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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

今日から中国は端午節休暇

2014年05月31日 11時49分45秒 | とりあえず日記
今日から中国は6月2日(月)まで端午節の連休。

ちなみに6月2日(月)が端午節当日で、中国では多くの人が粽(チマキ)を食べます。
中身も肉、卵、小豆など様々なものがあり、味も同様に多様です。

連休初日ということで大学構内も何だかゆったりとしています。
寮から下を見下ろすとこんな感じ


また、寮の窓から見える空はきれいです。


明日から6月に突入!
学期末試験も作成、大学の印刷所に出すなど、一学期がそろそろ終わろうとしています。
中国の大学は6月に各年度が終わるので卒業など分かれの時期、そして9月が出会いの時期。

気づけば3年間滞在させてもらった上海。

そろそろ私にも別れの季節が迫っています。


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5月21-26日のこと(上海での日誌として)

2014年05月27日 02時47分38秒 | とりあえず日記
最近は色々とやることや考えることが重なっていて、ブログを更新できていない。
久々の更新!

5月21日(水)
午前から上海交通大学へ出張。
かねてより、交通大学日本語科副主任から依頼されていた交通大学日本語科のスピーチコンテストの審査員を務めるため。
向かう途中、プーチンなどアジア各国首脳が上海の国際会議に集まってくる様子が地下鉄の駅構内に流れている。
各国首脳が上海に集まるということで、市内の各交通機関での検査もピリピリしていたが、闵行の交通大付近はそうでもなかった。
ついてすぐ、他の審査員の方々と一緒に校内のレストランでバイキング。
その後、コンテストに参加。
内容は1~3年の日本語スピーチ(テーマは「心に響いた言葉」)と、各学年の出し物。
日本語レベルはなかなかだと感じる一方、話す内容はやや画一的な印象を持った。
もっと自由な発想からテーマを捉えた発表があってもいいのではないかと。

当日の様子を紹介したHP
http://news.sjtu.edu.cn/info/1010/240721.htm

帰宅後、授業準備。


5月22日(木)
一日授業の日(90×4)
無錫から帰って来た辺りから、気管が苦しくて咳が止まらない。
この日の授業は話すことが大変で、脂汗を出しながらの授業となった。
最後の日本概況の時間、実際の新聞記事を材料に日本の各紙の論調がいかに違うのかを紹介。
学生達は結構食いついていて、多少は記憶に残る授業となった模様。
帰宅してから、研究書購読。


5月23日(金)
午前中のみ授業を終えてから帰宅。
午後は掃除洗濯などをし、研究書購読。


5月24日(土)
一日寮で仕事など。
4年の学生達の卒論に、日本語科各教員が自分の指導学生以外の学生の卒論に対して査読意見をつけるという作業。
この査読を経て、論文を最終修正したものを製本し、それを元に口頭試問が行われるというのが現在の大学のやり方。
今年、私は3本の論文を渡されたので、それらをそれぞれ読み込み、査読意見をつけていく。
他の先生方の感じは分からないが、私のチェックは多分厳しめの意見が多い方・・・だと思う。
研究に関することは、どうしてもややシビアな態度になってしまう。

夜は古北へ出て、上海や上海以外の地域から来た日本人教員達と飲み会。
帰宅して研究書購読。


5月25日(日)
午前から上海駅近くにある​お化け屋敷へ学生達と出かける(計7人)。
​学生達に誘われて行ったのは、上海浅水湾文化艺术中心で開催中の「怨灵居城——铃木病院」というお化け屋敷。
ちなみに10日間のみの開催なのだが、当日は行列になっていて入館するだけで約1時間待った。



その間、学生達は飽きることなく写真を撮ったり、嬉しそうに話し続けていた。
お化け屋敷を出て、近くの安徽料理店で遅めの昼食。
学生達との貴重な思い出が出来たことに感謝。



帰宅し、研究書購読。
夜は両親とスカイプ。


5月26日(月)
無錫から帰って来て以来、咳が一向にとまらない。
それだけでなく呼吸が苦しくなっていくのを変に感じ、中山病院へ。
毎回、中国の病院で思うのは日本では考えられないほど賑やかで、落ち着きがないということ。
病の重さは異なるとはいえ、病人の状態で行く立場としてはもう少し落ち着きがほしい。
もちろん、そんなふうに強く思うのは日本の病院を知っているからだろう。
診断は「気管支炎」で、こじらせると肺炎になるので注意とのこと。
もともと幼い時はぜんそくを持っていたので、中国の空気が相当こたえている模様。
薬をのみ、寮に戻って寝る。

夜から仕事(授業準備)。
軽い夕食をとりながら、中国映画“赤壁”(2009年、下)を観る。
内容自体はかなり脚色をしていて史実とはかなり異なるもの。
突っ込みをいれたい歴史オタクは御遠慮願いたいが、中国語学習にはいい。
中村獅童さんの中国語のセリフで思わず笑う。


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無錫へ出張(日本語スピーチコンテスト審査員として)

2014年05月19日 22時43分44秒 | 中国の大学、大学生
5月17、18日の二日間を利用して、無錫へ行ってきました!

目的は無錫市内で開催される日本語スピーチコンテストの審査員をするため。
上海日本人教員の勉強会で知り合ったO先生のお誘いにより、実現しました。

せっかく上海から行くなら、他にも誰か誘おうと考え、私の大学にいる数少ない日本人留学生2人、安徽省時代の元学生にも声をかけました。
できれば勤務校の日本語科学生にも希望者を募って帯同したかったのですが、学生の外出にうるさい大学の意向でキャンセル。
ということで、私を含めて計4人で無錫へ行ってきました。

17日は昼前にホテルにチェックインし、その足ですぐに太湖を観光。
夜は審査員を務める他の先生方などと合流し、一緒に夕食をとり、大いに飲みました。

18日は朝8時前には会場校入り

会場となった無錫商業職業技術学院


会場の舞台


午前は日本の高知県紹介(主催者が高知県出身)、日本の能楽紹介(S先生の説明・舞)、学生達の各公演でした。

S先生による公演(学生も途中、舞台に上がって実演)


無錫市内の学校から集まった学生達の反応は元気で、なかなかの盛り上がりをみせていました。

試合当日の司会者の方々


昼は学生達と一緒に学食で昼食。
一緒に昼食をとった学生達と色々な会話をしたり、関わりあうのを楽しみにしていましたが、日本語の聞き取り・発話にやや難が…。
途中から日本語と中国語の半々でコミュニケーションをとるようにして、何とか皆とコミュニケーションがとれるという状態でした。
聞くと「日本人教員が大学にはいません」とのことで、こうしたことも学生達の会話レベルと大きくかかわることを痛感しました。
同時に、日頃から日本人と関わる機会を多く持ってあげることの意義を再確認させられた思いでした。

食事後、一緒に遊んであげると、皆楽しそうに遊んでいました。
そして、帰りの高鉄に乗る時、一緒に食事をした学生達からはお礼のメッセージが届きました。
彼らのメッセージを見て「これて良かった」と感じた私です。

無錫の学生達と



午後は日本語スピーチコンテスト。
学生・社会人に分けたスピーチでは選手は皆、真剣に頑張っていて、審査する側としても楽しみながら過ごせました。
レベルはそれほど高いとはいえないものの、まだまだ選手たちは多方面で日本語能力に延びしろがあるという印象でした。
そのためには、やはり日本人教員・中国人教員が共に学生達を教えること、日本人との関わりをもっと増やすことが欠かせないと感じました。
そう考えると、休日を利用して無錫まで足を運んだ私を除いた4人の日本人方は大変貴重な役割をなさったんだなと思います。
何よりこのような機会を毎年準備し、かつ成功させていらっしゃる無錫のO先生は本当に素晴らしいと思わずにはいられませんでした。

O先生によれば「草の根から始めたスピーチコンテスト」がここまで大規模になったとのお話しでした。
試合を開催するための人集め、モノ集め、資金集め、宣伝などを一手に担い、無錫の日本語教育の発展に10年以上、ご家族と離れてお一人で尽力されている姿勢を拝見していて、「誰にでも出来るわけではない困難な、かつ相当意義深いお仕事をO先生はやってきたんだな」と感じさせて頂きました。

O先生がこれまで積み上げてきた中国、無錫での生活や生き方が凝縮されたスピーチコンテストを実際の目で味わえた私も幸せだと思います。
O先生、本当に貴重な機会にお誘い頂き、ありがとうございました。
そして、新しい中国人学生達との出会いが出来たことを感謝しています。

また、機会があればどこかで皆さんと会いしたいと願っています。


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5月5-12日のこと(上海での日誌として)

2014年05月12日 22時39分20秒 | とりあえず日記
久しぶりの更新。
今日は日記形式で。

5月5日(月)
一日、授業準備(4科目分)にほとんどの時間を費やす。
しかし、この日には十分に終わらず。


5月6日(火)
一日、授業準備(4科目分)にほとんどの時間を費やす。
何とかこの日、授業準備が終わる。
ここ数日、何だか気持が落ち着かない。


5月7日(水)
翌日の学会発表レジュメ作成、並びにパネル報告者の各報告内容に対する質問などを準備。
他、パネルでの共通の質疑応答についても、他の報告者と連絡を取り合いながら相談。
この日は研究書購読にも時間を割ける。


5月8日(木)
一日授業の日(90M×4)。
学会関係の活動と大学の授業が重なる時は、やや疲れ気味になる。
一日の授業を終え、帰宅するバスでは珍しく熟睡してしまった。
帰宅して、翌日の学会報告の確認を済ませ、研究書購読。


5月9日(金)
学会当日(東アジア文化交渉学会)。
午前に地下鉄を乗り継いで、復旦大学の会場へ。
昼、パネルメンバーと待ち合わせし、昼食・報告の打ち合わせ。
その後、少し空き時間を経て、報告。
無事に終わっただけでなく、今後の方向性が若干明確になった印象。
懇親会を復旦大学のホテルで。
近くのバーで二次会にも参加し、帰りはC老師に寮までタクシーで送って頂く。


5月10日(土)
この日は疲れが出たので、ゆっくり起床。
先日の学会で頂いた研究者達の名刺に書かれた連絡先にそれぞれ返事を出す。
うち、一人の研究者から来年3月、香港で開催される学会にも参加してみないかとお誘いを受ける。
やはり学会や懇親会での出会いが縁を広げていくのだと実感。
部屋の掃除、洗濯を済ませた後、部屋で中国語版「大地の子」を鑑賞。
研究書購読は全くせず無為に過ごす。


5月11日(日)
NHKのドキュメント数本(歴史もの)をネットで見る。
その後、締め切りの迫った指導学生達の卒業論文を四本読む。
仕事(インターンシップ)をしながらの学生の論文の出来は…。
一方、大学院進学を目指した学生達の論文はなかなかいい。
「ま、仕方ないか」と思いつつ、厳しめの意見を準備する(苦笑)
研究書購読も。

夜は母の日ということで、母とスカイプ。
中国でいつもお世話になっている主任H老師にも日頃の感謝のメールをお送りする。


5月12日(月)
午前は今週の授業準備に充てる。
随分暖かくなってきたが、夜は急に冷えるので温度調節が難しい。
午後は卒論の個別指導。
一人の学生につき30分づつ時間を割いて、指導。
30分もかからず終わる学生もいれば、卒論以外の研究指導で1時間近くかかるケースも。
なお卒業後、仕事をする学生の話では「今年の就職率は去年より悪い」とのこと。
初任給も一か月3500‐5000元が相場のようで、かつ、ここから税金が抜かれる。
住宅手当が皆無である中国では初任給のみで生活は相当難しい。
しかし現在は、「とにかく仕事があればいい方」という学生の意見。

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“二刀流”だからこそ得られるものもある

2014年05月03日 03時13分21秒 | 中国での外教職に関わること
私には現在、仕事が二つあると思っています。
一つは現在の中国の仕事(中国の日本人外教)、もう一つは、研究活動をして論文を書き、学会発表をする研究者としての仕事です。
この二つの仕事をしていて、これまで、そして今でも苦しなと感じることがあります。

それは一言で言えば、“脳ミソの切り替え”でした。

どの仕事にも、脳ミソのある部分はよく使うが、逆に使わない部分もあるのではないかと思います。
…と私は思っています。

外教としての仕事の場合と、研究をする時はまさにそうで、違う脳ミソを使う感覚があります。
二つの仕事でそれぞれどんな部分の脳を使っているか説明することは難しいのですが、相当違うというのが私の印象です。

外教の仕事をしている時、主人公は学生であり、その学生に自分が何ができるか、そして何をしてあげたいのかを考えるようになります。
また、一見すると「非合理的」と思われることもよくやります。
例えば、授業以外での学生との時間をとってよく関わるようにすること、また、ある時には一緒にバカになって遊ぶこともあります。
そこには、学生と自分との距離をより近づけ、日本語・日本に親しみを持ってもらえるような環境作りをしたいとの思いが根底にあるからです。
恐らく、日本の大学ですぐに歴史教員になっていたら、こうした発想は全くないまま教壇に立っていたと思っています。

公立教員をしていた父がよく、

「教育は世間的には無駄と思われる時間、面倒だと感じる仕事が多いが、それに対応していかないといい教育は出来ない。合理的なものではないから。」

と話していたことがありましたが、今、そのことが少し分かる気がします。
(と言うと、父からはまだまだと言われるでしょうが)


一方、研究者としての仕事をする場合、こうした仕事の在り方とは対照的な部分が多いように感じています。
研究対象に主観的に相対することは御法度ですから、客観的、そして論理的な姿勢・思考様式で取り込むことが何よりも求められます。
そして、研究対象と自分との世界に埋没するようになり、世間との距離感をとるのがともすれば難しくなることもあります。
主観を限りなく排し、なるべく対象と距離感をとりながら、事実に迫ろうと研究をしている時、外教の仕事をしている時に使った脳ミソはほぼ使いません。

だからこそ、その切り替えに時間がかかることが多く、その作業が結構苦しいのです。
将来的には、なるべくその切り替えを早めていくことと同時に、どちらでもやっていけるよう能力を高めることが不可欠だと思っています。
もし、どちらでもやっていける人間になれれば、将来、日本の大学で研究者としてポストを得た際にも大いに役立つと思っています。
そのため、毎日葛藤の連続ですが、この二刀流の生活を暫くは続けていこうと思っています。

つい最近も、この脳ミソ切り換えを経験しました。

実は上海で5月9日にある某学会にて発表するので、その準備だけに集中しようと数日前から思ってきました。
しかし、そんな時でも外教としてのオツトメ(授業以外での)はやってきました(笑)
学生達からのお誘いを受け、上海動物園へ行こうということになったのです。



ずっと背を向けて機嫌の悪いパンダ?


動物園から移動し、雲南料理の店で夕食。


学生達の嬉しそうな顔を見ていると「良かった」と思う反面、帰り道は「研究!!!」で頭は一杯でした。
中国に来てからの毎日は、この繰り返しです。


今の私にとっては、このどちらも大事です。
どちらも手は抜けませんし、こういう環境で生活させてもらえているからこそ、成長できるのだと信じています。

ただ、学会発表を前にした今、研究の方がウエイトは大きいので、もう少し本を読んでから寝るつもりです。
それでは今日はこの辺で。


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