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中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

浙江省紹興へ(大学院時代の友人を訪ねる旅)

2013年10月27日 20時30分12秒 | 食日記(中国)
1か月ほど前、大学院時代の友人で中国人留学生Iさんより、「今度時間がありますか」と連絡が入りました。
2012年9月にIさんと私は同時期に大学院博士課程を修了し、その後、Iさんは浙江省紹興の大学に就職しました。
私の大学がある上海から紹興までは高速鉄道で約一時間半で、中国ではかなり近い位置にあると言えます。

丁度学会発表も終わった時期だったので、10月26・27日と1泊2日で紹興まで出かけてきました。
朝7時半に上海虹橋を出発し、9時10分には紹興北駅に着。


その後、Iさんが車で迎えに来てくれたので市内へ出かけ、名所旧跡を巡りました。
具体的に見学できたのは、

・周恩来の生家
もう一枚。


・魯迅の生家(その入口部分)

・その周辺にある水と融合した歴史が残る住宅街

もう一枚


中国だけでなく、日本でも或いは世界でも著名な人物がこの紹興から誕生したわけです。
ですから、この生家周辺(特に魯迅)は観光地となっていて土曜日ということあり、人人人でした。
二人の生家はいずれも立派なもので、歴史に名を残す人物は幼い時からしかるべき教育を受ける環境にあったのだと感じました。

なお紹興で一番印象的だったのは、中国の他の地域と違い車のクラクションの音がかなり少なく、静かだったことです。
中国に住んでいると日本と違い、車同士の出すクラクション回数が多く、道路は騒がしいのが一般的です。
ですが、紹興ではそうした音がかなり少なく、日本のそうした環境で育った私にはなかなか快適でした。

もっと色々と見て回りたかったのですが、時間が足りずに気づくと夕方に。
その足でIさんの大学の教員、特に中国の朝鮮族が集うという宴会にも参加しました。


朝鮮族の方は独特の宴会習慣があり、宴会中は何よりとても賑やかになります。
そして飲む酒の量も多く、何より朝鮮族の多くは酒に強い方が多いようで、私もつい飲みすぎてしまいました。
今回初めて朝鮮族の宴会に参加させてもらいましたが、それぞれ順番に歌や踊りを披露しながら随分盛り上がりました。
私も唯一の「日本代表」として、皆が知っていると考えて「北国の春」を披露しました。
中には一緒に口づさむ先生方もいて、中国で「北国の春」が周知されていることを再認識しました。

なお、今回の宴会費用は全てホストのIさんが出されたそうで、その額は数千元!に及ぶとのこと。
そして、次回は別の先生が全てを負担して皆を集めるというようにサイクルで行うのが一般的のようです。
一年に一度このような幹事の役回りを担いながら、朝鮮族の方は親交を深めているのです。


今回1泊2日の短い日程でしたが、中国で奮闘する同期の友人と会えて元気をもらえました。
またの再会を楽しみにしています。

中国での学会報告のあれこれ(山東省済南)

2013年10月22日 21時55分39秒 | Mの研究活動や成果
今日は先日山東省済南で開催され、私も参加した学会のことを少し長めに書きたいと思います。

学会の大会自体は10月18-20日と3日間あり、18日は受付、19・20日は各報告が行われました。
なお、今回参加した学会の名称は「第一届日本学高端论坛暨中国日语教学研究会山东分会成立大会」と非常に長い…。
所謂、日中の日本語教育・文学・歴史などの研究者が集う国際学会でした。

上海から済南までは高速鉄道で約3時間半。
駅自体は新しく立派でしたが、周囲には何もなく、人も少ない印象でした。


そこからタクシーで約40分程度乗った場所に、今回の会場となる山東師範大学がありました。


大学の周囲は食堂街になっていて、学生通りが広がっていました。


19日からは大学構内の幾つかの建物で各報告が実施されました。


上の写真は20日の午前に行われた報告の一幕ですが、私自身は19日の分科会で報告をさせて頂きました。
今回の報告テーマは1958-1962年に日中間で展開した民間外交に関するものでした。
各分科会で報告者が10人から20人程度はいたようですが、どの会場でも共通する「問題」が。
それは、

「報告者が各自の報告時間(15分)を厳守せず、平気で延長すること」

でした(苦笑)
2-3分程度の延長ならまだいいとしても、10~15分延ばす報告者もいたため、後の報告者は「5分」というありえない時間で報告しました。
これでは多忙の中、この日の学会のため色々と準備してきた報告者の努力を打ち消しかねない行為で、二度とないようにしてほしいです。

学会報告終了後、司会の和歌山大学のM先生が私の報告に色々と有益な御助言を下さいました。
お蔭で研究を進める上でのヒントをもらっただけでなく、現在の仮説が実証可能な史実であることが分かりました。
学会の懇親会では、蘭州大学で外教をしているNさん、京都大学助教のSさん、千葉大のIさんなどと同席し、白酒を約2年ぶりに口にしながら、研究や仕事の話題に花が咲きました。

また、今回の報告者の中には私のブログの「読者」という先生もいらいて、わざわざ声をかけてくれました。
こうした方がいるのはありがたいのですが、同時にはずかしくもあり複雑な感覚でした。


全ての報告が終わって一息ついた後、会場の前で一枚。


20日は午前で学会が閉幕し、私はその日の夕方の高速鉄道で上海へ帰ることになっていました。
「午後は市内をぶらっとしてお土産でも買って帰ろう」などと思って、昼食を食べていると私の隣に国際交流基金の北京日本文化センター所長のYさんがお座りになりました。
Yさんは私の学会報告を聞いて下さっていて、関心を持って下さったようだったので少し研究の話をさせて頂きました。
その話の流れで、Yさんの20日の予定を私が聞くと、

「午後はこの大学の郊外の校舎へ行って、学生達に日中交流の講座を開催します」

とのこと。

「これは面白そう。学生達の様子も見られるよい機会だ」

と考え、一緒に行っても良いか聞くと、「OK」との返事。
ということで、私も午後は講座に参加し、学生と一緒にお話を拝聴しました。



本来はYさんと学生との交流の場でしたが、何故か講演の後は私も壇上に上げて頂き、学生からの質問に一緒に答えてきました。
学生の印象は純朴で、まじめという感じで、上海のあかぬけした学生達とは雰囲気は随分違いました。


短い時間でしたが、学会報告と研究者同士の交流、学生との交流が一度に出来た良い機会となりました。
ただ、今回は名所旧跡めぐりは出来なかったので、もし機会があればまた訪れてみたいと思います。


出張:山東省済南にて学会報告のため(10月18-20日)

2013年10月18日 20時47分42秒 | Mの研究活動や成果
今朝8時の高速鉄道で上海虹橋駅を出て、11時40分に山東省済南西駅へ着。
車中、日本から参加している大学院生時代の友人Iさんと一緒に歓談。
そのままタクシーで学会会場のある山東師範大学へ、そして学会の受付。
受付を済ませて宿泊するホテルへ。



広くはないが、綺麗でそれなりにしゃれた部屋というべきか。


今回の国際学会の参加費用は報告者だけでなく、いずれも600元(日本円8000円)。
なお、大学院生の場合は半額とのこと。
中国の学会ではこうした参加費が日本と比べ一見「高い!」と思われるはず。
しかし、学会中の待遇を考えれば「仕方ない」と思う時がある。

例えば今回のケース。
・18、19日の宿泊ホテル代は会場校の負担(一泊250~350元)
・18、19日の昼食(食べ放題)、両日の夜の宴会も会場校の負担。
・学会案内、発表者の発表要旨以外に学術誌や日本語教育のテキスト(6冊)
・記念品

などが参加者にはついてくる。
これだけ合わせれば学会参加費用は簡単に超えてしまう。
もちろん、毎回これだけのことを主催校がしてくれるとは限らないのだが。
中国の学会では学会運営にスポンサーつくことが多く、それらの「宣伝」が多い。
記念品位なら嬉しいが、必要としない日本語教育の本が紙袋二つ分あっても。


ちなみに、今回の済南出張が初の山東省訪問。
やや内陸だけあって空気は乾燥気味だが、やはり山東省の省都だけあってなかなか都会。
今日は明日の準備などでゆっくりできなったが、明日以降山東省の待ちを少し回りたい。


10月7日-13日のこと(上海での日誌)

2013年10月13日 22時15分24秒 | とりあえず日記
9月下旬辺りから随分涼しくなってきた上海、散歩をしていても汗は以前のようには出ません。
今回はここ数日のことを簡単に日記としてつけておこうと思います。

10月7日(月) 
朝起きると、外が雨のため部屋で筋トレ。
その後、授業の準備や学会報告準備で一日使う。
国慶節最後の日だったが、台風の影響で一日雨。


10月8日(火)
32回目の誕生日を迎える(中国に来て既に5回目の誕生日)。
前日からPC・携帯に学生達から祝いメールが届く(家族からも)。
豪雨の中、朝一で卒論の授業に出る。
授業を終え部屋に戻り、学会報告準備に費やす。
夜は雨が弱くなったので、市内へ。
老舗レストランの上海老駅で誕生日祝いの食事を友人と。
上海老站HP http://www.oldstation.cn/


10月9日(水)
曇時々晴れ。
一日授業漬けの日(90分×4)。
私の暮らす旧校舎から新校舎までバスで6時半に出発し、夕方18時半に帰宅。
最近運動を続けているお蔭で、授業漬けの日でもあまり疲れない。
夜は続けて学会報告準備、中国語も。


10月10日(木)
午前9時、ビサの申請で浦東の入管へ。
初めて上海の出勤時間に地下鉄に乗ったが、やはり人が多い。
これを毎日しているサラリーマン・OLの方々は凄い。
手続き後、外灘の上海市档案館へ移動して档案収集。
帰宅後は学会報告の準備に充てる。
中国語も。


10月11日(金)
朝から部屋掃除、洗濯など。
その後、来週以降の授業準備に時間を充てる。
その間、北京へ出かけた学生からメールが入る。
やはり現在も北京の外交部档案館の档案公開規制は続いているとのこと。
夕方からは一時間程ジョギングし、第二専攻の夜の授業へ(約3時間)
その後は大学近所のレストランで食事して帰宅。


10月12日(土)
終日、学会報告準備や授業準備に充てる。
気分転換に「クローズアップ現代」や「白熱教室」、「旅猿」などを鑑賞。
久々に明け方4時頃まで作業。


10月13日(日)
午前、洗濯や掃除など。
空き時間に中国のCCTVで《百家讲坛》を見る。
http://cctv.cntv.cn/lm/baijiajiangtan/
NHKの「白熱教室」に近いと言えばよいだろうか。
その後、学会報告準備の追い込みをし、何とか形がつく。
残り時間は授業準備の続きに時間を割く。
夜は一時間使って散歩・筋トレなど。






日本へ留学を目指す学生達 それぞれの進学先が決定!

2013年10月06日 22時42分12秒 | 日本への留学までの道のり
国慶節後半は今月の学会報告の準備に追われています。
少し進めては手を止め、また進めるという過程を繰り返しています。

研究に入ると私は他のことが一切手につかなくなり、頭は研究だけに占領され自分の世界に入ってしまいます。
部屋からは運動する時間以外は一切出ずに、食事も全て出前をとり、とにかく研究だけをやっている状態です。
机の上には今回の報告で使用予定の档案(資料)を並べ、それぞれに目を通しながら報告概要を練っています。


こちらは別のコピーした資料。他にもPCの中に今まで収集した資料があり、どう使うかまだ未定です…。


明日で連休も終わり、大学が再開されるので今夜までにある程度形にしておくつもり。



さて、気分を切り換えて別の話題。
このブログでは「日本への留学までの道のり」というカテゴリーを設け、何回か記事を書いてきました。
暫く更新がないままだったので、現在の状況を書いておきたいと思います。

まず確認ですが、私が今回直接担当した日本へ留学を目指す中国人学生は3人、間接的(少し)にお手伝いをしたのが一人でした。
先の3人ですが、2人が千葉大学へ学部生研究生として無事に合格し、既に大学へ入学して留学生活を始めています。
もう1人はつい先日、東京外国語大学の学部研究生としての受入が無事決定し、来年4月に入学することが決まりました。
なお、間接的にお手伝いをした学生は京都大学の学部研究生として既に入学しており、京都での留学生活が始まっています。

特に東京外国語大学に入学を決めた学生は最も最初に留学を希望した学生で、その気持ちに応えたいと特に厳しく指導しました。
この学生には特にですが、正直かなり厳しい言葉を投げかけたり、態度をとったこともありました。

でも、学生は私の指導にへこたれずついてきただけでなく、どんどん知識を増やし、研究のセンスも磨かれていきました。
当初は論理的思考がやや弱いなという印象を持っていましたが、その点も次第に改善されていくのが分かりました。
何より指導した学生の中で、研究を義務でなく一番楽しんでいる様子があり、「これは伸びる!」という感触がありました。
学期中は大学構内や上海図書館で、夏期・冬期休暇中はスカイプやメールで何度指導したか分かりません。
結局、そんな指導が約10か月も続き、その間に他の学生達はどんどん留学先が決まっていきました。

逆に、卒業しても留学先が未定だったこの学生や御両親にとっては少なくない焦りがあったはずです。
ただ、私は「正直、これだけ力のある学生が落ちるはずがない。もし落ちたら大学研究者の見る目がない」などと構えていました。
(「もし落ちたら」などとは無責任な指導者だと思われるかもしれませんが…笑)

結果的に、最後は学生自身が志望大学を自ら決め、指導を希望する研究者に自身で苦労して書きあげた計画書を送り、合格を決めました。

「先生、東京外国語大学の○○先生が私を受入れてくれるそうです!本当にありがとうございました。」

と携帯電話口から学生が興奮気味に合格を伝えてくれた時、私は極めて冷静さを装いました。
まだ学生の入学手続き自体は残っており、ここで一緒に浮かれてはいけないと思ったからです。

ただ感情とは正直なもので、電話を切ると自然と目頭が熱くなりました。
「よく頑張ったな」と思わずにはいられなかったのです。


今後はそれぞれの学生の留学生活が始まりますが、皆が有益な留学生活を送ってほしいです。
今はそう祈っている私です。

国慶節休暇の中国国内は“超混雑”

2013年10月03日 22時50分59秒 | 現代の中国社会
10月1日から7日までは中国の国慶節休暇。
中国の大半の人々は仕事がお休みとなります。

先ほどネットのあるニュースで、国慶節休暇の中国の様子を表す衝撃的な写真を見つけました。
それがこれらの写真です。

場所は北京の故宮周辺の様子。
もし携帯など持たずにはぐれたら一貫の終わりですね。もはや前へ進めるのでしょうか。


そして、天安門広場へ通じる地下鉄の通路。
警察(公安)の方々も普段はあり得ない場所で警備をしています(苦笑)


まさに“一斉移動”、日本人にとっては圧倒される光景です。

この国慶節期間中、北京はもちろんですが他の中国国内の主要観光地も人だらけになるようです。
ですから、連休中に観光地に出かけると「疲れるだけ」ということで外出を控える人も結構います。
或いは、経済的にゆとりがある人々は海外旅行を選択するケースも多いようです。
ちなみに、上海に住む日本人の知人達は全て日本へ帰国しました。

私は上海に残って研究活動をしていますが、上海の街の様子は普段と大きく変わるという印象は受けません。
どうも上海のような大都市に旅行というより、自然豊かな場所や歴史が残る街などへ出かける人が多いようです。
もちろん、南京東路や外灘、豫園などの観光名所は人が普段より多くなっていることは間違いないのですが…


国内は国慶節連休が続くにも関わらず、明日以降から上海市档案館は開館することになっています。
ですから私は档案館へ出かけて档案収集、その分析を進めるつもりです。
外灘の端に位置する上海市档案館はいつもは静かですが、明日はさすがに少々賑やかかも…

個人的には変わらず静かであることを期待したいところです。