけて色々なことがありました。
なお現在、日本では特定秘密保護法案に対する反発が相当程度高まっています。
先日も私が所属するある学会から法案への反対署名を求める連絡が回ってきましたし、日本では大規模なデモも起こっている模様。
本法案成立にむけて「着々と」動いてきた安倍政権に対して言いたいことは、

外交・安全保障上の配慮は当然必要ですが、同時に、知る権利とのバランスをどう取っていくのかをもっと議論すべき

ということ。
特に、後者への配慮・その制度策定が十分とはいえないのは明らかです。
ここをきちんと踏まえないと、この法案はかなり高い確率で悪法となるはずです。
現時点では、まだまだ国民を巻き込んだ十分な議論とはなっておらず、大きな問題です。
既に「成立見通し」となっている本法案ですが、現状のまま施行させてはいけません。


さて、今回は日誌形式で行きたいと思います。

11月16日(土)
午前、いつもの運動をしてから既に終了した四年の卒論関連レポートを採点(半分まで終了)
11時に部屋を出て、上海南駅から五角場まで地下鉄で向かう(徒歩を含め約1時間半)。
この日は二ヶ月に一度ほどの上海日本人教師会の勉強会が開催されるためである。

13:00‐16:00まで三人の先生の発表を聞き、それに対する質疑応答。
今回は日本語の発音指導に関わるテーマであったが、今後、もっと観点を絞った議論が出来ればと感じた。
なお、今回の勉強会にはわざわざ山東省からお越しの二人の若い女性の先生方がみえた。
上海から山東省まで高速鉄道(新幹線)を使っても片道3時間半!…本当にすごい。
勉強会後は、会場近くのレストラン“外婆家”で懇親会。

部屋に帰ってから来週の授業準備。


11月17日(日)
午前から上海図書館へ。
昨日、山東省からいらした先生方を図書館へ案内するため。
簡単に案内し、その空き時間に卒論レポートの採点を続ける。
昼は陕西南路にある日本料理店へ招待し、色々と歓談。
その後、近所にある「世界一大きい」ユニクロの店舗へ、その後は二人を見送る。

部屋に帰ってから少し休憩後は翌週の授業準備。
また、この夜から新たな論文に着手。


11月18日(月)
午前、大学の幾つかの仕事を片付ける。
午後から市内で両親の知人達と会食(古北のイタリアン)。
部屋に戻ってから、研究作業の続き。

夜は散歩をして軽く汗を流す。


11月19日(火)
午前、運動してから大学関係の仕事に追われる。
午後、学科事務室で留学希望の学生達と会い、各自の研究課題の指導(既に二回目)。
同時に卒論指導学生達にも卒論関連の個別指導を実施し、計3時間ほど費やす。

夕方部屋に戻り、研究作業の続き。
夜、卒業生から連絡をもらい、次の日曜日に食事をすることに。


11月20日(水)
8:00-17:00まで一日授業の日。
その後、18:30-20:30頃まで日本語アフレコ大会に審査員として誘われ参加。
少し予定より早く終わったので、来月予定のスピーチコンテストの指導も。

新校舎から寮のある旧校舎までスクールバスに乗って帰宅、そこで遅めの夕食。
沢山来ていたメールの返事も。


11月21日(木)
まず起きて筋トレなどの運動。
その後、翌週の授業準備。
午後から市内の皮膚科へ、薬をもらう。
(前学期の皮膚炎がまだ根治せず…)
寮に戻ってからは食事をし、ダラダラ。

上海も寒くなり始め、仕事の疲れも出始めている。
体調を維持しつづけられるように頑張っていきたい。



中国人大学院生と留学生の交流パーティーに参加

2013年11月15日 21時51分50秒 | 中国の大学、大学生
昨日、大学院主催のあるパーティーに、私も招待を受けて参加してきました。
パーティーの名は“中外学生交流会”というもの。

所謂、中国人学生と留学生達の交流パーティーで、主催は大学院の学生会でした。
各大学には学生会という大学組織が必ずありますが、この組織の性格を簡単におさえておこうと思います。
HP(百科にて「学生会」を検索)によれば、以下のようにあります。

学生会的任务是在学校共产党组织的领导和共青团组织的指导和帮助下,团结全体同学,贯彻党的教育方针。

日本語訳…学生会の任務は学校の共産党組織のリーダーと共青団組織の指導と協力のもと、学校全体の学生の団結、党の教育方針を貫徹させること。

以上のように学校の共産党関係者の指導もとで、大学の学生達を引導していくために設けられている学生組織が学生会です。
詳しい学生会の組織図も一応下に掲載しておきます。


こう書くと「なんか政治的な組織」とか「組織の性格が堅苦しそう」と感じる方もいるでしょう。
当然、そうした面があるのは否めませんが、私が普段接して見聞きしている限りそうした側面ばかりではありません。
ともかく、その学生会が毎年行う活動の一つが今回のような大学の学生交流パーティーというわけです。


先週、私の携帯に連絡が入り、11月14日(木)のパーティーに参加してほしいと依頼を受けました。
ですが、どんなパーティーかを聞くと大学院学生会の主催パーティーだといいます。
「基本的に大学院の授業を担当していないのに、一体誰が誘ってくれたの」などと疑問に感じながらもOKしました。
なお主催者側から当日、「日本社会の紹介を短い時間で学生達に紹介してほしい」との要求があり、空き時間を使って準備をしていました。

そして当日。
そこには100人を超える中国人、世界各国の留学生達が集まっていました。
そして以前、大学院で日本語を大専攻として学ぶ学生対象にした授業を担当した際の学生も来ていました。
彼女達の話では「私たちが先生をこのパーティーにお誘いしました」とのこと。
なお周囲を見ると教員は私一人で、他は全て学生達で、雰囲気はなかなかの盛り上がりでした。


パーティーの中で私は、「日本の社会的特質とは‐欧米や中国との比較検討から-」という簡単な紹介を行いました。
具体的に、日本社会の特質の一つとして、個々人の社会依存性の度合いが、欧米や中国と比較しても高いということを話しました。

そう判断できる根拠を、
①日本語の一人称の呼称が他の国の言語に比べて多いこと
→日本語は社会的立場、自身のおかれた役割によって一人称の呼称が変化するが、欧米では基本は“I”のみ。

②欧米には存在しない、「場(BA)」という独特な日本語の存在
→欧米は、この「場」という言葉を翻訳する概念が見当たらない。よって、そのまま「BA」と使用。一方、日本では場を重視することや、その場の雰囲気に順応することが求められる。それは、“空気を読まない”「KY」という言葉が2007年、日本の新語・流行語の一つになったことに象徴される。

③親が子供を叱りつける時の態度が日本と欧米・中国では対照的であること
→欧米、また中国でも親が子どもを叱る際は大半が、「今日は家から一歩も外に出るな!」とし、その子供個人の自由を奪うことが罰とされる。一方、日本では「家から出ていけ!」となり、子供を家族(或いは、イエ)という場から締め出すことが罰とされる。

などを挙げながら、時に学生への質問を交えながら行ってきました。
パーティ―自体はたいへん砕けた雰囲気で、催し物は歌・ダンス・ゲームなどが大半だったため、発表前は「場違い」などと正直不安でした(苦笑)
ですが、学生達もけっこうきちんと聞いてくれていて反応も温かったです。



そして、最後は皆と記念撮影。
ちょっと統一感がないですが、それは御愛嬌ということで。

11月4-9日のこと(上海での日誌として)

2013年11月10日 22時34分06秒 | とりあえず日記
気分を換えて、今日はここ数日のことを日記として記す。

11月4日(月)
午前、起きてから軽く運動。
そして部屋掃除、洗濯などを済ます。
週末慌ただしかったので授業準備が十分に出来ていなかったため、その仕事。
夕方事務室へ出かけて、前学期の成績登録関係の事務仕事。
夜は市内へ出かけて食事(日本のラーメン「一風堂」)。


11月5日(火)
体が少々疲れ気味。
先週までで今学期の折り返しを迎えたのもあり、疲労がたまってきているのかも。
授業準備などで大半の時間がとられる。
夜は大学構内の運動場でジョギング。


11月6日(水)
少し早目に起きて軽く運動。
本日は8時-17時まで新校舎で授業漬け。
先週、学生がスピーチコンテストで入賞したことを紹介し、その映像を鑑賞。
多くの学生達は刺激を受けたように見え、内心喜ぶ。
夜、ある以前の学生から電話をもらい少し長めに通話。
学生達も色々と悩みながら前に進もうとしている。
焦らず、着実に一歩一歩進んでほしい。
その後はメール処理、他の雑務に費やす。


11月7日(木)
朝少し遅めに起きて、一時間ほぼ散歩。
その後は一日、某計画書作成に追われる。
また、12月は大き目な研究会・対外式典が控えており、その会場がいずれも我が校で開催予定。
そのため、その開催に向けた複数の問い合わせを大学側に行う。
夜は中国語の勉強も兼ね、最近はまっている「爸爸去哪儿」(湖南テレビ)を見る。
http://v.baidu.com/v?word=%B0%D6%B0%D6%C8%A5%C4%C4%B6%F9&fr=ala9&ct=301989888&rn=20&pn=0&db=0&s=8


11月8日(金)
引き続き、昨日の計画書執筆の続き。
食事以外部屋から一歩も出ず、運動は出来ず…


11月9日(土)
掃除や洗濯以外は引き続き、計画書に没頭。
授業準備が満足に出来ていないが、週末に回すことに。
四年生と第二専攻の学生の授業が終わったため、現在の授業は週一、90分が4コマのみ(中国に来て初)。
だからこそ、計画書や論文を書き進められている。
夜は大学の外国人教員たち(アメリカ人×2)を誘って、行きつけの襄阳南路にある日本料理店へ。



あっさりとした日本料理が共に「好み」だそうだが、サーモンの刺身が特に好きだと言う。
日本ではサーモンよりマグロの方が好まれるが、中国やアメリカではサーモンが一番人気。
上海に関すること、大学の仕事の情報交換、以前の自身の経歴など2時間ほど飲み食いして話す。
ホストとして日本の「お・も・て・な・し」を第一に接したが、喜んでくれていた模様(笑)


万歳! 上海市内のスピーチコンテストで初の受賞!!

2013年11月02日 23時01分32秒 | 中国での外教職に関わること
本日は上海市内で日本語を学ぶ大学生達が参加するスピーチコンテストがありました。
今回の場所は上海理工大学で、上海市内の計18校が参加しました。
各大学から一名選ばれた選手たちが参加し、スピーチを競いました。

なお、今回の大会の名前は、上海市大学生日語演講比賽といいます。
毎年上海で開催されている歴史ある大会で、今回で26回目を数えます。
主催は①上海教育国際協会、②京都外国語大学で、その他協賛として各著名企業が10数社ありました。

御存知の通り、上海や北京は中国でも著名な大学が集まる地域で注目度もレベルも高いのが特徴です。
実際、例年の大会では「日本人と変わらないじゃん」と感じさせる中国人学習者も珍しくありません。

このような大会に私の大学も毎年参加してきましたが、これまで優勝はおろか入賞も一度もありませんでした。
もちろん、毎回その度に先生方と学生が頑張ってきたのはもちろんなのですが…
そんな結果を繰り返す中、知らずの間に先生も学生も「我が校の入賞は難しい」との感情が広がってきていたそうです。
また、大会に向けた準備も大学の協力体制は上手に築けておらず、バラバラ感が否めませんでした。

こうした背景が重なり、我が校ではスピーチ大会には出るものの、いつも不完全燃焼が続いていました。


この大学に来て以来、この状態を何とか変えたいと思い、先生方との協力や学生指導の見直しを可能な限り実施してきました。
しかし、着任初年度・次年度はなかなか成果がでないまま時間だけが過ぎ、毎回悔しい思いをしてきたのが事実です。
「一体、どうしたらこの状況を打開できるのだろう」と本気で悩んだこともありました。


今回はスピーチ大会への出場が決まった後、私は以下のことを徹底することにしました。

①原稿から発音指導、質疑応答まで私が全て責任を持って指導すること(バラバラに指導しない)
②原稿を作る際に学生と何度も相談機会を設け、他の先生の御意見も取り入れ、原稿づくりにこだわる
③一回の指導で沢山指示をせず、一回の指導では一番直したいことを一つ確実に直す(確実に成長させる)
④スピーチがある程度上手になってから、よい厳しい意見を他の先生からもらい、再修正して完璧に(自信をなくさせない為)
⑤学生の良いと思ったところ、成長したところをほめて育てることを重視
⑥最後は学生を信じて、思い切り表現できるような言葉をかける
⑦後輩の学年にも積極的に宣伝し試合に足を運んでもらい、刺激を受けてもらう

この二週間はこの指導が一つの仕事で、頭はこのことである意味占領されていました。
何より指導をした学生は本当によく頑張ったと思います。

そして大会当日、同学年、後輩の学生達は休みにも関わらず足を運んでくれました。
中には3時間ほどかけて参加してくれた学生達もいました。

そして、肝心の指導をした学生のスピーチは準備した内容がきちんと反映された成果が出ていました。
その時点で私は「もし結果が思わしくなくても、これは全力で褒めてあげよう」と考えていました。

最後の結果発表、この学生は大会で二位となり、我が校初の入賞者となりました。
(あとで聞いた話では、今年は三名の選手が最優秀賞で、同時優勝者となっていたそうです。11月1日付)
応援に来ていた学生はもちろん、私も同時に「よっしゃ!!」と、つい大声で叫んでしまいました。



ちょうど前にお座りだった他校の先生も「おめでとうございます。私もあの学生はよく出来たと思いました」と声をかけて下さいました。
また、今回の会場には私のブログの「読者」という先生もいらして、声をかけて下さいました。
前回の済南でもそうでしたが、こうした「読者」の方に声をかけていただけると何だか恐縮します(苦笑)


今回の結果はスピーチをした学生はもちろん、会場に来てくれた後輩にも引き継がれていくと思います。
実際、試合の後、二年生の学生は「先生、良い機会を紹介してくれてありがとうございました。私は優勝を目指します!」とメールをくれ、いい刺激を受けた様子が伝わってきました。

今回はあくまでも二位、次の目標はもちろん優勝です。
私はもっとも重要なのは一度勝つことではなく、それを連続することだと思っています。
そのためにも、また新しい課題を見つけ、次の一歩を皆で踏み出すつもりです。