中国西安で奮闘する大学教師Mの日々

日本人教員として中国の陝西省西安市の大学生・大学院生に対し、「日本文化・社会」や「卒業論文」などを教えています。

上海での大学での仕事が始まっています。

2011年08月30日 21時23分11秒 | とりあえず日記
<写真は、私が勤める外国語学部の大学一年から三年生までが学習する校舎。2006年に建設されただけあり、大変きれいです。>

今週の月曜から講義が始まりました。
とは、第一週目は簡単なガイダンスと自己紹介、そして学生達自身の紹介を行っています。

新しく勤務している上海の大学では、主に3・4年生の講義を担当しています。
(日本語作文、日本の地理・歴史、そして、卒業論文)
一週間のうち三日間は講義がありますが、他は自由に使うことができます。
ですので、その間に研究活動を進めようと思っていますが、最初は講義準備に時間がかかりそうです。

学生達は上海出身者が半数ほどで、他は東北地方や、上海付近の省の出身者です。
以前の大学に比べてやはり垢抜けた雰囲気の学生が多いですが、日本よりも少し幼くみえます。
それにしても、上海出身の学生達は何となく他の地域の出身者と様子が違うので分かります。
やはり中国で一番発展している地域は何か違うようです。

また、以前の大学は教師と学生の距離がかなり近かったですが、今回は少し距離感が感じられます。
やはり上海という都会の雰囲気を受けてか、授業とそれ以外の時間での区別がはっきりしています。
一番驚いたのは、これまで授業以外で教師と学生達との交流が皆無であったということでした。

私は以前の安徽省の大学では、それも一つの仕事ととらえて重視してきました。
ですから、学生達に外教の私と交流する機会をつくらないか?と問いかけてみました。

それに対して学生達の反応は良好で、今後、そうした機会をぜひ設けてほしいということでした。
中には、みんなに書いてもらった講義の要望の中に、

「これまで授業以外で外教と交流してこなかったのが恥ずかしいです…」

と書いていた学生もいました。
学生達は望んでいたのにも関わらず、そうした機会がなかったとすれば残念に思います。
と同時に、学生達が自主的に外教に働きかけるような主体性も期待したいところです。
そうした姿勢が、安徽省の大学では非常に強かったのだと改めて感じました。


大学教師達についてですが、正直まだそれほど交流機会がなく、よく分かっていません。
ですが、外国語学部日本語科の教師達の人数は、かなり多くて、大体が留学経験者です。
(短期留学などではなく、留学して日本で博士学位をとってきたという意味)

しかも、教師達の年齢は以前の大学よりずっと上で、私は日本語科だけでなく、外国語学部でも最年少だそうです。
ですから、今までのように先生方に色々とお願いするのは控える必要があるかもしれません。
ま、様子をみて上手な付き合い方を学んでいきます。


さ、大学の紹介はこれくらいにしましょう。
また、次回の更新の際に追加の情報でも書いていこうと思います。

買い物上手?な中国人

2011年08月30日 13時47分55秒 | 現代の中国社会
先日、こちらに持ってきた衣類があまりに少なかった為、当面の衣類を買いに出かけました。

場所は、上海の徐家匯の一角にある港匯広場です。
ここは、いわゆる高級デパートが多く集まり、服などの買い物には便利な場所です。

長袖のカジュアルシャツ、上下の下着などを買おうと思っていましたがデザインがどうも…
店をかなり回ってみたのですが、どうもしっくりいきませんでした。

そうこうしていると、目の前に中国に進出中のユニクロがありました。
店内は非常に多くの客でにぎわっていて、服の種類も多彩でした。
そこで、少し服を探すことに。

港匯広場にあるユニクロHP
http://www.uniqlo.cn/

やはりデザインもしっくりいくものが多く、結局、ここで全て購入してしまいました…
これでは、もはや中国に来ているのかどうか分からなくなってしまいます。

肝心の値段の方は、日本よりも多少高めのように感じました。
中国のユニクロは、日本のように気軽に購入する店の感覚とは違うようです。
購買層も、家族ずれよりも、カップルやお洒落な若者たちが目立ちました。

店員の態度もかなりしっかりとしていて、よく教育されている様子が伝わってきました。
少しでもレジで客を待たせると、

『大変お待たせしてしてしまい、申し訳ありません。』

という言葉がどの店員からもかかっていました。
とにかく客の目線で、快適に買い物をしてもらいたいという姿勢が感じられました。

こうした姿勢は日本では当然となっていますが、中国では違います。
ですから、こうした接客を見ると気持ちが嬉しくなるものです。


さて、その買い物の中で一番印象的だったのは、試着室に出来ていた長蛇の列でした。
ちなみに、日本では試着室にあのような列は普通できません。
場合によっては、試着せずに買うことも珍しくありませんし。

しかし、中国では必ずといっていいほど試着をし、自分が気に入るものを最後まで探します。
さっと買ってしまうという中国人は極めて少ないと思います。

そのために、この店だけでなく、どの服の店でも試着室は欠かせません。

私は大体、気に入れば買ってしまうタイプなので、買い物の時間がかかりません。
しかし、学生や先生方と一緒に買い物に行くと、こうした過程を踏むのでかなり時間がかかります。

しっかり商品を選ぶのは大事なことですが、吟味に吟味を重ねるという姿勢は私には馴染まないようです。
要するに、面倒くさがりやなのでしょうか。

ま、せめて中国にいる間は、こうした労もいとわないようにしたいと思います。

無事、上海へ到着!新生活の準備に追われる…

2011年08月27日 19時20分52秒 | とりあえず日記
24日の夕方、無事上海へ到着しました。
その後、新たに勤務する大学へ行き、大学構内の教師寮へ入りました。

以前の大学で与えられた寮は、2階建てのタイプでかなり大きめ。
でも、かなり古く、色々とガタがきていました。

今回は、6階建てのホテルのようなタイプです。
1階には管理人が常駐していて、外国人専用の宿舎になっています。
困った際は、管理人の方々に聞けば問題を解決してくれ、便利です。
主に下の方の階には留学生たちが暮らしています。
そして、最上階の方には外国人の先生方の部屋があります。

以前は、すべての家事労働を私が担いました。
(部屋の掃除、洗濯、食事の準備、ごみ出し、などなど)
しかし、今回は、ごみ捨てや洗濯などは宿舎の管理人の方がしてくれます。
また、部屋に足りない家具や電化製品は提供してくれるようです。

部屋は非常にきれいなフローリングで、近隣の騒音もなく静かです。
(部屋が6階にあるため、学生が活発に移動する昼間も比較的静か)


以前の寮よりはやや小さめですが、なかなか快適な生活ができそうです。
これにはとりあえず一安心です。


25~27日の今日までは新生活の準備と、大学の講義準備をしています。
大学周辺の地理にも当然疎いので、徐々に慣れていこうと思っています。
上海は何でも物価が高いので、以前いた安徽省のような生活は多少見直しが必要です。
以前は、値段を気にせず好きな場所で食事をし、移動は常にタクシーでした。
そして、買いたいものも迷わずに購入しても、充分生活していくことができました。

…しかし、上海ではそうした生活をしていくとだいぶ予算がかかります。
バスに乗ることや、炊事も少し増やそうと思っているところです。

それにしても、日用品の準備などにも最初は色々と時間がかかるものです。
その他、気分転換となる食事する場所をなるべく多く探すことも重要ですね。


部屋のネットがまだ開通していないようです。
管理人の話では9月から使用可能になるようですが。
それまでは、大学図書館に併設されているパソコンコーナー似通うつもり。
今日もそうです。

ひとまずは、この地域のことや、大学や学生の雰囲気を把握するつもりです。
そして、上海という地域の特長を生かし、多くの人脈を築いていくつもりです。
(仕事関連だけでなく、当然、研究分野に関する人脈もです)

それと並行して、研究も進めないといけませんが、これは暫くはお預けです。
仕事に慣れるまでに、なかなか余裕が出てきそうにありませんから。

ま、無理をせずに焦らず着実にです。


そろそろお腹がすいてきました…
ちょっくら食事に行って参ります。

明日から中国へ上海へ

2011年08月24日 01時21分52秒 | とりあえず日記
明日から、中国上海へ戻ります。
(正確には、「今日」ですが)
また、最低半年は日本へ戻れません。
今度は新しい勤務校で、また一からのスタートです!

無事に荷物も準備できて、あとは寝るだけ。
明日は午後2時の便なのですが、午前は幾つか用事があります。
ですので、朝は結構早く起きないといけません。

今回の日本への一時帰国は二ヶ月弱ありました。
通常と比べれば長い滞在で、色々と腰を据えて取り組めた方だと思います。
まだ目の前の課題はあるのですが、まずまずといえるでしょうか?


まずは、上海という土地に全力で馴染もうと思っています。
そして、仕事をしっかりこなすこと。
それが落ち着いたら、余力を投入して研究活動へ向けます。

ただ、それだけです・・・。
非常にシンプルです。

さ、明日に備えてそろそろ休みます。
おやすみなさい・・・



タクシーの色の国際的差異

2011年08月21日 22時49分21秒 | とりあえず日記
〈先日、資料集めで訪れた県立熊谷図書館。静かで、落ち着いた場所にありました。〉

私は日本にいる時の移動手段は、主に電車です。
しかし、急いでいる時などは時たまタクシーを使います。
日本のタクシーは値段が高いですから。

逆に中国に戻ると、移動手段は主にタクシーです。
それは、何と言っても値段が大きく関係しています。
日本では初乗りが大体660から710円の間だと思います。
対する、中国(上海)では大体170円ですから。
(内陸部はもっと安い値段)


さて、そのタクシーの色のついて最近気づいたことがありました。
それは、色の豊富さという点で中国の方が圧倒的に勝っていることです。

日本では、黒色のタクシーが一般的ではないかと思います。
多少異なる部分もあるものの、黒がタクシーの色とでもいう位に浸透しています。
そこからは、まるで黒=タクシーの色というような、ある種固定化された、もっと言えば強制的な統一感を感じることさえあります。

が、中国の上海(北京などでも)ではタクシーの色は実に豊で統一感は感じられません。
恐らく、タクシー会社によってカラーが違うのでしょう。
そこからは、自社のタクシー達を強く世間に主張しているかのような印象を持ちます。

ちなみに、最近では日本でも多様なカラーのタクシーを見かけます。
しかし、それは最近のことであり、あくまでも一部の例に過ぎない気がします。


自分自身をどんどん前に出し、自己主張しようろする中国の文化と、世間を常に意識し、その中で、ともすれば自分も同化していくような日本の雰囲気との差異でしょうか。

現時点ではっきりとしたことは分かりませんが、両国において随分違う部分であると思います。

しかし、二年半中国で暮らす中で感じたことは、今回気づいたことと関連しています。
それはずばり、日本(または日本人)は世間で意識的に、というより、むしろ暗黙のうちに決まったルール(または、方向性)のようなものに強く縛られているということです。

この点は中国という外国に身を置くことで、より強く実感するようになったことです。

そういえば、丸山真男が昭和天皇の逝去の際、世間の自粛ムードを、「自粛の全体主義」と表現していました。
これはつまり、どこで何が決定されて、それでどうすべきかという方向性が明瞭でなく、何となくその方向へ物事が進行していくという様を表現したわけです。


今回偶々気づいた日本におけるタクシーの色が、何故か黒にほぼ集中していることは、そうした日本社会の特質と何か関係があるのかもしれません。

少なくとも、日本においてタクシーの色を黒に限定するという法律はないはずですから。
であるとすれば、何かが原因で黒の色のタクシーが誕生したにせよ、それにずっと縛られているのはおかしな話だと私は思うのです。

ま、ピカピカの金色タクシーなどが登場したら、私は乗りたくありませんが(苦笑)

研究会会合で大学へ

2011年08月20日 00時14分33秒 | Mの研究活動や成果
〈一時帰国の際、中国の上海で買ってきた掛け軸。こうした中国土産が少しづつ増えています。〉

今日は私も参加している研究会会合があり、大雨の中、大学へ行きました。
これは、いわゆる大学から研究費をもらって行う共同研究です。
大学院生達が主体となって行うところに主眼があり、教員の参加はあまりありません。
(我々以外の研究会では、教員が積極的に音頭をとっているところもあるようですが・・・)

我々の研究会では、以下のことを念頭に置きながら議論を進めてきました。
それは、主に近代以降の日本における「標準化」をめぐって、参加メンバー各自の問題関心からその歴史的な考察を進めるというものです。

2008年4月に研究会を発足させ、教員や院生達を集め、議論を行ってきました。
しかし、これまでの議論は問題意識が十分に絞られておらず、議論が右往左往していた節が少なからずありました。

そこで、中国へ帰る前に集中的に議論を行い、年末までに成果を纏めようと考えました。
その会合が本日であったということです。

会合では、事前にお願いした五人に各自報告をして頂きました。
内容は主に、

1、標準化という概念に対する報告者の理解、認識
2、そうした概念を自身の研究にどのように活かせるか

でした。
「1、」の部分である程度、研究会参加者の認識をすり合わせて、今後の方向性を絞り、各自の研究テーマを決定していこうとしたわけです。

議論では、それぞれ報告者から有益な意見や報告がありました。
特に、

(1)社会が近代化していく過程でヒトやモノの標準化は不可欠なものである
(2)標準化が進む過程で、そのダイナミクスに注目すべきである
 ※例えば、功利主義、権威主義、異質なものの排除(または、包摂)、普遍主義など
(3)標準化は誰がリーダーシップをとるか、また、自身が作ったルールを如何に社会に浸透させるかという「支配」として論理の側面を持つ
(4)(3)に関わって、「支配」の論理に対する抵抗という動き、すなわち、標準化と対照的な動向が同時に発生していく流れにも目を配るべきでは?
(5)近代日本における「標準」概念を辞書、辞典などから整理した報告

以上のような意見(または、報告)は、今後の議論に参考になるものであったと思います。
こうした報告や意見に対して、史的に標準化を考える際には二つの視点を共有して各自の研究を進めようという話になりました。

一つは、「効率化を目指す標準化」という視点
もう一方は、「パワー集中による標準化」

こうした視点を共有して、各自の研究テーマに重ねたテーマから考察を進めていくことになりました。
ちなみに、報告書に載せる論文は本年末までに提出が望ましいとか・・・

私も可能な限り論文を書いておきたいのですが、既に二本の投稿論文を抱えています。
(どちらも提出は本年末)
それに、今月末からは上海での仕事が始まり、博論執筆の方もあります。
博論提出は、来年2月末日です。

何とか頑張ろうと思っていますが、今回ばかりはさすがに出来る自信はありません・・・



さて、最後になりますが、今回の会合では以下の議論が弱かったように思います。
それはずばり、

近代という時代の中で、標準化がどのように誕生していくのか
(要するに、近代化と標準化との関わり)

です。
この点については、今後、もう少し議論をした方が良いと思っています。
本日の会合では、どうもその議論が不十分な感じがしました。
それと同時に、グローバリゼーションの中での標準化という視点でも誰かが積極的に議論をし、研究論文にまとめてほしいと思っています。
私は来週水曜日には中国へ戻ってしまうので、その前に研究会の方々に伝えようと思っている次第です。


明日は、熊谷の県立図書館で資料収集、その後は、私がお気に入りの新郷にある蕎麦屋へ行く予定。
やはり中国では、あのような美味しい蕎麦は食べられません。
それでは、今日はこの辺で。

大阪は中国のような「エネルギー」が満ちてます

2011年08月14日 23時06分23秒 | とりあえず日記
<今日は兵庫、大阪、京都を回り、夜は大阪の道頓堀へ。えびす橋のネオンはエネルギーが溢れていました。>

今朝6時半東京発の新幹線に乗り、家族と関西へやってきました。
新大阪についた後、兵庫県西宮へ、その後、私は家族と離れ、京都へ。

研究に関わる調査として、研究対象にしている建築学者西山夘三の御子息にお会いし、聞き取り調査を行うためでした。

加えて、これまでに書いた研究成果を渡すのも一つの目的でした。
京都市役所付近の某所で、お会いしてお話を伺うことが出来ました。

これまで、かなり史資料収集を行ってきた為、新たな史資料の発見はありませんでした。
しかし、普段は史資料でしか接していない西山夘三という歴史上の人物が、より近く感じられるようになった感覚がありました。

家族の立場から見た、西山の人物論を色々と伺うことができたからだと思います。
研究対象に限りなく近づくという意味では、今後何かに役立っていくことを期待します。

最後に、他の御子息の方とも連絡を取っていただくことができました。
その方は京大を出て、長く研究者の道を歩み、今は退官されています。
御子息の話では、そちらに聞き取りをすれば新たな成果が上がるのではないかとのこと。

その場で、連絡をとり、今後の私の研究への協力を引き受けて頂きました。


聞き取りが終わった夕方から、電車を乗り継ぎ、大阪の日本橋へ。
そこで、家族や、その友人らと合流し、道頓堀付近にあるオムライス発祥の店で食事。
店の名前は、「北極星」といい、外観からしてレトロで、目を引く店でした。
オムライス屋でありながら、和風な店のたたずまいは落ち着きがありました。

日ごろ頑張ってくれている母には伊勢海老オムライスなる、超高級品をご馳走しました。
(店の人の話では、一週間に一回出る程度のレア商品だそうです)

その後、たこ焼き屋の「大たこ」で大き目の蛸が入ったたこ焼きとビールで乾杯。
付近を歩きながら、ホテルへ戻ってきました。

今日、一日関西を歩いて、いや大阪を歩いて感じたのは町のいたるところに「エネルギー」が満ちているということでした。

何だか中国で暮らしていると感じる、あの「エネルギー」と似た感覚ででした。

少なくても関東、東京にはない感覚であると言ってよいでしょうね。
人々の話し方、服装、目つき、町のネオンなど全てが違うようでした。

私は明日の夜、関東へ戻りますが、その後、すぐ中国へ戻ります。
また、あの「エネルギー」の満ちた場所へ帰るのだという実感が徐々に出てきています。

最近のあれこれ

2011年08月14日 01時07分24秒 | とりあえず日記
〈毛でおおわれたポメラニアンには日本の夏はやや辛いようです・・・。夏バテ??〉

いきなりですが、明日から私用で一泊二日で関西へ行きます。
予定は幾つか立てていますが、今回は研究目的が中心ではなく、旅行です。
色々と羽を伸ばし、今後の鋭気をつけてこようと思っています。

最近は、自分自身の身辺が落ち着かなかったので、ブログの更新は間が空きました。
書きたいことは沢山ありますが、明日は午前6時半頃には東京駅から新幹線が出ます。
ということで、簡単に書き連ねたいと思います。


まず、8月6日(金)の書評会の後は、現代史サマーセミナーへ参加してきました。

これは、主に日本近現代史研究者達が集い、交流する場として設けられているものです。
形式は毎年違うようですが、毎年準備される報告に対して質疑応答が一般的です。
そして、その後の飲み会も・・・

日程は、8月9・10日にかけて開催され、一泊二日で長野・・・のはずでした。
が、思わぬ急用が入った為に、9日のみ参加し、その日の最終の新幹線で帰宅しました。

宿泊の際、一人部屋でなく、共同部屋を予約しました。
私の部屋は、佛教大の原田敬一氏、学習院大の千葉功氏などが同室でした。
こうした研究者達と交流する機会があるというのは、本当に貴重です。
振り返っても、日帰りになってしまったのが残念でなりません。

当日の議論の内容を書き始めると時間がかかることが必至です。
ですので、セミナーでの議論は後日に回すことにします。
(前回の書評会も同じような形で「先送り」にしていましたね…)



その後、10日は、丸一日、家族の付き添いで東京秋葉原の某所へ。
一日、拘束状態…

翌日は、自宅で研究作業…しかし、暑くてはかどらない(涙)
最近、そんな時はネットでNHKアーカイブスの記録編などを見ています。
専門の歴史系のものや、政治経済のものがほとんどです。
ま、時々、お笑い関係のものも見ていますが。

12日は、朝から久喜の県立図書館で文献収集、夕方より大宮でノート型PCなどを購入。
念願だった持ち運び可能なノート型PCを購入し、満足です。

そして、本日はお盆ということで家族で墓参りへ。
帰ってきて、睡眠不足から少し休んだ後、研究作業をしていました。
そして、中国へ戻る日が近づいてきたので、研究計画表を修正してみました。
7月初旬に立てた計画通りにいっていないものが結構ありました。
やはり、なかなか研究を計画通りに進めるのは難しいものです。


もうすぐ2時、家族は爆睡中です。
私も少し寝て、関西旅行へ行ってこようと思います。
それでは~

『岩波講座 東アジア近現代通史』の書評会

2011年08月07日 00時35分39秒 | とりあえず日記
〈研究会後、懇親会がありました。その後、数人でラーメン屋へ。坦々麺は久々でした〉

表題にあるように、本日は午後より、去年に岩波書店より刊行中の『東アジア近現代通史』の書評会を行いました。

この企画は、私自身が呼びかけて行ったもので、研究会では報告も行いました。
その後、参加したメンバーと、他の先輩の院生方と合同で懇親会を行ってきました。

今日は多少疲れも出たので、詳しくは明日以降に書こうと思います。
とりあえず、無事に企画が終えられて、かつ、収穫があったことが何よりです。


ところで、帰ってパソコンを開くと、6月まで勤めていた大学の学生、そして8月以降に勤務する上海の大学の学生からもメールが届いていました。
(上海の方の学生は、大学を初めて訪問した際、大学周辺を案内してくれた学生です)

まだ夏期休暇は続きますが、そろそろ大学の方も「準備」をする時期が近づいています。
今回は、また新たな勤務地での出発なので、新鮮な気持ちを感じているところです。


そんなわけで、おやすみなさい。
今日は、心地よい疲れで熟睡できそう~

神田外語大学(幕張)へ

2011年08月05日 02時58分28秒 | とりあえず日記
<千葉県幕張にある神田外語大学付属図書館の屋上から。木村拓哉主演の「MR.BRAIN」もここで撮影されました。>

今日は午後から、幕張にある神田外語大学へお邪魔してきました。
そこに、知人の研究者の方が勤めていて、「大学へおいで」と声をかけてもらっていたからです。

私は初めて訪問したのですが、この大学は名前の通り、ほぼ語学専門の大学です。
しかし、知人の彼は計量経済学専攻で、その関連科目を指導しています。
私と同じ大学院出身で、修士課程を終わってすぐ、神田外語大へ就職しました。


大学に着くと、構内を案内してもらいながら、色々と説明をしていただきました。
まるで、今後、私がこの大学へ入学するかのような気持ちになりました(笑)
構内は夏休み期間ということで、学生もほとんどおらず、静かでした。

それぞれ校舎もさほど高層ではなく、校外のすぐそばにある高層ビルが大学を囲んでいました。
なんだかほのぼのとして、良い意味でこじんまりとした雰囲気の大学でした。

その後、彼の研究室へお邪魔して、色々な話題に話しが及びました。
今の私は、仕事をしながら研究を如何に継続していくかが一番の課題です。
それについて聞いてみると、

『自分の大学の研究室では仕事のみをやり、他の場所では研究をする』

んだそうです。要するに、場所を変えて気分も転換してやるということのようです。
あとは、深夜が集中できるので、大学の仕事がない時にまとめて進めているとか。

話を聞いている限りでは、中国での私の状況とそう変わらないように感じられました。
時間を有効活用し、論文を量産している研究者の方は、もっと良い方法をご存知かもしれませんが。

ま、あとは気合で研究を進めるしかないのでしょう・・・きっと。

意外だったのは、大学により教員の研究室の使用時間が限られているという点でした。
ちなみに、この大学では朝は7時頃から夜は9時半頃までしか使用はできないそうです。

私の大学では、そうしたケースがなく、教員だけでなく学生研究室も24時間開放されています。
そのため、これまでそうしたことを当然と思っていました。
しかし、冷静に考えればセキュウリティの面で問題がないわけではありませんね。

ですから、こうした措置を大学側がとるのは理解できないことはありません。
(もっとも理系の大学や学部ではこの措置はとれないと思われますが・・・)

ですが、深夜に集中できるという研究者にとっては辛いところです。
つまりは、今の研究環境に感謝すべし!ということですね。



大学訪問後は、自分の大学の研究室へ戻り、自分の報告原稿をまとめています。
今日は何故かなかなか集中できず、研究室で徹夜コースになってしまいました。

もっと早く、かつ、効率的に原稿を書ける能力があれば良いのに・・・
これは気合だけではどうにもなりません。

それでは。