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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

上海市档案館のコピー規則の変更(2013年9月?以降)

2013年09月27日 22時35分52秒 | Mの研究活動や成果
今夜は18-20時半まで日本語を第二専攻とする大学生達を対象とした卒業論文の書き方をレクチャーする授業がありました。
そして明日から10月7日までは、中国の国慶節休暇(建国記念日の連休)に入ります。
この間は特に遊びに出かけたりする予定はなく、10月19、20日の学会発表準備を行う予定です。

その発表準備のため、今週は授業のない日を利用して上海档案館で資料を集めに行きました。
下の写真は現在(2013年9月)、上海市档案館で開催されている歴史展示の案内ポスター。
「外国人記者の目から見た“中国共産党人”」という展示を私も見てきました。
「中国共産党員」ではなく、「中国共産党人」という言葉を使い、国内の人々ではなく外国人記者が自分達を「客観的」にどうみたかを展示するところに、この展示の目的がよく表れているという印象を持ちました。


档案館にて目当ての資料を閲覧し、必要部分をコピー申請しようとすると新たな規則に変更されていることに気づきました。
変更された点は以下の通り。

・コピー申請は一日に一人50枚まで(※パソコンなどで手入力する場合は例外)
・各档案はその三分の一までが、当日コピー申請が可能
・その際、コピー費用は無料

このため遠方から資料収集に来た研究者などにとっては、長期滞在でもしない限りは効率的な档案収集が難しくなったといえそうです。
手入力ならば制限はかかりませんが、当然のことながら時間が膨大にかかるので効率は良くありません。
逆に上海在住の研究者の場合は何度でも通えますし、コピーのための「人材」を連れていけば一気に档案収集が可能です。
(あくまでも、「一人で一日50枚」なので…)
一気にコピーしても無料なので、中国(特に上海)在住の研究者にとっては档案収集が随分しやすくなったともいえるかもしれません。

なお、北京市档案館などでもこのケースは同様で、北京市档案館では一日にコピー申請が20枚までとなったそうです。
7月に上海市・北京市档案館を訪れた時、この規則はまだ施行前だったので、恐らく8月、9月以降に開始された模様です。
地方の档案館が全てこのような規則に変更されたのかはまだ確認していないので、次回また情報が入れば御紹介します。


明日明後日と授業準備をした後は、基本的に档案館か自宅での報告準備、論文執筆に没頭します。
中国に戻って以来、久々の研究に専念できる時期が始まりました。

9.18の上海の様子(去年と2013年の比較)

2013年09月21日 22時49分46秒 | 現代の中国社会
9月19-21日(本日)までは、中国では中秋節休暇でした。
大学でも授業はなく、明日(日曜)から振替え授業が開始されます。
この休暇期間は結果的に毎日、学生・教員と食事会が入りました。

その写真を幾つか紹介。
まずは19日は上海体育館近くのレストラン「小南国」にてH先生・卒業生達と食事。


写真を見ると、何か“家族”のようです。


20日は昨年度の卒業生、本日は大世界で安徽省時代の学生と現在の教え子達などと一緒に食事をしてきました。
安徽省時代の教え子達とも今でも変わらない交流が続いていて、会う度に成長した姿を見せてくれます。
こうした教え子達と会うと不思議と元気をもらい、この仕事をやってきて良かったと心から思えます。


さて、今回は先日の「9.18」の様子を書いておこうと思います。
御存知の通り1931年9月18日は、中国瀋陽(旧奉天)にて柳条湖事件が起こった日です。
この事件が満州事変の発端となったため、中国では現在でもこの日を忘れていません。

よって、この日は中国では国内の「反日ナショナリズム」が高まるとされ、様々な場面で警戒が求められます。
去年は領土をめぐる日中政府間の対立時期と、この日が重なったため、相当警戒度が高まりました。
その様子についてはこのブログでも書いたことがあります。

去年、「9.18」の様子を書いた私のブログ記事。
http://blog.goo.ne.jp/mimutatsu1008/e/f4d1ee923fe9d8a569b85d7216da4b4f

しかし、今年の「9.18」の様子は去年と相当違い、中国在住の日本人・中国政府・警察側の警戒度はかなり低かったのではないかと思います。
去年は大学側から「9.18」の前日に連絡があり、「明日は気を付けるように」と言われてましたが、今年は何も連絡はありませんでした。
大学構内や授業の時の様子は去年と同じく、今年もいつもと変わらず普通でした。
ただ今年、在中国の日本人側は少々心配を抱えている人もいたようで、知人の日本人は「9.18は外出を控える」と話していました。
聞くと、これは去年の「物騒な雰囲気」を経験したことがそう思わせたとのことでした。
それだけ中国で暮らす日本人にとって、去年の経験は強い衝撃を与えたのだと思います。

ただ、そうした心配は杞憂に終わったというべきでしょう。

なお、今回の食事会で聞いた話ですが、去年は中止された日本語スピーチコンテストも続々と開催されているようです。
日中をつなぐこうした“パイプ”が様々な場所でどんどん構築され、より太いものとなっていくことが本当に不可欠だと思います。
ここでいう“パイプ”とは、一重に友好交流だけでなく、経済・貿易、学術・技術など多岐にわたる交流のパイプラインを意味します。
そうした基盤があればこそ、双方の理解・受容の進行が可能となり、仮に双方の関係が悪化しても双方の関係保持が可能になると考えるからです。

まだまだ双方の国家間の抜本的改善の兆しは見えてきませんが、その環境の中で日中をつなぐパイプが着実に構築されていくことを願います。
そして、そうしたお手伝いを私も中国での仕事・研究活動を通して、微力ながら進めて行きたいと思います。

9月12-15日のこと(上海での日誌として)

2013年09月15日 22時11分35秒 | とりあえず日記
今回はとりあえず、日誌だけつけておこうと思います。

9月12日(木)
朝散歩の後、午前は自分の趣味でNHKのドキュメント放送を何本か見る。
特に印象に残ったのは、緒方貞子氏を取材したドキュメント放送。

NHKスペシャル「緒方貞子 戦争が終わらない この世界で」
http://v.youku.com/v_show/id_XNTk4NTI0NjAw.html

午後は、来週の授業準備、大学以外の仕事も。
夕方に洗濯、掃除などをし、近所の韓国料理で夕食。


9月13日(金)
朝散歩の後、夕方からの第二専攻の授業準備。
昼以降、少し疲れたので仮眠。

18時の授業にそろそろ出ようとしていた17時20分頃、大学の外事オフィスから電話。
何でも「今すぐに事務室に来てほしい」と言うので、事務室へ行くと、
「明日、ここへ行ってビザ申請に必要な健康診断をしてほしい」という。
実は今年から外事オフィスの担当者が若い女性に代わり、その担当者がお世辞にも仕事が出来るとは言えない(苦笑)
そもそも、中国滞在5年目の私が就労ビザの更新するのに健康診断書が必要なはずがない。
しかし、担当者の誤まりでビザの更新期限が過ぎ、再度新規で更新しないといけなくなってしまった模様。
そのために貴重な休日を使い、健康診断などをしにいかないといけないとは困ったものである。

とはいえ、こうした仕事をしてくれる担当者が大学にいるというだけで本来感謝すべきなのだろう。

夕方は第二専攻の授業。
今回は卒業論文の書き方、資料収集などを話したが、皆なかなか積極的で印象がいい。
授業後も30分ほど質問が続き、勉学熱心な学生達に感心した。
お蔭で授業前のモヤモヤどこかへ消える。

夜は出前をとり、部屋で一杯やって就寝。


9月14日(土)
早朝に起きて来週の授業準備。
その後、9時前には虹橋空港近くにある大学が指定した保健センター(上海国際旅行衛生保健中心)へ到着。
ビザの為に必要な健康診断書を求めて他の外国人も沢山来ていた。
例外なくといっていいだろうが、外国人向けの病院はどこも清潔で感じが良い。
今回もそうだったが、特にそうした違いが中国ではトイレの快適さ・清潔な度合いに表れていると思う。
そこで11時頃まで検査を受け、その後は市内へ出て昼食。

その後、徐家汇の港汇广场の地下一階で腕時計の電池を交換(120元)。
そして寮へ戻り、暫し休憩。
秋から日本へ留学する学生達からメールが入り、「今月25日までにどこかで食事をしましょう」とのこと。
そこで初めて25日まで予定が何もない日が20日だけだったことに気づく。
色々と毎日用事(仕事・私的なもの、研究関係)があって充実しているといえるかもしれない。

夜は来週の授業準備、中国語。
2時頃就寝。


9月15日(日)
朝起きて洗濯、掃除。
朝ご飯を買いに大学構内のパン屋へ行くと、新商品のワッフル(华夫饼)が出ていた。


バターが効いていて香ばしいワッフルをコーヒー・ヨーグルトと一緒に食す。


午後は明日以降の授業準備、大学以外の仕事も。
夜は家族とスカイプ、受入れたアメリカ人だけでなく、スウェーデン人の留学生もなかなかの好青年のよう。
それを聞いて妙に安心する。
かかさずに一時間前後の散歩も。

今日は中国の第29回教師節

2013年09月10日 22時39分20秒 | 中国の大学、大学生
中国では本日が教師節、いわゆる教師へ日頃の感謝を伝えたり、日頃の苦労を労う日でした。
中国に来て以来、既にこの教師節を5回迎えることとなりました。
毎年色々な学生にメールや電話、時々プレゼントや手紙を頂くこともあります。

今朝は朝から携帯に何度もメールが入りました。
有難いことにメールは朝から昼、そして夕方まで入り続けました。
メールを送ってくれたのは、現在の上海の大学の在校生・卒業生が中心でした。
日本語科ではないものの、第二専攻で日本語を学ぶ学生からも連絡・プレゼントをもらいました。

こちらは第二専攻で日本語を学ぶ学生さんから頂いたプレゼント(キーホルダー)と手紙


また、こちらは二年生達全員でお金を出し合ってプレゼントしてくれた万年筆。


そして、それに添えられていた宝物(手紙)


最後に下の写真は大学側が配布した教師節を祝うポスター


さらに、以前勤めていた安徽省の大学の教え子達も連絡をくれました。
安徽省を離れて二年経ちましたが、今でも変わらずに連絡をくれます。

多くの学生から連絡をもらうことで、中国で本当に多くの中国人大学生と関わってきたのだと実感しました。
私のような半人前の教員にもきちんと感謝し、労を労うことのできる多くの学生と出会えたことは本当に幸せです。
人と人との出会い、そして、そこで生まれる絆は得ようとして簡単に得られるものではないはずですから。
偶然か必然か、私は中国で出会った人々との縁に本当に恵まれているのだと思わざるをえません。

やや情緒的なことを書きましたが、本当にここ中国で出会った人との縁はずっと大切にしていきたいと思っています。

9月6-8日のこと(上海での日誌として)

2013年09月09日 12時00分51秒 | とりあえず日記
2020年、東京での五輪開催決定。
20年の五輪の際、果たして私は日本へ戻って五輪観戦が出来ているのでしょうか。

さて、新学期の授業が始まり少しづつ忙しくなってきているので、今回は日誌のみ。

9月6日(金)

午前、散歩をして翌週の一部の授業準備。
10時半~15時頃まで両親の知人の方々と市内で会う。
食事をとりながら、色々と上海での生活の工夫を教えて頂く。
その後、上海図書館で夜6時過ぎまで仕事の続き。
夜は、市内の日本料理店で食事。
帰宅後は中国語を少し。


9月7日(土)

午前、翌週の一部の授業準備。
この日は筋肉痛で散歩が出来ず…
昼から上海市の日本人教員の勉強会へ。
二人の発表を聞き、その後数人の教員で喫茶店へ。
そこで二時間弱、仕事の情報交換など。
帰宅して大学以外の仕事をし、2時頃就寝。


9月8日(日)

まだ筋肉痛…。
朝から大学以外の仕事の続きをし、午前までに終える。
昼はKFCで出前をとり、久々にKFCチキンを食べる。
午後は日本留学を目指す学生の手伝いを少々。
その後は、翌日の授業準備など。
夕食を学食ですました後、自宅からスカイプ。
何でも今年から受入を開始した留学生の一人が来たとのこと。
せっかくなので中国系アメリカ人のW君と中国語で会話。
ワシントン大学の学生で、9月から早稲田大に留学して勉強するという。
英語・中国語はネイティブ、日本語も恐らくこれからそうなるはず。

こうした人材に負けぬよう、自分自身ももっと頑張らないといけない。

中国における日本語需要の変化?

2013年09月05日 23時31分19秒 | 現代の中国社会
今学期の授業は火・水のみ。
ということで今週の授業は昨日終わり、本日は自宅で仕事などをしていました。
「今学期は授業数が少なく、研究にも集中できる」などと思っていたら、そうはいきませんでした。

学科の主任から電話がきて、「第二専攻の授業も少しやってほしい」と依頼を受けることにしました。
そんなわけで来週から約一か月間、週一回ペースで日本語を第二専攻とする大学四年生対象に卒論の書き方を教えることに。


さて、今日の話題は先日(水)あった授業で感じた“ある変化”について書いておこうと思います。
その変化とはずばり、

「二・三年の日本語科の学生の中から、他学科へ転籍する学生が複数出てきた」

というものです。
中国の大学は日本と違い、新学期は9月から始まります。
つまり、昨日は新学期第一週の授業と同時に、今年度第一回めの授業でもありました。
ちなみに、昨日の授業は大学二年、三年生が対象の授業でした。

授業の最初に出席している学生の顔を確認すると、いるはずの学生(3人)が欠席しているのです。
その理由を他の学生に聞いて、初めてその学生達が日本語科から他学科へ転籍したことを知りました。
具体的に転籍理由は学生本人に聞かなければ本当のところは分かりません。
ですが、これだけ一気に転籍するという事態は、5年目を迎える中国の大学生活で初めてのことでした。

特に二年生の一つの班で班長を務め、学ぶ姿勢も積極的だった女子学生の転籍には正直驚かされました。
他に転籍をした学生達も日本語を学ぶことには熱心で、期待している学生ばかりでした。
彼女が抜けてしまった班の班員の雰囲気もどことなく静かで、寂しそうにさえ見えました。

「一体、何が起こっているのだろう。」

と授業前にも関わらず、決して軽くはない動揺を感じたのは確かです。
ですが、それを一時忘れて授業に集中するように努め、何とか午前の授業が終わりました。


昼食の間、頭は転籍していった学生のことで占領されていました。
そんなこんなで昼食が終わり、午後の授業へ向かうと教室には転籍していったはずの学生達も来ていました。
「どうしてこっちの授業に来ているの?」と聞くと、

「今は所属学科の授業がないので、M先生の授業を聞きにきました。」

と、笑顔と一緒に返事が返ってきました。
その瞬間、私の気持ちに大きな変化が起こったのは言うまでもありません。
授業にもいつも以上に熱が入り、それまでのモヤモヤはどこかへ飛びました。
授業後、転籍した学生一人に、

「時間があるなら、いつでも授業を聞きにおいで。歓迎するよ!」

と伝えると、嬉しそうに大きくうなづき「先生、さようなら!」と言って帰って行きました。


これらの学生達は決して日本語・日本を学ぶことが嫌になり、転籍の方向を選択したのではない、とこの時にはっきりと確信できました。
むしろ、自分一人で選択したというより、家族・周囲の多くの人々の意見で、転籍の方向性を余儀なくされたのではないかと思われます。
つまり、このようなことが背景にはあるのだろうと私は考えます。
まず、昨今の先行きが不透明な日中関係、そして東アジア・世界での日本の影響力の低下などが、今回の事態の根幹にあったのではないか。
そして、中国の大学でも卒業後に仕事がない人々が増えているという昨今の事態と、先に挙げた日中関係の悪化・日本の停滞などの事態が重なりあって、このような事態が促進されたのではないか。

中国の大学では、アジア圏の言語の中で必ず専門学科が設置されているのは日本語学科で、他の言語はほぼありません。
それだけ中国の中で日本語を学ぶということは重要なことだと、これまでは認識されてきたといえます。
ただ、今回のような事態に直面した時、現在はそうした状況が徐々に変化してきていることは間違いなさそうです。

恐らく、こうした流れはこのままでは将来どんどん加速していくはずです。
特に、入学希望者の減少は少し前から問題視されてきていると安徽省の大学にいた際に耳にしたことがあります。

もちろん、中国と日本に関わる仕事をする立場の一人として、この事態が少しでも改善されていくことが一番の希望です。
しかし、私一人ではこの事態に向かい合い、それを改善するなどということは無理な話です。
だからこそ、今私が中国で出来る仕事を精一杯真剣にやっていくしかないのだと思います。
授業で、交流で、そして、私自身が中国で生活する態度で。

それを忘れず、真剣に中国生活を送っていきたいと思う日となりました。

今学期の外国籍教員としての仕事・研究など

2013年09月01日 01時32分23秒 | 中国での外教職に関わること
9月2日(月)から中国で勤務している大学では新学期が開始。
それにあわせ、8月26日の週から大学教職員の仕事は始まっています。

私は今学期の授業が4科目、授業の曜日は火・水曜に集中しました。

実際に教える科目は、
1、卒業論文(4年生が対象)
2、日語作文(3年生が対象)
3、日本文化論(2年生が対象)
4、日本語会話(2年生が対象)

この他、四年の学生が卒論題目を決めた後、教員が自身の専門と関わりのある学生を選び、卒論ゼミを実施します。
(学生が卒論指導教員を選択するのではなく、教員が学生を選ぶのが中国の大学では一般的)
大体、一人の教員が3‐5人の学生の卒論を指導するのが例年の傾向です。

授業科目はともかく、これだけ授業数が少ない学期は中国に来て初めてです。
ですから、授業以外は授業準備、学生交流、自分の研究活動に有効に充てるつもりです。

なお、中国語の会話がまだまだ弱いので、練習のため週一で中国人大学院生に会話レッスンをお願いしました。
これは早速今週から始めていますが、大学院生は日本語は全くと言っていいほど話せません。
日本語科の学生とこれをやると日本語を使ってしまうので、敢えてこういう形式にしました。

また、10月には山東省済南にある大学で開催される国際シンポジウムにお誘い頂き、報告させてもらうことになりました。
私は山東省へ行くこと自体が初めてなので、どんな地域・大学、そしてどんな食べ物があるのか今から非常に楽しみです。
報告題目・報告要旨をまだ送っていませんが、第二次大戦以降の日中間の民間外交に関わる内容を報告予定です。
日中関係が難しい時期だからこそ、民間外交の日中関係史に関して報告することに意味があると信じます。

なお、日本での学会報告の予定は現時点ではないので、今学期は中国での資料調査を進めようと考えています。
中国にいる間に、上海・北京・他の地域の档案館を巡り、档案を可能な限り収集しておきたいものです。


…あ、一つ書き忘れていました。
本日、中国のアマゾンで体重計を購入しました(苦笑)
上海に来てからどうも体重が増え気味なので、それを自律的に管理するためです。
そのための運動も毎日継続してやれているので、頑張って続けたいものです。

「頑張れ!」…、と20数年前の私が言ったとか言わないとか。