中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

食日記第二弾

2012年06月29日 22時07分30秒 | 食日記(中国)
今日の昼、学生達の試験の成績を出すため、大学の事務室へ行きました。
無事にそれを終えて、今学期の大学の仕事は全て終了しました!

今学期を一言でいえば、

とにかく長く感じた。。。

これに尽きるでしょう。

理由はやるべき課題が多く、面倒なことが重なったことにあると思います。
そんな時期を抜けられたことに安堵すると同時に、今は夏休みの課題に焦点を当てているMです。


気分を上手に切り替えて仕事から研究に没頭する為、今日は浴室とトイレ、それにシンクを掃除しました。
専用の汚れ落としを購入し、今日は午後から汗をタラタラ流しながら二時間程掃除をしました。
水垢を綺麗に落として、浴室やトイレがピカピカになっていくのは気持ちよかったです。
また定期的にやっていこうと思っています。


さてそんな掃除の前、今日は近所にある朝ごはんなどの軽めの食事を提供する食堂へ行きました。
この店は以前、上海出身のある女子学生に教えてもらったところでした。

              

店の中はこんな雰囲気



そこで、私の好きな上海湯包を注文!
ドリンクもつけて、21元でした。
皮は熱くもっちりで、食べると中から肉汁が出ます。
肉の味がきちんとあって、小さいながらも食べごたえがありました。

             7

掃除後は大学構内で会った学生を連れて、これまた大学近所にある小食堂へ行きました。
この店はこの近辺ではかなり人気の食堂で、店は常に人でいっぱいです。
値段もリーズナブルで美味しい料理が豊富にあります。

この店に最初に来たのは、私が上海に赴任したばかりの2011年9月でした。
現在は卒業してしまった四年の学生達が連れてきてくれたのでした。
今夜はそこで食事をしながら、彼等彼女等のことを思ったりもしました。

そんな小食堂で食べたのが、红焼肉や空芯菜の炒め物(美味しくてお替り)でした。
それにライス(お替りも)やビールなども加えて、値段は100元以内でした。
もちろん、味は非常に美味しかったです。

             

店の外観を撮影し忘れたので、今度撮影してきたいと思っています。


それにしても、夏休みに入りゆっくり食事を楽しむゆとりができたのは嬉しいことです。
今の私の生活は自由に研究をし、ゆっくりと食事を出来るなど非常に豊かです。


それでは今日はこのへんで。
次回の食日記をお楽しみに~




突然ですが、食日記を始めます!

2012年06月25日 22時07分34秒 | 食日記(中国)
そろそろ大学の教員達もほぼ今学期仕事が終わり、夏休みに入りつつあります。
そんなわけで少し時間にゆとりが出てきたこともあり、今日から写真を少し増やしていこうと思っています。

そして、ブログの記事の種類も新しく増やし、食日記をつけていくことにしました。
その一回目の今日は…

朝ごはんは食べなかったために割愛。
昼前に地下鉄と徒歩で、上海図書館へ行きました。
その前に、乌鲁木齐路にある上海の家庭料理を出す店で食事。



店の雰囲気はこんな感じで、なかなか落ち着いた感じの良い店でした。
食事途中、フランス人のカップル(?)も食事に来ていました。



これだけ頼んで値段は60元。上海でこの味ならまずまずといったところ。



特に、一番奥に写っているキクラゲとニラと卵の炒め物が美味しかったです。
あと、冷たいキュウリの浅漬けのような料理も、ついつい後引く美味しさでした。

その後、上海図書館で最近の日本の各新聞をチェックしました。
それにしても、上海図書館で疲れた時、二階フロアで中庭を見つつコーヒーを飲みつつ小休止もいいです。



新聞を読んだ後、学術雑誌もゆっくり見たかったのですがそのフロアが閉館時間に。
20時30分まで空いているフロアに移動し、そこで読書を継続。


夕方、図書館を出て19時半に梅陇路の大学キャンパス近辺にある牛肉ラーメン店へ。
ここは私の行きつけの店の一つですが、そこでいつもの牛肉ラーメン(大腕)を注文。
そこにたっぷりの唐辛子を入れ、汗をかきながら食べました。



これを食べ終わると、汗がかなり出ますが、それがなかなか気持ちいいです。


今はアパートに帰り、エアコンの風で涼んでいます。
そして、このブログを書きながら、既に「明日は何を食べようかなぁ」などと考えているMです(笑)


皆さん、もし上海でお勧めの店があれば是非教えて下さい!
それでは~

常州旅行のこと

2012年06月22日 17時06分36秒 | とりあえず日記
昨日、大学の今学期の仕事がほぼ終わりました。
大学四年生は卒業し、大半の学生達が大学を離れたとのことです。
先日の卒業パーティ-には私用で少ししか顔を出せず残念でした。
卒業した四年生達との縁が、これからもずっと続くことを祈ります。


さて今回は、先日行ってきた学生との旅行のことを書きたいと思います。

6月17日(日) → 一日目
 
8時半 上海駅を汽車で出発
旅行参加者 … 三年の学生達(女性×5、男性×1)、他に学生の友人など(女性×2)、M 計9人



11時前 常州駅に到着!





ホテルにチェックイン後、二グループに分かれ行動(Mは恐竜園へ。ここは所謂、遊園地。)
学生と一緒に遊園地のアトラクションへ。顔が完全に下を向いてますが(苦笑)、実は楽しかったです♪





夕方になって皆が合流し、万達広場のレストランにて夕食。
魚頭に唐辛子と油メインのスープがかかった料理が最高! 多分、四川や湖南の料理。料理名は分からず…





食事の後、恐竜園近くにある温泉へ。
皆それぞれ水着を来て、何種類もある温泉を楽しむ。
夜行ったこともあり、雰囲気は最高でした!
それにしても岩盤浴はぜんぜん暖かくなかった…(笑)

その後、ホテルに帰って夜遅くまで語り明かす。
完全に修学旅行のノリに…



6月18日(月) → 二日目

皆一日目でかなり体力を使い果たし為、二日目は昼からスタート!
まずはチェックアウトし軽い昼食をとってから、「春秋淹城」というテーマパークへ。
ここは博物館や、周朝の中国建築を模した建物が並び、なかなか見どころがある場所。



でも、残念ながら月曜日は博物館が閉館…
仕方なく建物を見ながら一時間ほど散策。





時間が余ったので、このテーマパーク内にある公園へ移動。
これが完全に選択ミス!?

蒸し暑い中を延々と歩き、途中歩き疲れて個人タクシーに乗せてもらい、何とかその公園へ到着。。
20元を払って公園内に入るも、あまり景色が変わらず、花もあまり咲いていないあり様。
そんな公園内を休憩をはさみつつ、結局一時間以上ただただ歩く。



そして、無事(?)に出口にとどり着いた後、個人タクシーやバスで常州駅まで。
皆でファーストフード店「李先生」で夕食をとり、お土産などを買う。



その後、帰りの新幹線に乗り込む。



常州駅から上海虹橋駅まで新幹線で約一時間の道のり。
その間、学生達は写真を撮り続けるなど元気いっぱい!
Mは正直、スタミナ切れに…


上海のアパートに無事着いたのは、夜10時半頃。
今回は上海に来てから初めての旅行でしたが、とにかく楽しく、記憶に刻まれるものとなりました!
学生達とは機会があれば、また次の機会を期待します。

最後、楽しい思い出をくれた学生の皆さんどうもありがとう
そして、今回の旅のリーダーSさんはお疲れ様。。

信頼されることの大切さ(中国での体験から)

2012年06月19日 00時40分41秒 | とりあえず日記
先ほど学生達との旅行から帰りました。
一泊二日の旅行だったので、本当にあっという間の旅行でした。
そして、また中国での大きな思い出が出来ました。

学生の皆、どうもありがとう!

この旅行の詳細は後日写真を添えて書くことにします。


さて、今夜は件名のタイトルの通り、信頼の大切さについて思うところを少し書きたいと思っています。
私が中国に2009年3月に来る前、その勤務する大学やその周辺地域の情報を聞いたことがありました。
それによれば、安徽省の地方都市といってもそれなりに発展しており、生活には困らないということでした。
(飛行場もあり、汽車のターミナル駅が付近にあった為、移動にも便利だった)

ただ、大学側の情報では「日本人居住者は全くおらず、旅行者も皆無」とのことでした。
そのことは、その大学では私がまさに唯一の貴重な日本人であり、日本語並びに「日本」を教授する人間となる事を意味しました。
もっと言えば、私を通して「日本」・「日本人」イメージを学生達が形成していくことも意味したと言えるでしょう。

よって、私の教える事の責任を重く感じたのを今でもはっきりと記憶しています。
同時に、仕事で如何に信頼を得られるかを常に考え、授業だけでなく、日頃の態度や言葉遣いを相当気をつけて生活したものです。

当時は、

「僕を通して日本や日本人のイメージを悪くさせるようなことだけは出来ないし、したくない。だから僕に間に合わないことがあっても、とにかく真剣に仕事をやろう!」

これだけを考えて過ごしていたように思います。
少し大げさにお感じになる方もいるでしょうが、当時の私は大真面目にこう考えていました。
要するに、

「如何に相手(周囲の中国人)から信頼をしてもらえるか。その為に何をすべきか?」

このことを考えながら、当時はひとまず本分の一つである研究を脇に置き、仕事に集中したものです。
そして、これだけはずっと忘れずに今まで仕事を続けてきたつもりです。

そのお蔭も少しあったのか、お蔭で何とか今まで、中国で外教職を継続させて頂くことが出来ています。
(もちろん、課題も多いのですが…)
中国で暮らす中で出来た中国人の友人や知人、そして学生達も数多く、今でも彼等彼女等とは交流が続いています。

こうしたことは、お互いを信頼する気持ちが根底にあってこそ可能となると私は考えています。

「あの人だから、大切な仕事を任せられる。信用していい。色々と相談もできる。信じ抜ける。」

簡単に言えば、信頼とは相手に寄せるこんな気持ちでしょうか。
そうした信頼を勝ち取るまでには相当の期間も必要ですし、多少の取り組みも求められます。
それは簡単には得られないだけでなく、仮に一度壊れるとそれを取り戻すのは相当な時間・労力が必要です。
思えば、子供の頃より父はよく、

「いいか、良く聞いてほしい。信頼を築くのは相当な時間・労力が必要だけど、一方で壊すのは簡単なものなんだ。このことを良く覚えておくんだよ。」

と口癖のように私や他の兄弟に言っていました。
恐らく、自身の仕事や人生で得た教訓の一つとして子供にもそれをきちんと教えたかったのだと今は思います。
そうした教育をどこまで実践できているかは心もとないですが、これは現在、私の一つの大きな柱になる考え方となっています。


最近は、このことを強く意識させる出来事が身近にあり、急にそのことを再認識しているMです。
とにかく今の私は、

「中国に居ても、将来に日本に帰ることになったとしても、これは常に忘れずに生きていきたい。」

そう強く思い返しています。

後学期の仕事もあとわずか。。。

2012年06月16日 22時40分08秒 | とりあえず日記
<最近はとにかく毎日長めに歩くことを心がけています。写真は一号線地下鉄漕宝路駅から勤務する大学まで歩く途中で撮ったもの。>

後学期は授業が全て終了し、今は後期試験の採点並びに学生達の成績をつける作業をメインに行っています。
残りは、二年生の「日本の文化と社会」のレポート採点のみです。

よって、このまま順調に進めば来週半ばには全ての後学期の仕事が終わる見通しです。
そして、その後は自身の研究をメインにして活動していくつもりです。
なお今回、大学の夏季休暇が二ヶ月以上あります。

よって、7月中は主に中国で資料収集や史跡めぐりなどをし、毎日中国語を学習予定です。
その後、7月下旬からは約一か月間、日本へ一時帰国して日本で研究活動を続ける予定です。
そして、来学期は担当講義科目が6つとなるので、その準備も多少夏休みに進めるつもりでいます。



さてさて、明日からは大学三年の学生達と常州へ一泊二日の旅行へと行ってきます♪
本来は、青島、黄山なども考えたのですが、諸事情により今回は近場の常州となりました。

私自身、常州はまだ一度も行ったことがない場所なので結構楽しみにしています。
学生達との貴重な経験なので、教員として事故などが無いよう気をつけつつ楽しんできます。
明日は早い時間に出発ですが、仕事があるのでまだまだ眠れません。
ということで、仕事に戻ります。

旅の様子は後ほど紹介するつもり!
では、さようなら。








朝マックをする上海の中学生達

2012年06月13日 23時05分22秒 | 現代の中国社会
最近、朝早めに起きて少し散歩をして汗を流すことを続けています。
理由は単純で、運動をして体を絞った方が毎日の生活が楽だからです。
体重が必要以上にあると、やはり疲れやすくなるようです。


そんなわけで、先日の朝は歩いて40分ほどアパートの周辺を回ってきました。
6時半過ぎだったので、出勤に出かける人の姿や学校へ向かう学生も目立ちました。

最近なぜか無性にマックのエッグマフィンが食べかったので、足はマックへ向かいました。
一番近所にあるウォルマートの一角に設けられたマックに着くと、そこは地元の中学生達で一杯。

           

正確には数えていませんが、恐らく30人程はいたでしょう。
外を見ると同じ服装を来た中学生が一斉に歩いていたので、近所に彼らの中学校があるのだと思います。
マックで彼らはハンバーガーを片手に、何やら数人ずつの集団になって勉強をしていました。
様子を見た限り、学校から出された宿題をしているようでした。


しかし、朝マックをしながら学校の勉強とは…
これは以前の安徽省では決して見かけなかった光景です。

なお、中国のマックの朝のセットは平均が20元前後(約260円)です。

普通の中国の朝ごはんの価格からすれば、若干高いというのも関係していると思います。
それに加え、安徽省ではマックがこれほど多数出店していないのも理由でしょう。
しかし、上海ではマックはそこらじゅうにあり、かつ、彼らにとっては値段も手ごろにうつっているようです。

でなければ、あれほど多くの中学生が朝マックをするはずはないですから。


それにしても、久々のマックで食べたエッグマフィンは最高でした。
また、暫くして無性に食べたくなることでしょう…きっと。




最後に、先日11日に久々に大学四年生達に誘われて食事をしてきました。
二人の女子学生でしたが、一人は上海外国語大学の大学院へ進学、もう一人は上海の人材派遣会社で働くそうです。
久々に会いましたが、二人とも元気そうでした。

四年と言えば、来週二十日は四年生達の卒業パーティーが予定されています。
そんなわけで今夜は日本の卒業式に欠かせない名曲を紹介します。

荒井由美 卒業写真
http://v.ku6.com/show/aOrOSlpgN2-_w9uUOSWVDA...html

週末のこと(久々に外出)

2012年06月10日 22時56分25秒 | 中国の大学、大学生
最近、暑くなってきた上海です。
そして、大学の構内は緑が綺麗になってきました。

              

今週末は久々に自宅から出て、外で人と会う機会がありました。
土曜日は徐家汇にて、千葉大時代の後輩G君と会い、久々の再会を喜びました。
彼は大学学部時代に中国の某大学へ留学し、卒業後も中国で現在まで働いています。

そして、現在は上海からほど近い杭州でアパレル関係の仕事をしているとか。
実に7年ぶりの再会でしたが、逞しく、元気に頑張っているようで何よりでした。
久々に、大学時代のことなどを彼との話を通じて思い出しました。

また、中国のどこかで会う機会があれば私は嬉しく思います。


そして本日、日曜日は安徽省の教え子で現在は上海で働いているT君から誘われ、南京西路にある外婆家で食事をしました。
このレストランは、杭州に本店があるそうですが、上海にも進出していて、かなり高い人気を集めています。
くつろげるような店の雰囲気と、美味しくて比較的あっさりとした料理が人気の理由でしょうか?

実際、常に店は満員で、外には空席を待つ客が常にいました。

T君は私がこの仕事を初めて最初に担当した学生の一人で、在学中から色々と私と関わりが多い学生でした。
一緒に食事に行ったことは何度もあり、端午節を利用して彼の故郷の家へ招待されたこともあります。
私の両親が上海へ遊びに来た際も、万博を案内してくれたりと、非常に親切に接してくれた学生の一人です。
卒業後、彼は上海で日系企業のサラリーマンとして働き、僕もその後縁あって上海の現在の大学へやってきました。

そんな訳で、現在も彼とは交友が続いています。

              

今回彼が私を食事に誘ってくれたのは、日本の三井住友銀行(上海支店)に転職が無事に決まったことのお礼を私にしたいという為でした。
私は特に変わったアドバイスや助言をしたつもりはないのですが、ともかく彼が無事に転職が決まったことを嬉しく思いました。

待ち合わせのレストランでは、彼の親戚のお姉さんも来てくれて三人で楽しく食事をし、帰りにはデパートで洋服を買い、帰宅しました。
転職したばかりで忙しいとは思いますが、T君には頑張ってもらいたいところです。


それにしても外婆家の料理はなかなかのものでした。
また機会を見つけて、他の学生達や友人たちと行きたいです。

中国の写真店での見本写真

2012年06月09日 22時45分18秒 | 「面白」中国(ユニークな部分)
今日、急遽必要になって証明写真を撮りに出かけました。
そこで店のレジに準備されていたのが、下の見本写真です。

           

確かに、これは証明写真ではなく、一般的な写真の見本です。
ですが、このような見本写真は日本では一度も見たことがなく、基本的に家族や子供の写真が多かったと記憶しています。
恐らく、これほど女性のセクシーショット(?)を見本写真として店で出すことは日本では少ないでしょう。

思えば安徽省に在住の時、証明写真の見本のバックも赤色が結構多く、その点も日本と違いました。
国が変われば、証明写真などの見本も変わります。
要するに趣向が異なります。


…それにしても、中国では見本写真のような写真を撮る方が実際に多いのでしょうか??

同僚の吉報

2012年06月06日 23時42分33秒 | とりあえず日記
ところで、私の所属する大学には外国籍の教員が何人か所属しています。
日本語科の教員は私、英語科にアメリカ人の教員一人、ドイツ語科にはドイツ人教員が一人です。

その他の学科にも、複数の外国籍教員が在籍していますが、正確な数は把握していません。


今日の昼休み、自分の研究室で読書をしているとアメリカ人の外教Gが入ってきました。
私を見るなり、

「試験期間中で、今週も来週もずっと試験だよ。この後の採点が大変なんだよね~。」

と話しかけてきました。
そして、

「先日は妻にランチを御馳走してくれてありがとう!」

と言いました。
実はその前の日、Gの妻とは先日大学の食堂でばったりと会っていました。
その時、彼女は生まれたばかりの子供を抱え食事を買いにきていたのです。
それは明らかに大変そうだったので、私が彼女と自分の食事を一緒に買い、アパートまで届けたにすぎません。
「ランチを御馳走」だなんて大したことはしていないのですが。
でも、きちんとお礼を返すGの態度に対し、私が好感を持ったのは確かです。

その後、Gはあるニュースを私に教えてくれました。

「おい、M知っているかい?ドイツ語科の外教Uは妻が妊娠しているんだよ。おめでたいねよ!」

何と、英語科の外教の妻の出産に続き、ドイツ語科の外教の妻も現在、おめでただというのです。
しかも、ドイツ語科の外教は50過ぎという年齢、妻も40近いということで初めてのお子さんとなるそうです。

「Uの喜びはかなりのものだろうな…。それにしてもおめでたい!」

などと思っているところへ、Uが嬉しそうに研究室へ入ってきました。
顔はいつもより血色がよく、笑顔でした。
そして、

「ねえ、Mさん。…私の妻が妊娠したんだよ。」

と開口一番に話してくれました。
その顔はとにかく嬉しくてたまらないという感情に満ちていました。
それを聞いて、私も嬉しくなったのは確かです。

思えば、この大学の外教は全て妻が中国人です。
先日知り合った非常勤で私の大学で教えているフランス人の教師も妻が中国人でした。
上海という、中国の中でも比較的外国文化や外国人に対して開放的な雰囲気の地域だからこそ、このようなケースが多いのでしょうか。


ともかく、今日はおめでたいニュースを聞けた一日でした。

大学院の指導教官からの影響のこと

2012年06月05日 00時39分03秒 | Mの研究活動や成果
<今夜、私の博論修正が全て終わったことを祝ってわざわざプレゼントをくれた学生がいました。心遣いが嬉しかったです。謝謝!>

先日、こちらの大学の四年生の卒論提出締切日でした。
なお、現在の大学では私の指導学生は三人いますが、他のどの先生方も3・4人の学生を担当しています。

卒論の締め切りを過ぎた後、我々の大学では提出された論文を指導教官以外の3人の教師が読み、
それに対する修正意見を出すというのが通例になっています。
もちろん、「修正の必要がない」と判断される論文もありますが少数です。

そうした中、私の指導学生はいずれも忙しい中で指導を受け頑張ってくれました。
その為、一人の学生は「修正意見なし」で、他の二人も簡単な指摘が其々一つあったのみでした。
(なお、指摘を受けた学生の一人は論文要旨を付け忘れるというミス、苦笑)
全体の学生に対する修正意見も見ましたが、相当意見をもらった卒論も多いのが分かりました。

ですから、今回は彼らの頑張りを何よりも褒めるべきだと思っています。


そして、今週木曜日には卒論口頭試問が予定されています。
早速、昨日、指導学生達にその際のアドバイスをメールで伝えました。
口頭試問といっても、その時間は修論や博論とは当然違い、短く限られたものです。
ですから、

その短い時間で如何に自分の卒論をPRできるか

これが何より重視すべき点であるのは明白でした。
もちろん、日本語科の学生としてはその際に話す日本語レベルも重要です。
(ただ、これは今からの指導ではどうしようも出来ないものです…)

具体的には、

・自らの卒論が、以前の研究課題のどこに対して取り組み、どのような研究成果をあげたのか?
・そして、どのような史資料を駆使し、課題にどのように迫ろうとしたのか?(今後の課題も)

これを誰にでも誤解なく理解できる表現で、簡潔に説明することが大切だと伝えました。
口頭試問ではどんな質問が出されかは不明ですが、この軸がきちんとしていれば論文の価値はきちんと相手に伝わるのです。
よって、細かい質問内容をあれこれ考える前に、この作業をきちんと行っておけばまず間違いない、そう学生には言いました。

実際、細かな質問が仮にあっても、それに対してはきちんと真面目に卒論に取り組んだ学生なら何も問題なく答えられるはずです。
よって、そんなことを心配することは、これまで真面目に卒論に取り組んだ私の指導学生達にとって不要であるとも考えました。


曲がりなりにも大学で教えるようになって、このような卒論指導をする中で気づいたことがありました。
それは、

大学院の指導教官からの影響

でした。
私は大学の学部、大学院とずっと千葉大だった為、指導教官もずっと同じでした。
指導教官とは中国に来て以来、半年に一回会うだけですが、実はそれ以前もそれほど研究指導を頻繁には受けませんでした。
誤解がないように言えば、受けられなかったのではなく、自らがそれを選んだのです。

研究者として成長していく為、大学院時代に手取り足取り指導を受けていくことに何か抵抗を感じたのです。
また、指導教官もそうしたことを重視されているように私には感じられ、同じことを考えているようにずっと思っていました。
よって、何か「重要」な際だけ質問して意見を求め、他は自らが悩み苦しむ時間を経て、一つの方向性を得るように心がけました。

逆に、時々私がした研究に関する質問への回答、ゼミでの指導教官の発言は逐一メモしていました。
そうした作業を経て、私は指導教官が短い回答の中に重要なエッセンスを込めて返してくれていることに気づけたことがありました。
それは、非常に簡単な言葉であることが多いのですが、良く考えてみればそれが最良の答えであるという具合にです。


そういう本質的な回答をさっと返せることに感動し、いつしか私自身もそうしたことが出来るようにと考え、行動するようになっていきました。

・このケースでは何が一番重要なのか。逆に、何を切っても良いのか
・このケースではどのように相手に訴えれば、自分の考えや主張がきちんと届くのか

という基本的なことのようですが、評価されるポイントをきちんと理解し、行動しようとする思考が徐々に身についていきました。
実際、私はこうした思考スタイルを身につけられたお蔭で、研究計画書の書き方やPRの仕方が大学院時代と通してかなり上達しました。
具体的には、博士後期課程1年の終わりから今までずっと中国にいて仕事をしているのにも関わらず、公募の校内研究費を四回獲得しました。
(もちろん、計画書には仕事をして給与を得ている旨もきちんと記載しています)

ただ、これは私の研究者としての能力が評価されたのではなく、相手に訴えかける研究計画書のロジックが功を奏したと理解しています。

よって、大学院の指導教官から受けた恩恵は非常に大きいと思います。
今回、上海の大学で卒論の指導をする自分自身のやり方を客観的にみて、その影響をここでも再確認した次第です。



最近はやや長めの文章になっている私のブログですが、最後まで読んで頂きありがとうございました。