中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

6月24-27日のこと(上海での日誌として)

2014年06月27日 16時56分48秒 | とりあえず日記
7月4日(金)午前、浦東発成田着の航空券を買いました。
次に中国へ戻るのは、8月下旬の予定です。

さて今回も日記形式で更新。

6月24日(火)
午前は自宅で大学の学期末試験関係の仕事。
昼から淮海中路の旧フランス租界にあるレストランで日本人の知人達と会う。
上海を離れる私のために送別会を開いてくれた。
皆さん、ありがとうございました。

品川(桃江路店) という四川料理のレストラン。
http://www.dianping.com/shop/500990

3時間ほど楽しい時間を過ごし、その後はレストラン近くの上海図書館に移動し、閉館まで。


6月25日(水)
日本代表の試合を中国時間朝4時から観戦。
結果は一次予選敗退…、コロンビアに完敗。
午前中は少し仮眠をとってから仕事の続き。

午後、大学の日本語科事務室で学生H君と会って某企画の打ち合わせ。
同じ事務室にいたY老師から後任の日本人教員の採用が決まったと聞く。
ほっと一安心すると同時に、後任者の連絡先を聞き、上海の教師会などを伝えることに。
なお、私の契約手続きは少し遅れている関係で、ビザの申請方法を変更した。
当初は中国で全て手続きをする予定が、日本へ自分でやることに。
その方が早くて時間も無駄にしないし、費用も決して高くない。


6月26日(木)
この日、ダラダラと進めていた試験の採点、入力が全て終了。
今年年明けに中国の学会誌に投稿した論文が掲載されるとの連絡が入る。
少し修正の必要があるようだが、中国の学会誌に自分の論文が載るのは初めて。
その後、研究書購読などをして過ごす。

夕方から地下鉄に乗って外坏路へ。
この日、上海の知人の研究者達、その学生達が私の送別会を開いてくれた。
なお、その学生の一人は安徽省時代の元学生というつながりも。
広い中国で不思議な縁だと思う。

绩溪山里人家饭庄 という安徽料理のレストラン
http://map.baidu.com/detail?qt=ninf&uid=d24e48ebff8056adafee7a23&wd=%E5%B1%B1%E9%87%8C%E4%BA%BA%E5%AE%B6%20%E4%B8%8A%E6%B5%B7&b=(13510605.2,3626247;13518725.2,3630495)&from=map&query=%E5%B1%B1%E9%87%8C%E4%BA%BA%E5%AE%B6%20%E4%B8%8A%E6%B5%B7&qid=7855693610956482142&page_num=0&detail=cater

久々にビールだけでなく、白酒を大量に飲む。
楽しい時間であっという間にすぎた。
谢谢大家!


6月27日(金)
試験の解答用紙、学生の平常点、成績分析表、成績登録表など多くの書類を大学に提出。
昨日はネットで成績を入力したが、紙媒体でこれら全てを所定様式で提出することで、晴れて学期末の「苦行」は終わる。
その後、上海でもらう最後の給与を外事オフィスで受けとる。

今週末は荷物整理、それらを山東の赴任先へ送るため学生に「援軍」を頼む。
今夜は別の送別会(?)でこれから市内へ。
飲みすぎないように気をつけたい。


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6月19-22日のこと(上海での日誌として)

2014年06月23日 01時47分57秒 | とりあえず日記
最近のことを日記形式で更新。


6月19日(木)
一日、試験監督。
「授業をするよりも楽」と思われがちだが、何もせずに待っているだけというのも結構つらい。
9時55分から夕方5時まで監督のみ。

この日、今学期私の最後の授業という学生達からプレゼントをいただく(手紙、メッセージカード)。
同じく、20日も学生達からプレゼント(メッセージ、写真の入ったアルバムなど)を色々いただく。
上海では素晴らしい学生達に対して授業を出来ていた、と改めて気づかされる。
これらは後日のブログでまとめて紹介する予定。


6月20日(金)
午前だけ試験監督。
試験を終え、自分の研究室の荷物を全てまとめて後にする。
3年間お世話になった研究室はガランとし、どこか空疎に。
日本語コーナー、面談、事務作業など本当にお世話になった場所、ありがとうございました。

荷物を抱えてスクールバスに乗り、帰宅。
午後、留学予定の四年学生から推薦書を依頼され、そのため事務室で打ち合わせ。
日本の某有名私立大学院の研究計画書の審査が通り、次は本試験の出願で必要という。
最初からずっと指導してきた立場としては、まずは良かったと思う。
ここでやっかいなのは「保証人」の問題。
他にも大勢の学生を面倒みてきた私が、全て彼らのそれを担うのはやはり問題…。
ということで、毎回、この件だけは身内を通じて探してもらうようにしている。


6月21日(土)
午前、洗濯や掃除などをして、部屋で研究書購読。
このところは入江昭氏の著作(『二十世紀の戦争と平和』、『日本の外交』)を意識的に読んでいる。

今学期集めてきた「日本事情」調査のアンケートも収集がほぼ完了。
これからこれらを整理、分析して、夏休みには日本でそれらの結果を受けて、会合を開く予定。



約1000枚の用紙が中国各地から集まった。
御協力頂いた先生方、本当にありがとうございました。


夕方は上海の七宝へ出て、安徽省時代の教え子で上海で働いている子たちと「风波庄」にて食事。
上海を離れる私に、「上海を離れる前に一度食事をしましょう」と元学生Gさんが声をかけてくれたのがきっかけ。
そこには上海外大の外教I先生、南通で外教をしているM先生も一緒に参加してくれた。
計6人で一緒に安徽料理を食べながら黄酒、ビールを飲み、語り合う。



名物料理の大力丸


私のお気に入りは、口水鱼


皆さん、またどこかで会いましょう。
そして、日本にもいつか来て下さい。
是非!


6月22日(日)
この日は何もする気がおきず虚脱状態。
興味のあった映画やドラマを見て無為に過ごす。
ま、こんな日があってもいい。

来週以降、暫く上海で私の各送別会が続く。
こんな私のために送別会を開いてくれる人達には感謝しないといけない。


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思い出ぽろぽろ(学生との集合写真)

2014年06月18日 19時54分11秒 | 中国の大学、大学生
上海を去るので、最後の授業の時、学生達と一緒に写真(合影)を撮ってみました。
上海で私が担当した大学生達の様子が少しでも皆様に伝えられれば嬉しいです。


一年生一班
真面目さんが多く、勉強家の学生も多い班でした。



一年生二班
一班とは対照的に、活発で遊ぶ時にはいつも以上のエネルギーが発散される班でした。



続いて、二年生一班
私が担当した中でも結束力が一番強く、仲が良い班でした。



撮影したつもりでしたが、なぜか写真が見当たらないので二年生二班と一班の学生が収まった写真を紹介。
二年二班は個性派が集まっており、活発で授業は大変楽しくできました。
二班は改めて後で撮影予定(出来るかな…)。



そして、三年生一班、二班の合同写真
比較的おとなしい子が多い学年でしたが、大変性格のよい学生が多い学年でした。



なお、四年生達は卒業前で既に授業はなく、仕事で上海にいない学生もいることなどから撮影は叶わず。
四年生は日本語のレベルがこれまで担当した学生の中でもピカイチで、優秀な学年でした。
しかし、5月の卒業写真を撮影する際には皆さんで一緒に写真を何枚も撮ることができました。
そちらの様子は私の微信(ウェイシンID:yoshiitem1008)に載っています。


明日、明後日で学期末試験も全て終了。
採点、成績登録を週明けに済ませれば、上海の大学業務は全て終わります。
本当に色々な思い出が詰まった上海生活でしたが、既にエンドロールが聞こえています。
ここまでよく来たなと思うと同時に、あっという間の上海生活にも感じます。

とにかく今は上海の学生と先生方に谢谢大家、そして自分にお疲れ様と言いたいです。


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上海における大学教員の研究環境・状況

2014年06月17日 01時07分49秒 | 中国の大学、大学生
先週で今学期の授業全てが終わり、今週は学期末試験が始まります。
よって、私の今学期の仕事は試験監督・試験採点・成績登録などで終わるので、現在は時間的余裕が出ています。
だから(?)、今日は久々にブログを更新することにしました。

今回は中国の大都市、特に私が暮らす上海の大学教員の研究環境・状況について、主に日本の大学教員との比較から紹介したいと思います。
上海には大都市ということもあり、中国でも「名門」とされる大学が集中しています。
よって、それらの大学に就職した大学教員達の学歴はいずれも華やかなものが多いのが特徴です。
日本でも名門大学の教員は得てして学歴が高いのは同じですが、同時に「研究業績」(量・質)が同時に求められます。

もちろん、中国の大学での採用の際、「研究業績」は求められるのですが、その要求は日本よりも低いというのが私の認識です。
例えば、

・どの学術雑誌に掲載された論文か、或いはその質の判定を重視せずに、単純に論文数を重視する傾向が強いのが中国であること
・教員公募の際、学歴(出身大学・取得学位・留学経験など)が、公募者の研究業績(特に、質)よりも比較的重視されやすいこと


これらを知り合いの中国人研究者達から耳にします。
相手の「研究業績」を日本ほどきちんと見て採用を検討しない背景には理由があります。
それらは、

・中国では○○学会と呼ばれる多くの組織が日本のような純粋な学術団体でないケースがあったり、学会運営の在り方が「雑」、或いは定期的に例会・年会を開いているとは限らないこと。
・査読の厳しい学術雑誌と呼べるものの数は日本と比べて相対的に少ない傾向にあるため、論文の質が必ずしも担保されていないこと。


などで、要は、中国国内の多くの学会というものに対して、中国国内の中でもそれほど信頼や評価が高いとは言えない傾向にあるのが実態なのです。
だからこそ、中国の大学で教員の公募を行う際、応募者の研究業績の質そのものを判定することが難しいので、まずは論文数など量を求めるというわけです。


なお、国・民間などの研究助成額が日本と比較した場合、圧倒的に低いことは、大学教員として採用後、各教員の研究成果を生み出しにくくしている要因となっていると私は思います。
加えて、中国国内では日本と違い大学教員の給与は決して高いと呼べる水準にはなく、中国国内の平均、平均を少し超える程度の額が一般的といえます。

よって、中国の「名門大学」と呼ばれる学校に教員が採用された後、「研究業績」を生み出すことに関心が低くなるケースも少なくありません。

そして、自身の「研究業績」よりもむしろ、本業以外に「アルバイト」や「副業」をして高額な収入を得ることに熱心な教員が多いのが、上海の大学教員の特徴の一つです。
教員自身が会社経営、翻訳、通訳などをしながら週二回程度の大学授業日以外に、大学で得る給与よりも多くの収入を得る教員は稀ではありません。
この場合、各教員にとって重要なのは「○○大学の教授」などという肩書であり、それを使って「副業」機会を増やすということになります。

恐らく、私が知っている上海各大学の教員で、大学の仕事以外に何もしていないという教員は皆無に近いのではないかと思います。


このように、皆大学の仕事はあまり忙しくないものの、余った時間を研究活動に費やすよりも「銭を稼ぐ」ことに力を注ぐ大学教員がよく見られるのが上海の一つの傾向です。
もちろん、研究に熱心な教員の方々はいますし、日本よりも水準の高い質の論文や本を出されている先生方にお会いしたことはあります。
しかし、そうした先生方は研究が進めやすいような労働環境(時間的・経済的)におかれている場合が多い、という点には留意すべきでしょう。


大学教員は、教育・研究・学内行政の三つが主な仕事であると私は思います。
上海の場合、教育と学内行政はきちんと行われていますが、研究に対する関心・出される成果の質がやや低いというのが私の印象です。
そうなる背景は、既に説明した通りです。

今回御紹介したケースはあくまでも上海に限ったケースですが、他の大都市でも似たようなケースが認められると聞きます。
内陸部の大学になるとこれとは違い、「アルバイト」や「副業」の頻度・その収入額はそれほどではないようです。
一方、日本の大学教員の場合、多少本業以外の「副業」をしている教員はいるにせよ、本業の収入を上回る額の「副業」をしているケースはほぼ聞きません。
それは、日本の大学教員はそうした「副業」をせずとも、自身の給与と研究助成で十分研究を行っていくことが出来る環境にあるからだと言えます。
加えて、各学会組織が比較的きちんと運営されており、学術誌の査読制度も保証されているため、研究業績の質も担保される環境にあるわけです。
このように、日本では多くの研究成果が生み出されるような基盤が確立されていると言えますし、実際、中国国内でも日本の学界への評価は高いです。


以上のように考えた時、今後、中国上海の大学における研究の質を高めていくには、

①労働環境の改善(特に教員給与、研究助成額・機会の増加)
②研究成果の質を担保する学会運営の在り方の模索


この二つが何より重要であると考えます。
将来、中国の大学が研究の分野でどのような方向へ歩んでいくか、この点には今後も注目し続けていきたいと思っています。


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異動のお知らせ

2014年06月06日 22時58分13秒 | 中国での外教職に関わること
今日は私事ですが、自身の異動のお知らせをさせて頂きます。

2011年8月以来、上海の華東理工大学で勤務して参りましたが、今年7月末を持って新たな赴任地へ赴くこととなりました。
次の赴任先は中国山東省の省都、済南市にある済南大学で、同時に同じ済南市の山東師範大学でも教鞭をとらせて頂くことになっています。
着任は今年9月に始まる新学期からで、現在は済南大学・山東師範大学との契約・担当授業などの交渉を進めている段階です。

なお、これまで中国の大学での私の仕事は、日本人の外国籍教員として大学生のみに授業を行う立場でした。
(大学院生への授業も担当経験があるが、第二専門で日本語を学ぶ院生達だったためレベルは学部生と同じ)

しかし、次の職場では日本語・日本歴史や文化などを専門とする大学院生達を対象にゼミ形式の授業も担当することになります。
また、私自身の専門に近いテーマを研究する大学院生の指導教員という立場で、研究指導もさせてもらえることになっています。
(現在の話では、まず副指導教官として指導をはじめさせてもらう予定)


ちなみに私の場合、将来もずっと中国で外国籍教員(日本語教育そのものに関わる教員)として勤めていく考えはありません。
専門である日本近現代史、近現代日中関係史に関する日本での研究職のポストを得た後に帰国する、これが今も変わらぬ方針です。
やはり研究に関する仕事をしている時が一番の充実感、喜びがあり、私自身にとって一番向いている仕事だと思うからです。
そのゴールに近づこうと考えた時、現在の上海の職場では足りないものが多いと考えるに至りました。

もちろん、当初は研究環境のよい上海市内の他の大学への異動も考えましたし、実際にそうしたお話は幾つかありました。
ですが、上海・北京などでは外国籍教員が大学院授業を担当し、かつ指導教官もできる大学が皆無の状態でした。
むしろ、これらの地域ではレベルの高い大学ほど外国籍教員は学部生授業のみを担当するケースが多いことも、後で知りました。
何より、将来的に語学教員の道を離れる私が、よりレベルの高い語学授業を求められる大学へ着任する意義も見出せませんでした。

それならば、もっと研究職に近い仕事・キャリアを積める大学へ行きたいと考えていた矢先、済南との縁を頂いたというわけです。
上海を離れる時期を決める基準になったのが、上海に来てから進めていた千葉大との全学協定の締結を終えてから、ということでした。
2012年3月の交渉開始から2014年3月の協定締結まで約二年かかりましたが、現在は留学生派遣が可能になり、今年10月から学生が日本へ行きます。
有難いことにそれまで異動のお誘いを数校から頂いたのですが、それらは全てお断りし、千葉大との協定締結を終えた後、異動交渉を始めました。


もっと早く異動するという手もあったのでしょうが、現在の大学に博論執筆時に大変お世話になったせめてものお礼、また、日中双方の学生が関われるような機会をつくることに少しでも貢献できた後に、今回の異動を選択したことは間違っていなかったと思っています。

ともかく、7月末をもって私の上海での教員生活は終わります。
思うことはもちろん色々とありますが、精一杯の力で上海の残りの教員生活を過ごしたいと思います。
それが、次のステージに向かって力強く進むためのエネルギーになることを信じて。


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